広々としたレストラン内には年季の入った、だけど質の良さが窺えるテーブルやソファが収まりよく配置されていた。店の奥では等間隔に並んだ格子窓が三つ、外からたっぷりと陽射しを取り込んでいる。照明を絞った店内で、そこだけが切り取られたみたいに明るい。ずっと見ていると目がチカチカしてきそうだ。
ここはいわゆる避暑地にある有名な老舗ベーカリーで、併設のレストランではパンのほかにも目を引くメニューがいろいろと取り揃えられている。人気店ということもあって、休日ともなるとテイクアウトのレジもレストランの待機列もなかなかの混雑っぷりを見せる。それでも、今日みたいな平日どまんなかの水曜日、更にはモーニングの時間帯では、そんなのが嘘みたいに穏やかな光景が広がっていた。
ボリュームを絞ったジャズが流れる中、自分たち以外に客は片手で数えられるほどで、それぞれ新聞を広げたり、テラス席で犬と戯れたり、思い思いに時間を過ごしている。オレはといえば敬一君と二人、テーブルを挟んで向かい合わせに座っている。目の前の敬一君の視線はオレの斜め後方。ガラス張りになった厨房がどうやら気になるらしい。水の入ったグラスに口をつけながら、瞳が小さく動いている。たぶん厨房内の職人の動きでも追っているんだろう。自分を素通りしていく視線に少し面白くなさはあるものの、じっくりと敬一君を眺める機会なので、これはこれで楽しんでおく。
窓側の壁を背にしている敬一君のもとには、陽の光がすぐ後ろにまで伸びてきて、髪の毛が透けてキラキラしている。場所柄なのか、つい蜂蜜なんかを連想してしまう自分はだいぶやられてるんだろう。だって、そんなのベタすぎる。それでもオレの恋心というバイアスを抜きにしても、敬一君の見目が優れていることを全否定する人間は少ないはずだ。つくづく絵になるなと思うよ。今は気が抜けているせいか、あどけなさもあるけども。これを拝めるのは気心の知れた友人の特権だ。もっと言うと寡黙な美丈夫然も悪くないけど、感情のままくるくると変わる表情はもっと良くて。だから、つい、ちょっかいをかけて揺さぶってしまいたくなる。ガキじゃあるまいし、なんて言われるかもだけど、ガキで結構。そんなこと言ったら男なんてみんなガキだろう。
「なんだよ」
視線に気付いた敬一君が、ぶっきらぼうに問い掛ける。子どもみたいに目を奪われていた気恥ずかしさもあるのだろうか。すこーしだけ頬が赤らんでる。
「別に? 見惚れてただけ」
「はぁ〜?」
何言ってんだ、とでも続きそうな敬一君の言葉を遮るように、店員が両手にプレートを持って現れた。敬一君の前には色鮮やかな野菜が詰まった小ぶりのボウル、皿には厚切りのトーストでジャムとバターが添えられてる。あとはゆで卵。オレはフレンチトーストにしたから、ゆで卵は無し。代わりのヨーグルトに敬一君のと同じジャムが乗ってる。
「じゃあ、いただきまーす」
「いただきます」
手を合わせて声を上げたオレに倣うように、敬一君もぼそりと一言口にしてからバターナイフを手に持つ。まだ熱々のトーストにたっぷりのバターを満遍なく塗り広げ、続けてジャムがのっかる。バターの油分とジャムが混ざり合って、絶対おいしいやつ。準備万端なそれを一旦横に置き、敬一君はまず先にサラダとゆで卵を平らげる。ベジファーストはせめてもの罪滅ぼしか。よく噛んで飲み込んで。そうしてようやく、香りも見た目も魅惑的な厚切りトーストを両手に持ち、がぶりっと歯を立て齧りついた。口の中に広がる幸福感は推して知るべし。多幸感と少々の罪悪感を綯い交ぜにした表情をオレは真正面から堪能する。動物性脂に塗れた炭水化物。ボディーメイクには毒にしかならなさそうな、普段の敬一君なら絶対口にしないような代物。だけど、今日の敬一君はいつもと違う。月に一度のチートデイなのだ。
毎月第一水曜の朝。都内から離れたレストラン併設のベーカリーでモーニングをいっしょに楽しむ。これも今日で四回目になるのだから、そろそろ恒例と言ってしまってもいいだろう。
行ってみたい店があって、でもちょっと交通の便が悪くて遠い。一人で行くのもつまらないし、敬一君、付き合ってくれない?
