千代里
2026-02-20 06:58:30
8968文字
Public 君ふれ短編
 

君ふれ・クガネ編・10話


「風が強くなったぞー!!」
「慌てるなー、ゆっくり行け! こんなところで座礁したら船乗りの名折れだぞ!」
 船に揺られて十数日。ケイたちの船旅は、終盤を迎えるまでは大変順調だった。
 だが、いよいよ水平線の向こうにクガネの街の影が見えてきた頃から、俄かに天気が崩れ、ぱらぱらと小雨が降り始めたのだ。
 やがて、それは大降りの雨となり、甲板を濡らした。幸い、雨の激しさに比べれば風は穏やかな部類だったが、それでも船室は右に左に揺れ、船酔いに負けた客たちによる阿鼻叫喚の図となっていた。ミィハの酔い止めが飛ぶように売れたのは、言うまでもない。
「よーし、そのあたりで止まれー! 灯りはつけてある、見えるか!?」
「ああ、見えてる! だが、こりゃあ、客人を降ろすにも一苦労だなあ。検問してる間に濡れ鼠になっちまうぞ」
 船乗りの不安は当たった。 クガネの波止場についても雨は一向にやまず、船から波止場へと渡る即席の橋は大変滑りやすくなっていた。
 橋から滑って海に落ちた者も、一人や二人ではない。ユキハネもあわやその一人になるところだったが、
「おっと、あぶない。大丈夫?」
「ありがとうございます、ケイさん」
 ケイに危ういところを支えられ、事なきを得たのだった。
 漸く波止場に降りても、すぐに自由に行動していいわけではない。船酔いと雨で散々な目に遭った乗客を波止場で待っていたのは、入港してきた客人の検査を行う役人たちだった。いわゆる、入国検査だ。
 人相や種族を記録するだけでなく、クガネにやってきた目的を質問し、可能ならば滞在期間も書き留める。ここまで厳しく検問を行うのは、外国の者が犯罪を犯した場合、すぐさま照会できるようにするため、とのことだった。また、冤罪を防ぐためにも、密入国は厳に取り締まるという方針であるらしい。
 それは、たとえ雨が降ろうが槍が降ろうが、朝だろうが夜だろうが拘らずに行われるものらしく、船乗りたちは慣れた様子で乗客たちを一列に並べていた。
 ユキハネを除く三人は、いかめしい顔つきの役人に来訪の目的を帰郷する仲間の付き添いと説明した。もちろん、ユキハネは里帰りであると伝えた。
 このような目的はさほど珍しくもないようで、ケイたちは特段引き止められることもなく、晴れて自由の身を得たのだったが、その時にはすでに三十分以上雨に晒された後だった。
「役人さんが一人一人、港に来た人の聞き取りをするなんて、なんだかすごいなあ。異国に来たって感じがするよ」
 役人から解放されたケイは、何度も振り返り、入国審査の受付所を眺めていた。
「シャーレアンでも入国検査は厳重に行なっている。エオルゼアはクガネに比べると比較的規律が緩いようだが、異国から来た船にはどこも同じように対応しているはずだ」
「へえ、そうだったんだ。もしかして、俺がリムサ・ロミンサに来た時は、ミィハが代わりに答えてたの?」
「君は答えられる状態ではなかったからな。それよりも、早く建物の中に入ろう。このままでは風邪をひく」
 ミィハに言われて、ようやくケイは体が冷えていることを自覚した。少し離れたところにいるユキハネも、入国直前に荒れた船内で過ごした疲れもあってか、色白の肌が青ざめているように見える。
「近くにあんのは酒場だろ。こういう港には、大抵飯を食うところがそばにあるはずだ。腹ごしらえもついでにしていこうぜ」
 フェリキシーに誘われて、ケイたちは手近なところにあった大きな建物の扉に手をかける。
 外は雨のせいで暗くもあるが、すでに夜を迎えていた。空腹のおかげで船が揺れた時も胃の中身を戻すことはなかったが、流石にそろそろ何か食べておきたい。
 扉を開いた瞬間、雨で冷えた体を温める熱気が四人を包む。思わず頬を綻ばせていると、いらっしゃいという掛け声が投げかけられた。
 あちこちから聞こえる歓声。美味しそうな料理の香りと、テーブルに並ぶ食事の数々。間違いなく、ここは酒場だ。
 ドアに吊るされた鐘が鳴り、従業員たちが揃って顔を上げる。そのうちの一人、灰色髪のアウラ族の少女が小走りで四人の元にやってきた。
「四名さま? 生憎、少し前にでっかい船がきて、席に余裕がないんだよ。そこの小さいのになるけどいいかい?」
 店員は、酒場の端に置かれた小さな机を指した。本来なら二人用なのだろうが、椅子を寄せれば四人で腰を下ろせないこともない。
