暖かな日差しが注ぐ昼下がり。オロルンは収穫したばかりの野菜たちを抱えて、鼻歌交じりに歩いていた。目指す先は紫の天幕が立ち並ぶファデュイの駐屯地だ。
『隊長』が玉座で眠りについた後も、彼の配下だった兵のいくらかは志願してナタへの駐留を継続していた。復興が進んだとはいえ、大戦の傷跡が未だに残るナタへの、スネージナヤからの援助という形だ。――ただし、執行官の管理下ではない部隊となってしまったことで、支援物資は減らされてしまったらしいが。
そんな中、『隊長』が目を覚ました。
復興がある程度落ち着いた時点で引き上げることになっていたのだが、『隊長』が目を覚ましたことでその計画は白紙となった。現世に戻ってきたものの、夜神の国と深く繋がっている『隊長』は、とある問題が解決するまでナタを離れることが叶わなかった。そこでナタに残っていた彼の部下たちと共に、解決方法を探しながら復興支援を続けることとなったのだった。
かつて協力関係にあったオロルンは、復興を手伝ってくれている『隊長』の部下の力になりたいとの思いから、度々駐屯地を訪ねていた。それこそ物資が減らされてしまったと聞いた時に、少しでも彼らの腹を満たせればと、彼の畑でとれた新鮮な野菜を届けていたのだ。
今日も今日とて彼らに採れたての野菜を届けようと駐屯地を訪ねたのだが、皆一様にそわそわとしており、どこか様子がおかしい。天蓋の周りをうろうろと歩いていた馴染みの顔を見つけ、オロルンは声をかけた。
「こんにちは、ロチェフ。今日も野菜を持ってきたんだが……なにかあったのか?」
「ああ、オロルン。実は……いや、これは機密事項に関わることか……いやでも君なら……」
ロチェフは困り顔で、歯切れの悪い言葉を返した。その様はもう「何かあった」のだと明言している。確信したオロルンは、ロチェフにずいと詰め寄った。
「何かあったんだな。詳しい話を聞かせてくれ、僕に手伝えることがあるかもしれない」
寸刻、ロチェフは眉根を寄せて唸ったが、口元に手を添えてひそめた声で話し始めた。よく聞こえるようにとオロルンは少し屈んだ。
「……実は、困ったことが起きているんだ。大事にするなと言われているんだが、『隊長』様が……」
「ロチェフ」
屈みこんでいた背に、ぬっと黒い影が落とされる。威厳に満ちた低い声の主、『隊長』が歩み寄ってきたのだ。その頭には――見慣れない獣の耳が揺れている。
「大事にするなと伝えていた筈だが」
「はっ……!申し訳ありません、その……オロルンであれば、何か策を知っているかと……」
「……まあいい。下がっていろ。秘境の影響によるものだ、一日も経てば元に戻る」
ロチェフがその場から去ると、隊長はオロルンへと向き直った。黒猫のような耳が頭にひょこりと生えているせいで、いつもよりも幾分か愛らしさがある。
「ところでオロルン、お前は何をしに来たんだ」
「ああ。野菜を届けに来たんだ……けれど、君には食べさせられない」
「……理由は」
「君、その耳の形状からして、猫だろう? 僕が今日持ってきたのは玉ねぎだ。猫にあげることはできない。君に食べて欲しいと言っていた一番大きな玉ねぎを持ってきたんだが……」
オロルンは目を伏せ、連動するように彼の耳もぺしょりと垂れてしまう。痛ましさすら感じるその様に、隊長は息を吐いて優しく語りかけた。
「気を落とすな。猫耳が生えたといっても、俺が猫になったわけではない」
「そうはいっても、玉ねぎを食べても大丈夫だとは断言できないだろう。君にそんな危険を課すわけにはいかない。とても残念だが……これは他のみんなで食べてくれ。君には何か代わりのものを用意しよう。食べたいものはあるか?そうだ、魚はどうだろう。近くに川があったはずだ」
「……気持ちだけ受け取ろう。すぐ元に戻る、お前が気にすることではない」
そう言いながら、隊長は己の口元に自身の手の甲を当てる。口元に擦りつけるその様に、オロルンは目を見開いた。注がれる視線で気がついたのか、隊長ははっと顔を上げて手を下ろした。
「……猫だ」
「……」
その仕草は猫のグルーミングのそれだった。オロルンはその様子に興味を強く惹かれてしまった様子で、ぴこぴこと耳を揺らしながら隊長をじっと見つめている。オロルンの両耳に目線を誘われた隊長の首は、彼の意志とは関係なくふらふらと左右に振れた。
ふっと伸ばされた隊長の手が、オロルンの薄い耳へと触れようとする。揺れるそれを指鎧が付いたままの手で触れられ、オロルンの身体がびくりと震えた。
「……! すまない」
その反応で我を取り戻した隊長はすっと手を引き戻し、申し訳なさそうな声音で謝った。オロルンはそろりと隊長を見上げながら、首をかしげている。
「猫は蝙蝠を捕えることがあるというが……もしかして君、僕を食べたいのか?」
「……安心しろ、お前を捕食しようとしたわけではない」
「食べないのか!?」
「……食べて欲しいのか?」
至極残念そうな声音で再度しょげるオロルンに、今度は隊長が困惑させられる番だった。
「僕が美味しくなさそうに見えたのだろうか。最近鍛錬をさぼってしまっていたから、確かに少し身体がやわらかくなってしまった……いや、やわらかいなら食べやすいかもしれない。試してみないか」
ふにふにと自身の腕を揉みながら、オロルンは隊長の眼前に己の腕を曝け出した。
隊長はぐっと奥歯を噛みしめ、未だぴこぴこと揺れ続けていたオロルンの頭にそっと、指鎧があたらないように手を乗せた。優しく撫でてくる大きな掌から、安心感が伝わってくる。
「そう気軽に身を捧げようとするものではない。本当に問題ないのだからお前はもう帰――」
一瞬の隙を突き、オロルンの手が隊長の喉元へとあてられた。平時であれば急所を人に触られるなど考えられない隊長のその様子を見て、オロルンは深く頷いた。頷いて――ごろごろと喉を撫で始めた。
「隊長、君が急所を取られる状態は、問題がないとは言えない。やはり猫になっているんだろう。時間が解決しなかった場合のことも考えて、今は安静にしていた方がいい。何か解決策がないか僕も探してくる」
真剣に語るオロルンだったが、依然としてその手は隊長の喉元を撫でている。撫で擦られている隊長の様子は――なんとも言い難い様相だった。少なくとも、彼の部下には見せない方がいいだろう。
「君は自分の天蓋に居てくれ。落ち着くまでは出てこない方が――っ!」
ひとしきり撫でた後、オロルンが隊長から離れようとしたその時だった。がしりと腕を掴まれ、そのまま抱きすくめられる形で隊長の天幕へと引きずり込まれた。
「たい、ちょう……?」
寝台にとさりと倒されたオロルンの目には戸惑いの色が浮かぶ。フーフーと荒い息遣いだけが、天幕の中に響いていた。
* * *
「『隊長』様、無事お姿が戻ったようで何よりです」
「……ああ」
翌朝。隊長に顕現していた猫耳はきれいさっぱり無くなっていた。件の秘境の外観を破壊してくると部下に伝え、すぐに戻ると告げて出かけて行った。
誰もいないはずの隊長の天幕からは、すぴすぴと健やかでありながら、時折色気の乗った寝息が漏れていた。
If you make a mistake, you can cancel it by pressing the reaction.