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Rana
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桃色の毒
レノ✕シスネ
※モブ視点
神羅ビルにおいて、その存在は都市伝説に近い。
「いい子にしないとタークスが来るよ」
そんな冗談混じりの脅し文句が、冗談になりきらない空気がある。
神羅のイヌ。冷酷な処理班。社内でも噂は尽きない。彼らがこのビルのどこに居を構え、どんな経路で現れるのか、正確に知る者はいない。ただ、光の届かない場所
——
この巨大なビルの深層に巣くう“深淵”から這い出す影なのだと、誰もが漠然と信じている。できることなら、一生関わりたくはなかった。
けれど、その中にひとりだけ、どうしても目を引く女性がいた。
小柄な体に、赤みがかった柔らかな髪。光を受けると、花びらのような淡い色に透ける。艶やかなそれが揺れるたび、そこだけ季節が違うように、春の気配が滲んだ。あどけなさの残る顔立ちに、凛とした黒のスーツ。無駄のないしなやかな所作が、その美しさをいっそう際立たせていた。けれど、目を引いたのは見た目だけではない。
廊下で資料を落とした社員がいれば黙って手を貸し、迷っている来客には静かに道を教える。目が合えば、ほんの少しだけ微笑んでくれる。凍てついた社内の空気をそっと溶かす、天使のような人だった。
あの人がタークスだなんて、どうしても信じられない。あの冷徹な組織の中で、彼女だけは自分たちと同じ温かな側の人間なのだと
——
そう思いたかったのだ。
「あら。それ、美味しいの?」
六十三階のリフレッシュフロア。フードラウンジの雑踏の中、その声が耳に届いた瞬間
——
心臓が爆発するかと思った。見た目から想像するよりも、少しだけ低い。けれどそれがかえって心地よく、落ち着いたアルトの響きに、妙な引力があった。
「え
――
あ、はい。ゴンガダケの、オムライスで
……
」
言葉が上手く出てこない。彼女は小首を傾げて、俺のトレイに視線を落とした。鮮やかなピンク色のかさが、黄色いオムレツの上に散らされている。
「前も同じの食べてたから、気になってたの」
——
覚えてる?
名前も知らないはずの一般社員の、昼食のメニューなんかを?
舞い上がるなという方が無理だった。彼女は「私も同じのにしようかな」と小さく笑って、列へと踵を返した。
程なくして、同じオムライスをトレイに乗せた彼女が戻ってくる。けれど、彼女はそこで足を止めた。ピークを迎えた店内は、どのテーブルも隙間なく埋まっている。トレイを抱えたまま、彼女が困ったように視線を彷徨わせた。
千載一遇のチャンスだ、と脳が叫んだ。あるいは、ただ彼女を助けたいという一心だったのか。気づいたときには、椅子を引いて声をかけていた。
「あの
……
良ければ、こちらに」
今度はまともな声が出た。彼女は一瞬だけ俺を見て、それからほんの少し目を細めた。
「ありがとう」
トレイを置き、向かいの椅子に腰を下ろす。ただそれだけの動作が、どこか絵のように様になっていた。こんな場所でも天使は天使だった。
「よく、来るんですか? ここ」
少しだけ勇気を出して、問いかける。
「たまに。気分転換」
短い答え。けれど、目が合うとまたあの微笑みが返ってくる。彼女はふと店内を見渡し、「それにしても」と小さく呟いた。
「お昼はこんなに混むのね。いつもこんな感じなの?」
「そうですね
……
。十二時台はだいたい。少し時間をずらすと空いてますけど」
「なるほど」
独り言のように言って、彼女はスプーンを手に取った。一口運んで、「ほんとだ、美味しい」と、また少しだけ笑う。それだけで、心臓が馬鹿みたいに跳ねた。
このまま、時間が止まればいい。そう願った瞬間だった。
「
……
楽しそうじゃねぇか」
背筋を冷たい刃物でなぞられたような感覚に、息が止まった。振り返ると、赤い髪の男が立っていた。肩をわずかに落とした気だるい立ち姿。道化じみた笑みを浮かべているが、目は笑っていない。目の下に刻まれた細いタトゥーが、その笑みを不吉に歪ませていた。
社内で何度か見かけたことがある。たいてい、寡黙な大柄の男と並んでいる。二人でいると、自然と周囲が道を空ける。今日はひとりだ。
彼女が天使なら、こいつは悪魔。そう直感した。
「探したぞ、と」
その一言が落ちた瞬間、場の空気が静かに塗り替えられた。彼は俺という存在をそこにある椅子か背景のように扱い、彼女だけを見ている。
