やまだ
2026-02-22 21:50:36
1847文字
Public アークナイツ
 

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2024.11.09 ロゴ博と花

 心が洗われるようだ。
 似合わないことをと自覚しながらもそう呟かずにいられなかったドクターの横では、若き男性バンシーが目を細めている。淡々とした、何を考えているのかわかりにくい横顔は、眼前の花畑よりも遠いどこかを見つめるようだった。
 柔らかな若草の広がる草原に白い花が咲いている。風がそこを渡るたび、ほんのりと甘い香りが一瞬だけよぎった。
 ありふれた花だ。特段価値もなく、わざわざ店で買い求めるほどの種ではない。だがドクターはこの素朴な景色に痛むほど胸を衝かれている。
「今のヴィクトリアに、まだこんな場所が残っていてくれたんだな」
「この場所はカジミエーシュに近い。幸い、ロンディニウム以北では源石の蔓延はまだ免れているようだ」
「まだ、ね」
 その場に屈みこんで白い花を指先で突いた。はらはらと揺れる花弁はたよりなく、しかし散りもせず再び空を仰ぐありさまが力強い。
「息抜きに、次はうぬがアーミヤを連れて来てやるがよい。彼女はかねてより多忙であるが、今はいささか度を越しておる」
 現在ロドスはこの花畑の直近に停泊している。ロンディニウムにて爆発的に増えた感染者の保護や支部の立て直しにはどうしても人手が必要で、王庭の勢力が弱まっている今ならばと移動してきたのだ。
 その手配でアーミヤやケルシーは奔走している。ドクターも彼女らの通常業務を引き受けてフォローしているものの、ないよりはましという程度だろう。
「それで私をはるばるこの野原まで連れてきてくれたのか。ありがとう、ロゴス」
……艦から降りてここまで歩くだけのことを普通はるばるとは言わぬと思うが……まあ、ドクターには大層な距離か」
「その通り。こっちは毎日三回も食堂に向かうだけでひと苦労なんだ」
「ほう? 毎食きちんと摂っておるのか。我はてっきり一日一食でも口にしているのなら良いほうなのかと」
 賢明に黙りこんだドクターの頭上でロゴスが溜め息をついた。
……ドクター。うぬの栄養状態についてはケルシー先生に伝えておくとして、働きすぎはドクターもであろう。息抜きがアーミヤにだけ必要というわけではあるまい」
 ドクターは柔らかい草地に膝をついたまま上を向いた。ロゴスの制服がひらひらと風にそよいで、その柔らかい布の波の向こうに赤い目が見える。
 死にゆく者への悲嘆に流れる涙のせいでバンシーの目は赤いという。なるほど、そのような伝説が生まれるほど、バンシーとは誠実で愛情深い種族なのだろう。彼のように。
「自分にできることをしているだけだ。できないことはしていないから負担はそうない」
「うぬの場合は、その『できること』が多岐に渡るのが問題なのであろうな」
「心配してくれるのか?」
「無論だとも。なぜしないと思う?」
 答える代わりにドクターは再びささやかな花畑へ視線を向ける。曲げた膝の上に頬杖をつくと自然に肩が落ちた。ふーう、と、鼻から息を抜く。
 疲労を、自覚する。
……君は優しいな」
「うぬらが自分に厳しすぎるのだ。代わりなどいないというのに」
「そうだな。そうでなければならない」
 甘い香りの風が吹く。フードをずらしたドクターが目を細めてそれを受けているうちに、ロゴスも傍らに膝をついたようだった。広がった視界の隅に彼の角羽が見える。はらはらと花弁のように揺れている。
 この心優しい若者に何を返せるだろうと思う。ドクターにできることなど仕事しかなく、ならばそれをこなしつづけた先にあるはずの平和と安寧の日々を手渡すべきだろうと考える。彼は戦場では凄まじいまでにアーツと言霊を使いこなす術師だが、こうして小さな花畑を眺めて風に吹かれているほうがよほど似合いだ。
「アーミヤとここへ来るときに、君を誘ってもいいだろうか」
「ドクター、我はうぬらの安らぎのひとときに水を差す気はないぞ」
「水を差されるつもりもないさ。だがアーミヤにも、君に礼を言うくらいさせてやってくれないか?」
 無理のある屁理屈を捏ねてもぎ取った次の約束はドクターをにんまりさせた。
 物言いたげなロゴスが花畑を背にする光景はなかなか平和だった。
「ロゴス。君がこういう風景の中にいるのは悪くないな。いい眺めだ」
 本人に見せられないのが残念だ。何しろ彼の視界では、全身黒ずくめの不健康な男が花畑を負ってにやにやしているのだ。
 それは親切なロゴスであっても言葉に迷うだろう、と思いつつ、ドクターは緩む口許を整えられずにいる。