ねぶくろ
2026-02-21 11:28:24
4307文字
Public Skeb
 

君の宇宙

過去にSkebにて納品した作品です。

 隣のクラスの黒崎くろさきさんは、魔女の末裔らしい。
 望遠鏡を抱えて中庭にたどり着いた時、天海あまみ北斗ほくとは教室で誰かが噂していたその言葉を思い出した。入学時に比べて幾分か馴染んだ制服のスカートを躊躇いなく芝生につけて、汚れるのにも構わずに烏に向けて何か話している女子生徒。──それが、噂されていた黒崎さんであることは、いくら友人の少ない北斗にもすぐに察しがついた。
 話しかけたら呪われるだとか、目をつけられたら実験されるとか、不穏な噂が脳裏を駆け巡って体が強張る。北斗が抱えた望遠鏡をそのままに立ち尽くしていれば、視線に気づいてか、彼女がこちらを振り向いた。
……、誰?」
 静かに問いかける言葉と、真っ黒い瞳。丸く、深い闇を想起させる漆黒の双眸に見つめられて、北斗は思わず言葉を失った。
 なんて静謐で、綺麗なんだろう。
 先ほどまでの、『魔女』の噂に怯えていた気持ちはあっという間にどこかに吹き飛んだ。綺麗だ、とそれだけが頭の中を満たして、胸が痛くなる。北斗は望遠鏡を抱え直して、「邪魔して、ごめん」といつもより幾分か硬い声で謝罪した。
「部活で、星を見るんだ」
「部活? この高校、天文学部なんてあったっけ?」
 不思議そうに首を傾げる彼女は、ぱち、と一つまばたきをした。一瞬だけ途切れた視線が、再びすぐにこちらを見つめる。人のことを真っ直ぐ見つめる子だな、という印象が強く残って、北斗は照れくささに芝生へと視線を落とした。
「あ、……うん。一応、あるんだ。先輩はほとんど幽霊部員だし、活動も、中庭か校庭で星を見るくらいだけど」
「そうなんだ。……ねぇ、私も見ていい?」
 申し出に、「え」と声が裏返る。彼女は芝生の上で話の展望を聞いていた烏に「じゃあね」と軽く挨拶をすると、スカートのすそを払って立ち上がった。彼女が近づいてくる分、一歩、二歩と後退る。彼女は不思議そうに小首をかしげると、「ダメだった?」と足を止めた。その声に、かすかな寂しさを感じ取って、首筋がカッと熱くなる。
「だ、ダメじゃないよ! ちょっと待ってて、すぐ準備する」
 叩きつけるように言い切って、北斗はずっと抱えていた望遠鏡を芝生の上で組み立てた。
 星座早見盤をもとに、観察したい星の位置や方角を確認する。レンズを覗き込んで、目標とした光がファインダーの視野の端に引っかかっていることを確認したら、今度はそれが視界の中心に来るように少しずつ架台を動かした。じれったいほどの時間をかけて観測の準備を整えて、後ろで待っていた彼女を振り返る。
「もう見れるよ。覗いてみて」
 北斗が促せば、彼女は頷いて、長い髪を耳にかけてからそっとファインダーを覗き込んだ。どきどきしながら反応を窺うも、彼女は何も言わない。
 斜め後ろから視線を感じてそちらを見上げれば、中庭の隅に植わった大きな木の枝に、先ほどの烏がとまっていた。カァ、と何かを問いかけるように声を上げるので、「星を見てるんだ」と言葉を返す。伝わっているのかいないのか、烏はもう一度、カァと鳴いて、どこかへ飛び立った。
 彼女が、ファインダーから顔を上げて、「綺麗だね」とこちらを振り向く。相変わらず真っすぐにこちらを見つめる眼差しに戸惑って、北斗は「今見てるのは、金星だよ。学校にいる間は夕日の関係でほとんどの星は見れないし、もっと遅くにならないと有名な星座はのぼってこないから」と焦ったように説明を口にした。脈絡のない言葉にも、彼女は「そうなんだ」と穏やかに頷く。その事実に頬が火照って、北斗は俯きがちに言葉を重ねた。
「もし、よければ、また一緒に星を見よう。もっと面白い星が色々あるんだ。……だから、」
 尻すぼみになった誘いに、彼女が「うん。ありがとう」と頷いて、何かを思い出したように月を見上げた。視線を手元に落としたのは、腕時計か何かを確認したのだろう。静かな声で、「遅いし、そろそろ帰るね」と彼女が芝生の上に置いてあったカバンを手に取る。北斗はその言葉に頷いて、勇気を振り絞って、「じゃあ、またね」と手を振った。彼女が微かに笑って、「またね」と手を振り返す。
 その背中が見えなくなるまで手を振って、北斗は真っ赤に染まった自身の頬を両手で包んだ。

