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月見
2026-02-23 12:36:29
3180文字
Public
シャリエグ
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眠る雨(シャリエグ)
ワンドロお題:雨・MS
セルフメンタルコントールしっかりしてるザベ君と色々気付いてあれこれしたいシャリさん
「あ、駄目だなこれは」
さる週末、所謂休日前夜のことだった。
エグザベは平坦に独り言ちる。中央庁の片隅、定時を幾らか過ぎた元倉庫現特務部隊執務室で一人残務処理を熟していたところだった。
ふむ、と凪いだバイカラーアイが液晶の中で作り上げられていた文書を見やる。丁度キリが良い、後は上官、即ち本日会議からの直帰予定であるシャリアの確認を待つのみというところまで仕上げられているのを確認し、保存ボタンを押すとファイルを閉じる。そうして端末の電源を落とす前にさる申請画面を開いて。
数十分後、エグザベは格納庫に佇むギャンのコックピットに居た。
音も、光も無く、外の様子を一切感知することなく、ただただ己の専用機の胎に包まれて丸まる。
外は、雨だった。
パネルの照明を落として作り上げられた人工の夜。その黒い空はろくに見えもしないのにご丁寧に灰色をした雨雲の絵を映し出し、ざあざあとやはり人工の雨を降らせている。
ざあざあ、ざあざあ、先ほどまで過ごしていた殊更古くガタの来ている執務室はあの雨音も湿り重くなった灰色の空気もなにも、そのままエグザベへと届けていて。
それがどうにも、どうしようもなく、今日のエグザベには突き刺さったのだ。
雨音と共に波打ちせり上がった過去の記憶。濡れて饐えたコンクリートの臭いに暗い空、冷えていく空気。その中で、何もかも失くした自分が凍えて膝を抱えていたことが、ああどうしてか今この瞬間のことのように蘇って。
くしゃり、と自身の精神が撚れて丸められるのを感じた。既に一度、もっとかもしれない、幾度もぐしゃぐしゃの紙屑のようになったものを丁寧に拡げ直して伸ばして、ひしゃげた痕は消えなくてもそれなりに取り繕ってきた。
けれど結局のところ一度付いたものは完全には消えず、新品の、滑らかな姿には戻らない。不可逆だ。
それ故に、時折こうして嫌な波がやって来る。駄目だな、と、エグザベをして堪えきれない不安定が、息も出来ないような苦痛が噴き上がる。
だから対処をした。エグザベは流れるように整備班へ申請し、毛布に水分、簡単なエネルギーバーを一本だけ抱えると執務室の施錠も済ませ格納庫へと駆け込んだのだ。
そうして、今に至る。
整備班にはギャンの火器管制周りを少し調整したいと、終えたら弄った部分は報告してシステムも落として帰るので自分に合わせた待機などは必要ないと無理を言って。
急な要望に一度は内線で苦い声を伝えてきた馴染の整備員だったが、果たして応対するエグザベの普段と変わりもしない固く静かな声に何か感じただろうか、数回の言葉の応酬で了承を返した。
彼らに手厚い感謝を抱く余裕もこそがれていたエグザベだったが、それでもなけなしの情緒の余分を割いて感謝と、そして申し訳なさを胸に刻み、ギャンの懐へと飛び込む。
コックピットのハッチを締め切り、毛布に包まって目を閉じれば何も見えず、聞こえない。全き静寂と暗闇がそこにあった。
それでようやく、エグザベは息を吐ける。深々と、『自分だけの場所』で力を抜ける。この白い鋼の胎だけが、今のエグザベが持てる、エグザベだけの安全地帯だった。
ざあざあと、命と体温を奪う雨音は既に遠く、愛機に守れた自分の鼓膜には届かない。重く垂れこめる灰色の雲、あの日崩れ落ちた故郷の破片色のそれも、己の網膜に飛び込んでくることも無い。
少し草臥れているだけで汚れも擦り切れてもいない柔らかな毛布と、飢えと寒さと死の記憶を遮断してくれる空間。エグザベはゆるゆると四肢の力を抜いていった。
ギャン。己に与えられた専用機。全てを失くしたエグザベが今唯一手に出来ている己だけのもの。
