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果南(カナン)
2026-02-20 21:25:19
3309文字
Public
さめしし
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ポトフ
さめしし。つきあっている二人の幸せごはんです。
たぶん粒マスタードとか黒胡椒も置いてあるし、白ワインも準備してる。
今日も、ポトフだ。
——
テーブルについて、まず思ってしまったのが、それだった。
もちろん、食べるだけの私に文句を言う権利など無い。料理を作ってくれているのはあくまで獅子神であり、彼の料理はすべからく美味しい。ポトフも例外ではなく、先刻から漂う香りだけでも十分に食欲を唆られるものだった。
ただ、頻度が高いのだった。最近、特に。
キッチンのコンロに乗せられている、赤い鍋。楕円形のやや深めの鍋で、重たい蓋を有する鋳物のそれは、フランスの有名メーカーのもので、煮物や蒸し物などに最適なのだという。商店街の福引で当たったんだ、と抱えてきたのは真経津で、ここに置いてくのが一番いいでしょ?、と笑顔で獅子神に押しつけていった。ウチはお前の物置じゃねえんだぞ、と一応は苦情を呈していた獅子神だが、使ってみると気に入ったらしく、最近は頻繁にこの鍋で調理をしている。その中でも特に多いのが、野菜と肉をシンプルに煮込んだポトフ、というわけなのだった。
煮込み料理なら、シチューでもカレーでもロールキャベツでも、他にもいろいろあるだろうにと思う。実際、それらの料理も獅子神はこの鍋で作っている。特に、牛肉を大きく切り分けて焼き、コトコトと長く煮込まれたビーフシチューは、ほろりと崩れる牛肉の舌触りが素晴らしく、なめらかなソースは濃厚な旨みに満ちていて、とにかく絶品だった。ぜひまたあれを作ってほしい、と思うのだが、とても手間がかかるのだと説明を受け、まとまった時間がある時にな、と言われて以来、そのままになっている。
そして、ポトフだ。
「どーした、村雨?」
配膳を済ませた獅子神が、テーブルの正面で椅子を引きながら首を傾げる。
「何でもない」
私は首を振り、目の前に置かれたポトフの皿に視線を落とした。
決して、ポトフに不満があるわけではない。愛する獅子神の作ってくれた、とても美味い料理だ。量もふんだんにある。
が、ビーフシチューに比べると、ポトフという料理はどうしても淡白だと言わざるを得ない。ごくごく客観的に見て、厳然たる事実として。
私が内心で唸っている間に、獅子神は椅子に座り、満足げにテーブルを見渡した。
「じゃ、食おうぜ。今日もいい感じに煮込めたと思うんだよなぁ」
「
……
あぁ。良い香りだ」
「あの鍋、ホント使い勝手がイイんだよな。やっぱ有名なだけのことはあるぜ」
うきうきとした口調で獅子神は喋り、明るい笑顔を向けてくる。
私は微笑んでみせてから、もう一度ポトフの皿を眺めた。
広めのシチュー皿を満たす、大きく切られた野菜。キャベツ、玉葱、人参、ジャガイモ、セロリなどがごろごろと、しかし美しく盛りつけられて、薄い金色の透き通ったスープにひたされている。
もちろん野菜ばかりではなく、肉類もバランス良く置かれていた。ソーセージは茶色の太いものと白くて長いもの、二種類が大胆に入れられているし、骨付きのしっかりとした鶏もも肉も一緒に煮込まれている。複数の肉から出た旨みが混ざり合って、深みのある良い味わいのスープになっていることは間違いないし、野菜もそのスープをたっぷりと吸って、十分にやわらかく煮込まれているはずだった。鼻腔をくすぐる数種のハーブの香りは、先日のポトフともまた配合が違う。獅子神がいろいろと工夫しながら、楽しんでこのポトフを作っていることがよく伝わってきた。
だから、水を差すようなことを言うべきではないと思う。
作ってくれている獅子神に、不快な思いをさせるようなことはしたくない。
が、ひとりで心中に燻らせ続けるよりは、筋道を立てて詳らかにし、獅子神と共有した上で解決を図るべきだとも思うのだった。
これからも獅子神がポトフを作るならば、なおのこと。
「
——
獅子神」