     *     *     *

 黒崎さんのことが好きだ、という自覚はすぐに芽生えた。──芽生えたも何も、一目惚れなので、初めて会った時からリンゴが木から落ちるような明快さで、「好きだ」と理解していた。
 北斗は父の書斎から拝借した図鑑を開いて、ぼんやりと考えていた。またね、と言葉を交わしてから、彼女は気まぐれに中庭にやってくる。話を聞いたところ、一緒に住んでいる家族の仕事の関係で時間を潰す必要がある日にだけ、遅くまで学校に残っているらしい。
 先に家に帰ったらダメなの? という北斗の質問に対して、彼女は「乗り換えで使う駅で待ち合わせして、一緒に帰ることにしてるの」と答えた。女の子は、防犯上の理由から、一人で帰らない方がいいこともあるのだろう。男の一人っ子である北斗にはよくわからない。
 彼女は、何の星を見せたら喜んでくれるだろうか、と少ない会話の断片をかき集めて思考する。
 誰が見ても美しさのわかる、雄大な天の川。有名な夏の大三角形である、こと座のベガ、はくちょう座のデネブと、わし座のアルタイル。あるいは、蛇つかい座のラサルハグェは、等級が低いので見ることが出来たら面白がってもらえるかもしれない。
 あれこれと考えて、どれもピンとこないまま窓の外へと視線を放る。茜色から群青色へと移り行くグラデーションが目に眩しい。なんとなくの周期から察するに、今日は、彼女が中庭に来ない日だ。
 形ばかりの天文学部は、活動している部員が北斗しかいない関係で、活動日が決まっていない。今日は活動を休止して、ジャンクション駅にある大きな書店に寄ろう、と北斗は開いていた本を閉じた。
 今の時期は夏休みの自由研究にかこつけて、星にまつわる本も沢山置いてあるはずだ。何かしら参考に出来る本があるだろう、と北斗は重さの増したカバンを肩にかけ、中庭には向かわずに席を立った。

 持ち重りのする紙袋を胸に抱き、北斗は乗り換えのためにコンコースを歩いていた。複数の路線が乗り入れるこの駅は、四方八方へと向かう人々で流れが形成されていて、人の波にうまく乗らないと前に進めない。小柄な北斗は、前を行くスーツの背中の影に隠れて、人の波に揉まれないようにと目的の改札へ向かっていた。
 すい、と前を歩いていたスーツの男性が道を曲がる。不意に開けた視界に戸惑って周囲を見回せば、流れるような黒髪が視界の端に引っかかった。流星みたいだ、と脳裏を閃いた言葉のままに美しい長髪の乙女を振り返る。肩甲骨のあたりで揺れる黒には見覚えがあり、北斗はそれが黒崎くろさきなぎであることに気が付いた。予想外の偶然に、心臓が跳ねあがる。
 声を掛けたい、と濁流のような人の流れに分け入る。彼女はそんな北斗には全く気付かず、顔を上げると誰かに向けて小さく手を振った。やけに嬉しそうに表情をやわらげて、近づいてきた相手と言葉を交わす。
 北斗はスーツ姿の一群にもみくちゃにされてから、何とか人の流れが少ない場所に出た。息を吐いて、顔を上げる。見れば、彼女は既に合流した相手と肩を並べて改札へ向かっていた。
 彼女の視線を受けて何か話しているのは、自分よりも一回りは年上に見える、大人の男性だった。何かスポーツでもしているのか、体のつくりがしっかりしていて、後ろ姿だけでも頼もしさが伝わってくる。彼女は男性の言葉に相槌を打ちながら、楽しそうに笑っていた。──中庭で見せる静かな微笑みとは全く異なる、心を預け切った無邪気な笑みだ。先ほどの高鳴りとは異なる意味で、心臓が跳ねあがる。北斗はその場に立ち尽くして、ぎゅっと本の重みを握り直した。
 あれが、彼女の話していた家族だろうか。それにしてはやけに嬉しそうな横顔に、心臓が忙しなく肋骨を叩いて、騒ぐ。
 二人の関係が何であれ、彼女にとってあの男性がとても大切で、特別な存在であることは理解できた。──自分のちっぽけな恋心などまるで届かないほどの光量で、彼女の思いは輝いている。
 告白してもフラれるんだろうな、と小さな諦めに、視線が足元を向いた。少し汚れたスニーカーの爪先を見つめても、腕に抱えた質量は変わらなかった。彼女に喜んでほしい。彼女ともっと話したい。同じ空を見上げて、自分が大好きな星のことを、彼女にも好きになってもらいたい。
 広大な宙よりも深く、遠くまでを映す真っ黒な瞳が好きだと思った。どんな孤独も飲み込んでしまうほど圧倒的で、壮大で、果てのない黒。──あらゆる可能性と希望を秘めた闇の色を、とても、とても美しいと思った。
 自分はまだ、その気持ちを伝えていない。北斗は紙袋を抱え直して、きっぱりと顔を上げた。見上げた先に、彼女の姿はない。それでも、決意は揺らがなかった。

     *     *     *

「黒崎さんのことが、好きです。……僕の恋人になってくれませんか?」

 ふり絞った勇気が挫けるような静寂が耳朶を打つ。
 北斗の言葉を受けて、彼女は真っ黒い瞳をまるくした。じっとこちらを見つめて、何かを考えるように視線を揺らす。こんな時でも目を逸らさない人なんだな、と呆れにも似た笑いがよぎって、北斗は口元を緩めた。
 彼女が、困ったように髪の毛を耳にかけ、「……ごめんなさい」と答えを返す。分かり切っていて、覚悟もしていたはずの言葉に、胸がつきりと痛んだ。それでも、悲しみをおくびにも出さないようにと腹の底に力を込めて、「そっか」と笑う。北斗は、詰めていた息を吐き出して、空を見上げた。低い位置に、月が出ている。丸く、欠けたところのない光を見上げていれば、彼女が躊躇いがちに口を開いた。
「天海くんのことは、嫌いじゃないよ。……でも、」
「大丈夫」
 北斗は慰めの言葉を遮って、視線を彼女へと向けた。真っ黒く、果てのない、宙の色を見つめる。
 フラれたけど、やっぱり好きだなぁ、と尽きることのない好意を胸に抱いたまま、北斗は精一杯の強がりと共に口角を持ち上げた。
「フラれて、ちょっと安心した。……ありがとう」
……なにそれ」
 変わってるね、と小さく笑う彼女を見つめて、滲みそうになる涙を堪える。
 やっぱり、彼女の宇宙は、深く、遠く、どこまでも美しい。