やまだ
2026-02-22 14:31:34
1536文字
Public 羅小黑戦記
 

No title

2021.08.18 web版40話のあとの話

 家を探さないとな、と言った无限の何がおかしかったのか、手を繋いで歩く子が突然声をあげて笑ったのだ。
「小黒、どうした?」
「うんと……あのね、昔のこと思い出した」
 一人前のようなことを言う。ふ、と无限も吐息で笑い、跳ねるように歩く小黒のまだまだ軽い体を片腕でぐんと引き上げた。きゃあきゃあ笑う屈託ない声がのどかな田園風景に広がり溶けていく。
 小黒が長い夏を過ごした小さな集落は、どこもかしこもみずみずしい土と緑の香りがした。
 羅家では小黒の友人たちが、无限の歓迎会をするためにあれこれと準備してくれている。小黒は頃合いまで近所を案内することで无限を羅家から遠ざける役割だ。家を出てから今まで、ずっと小黒の右手は无限の左手を握りしめて離さない。
「昔はさ、ぼく、居場所なんかいらないって言ったのに。今度は師匠と一緒に住む家がいるんだなって思って、なんかおもしろくなっちゃった」
「小白と同じ学校に通うなら、決まった場所に家があったほうがいい」
「小白のうちの近く?」
「そうだな。同じ街だ」
 へへへ、とはにかむ小黒のまるい頭を見下ろした。
 この子のほうから勉強がしたいと告げられる日がくるとはまさかにも思っていなかった无限だ。それも友達と一緒に、と言う条件が付いてくる。小黒もこれから先に期待が膨らんでやまないようだが、无限にとっても、喜ばしさとともに未来へ思いを馳せる久しぶりの機会だった。
「学校に行く前に、もう少し読み書きができるようになっておかないとな」
「師匠が教えてくれる?」
「うん。それに、今度は小白や山新だっている」
「小白たちと学校行きたいから勉強するのに、小白たちに教えてもらうの……
「いいじゃないか。何も変じゃない」
 ちょっと黙ってから、うん、と小黒は頷いた。
「師匠、おんぶして」
 言うなり勝手に天限の体をよじ登った小黒は、汗ばんで体温の高い腕で遠慮なく肩にしがみついてきた。
 満足そうな溜め息をついて无限の回してやった腕に尻を置く。
「ね、師匠」
「うん?」
「あのね、あの……あのさ、子どもが同じ家に住む大人を呼ぶのって、呼びかたあるでしょ。ぼく知ってるよ。小白も言ってたし」
「うん。そうだな」
「あのさ……えっと、だからさ……その、えっと、ぼくも師匠のこと、師匠じゃなくてそうして呼んだほうがいい?」
 小黒が无限の背中に逃げた理由はこれか、と思い、同時に背中にいてくれてよかったとも思う。
 口元が緩むのをとても自制できない。
「ね……ねぇ、師匠ってば。聞いてる?」
「聞いてる。小黒」
 なに、と用心深い声がする。もしも无限がだめだと言ったときに備えるための声だ。
 遥かに広がる青田を眺めながら静かに深呼吸した。
 これから无限は小黒に、そんな声で返事をする必要はないのだと教えてやっていかなければならない。腕に座る体を揺すり上げる。
「なんて呼ぶんだ? 私にも教えて」
 肩に縋る腕の力が少し増した。
「えっと。……えっとね、お、おとうさん……
 蚊の鳴くような声が无限の耳をくすぐってゆく。ふ、と笑って俯いたのは、ほかにこそばゆさの逃しかたが思いつかないからだった。
……それだけか? あとは?」
……パパ?」
「うん」
「ちちうえ」
「急に古めかしいな」
「師匠」
「うん」
 无限の顔の横からにゅっと小黒の首が伸びてきた。
 まるく膨らんだ頬が熟れたように赤い。
……ぼく、やっぱり師匠にしとく」
「そうか」
 羅家へ引き返す道をゆっくり辿りながら、无限はそっと微笑んだ。
「いつでもおまえの呼びたいように呼べばいいよ」
 うん、と呟くあどけない声を負って歩く道に、夏の緑の風が吹く。