私は意を決して、顔を上げた。
「ん? どーした?」
「
……
このところ、あなたがポトフを作る頻度が高いと思うのだが」
できるだけ慎重に、やわらかい口調になるように注意しながら言ってみる。
獅子神は特に表情を変えることもなく、簡潔に頷いた。
「そーだな」
「やはり、冬だからなのか」
「まあ、それもあるな。やっぱり、温かいのが食いたくなるだろ。体にもいいし」
「それはそうだが」
それだけなのか、と出かけた言葉を飲み込む。
だが、私が迷っているうちに、獅子神は獅子神で何か考えを巡らせたようだった。じっと私を見ながら、うっすらと頬が赤く染まる。
「
……
?」
意外な反応に、私は戸惑った。
てっきり、他の肉が食べたいんだろ、とか、その類いのことを言われると思っていたのだ。何故、この流れで獅子神が照れることになるのだろう。
「どうした、獅子神。まだ他に何かあるのか」
「あー、いや。大したことじゃねぇんだけど」
少し早口で応じながら、獅子神は自分の皿に視線を向けた。私の皿と同様に、数々の野菜とソーセージ、骨付きの鶏もも肉が盛られている。
獅子神の作った、ポトフ。
それから私の皿を見て、私を見た。
薄青色の瞳が、明るい光できらめく。
「ポトフって、油分少なくて、くどくねぇだろ」
「そうだな」
「だから、あんまり気にせずに食えるんだよな。野菜もいっぱい摂れるし」
獅子神の視線がもう一度、私たちのポトフの皿を順に巡った。
金色に透き通ったスープで満たされ、同じくらいの野菜と肉が盛られた二つの皿を。
「お前がいつも通り食ってて、オレも同じようにたくさん食って
……
それが、なんか良くてさ。お前と一緒に食事してる、って感じが」
「獅子神」
「普段、あれこれ食事制限してるのはオレの勝手だし。作るのもオレで、何言ってんだって思われるかもしれないけど
……
」
「そんなことはない」
私はしっかりと首を横に振って、獅子神を見つめた。
「あなたの想いが知れて嬉しい。あなたとこうして、食事を共にしていられることも」
「村雨」
「確かにポトフは、ビーフシチューなどと比べればあっさりとした料理だ。が、あなたが楽しんで作っているのはよくわかる。だから、たとえビーフシチューでなくても」
ぷっと獅子神が吹き出した。
くっくっ、と可笑しそうに肩を揺らして、目を細めてくる。
「お前、やっぱりビーフシチュー食いたいんじゃねーか」
「
……
否定はしない」
憮然として答えると、獅子神はますます楽しそうに笑った。
私は椅子の背に体を預けて、小さくため息をついた。それから顎を上げ、軽く獅子神を睨んで言葉を続ける。
「だが、あなたの楽しみを否定するような狭量な恋人ではないつもりだ。それに、あなたがいつも美味い料理を作ってくれていることにも感謝している」
「態度と一致してねぇんだよなぁ」
「ふん」
私がそっぽを向くと、獅子神は椅子を引いて立ち上がった。
隣まで来て、腕が伸びてくる。
私の頭を、抱き寄せてくれる。
「そう拗ねんなって。わかってっから」
優しい声が、体を伝わって響いた。
いつものニットの奥に、逞しい体が感じられる。獅子神が己を律し、鍛え、維持している体。健康的で、あたたかい。
愛おしくて、かけがえのないもの。
「オレも、お前がうまそうに食ってくれるの嬉しいし。肉好きって言ったって、野菜でも何でも、好き嫌いはしねぇだろ。偉いと思ってるぜ」
「
……
当然だ。あなたの料理はすべて美味しい」
私は左手を持ち上げて、抱きしめてくれている手に重ねた。傷痕を撫で、指に指を絡めて握る。
心から、感謝を込めて。
「これからもずっと、あなたの料理を食べていたい」
「ん、ありがとな。今度のお前の休みには、ビーフシチュー作るよ。買い物、一緒に行ってくれるか?」
「勿論だ」
答えて、顔を上げた。
予定調和のように、やわらかい唇が降ってくる。重ねて、離れたので、引き寄せる。くすくすと笑い合いながら、何度も、何度も。
そろそろ食おうぜ、と苦笑されるまで獅子神を堪能して、それからたっぷりの旨みに浸ったポトフを、二人で同じくらい楽しんで、平らげたのだった。
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