「レノ。どうかしたの」
「どうかした、じゃねぇだろ。飯、一緒に食うんじゃなかったのかよ」
「そんな約束した?」
「した、と」
「
……
してない」
彼女が小さく息をつく。呆れているのは明らかなのに、その仕草には拒絶よりも慣れが滲んでいた。
レノと呼ばれた男は躊躇なく、俺と彼女の間に割り込むようにしてどさりと腰を下ろした。パーソナルスペースなんて概念を、最初から踏み潰している男の動きだ。彼は彼女のトレイと、俺のトレイを見比べると、嫌味ったらしく口角を吊り上げた。
「へぇ。お揃いかよ。
……
仲が良いこった、と」
「
……
やめて。私が真似しただけ」
彼女が咎めるように言うが、男は鼻で笑って意に介さない。
「そーかよ。じゃあ俺も同じのにすっかな」
「美味しかったわよ。並んできたら?」
「めんどくせぇ」
男がふっと笑う。
「おまえの、一口くれよ」
「レノ!」
制止する間もなく、男は彼女のスプーンをさらりと手の中に収め、皿から一口すくい取って自分の口に放り込んだ。恋人同士でも躊躇するような、あまりに無遠慮で、あまりに親密な動作。
男はゆっくりと咀嚼しながら、射抜くような冷めた目で俺を見た。
「
……
ま、悪かねぇな」
その一言に、心臓を直接鷲掴みにされたような錯覚に陥る。
料理の味のことじゃない。この場所も、流れる空気も、そして何より彼女自身も
――
すべては自分の領分だと、言葉を使わずに宣言されていた。
背中に嫌な汗が伝う。この男にとって、俺を消すことなど、食事のついでに片づけられる些事なのだと、本能が理解した。
「
……
ごめんなさい。彼、いつもこうなの」
彼女がこちらを向いて、申し訳なそうに眉を下げた。その声音はどこまでも柔らかい。けれど、次の瞬間にはもう、彼女の意識は俺をすり抜けていた。
傍らの男が投げる、あまりに気安い軽口の数々。男が我が物顔で彼女の皿からピンク色のキノコを奪えば、彼女は呆れながらもそれを受け入れ、時に小さく笑いながら、淀みなく言葉を返していく。その完璧に噛み合った呼吸の中に、俺の入り込める隙間など、最初から一寸も残されていなかった。
俺は、手元に残ったオムライスを機械的に口へ運んだ。
……
味がしない。
あんなに芳醇だと思った香りはどこかへ消え、舌の上にはただ、砂を噛むような虚無感だけが残った。やがて、彼女がスプーンを置いた。
「さてと、仕事に戻らなきゃ。席、ありがとう。騒がしくしてしまって、ごめんなさい」
最初に声をかけてくれたときと同じ、柔らかな微笑み。
「い、いえ
……
」
情けないほどかすれた声しか出ない。彼女は自分のトレイを持ち上げると、返却口へと歩き出す。男も何も言わずに歩き出し、二人は自然な足並みで並んだ。
「足んねぇな、と」
「もう。だからちゃんと買えばよかったのに」
「ま、俺にはこれがあるからよ」
ポケットから取り出した携帯食を、男が振ってみせた。彼女が小さく笑う。
「またボムベリー味? あなた、そればっかりね」
「これが一番うまいぞ、と」
遠ざかる二人の背中。男の手が、一瞬だけ彼女の腰に触れ、彼女がそれを軽く叩く。そのやり取りには、さっきまで俺に向けられていた丁寧な優しさとは、まるで違う種類の熱があった。
冷えたゴンガダケのオムライスを、ぼんやりと見下ろす。
「前も同じの食べてたから、気になってたの」
あのとき、それがひどく嬉しかった。自分という人間を見てくれているのだと、舞い上がった。けれど、今はただ、その事実に総毛立つような恐怖を感じている。
このフードラウンジには、毎日何百人もの社員が訪れる。テーブルの数だけ人がいて、トレイの数だけ注文がある。その膨大な雑踏の中で、彼女は俺の顔と、俺の選んだ料理を
——
本来なら捨て置かれるはずの無意味な情報を、無機質に結びつけて記憶していたのだ。
それは好意でも、関心でもない。ただ、周囲のすべてを観察し、識別し、異常の兆しを測る。それが総務部調査課
――
彼女の仕事なのだろう。
タークスは怖い。その意味を、俺はようやく思い知った。
あの人は優しい。けれど、あの悪魔と肩を並べて立てる人間が、ただの天使であるはずがなかったのだ。
改めて皿を見下ろすと、ピンク色のキノコが目に入った。鮮やかで、愛らしくて
――
けれどよく見れば、それは毒々しい色をしていた。
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