そう言って敬一君を誘ったのが三ヶ月前。混雑してるとこには行きたくなくて、平日朝の時間を指定したオレ相手に、敬一君は半信半疑で約束を交わした。多分、起きれなかったら起きれなかったで暫くそれをネタにオレの上手に出てやるかって気もあったんだろう。オレはといえば、そんなのも織り込み済みでめちゃくちゃ気合を入れて起きた。 往復の時間も込みで約半日独り占めできるんだから、そのくらいはオレでもがんばる。行きの車内ではうたた寝をしちゃったけど。それでも、半分寝ている頭で耳にした敬一君の鼻歌がレア過ぎて、もう少しだけ寝たふりをしてしまった。そういう日常の延長にある非日常が垣間見えて癖になる。
敬一君が月に一回のこれをどう捉えてるかは分からない。別にはっきりさせなきゃいけない理由もなくて、宙ぶらりんのままここまで来ている。さすがに、いくら敬一君でも本当に嫌なら断りもするはずだ。敬一君なりにこの少し特別な一日を多少なりとも楽しんでいるんだと思う。普段口にしないものを食べる背徳感とオレとがセットで身の内を侵していってさ。ふとした拍子、たとえば不意に嗅いだ香りや目にしたパンとかでオレのことが連想されたらいい、なんて、そんな健気なことを柄にも無く思ってしまっている。
それでも実は今回ばかりは断られるかなと思っていた。理由はこの一ヶ月の間にオレと敬一君は命懸けのゲームに興じたからだ。お互いに終わったゲームが尾を引くタイプじゃないけど、今回は少し踏み込みすぎちゃったからさ。敬一君に思うところが出てきても不思議ではない。だから昨日、敬一君から「迎えの時間、いつもどおりで良いんだよな?」って連絡があったときは、まだ次があるんだって不覚にも嬉しくなっちゃったんだよね。
「あのよ」
「んー?」
皿の上をきれいに平らげた敬一君がナプキンで口を拭いながら話しかけてくる。オレも最後の一口分、ヨーグルトを掬ったスプーンを咥えたまま返事をする。
「オメーとさ、こうやってここに来んのも四回目だろ?」
「ああ、うん。そうだね」
一応、建前としては毎月期間限定の商品が出るので、それを買って帰るのも目的の一つにしていた。
「で、だな。なんつーか、その、この間ここ来たときから今日までにオマエとやった解任戦のゲームもあって、オレも鍛えられたっつーかなんつーか
……」
どうにも歯切れが悪い。なにかを言おうとしてるのはハッキリしてるが、いまいちそれが見えてこない。
敬一君の心の内を探るように、ずいっと前のめりで距離を縮めて、その目を覗き込む。あからさまに注意を向けたオレに敬一君は面食らったのかビクッと肩が跳ね後ずさる。オレの目を見返したものの、十秒ももたずに視線が横へと泳ぐ。
「見えなかったものが見えるようになっちまったっつーかな」
「ん?」
泳いでいた視線が再びオレに戻されて、なんだか困ったような恥ずかしそうな複雑な表情を浮かべている。
「オレ、これ多分、気付いちまったと思うんだけどよ
……その、どーすりゃいいんだ?」
面食らうのは、今度はオレの番だった。
これっていうのは、敬一君的には謎に催されていた月一モーニングのお出かけの意図についてってことで。そこから導き出される動機にまで及ぶんだろう。つまり、オレが敬一君のことが好きで誘い出してたってこと。知らず知らずのうちに習慣化するよう仕向けてたことも含めて。
オレがおふざけ半分に仕掛けるイカサマの一つも見抜けない状態だったのに、この間のゲームは想定以上に敬一君の普段の洞察力にも影響したみたい。
進化した敬一君について、考えを改めるべきだったな、オレ。
「え、いつ気付いたの? さっき?」
「昨日の夜」
と言うことは、敬一君は今の今までオレにそれを悟られずにいたということだ。端からオレが敬一君を侮っていたのはあるかもだけど、あからさまに様子がおかしかったら流石に気付くし。敬一君にここまで隠し通されたという事実に高揚してしまう。
「ねえねえ、どう思った?」
「ざけんな、クソ野郎! って思った」
おおよそ、浮ついた話に似つかわしくない言葉が吐かれる。
「敬一君酷くない? オレの純情を」
「うるせぇよ」
「どっちかっていうと敬一君のほうが声うるさいよ?」
「うるせぇのはオマエの目だっつーの!」
目は口ほどに物を言うってやつね。たしかに興味関心歓び驚きその他諸々隠せている気がしないっていうか、そもそも隠すつもりもない。
「っとに、どうしてくれんだよ」
オレの気持ちにも定期的なおでかけの意図にも思い至ってしまったらしい敬一君だが、そこから先の身の振り方までは決められずにいるようだ。それでも、どうしてくれんだよ、なんて言う時点で、オレの気持ちを切り捨てる気はないんでしょ?
「どうするもこうするも、オレのこと考えちゃうように仕向けてたから、オレとしては願ったり叶ったりなんだけど」
無意識にじわじわと、なんてつもりだったけど、今の敬一君は分かってしまった分、余計に意識せざるを得ない。
「オマエの目論見どおりになってんだよっ! こんなに回りくどく時間かけやがって
……オメーが仕掛けたんだから責任取れよ」
怒ったみたいに声を荒げた敬一君は責任を取れだなんて言う。そんなの、オレの好きにしていいって言ってるようなもんなのに。
混乱して困り果てた末に匙を投げて選択肢を委ねてきた
――と思いきや、でも、その目に宿った好奇心を見逃すことは無かった。
で、オマエはどんなことをしてみせてくれる気なんだよ、ってとこ?
もしかしてだけど、敬一君、オレのこと手玉に取ろうとでもしていない?
ギャンブルはさておき、色恋なら勝ち目があるなんて思われてるなら心外だけど、そんなことなんて些細に思えるくらい、敬一君から急に切られたカードにワクワクが止まらない。
「じゃあ手始めに、今日はこのまま昼も夜も二人だけでいっしょに過ごそっか」
「しゃーねーな」
そんな物の言い方をしながらも、どうやら受けて立ってくれるらしい。
目の前のこの男は一見無害そうに見えて、実際のところ思っていた以上に有害だったのかもしれない。毒にも種類がある。一滴で死に至るようなものもあれば、弱毒でも中毒性がありじわじわと影響が出るものまでさまざま。
この先、敬一君無しではままならないくらいに毒されるような日が来る未来もあったりする?
そんなの、望むところすぎるだろ。
なんだかんだオレも自覚している以上に敬一君に魅せられ侵されてるのかもしれないけど。まあ、おかげさまで毒には慣れてるからさ。ここから先はお互い服毒合戦にでも雪崩込もうか? 今度こそ途中リタイア無しで、行けるとこまで行ってみような。
もう下りる、って言っても下ろしてなんてやらないから。
終
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