そこで噛み締める安寧を、けれど所詮仮初も同然だとエグザベの公正で冷静な思考は理解もしている。
いくら専用と言っても所詮はそう上から恵まれたものであり、何かあればすぐに専用でもなんでもなくなる、自身の働きの不足、不手際の一つで容易く取り上げられて然るべき居場所で、ものだ。
きゅ、と一度は抜けた力が再び手足に入り、固く拳が握られる。無意識に離すまいと、取られまいと足掻く子供のようだった。
「だいじょうぶ、いまはまだ、だいじょうぶ」
エグザベはぽそりと繰り返す。それでも、少なくとも今はエグザベだけのもので、この手に残ったもので、居場所だ。こうして過ぎた苦難に浚われそうになる自分を受け止め守ってくれている、雨宿りをさせてくれる相棒だ。
大丈夫、今はここで眠って良い、休んで良い。そうしたら、また頑張れる。
エグザベは繰り返す、なぞる。今の己の安寧を、すべきことを、明日に抱くことが出来る希望を未来を、何度もひたむきに。
撫でて、皺を伸ばして、真っ直ぐに均して。そうして、いつものエグザベ・オリベに戻る。
良かった、今回もうまくいきそうだ。
狭く暗い、なにも届かない自分だけの領域で落ち着いてきた精神。じんわりと染み渡る安堵と共に眠気が訪れて。
明け方、ギャンの中で目を覚ましたエグザベはいつも通り溌溂と動き出し、コックピットから飛び出した。
「
……
ありがとうな」
愛機に心からの感謝を告げて格納庫を後にして、後は急いで身支度を整え自宅である安アパートへと戻る。
多少の無理を通しても、MSのコックピットを任務でもなく借り受けてでも、早急に精神を整えたのはこの後の「予定」のためでもあった。
パシャリと夜の雨の名残である水たまりを幾つか踏みながら帰宅してシャワーを浴びて、賞味期限間近のパンを焼いて朝食をとって。
「すみません、待たせましたか」
「いえ、僕が早く来過ぎただけなので」
休日の、雨上がりの街中。貰い物の美術企画展のチケットがあるのだと、寄越して来た相手が相手のため観に行って感想の一つや二つ伝えなければならないのだと、二枚あるので一緒にどうかと誘ってくれた上官、シャリアとの待ち合わせ。
昨日とは打って変わって快晴に設定された天候で、青空を反射する水溜まりや甘露に濡れて輝く街路樹の合間からやって来た相手にエグザベは微笑む。
すっかり整え終えた精神で、純粋に尊敬し親しんでいる相手との休暇を楽しむ気持ちだけで満たした胸で、穏やかに。
「────
…………
」
「中
……
シャリアさん?」
「いえ、うん、そうだな」
「あの
……
」
顔を合わせるなり、やわらかな微笑を収めてシンとエグザベを見据え始めたシャリアに首を傾げる。
特段、何か妙な振る舞いも格好もしていないはずだが、と。それこそ普段この上司が付けている仮面より妙なものなど無いはずだ、とも。
「ねえエグザベ君、どうやら今夜、臨時でまた雨だそうです。展示会の後でディナーでもと思っていましたがそれでは雨の時間と帰路が被ってしまう。デリでも買って私の家に来ませんか?」
「は、え?」
「君に呑ませてみたい良い酒もありましてね。うん、そうしましょう。泊っていってしまえば良い」
「えええっ? いや、そんな訳には」
「部屋も毛布も余ってますし着替えもあります、サイズもまあ大は小を兼ねますし問題ありません」
ね? と戸惑うエグザベの肩を引き寄せて微笑むシャリアの声は気安く、そして退く気は見えなかった。
「さて、とりあえず行きましょう、中々混雑している企画展のようなので」
そのまま流されるようにエグザベは足を進める。隣を往くシャリアは腕こそエグザベから離したが、語った今日一日の予定を変更する気は無いようで。
「食べて飲んで語り合って、ねえエグザベ君、そうして何も気にせず寝てしまいなさい」
手足を伸ばして。
続けられたその言葉はあまりに小さな声で、生憎エグザベの耳に拾われることは無かった。
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