spmm8ck9
2026-02-22 23:21:47
3313文字
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割れて欠けても真の月

丹恒と穹
陽葵とロケットのイベントネタ

 二相楽園の中で、丹恒が最も過ごしやすいと思えるのが鳩川周辺だった。
 目立つのが好きな穹や三月ならともかく、流行りものに飛びつき熱狂する人々に混ざり込むのは容易ではない。それに比べたらマフィアの牛耳る暗い歓楽街の方が楽だ。何せ列車に乗る以前は、こういった場所での仕事も請け負っていたのだから。
 ネオンの光に背を向けて、薄暗い欲望が滲む人々から足早に離れる。騒ぎを起こすべきではない。爻光将軍から、刃との接触を避けるよう要請されている。神出鬼没、どの陣営に接触していてもおかしくない星核ハンターの監視眼から逃れる為に、あの掴みどころのない卜者には骨を折って貰っていた。下手に目立って彼女の尽力を無駄にする訳にはいくまい。
 すたすたと進ませた足を、鳩川に掛かる橋の真ん中で止める。高いビルの間を通る風は強く、夜の水面を滑る温度は冷たい。酔っ払いも避けるロケーションだが、丹恒にとっては然程辛い場所ではなかった。
 欄干に手を突き、冷風に髪を遊ばせながら大きな月を見上げる。幻月ほどではないが、どこか現実味のない月だ。
 一度も欠けたことなどないと言わんばかりの天体を、丹恒は疑いを込めて睨み上げる。姫子には悪いが、この愉悦の地はどうにも胡散臭く感じられていけない。薄っぺらな嘘を、それのどこがいけないのかと平気な顔で纏っているような享楽的な空気。そちらの方が余程薄ら寒かった。
 橋の下をくぐり抜けていく車が、ハンドル操作を誤ったのか車体を揺らして飛沫を上げる。剣を引っげた追走者から逃げている訳でもないだろうに、何をそんなに急いでいるのだろう……
 テールランプを目で追おうとして、懐で震えるスマホに気が付いた。取り上げてみれば、穹からメッセージが入っている。
……
 ふ、と肩の力が抜ける。そこで初めて、あぁ気が立っていたのだなと我に返った。二相楽園の奇妙な雰囲気に、訳ありのサンデーを連れての見知らぬ土地の移動、更には幻月遊戯に仙舟との共同戦線と、畳みかけるように事態が進行していった所為だろう。
 たぬきたちに社長社長と持ち上げられ、満更でもない顔をしていた親友を思い出して口の端が緩む。メッセージを開いてみれば、短い言葉が三つ並んでいた。

