ふわっと膨らみ花弁を広げる花々が日射しできらめいて鈴のようだ。草原に立ってそれを眺めていると、そよ風で揺れる姿にりんりんと弾む音を空耳する。ところがシャオヘイが手を伸ばしても、実際には花がうてなごと震えるだけなので、なんだか少し不思議になるのだ。
細い茎に指を回し、真上に引く。花を摘もうとしただけなのに根ごと掘りだしてしまったあげく、勢いに負けて後ろにひっくり返りそうになる。人間の体はバランスをとるのが難しい。
「力を入れすぎたな」
尻餅をつく寸前にシャオヘイの背中はしっかりした壁にぶつかった。
ぐるんと上を向くとはるか頭上からシャオヘイを見下ろす静かな目がある。少し笑っているようだ。
「師匠」
「もっと軽く、折るつもりで引くんだ。花は木よりも弱いから」
「うん」
根つきの花を放り投げて、別の花に手を伸ばす。注意深く言われたとおりにやると、今度はぽきんと茎だけがシャオヘイの手に残った。
「できた!」
「ああ」
再び振り返ると師の顔はシャオヘイの真横にあった。
しゃがみこんで、さっきシャオヘイが捨てた花を片手に微笑んでいる。
シャオヘイの師匠は、ムゲンという。人間だ。人間なのに妖精のために働いていて、それに妖精のシャオヘイを弟子にしてくれた。これからずっと、シャオへイはムゲンと一緒に旅をする。
いつも上を向けばすぐムゲンがいて、手を伸ばして服を掴んでも怒られない。背中によじ登るときにもじっとしていてくれるから、シャオヘイは好きなときにムゲンの体に飛びつくことができた。
「花を摘むのか?」
「うん。いっぱい」
「いっぱい?」
うん、と頷いてから改めて周囲を見回してみる。りんりんしゃんしゃんと聞こえない音を鳴らしなからさんざめく色とりどりの花が、シャオヘイとムゲンの周りにどっさり咲いている。明るい眺めの中に手を伸ばした。
「師匠のうちに飾ってあげるんだ。だから、いっぱい」
ムゲンの霊域にある小さな家を見たことがある。中は見せてもらっていないけれど、何もない家だとムゲンは言っていた。シャオヘイがここで摘み集めた花を飾ればきっと賑やかになる。
「師匠の霊域ってなんにもないんだもん。館で見た部屋に花が飾ってあったから、ああいうのいいと思う!」
「……そうか」
「うん!」
シャオヘイはムゲンの弟子なので、ちゃんとそういうことも考えてあげるのだ。背後にムゲンの微かな笑い声を聞きながら懸命に花を摘む。
「今は前ほど物がないわけではないかもしれないぞ」
「なんで? 師匠なんか買ったの?」
「うん」
ムゲンはシャオヘイが根ごと引き抜いた花を霊域にしまうところだった。手を止めて振り返ったシャオヘイを、ムゲンもまた微笑みながら振り返る。
「買ったものもあるし、値段のつかないものもある」
「……値段のつかないものって、お金で買えないってこと?」
「ああ。金では買えないし、どんな大金を積まれても譲る気にならないものだ」
「何それ! そんなのあるの?」
あるよ、とムゲンは微笑んだ。空になった手の泥を払い、シャオヘイの握りしめるまだ小さい花束を見つめている。
「きっとこれから、そういうものがあの家に増えていくんだろう」
「ふうん……? よくわかんない」
「そうかもな。今はまだ」
大きな手がごしごしとシャオヘイの頭を撫でた。頭がぐらっとする拍子に風が吹き、手の中の花々が笑う。
甘やかに立ちのぼる薫香はシャオヘイを瞠目させた。
「師匠!」
「ん?」
「この花、すっごくいい匂いする! 嗅いでみて!」
綺麗なだけじゃなく香りもいいなんて、大発見だ。
ムゲンの小さな家がこの花の香りでいっぱいになるのはとてもいいことに思えたし、何よりそうなるきっかけがシャオヘイだというのがいい。いつもムゲンからさまざまなものをもらってばかりのシャオヘイが、初めてできる贈り物だ。よい部分が多いに越したことはない。
「そうか」
興奮して突きつけた花束の向こうでムゲンが笑っている。シャオヘイの師は笑ったまま目を閉じ、花に顔を寄せ、ゆっくりと深呼吸した。
「ああ」
微笑むムゲンの髪に陽光が落ちてきらきらしている。
一緒にいるシャオヘイにも、同じ光が降っているはずだ。
「本当だ。……いい香りだな、シャオヘイ」
「ねっ、そうだよね!」
同じ光のもとで同じ香りに顔を寄せ、同じように笑う。それがくすぐったく、嬉しい。これからシャオへイの近くにはずっと、同じものを分けあってくれる人がいるのだ。
「ね、師匠」
「うん?」
「師匠の霊域に花飾ってあげるとき、師匠の買ったのとお金で買えないのぼくにも見せて」
ムゲンの笑声で花束が揺れた。
「ああ。構わない」
「やった!」
この人がシャオヘイの師匠だ。
この人と、シャオヘイはこれから一緒に歩いていく。
If you make a mistake, you can cancel it by pressing the reaction.