あれはなに、と訊けばすぐに名前を教えてくれる。どうして、と尋ねると理由が返ってくる。なんで、と口にすれば根気よく道理を説いてくれる。
シャオヘイが何を言っても返事をくれる相手がいて、しかもその人とは一日中ずっと一緒にいていいのだ。不思議な感じがする。誰かとこんなに長い時間過ごしたことなんてなかったのに、ちっともうんざりした気分にならないのも不思議だった。ムゲンと並んで歩くのは、ただ足を動かしているだけのはずなのに、とても面白い。
「師匠にも師匠っていたの?」
「いたよ」
「ふーん。……人間?妖精?」
どちらも、と答えたムゲンは、背中で手を組んでまっすぐに山道の先を見ながら歩いている。
「父と母、それに私に機会を与えてくれた小さな精霊たち。関わった人々はすべて人生の師だ」
「それならぼくも? ぼくも師匠の師匠?」
ムゲンは微かに笑ったようだ。長い前髪が見上げる小黒から表情を隠していたけれど、ふ、と小さな吐息が聞こえる。
「気が早いな。おまえは弟子になったばかりだろ?」
「だって師匠、今すべてって言った! それならぼくだってそうじゃんっ」
「まだまだ」
そよ風が吹いてムゲンの髪がゆらゆら揺れた。
やっぱり、口がちょっぴり笑っている。
「まずはしばらく弟子をやってみろ。私の師を目指すのだから、それくらい簡単だろう?」
「ちぇっ」
「私に師匠と呼ばれたい?」
「ううん、別に」
シャオヘイと呼ばれるのがいい。シャオヘイがもらった名前を、シャオヘイじゃない誰かが、ムゲンが、大事に呼んでくれるのがいい。
そうやって呼んでもらえるからシャオヘイはシャオヘイであることを確かめなくていいし、それに、初めて名前を呼んでくれたひとのこともずっと忘れずにいられる。
「ただ、ぼくも師匠の師匠になったら、師匠のおとうさんとおかあさんみたいにずっと覚えててもらえるのかなって」
ムゲンがぴたりと立ち止まった。シャオヘイを見下ろして微笑み、手を差しのべてくる。
シャオヘイ、と呼ぶ声がふかぶかと優しい。
「おいで」
声に向けて伸ばした両腕の下から掬い上げられた体はすぐにムゲンの懐に収められた。シャオへイが具合よく落ちつく場所を探して手足をもぞもぞやり終えるのを待って、ムゲンは再び歩きだす。
「弟子のことだって覚えているよ」
「ほんとに?」
「もちろん。師との出会いと同じか、あるいはそれ以上に大切なものだ」
「ぼくとのも?」
「そうだよ」
「ふ……ふーん。そっか」
急に耳の付け根がくすぐったくなった気がする。
ぶるぶる震わせたり、伏せてから勢いよく立ててみたりしても、むずむずはちっともよくならないどころかますます強くなるようだった。地面を見ながら一生懸命耳を動かすシャオヘイのつむじに、ムゲンの笑声が落ちる。
「私のことばかり気にしているが、おまえはどうなんだ。シャオヘイ」
「……ぼく? 何が?」
ふふ、と笑って、ムゲンはシャオヘイを片腕に乗せる。もう片方の腕でシャオヘイの頭をごしごしと撫でた。
「私はおまえの記憶に残る師か?」
「そんなの」
シャオヘイの答えなんてわかっているくせに、ムゲンはおもしろそうにしながら黙っている。舌打ちする代わりに、今度はぴょいと生やした尻尾でムゲンの腕をひっぱたいてやった。
ひっぱたいて、そのまま尻尾をくるりと巻きつける。
「当たり前だろ! 師匠のへったくそな料理のことなんて、忘れられるもんか!」
ムゲンの目が柔らかくきらめきながら細くなる。
普段は料理をけなすと不機嫌になるのに、今日はやけに嬉しそうな声でそうか、と言って、それだけだ。
「シャオヘイ」
「なに、師匠」
うん、とムゲンは微笑んだ。
「行こうか。ふたりで」
うん、とシャオヘイは頷いて、ムゲンの腕に体重を預けた。
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