『たんこお』
『いまどこにいんの』
『あいにいってもいい?』

……
 どうも気落ちしているようだ。あの穹が。
 少し迷って、手早くメッセージを打ち返す。

『駄目だ。注目されているお前が会いに来ては俺が身を隠している意味がなくなる』
『電話ならいい』

 最後の返信が表示された瞬間、スマホが着信を報せてくる。表示された名前をまじまじ見つめ、丹恒は端末を耳に当てた。
『たんこぉ~』
 途端に鼓膜を震わせる、ずびずびと洟を啜りながらの涙声。
……どうしたんだ、穹」
 つい、三月に度々「丹恒ってばこの子に甘々なんだから!」と苦言を呈される声で問い掛けてしまう。甘やかしているつもりは決してないのだが。
 穹は、暴言を吐かれたり暴力を振るわれた程度でめそめそ泣きだす気弱な少年ではない。寧ろ率先して暴言と暴力に訴えるタイプである。一方でホラーや人情に弱い嫌いがあり、今回もきっとそれだろうと思った。
 すん、すん、と鼻の鳴る音が聞こえる。じっと答えを待っていると、ガラガラに嗄れた声が返って来た。
……さっき、@門で、子犬の幽霊と女の子の幽霊に会ったんだ』
「うん」
 二相楽園の幽霊は、鱗淵境で見た脱鱗で剥がれた記憶の残滓とも、オンパロスで見た記憶の残響とも違う。彼らは「死者の魂」ではなく幻造種として登録され、法律によって権利と義務を与えられている。当然、意思の疎通も可能で、就職だってするのだという。
 アーカイブの記録を思い出しながらただ頷く。涙に引き攣れた溜息が、小さく聞こえた。
『女の子はさ。幸せになりたかったんだって。本当の、幸せを手に入れたかったんだって。でも……でも、その執念で幽霊になった後は、生きてた頃の、辛い過去を克服して、ほんとに幸せになりたかった自分のことも、もう、忘れちゃってて、それは自分のことじゃ、ないって……
……うん」
 不意に、穹はどこにいるのだろうと思った。まだ、あの享楽的な街の中にいるのだろうか。人を思って泣く彼の顔を、スマホのカメラが狙っていませんようにとただ祈る。
『子犬はさ。女の子に幸せになって欲しくて、その執念で幽霊になったんだって。優しくしてくれて、ごはんをくれた女の子が、辛い気持ちにならないように……その子がほんとに幸せになれるなら、自分のことを忘れちゃっても、一緒に、い゛ら゛れなくでも、い゛いっでぇ……っ』
 言葉が濁り、しゃくりあげる声ばかりが続く。
 正直な所、泣き声の不鮮明さも相俟あいまって、話の筋はまるで掴めない。それでも丹恒は、穹の嘆きをただ受け止め続けた。うん、うん、と相槌を打って、その悲しみに寄り添い続けた。
 丹恒、と親友が、泣き濡れた声で己を呼ぶ。
『俺、何て言ってあげたら良かったんだろ。本当の幸せって何なんだろ。丹恒は……違う、そうじゃなくて……丹恒の……違う、ごめん、俺……っ』
「あぁ、大丈夫だ。分かっている」
 支離滅裂な問いに、ゆっくりと言葉を伝える。
 二相楽園の幽霊は、法律によって生前の人間とは別個の存在であると規定されている。初めてこの話を聞いた時、恐らく穹も、丹恒と同じように思ったのだろう。
 少し、持明族に似ているな、と。
 丹恒は考える。幽霊になって記憶を失ったという女の子は、その犬のことをどう思ったのだろうと。
 何も覚えていないのに、それでも自分の幸せを一心に願う存在。疎ましいだろうか。愛しいだろうか。ただ罪悪感を覚えただけだろうか。
 それにどう向き合うか──忘れ去った生前の自分と、今存在している幽霊の自分、どちらを必要とされているのか思い悩んだりしたのだろうか……
『たんこう』
 消沈しきった呼びかけに、一瞬言葉に詰まってただ「うん」と返す。
『ほんとうのしあわせって、なんだとおもう?』
 ふっと、欄干に凭れかかって鳩川に視線を落とす。水面に映る「月」は、偽の姿を映している。けれどそれを剥いだとて、現れるのは本当に「本物」なのだろうか?
 半端に終わった脱鱗。半端に残った記憶。丹楓が消え去って、それで本当に「本物」になれたのだろうか?
「穹」
……うん』
「俺は、こう思う」
 水面から視線を上げ、天の月へと顔を向ける。
「この手に、戦う為の武器があること。開拓という道しるべがあること。走っていける足があること。苦難の中にある誰かを……何とかしてやりたいと感じる心があること。守るべき仲間がいること。俺のことを……、守ろうとしてくれる人たちが、いること」
 まったき新円に、挑みかかるように言葉を紡ぐ。
「それが、『今』の俺にとっての、本当の幸せだと」
…………たんこお~~~~~っ‼』
 感極まった、と言わんばかりの絶叫が耳をつんざいた。思わず耳から離したスマホから、尚も叫びが聞こえてくる。
『どこにいるのか教えてくれ‼ 今すぐ全力でギュッてしに行くから‼』
「来るな。抱き締めたければその辺の初でも抱き締めていろ」
『ケチ‼』
 悪口と共に通話が切れる。そしてその直後にメッセージが届いた。

『ありがとな! 元気出た!』

「はあ……
 疲労感にがっくり肩を落としながら、スマホを懐に戻す。そして背筋を伸ばして、再び嘘くさい望月もちづきを睨み上げた。
 丹恒は、とっくの昔に欠けた月である。先代の丹楓だけではない、幾度となく脱鱗を繰り返した身には、覚えていないだけで、指弾する者が存在しないだけで、多くの罪と失敗が刻み込まれている。
「だが、それが何だ」
 瑕疵ひとつない満月でなければ、幸せを願ってはいけない?
 そんな訳があるか。
「割れていようが欠けていようが──俺は、俺だ」
 月明りに言い捨て、丹恒は再び足を進める。
 この世界での開拓は、まだまだ序盤に過ぎないのだから。