「ああ、構わない。僕たちは、その船からやってきたんだ。何か温まるものはないだろうか」
「そいつは気の毒だ。今日は夕刻の頃から雨が酷かったからね。体が冷えてるっていうなら、今なら鍋がおすすめかな。肉やら野菜やらを味のついた汁の中にいれて、ぐつぐつ煮込むんだ。煮込み料理なら、西の人でも慣れてるだろ?」
「では、それで頼む。一緒に、温まる飲み物ももらえるだろうか。酒以外で頼む」
「適当に見繕っておくよ。四名様ごあんなーい!!」
 よく通る声を響かせて、店員はミィハ達を席へと案内する。歳の頃はユキハネと同じくらいなのだろうが、きびきびした物言いといい、淀みない接客といい、大人の店員と同様の活躍ぶりだ。
 案内された机のそばで、雨除けに被っていた外套を皆が片付けていると、筒のような奇妙な形の器に入った飲み物が運ばれてきた。取手がないが、それはどうやらカップの一種らしい。
「これは湯呑みというんです。そのまま手に持って飲むんですよ」
 早速、ユキハネが声を弾ませて湯呑みを手に取る。
「そっちのお客様はこっちの出身なんだね。熱々のお茶を入れておいたから、火傷には気をつけるんだよ」
 その言葉を聞いて、彼女に倣ってお茶を飲んでいたケイは、ミィハにちらりと目配せする。
 お茶そのものは、独特の渋みがあったが、慣れればクセになる味だった。だがケイですら唇を湿らせただけで一瞬ぴりっと感じるほどに熱い。
「ミィハは少し冷ました方がいいよ。このまま飲んだら絶対火傷する」
「そうしておく。こうして持っているだけでも温まるだろう」
 ミィハは湯呑みを両手で包むようにする。温度によって痛覚を覚えることはなくても、熱い寒いの感覚は彼にもある。強張っていた指が動かしやすくなったと感じる程度であっても、ミィハには心地よいようだ。
 ようやくひと心地ついた頃に、今度は主役となる鍋料理が運ばれてきた。芳醇な香りはケイも嗅ぎ慣れた味噌の香りであり、どうやらこれは味噌をふんだんに使った煮込み料理だろうとユキハネは説明していた。
 それぞれの小皿に中身を分けて食べる方式に最初こそ戸惑ったものの、ケイたちの家で大皿の料理を取り分けると要領は同じと分かれば、慣れるのは早かった。
「鼻の先まで温まるような料理だね。それに、食べやすいのに味が濃くてお腹に溜まる感じもする」
「味噌は味噌汁以外にも、こうして煮込み料理にも使うことがあるんです。長く保存できますし、少量で味がつくので、旅人の方は味噌を持ち歩いているのではないでしょうか」
「そういえば、ムヒョウがそんなこと言ってたな。エオルゼアじゃ、塩が調味料がわりだが、こいつも悪くはねえ」
 話をしながら、ケイはさりげなくミィハの取り皿の中身を、魔法を使って微風を起こして冷ましていた。舌が火傷するような熱々の鍋ともなると、さすがにそのまま食べていいよとはミィハには言えない。ミィハもそれが分かっているので、ケイが用意した「程よく暖かさは残っている」状態のものを少しずつ食べている。
「ユキハネ。この白くてぶよぶよした塊は何? 何かの肝?」
「それは豆腐です、ケイさん。豆からできている食材です」
「さっき食ったが、味らしい味はしねえな。食感は悪くねえ。肉の脂身にちけえが、臭みやしつこさは全然ねえな」
「へえ。……これ、フォークじゃ掴みにくいなあ。匙はある?」
「待ってください、私がとりますから」
「えっ、ユキハネそれ何!? 今何したの!?」
 思わず身を乗り出すケイの肩をミィハはむんずと掴み、席に座らせる。ただでさえ小さな机を使っているのだから、立ち上がられては狭くなって仕方がない。
 ユキハネが持っているのはケイたちが使っている、西方の客人向けのフォークやナイフ、スプーンとは全く異なっていた。彼女は二本の細い棒切れのようなもので器用に豆腐をつかみ、ケイの取り皿に運んだのである。
「これは、お箸というものです。長らく使っていなかったのですが、昔教えてもらったことって意外と忘れられないものなのですね」
「随分と器用さが求めれる食器があるんだな。……一朝一夕では難しそうだ」
 手近な箸を掴んで、自分でも扱えないかと試行錯誤するミィハ。だが、ユキハネのような器用な箸捌きとは雲泥の差があった。
「おい、ミィハ。てめえが呑気にそいつと戯れてるなら、俺が全部食っちまうぞ」
「ケイがちゃんと取り分けてくれるから大丈夫だ。それに、僕が君に全て譲るわけがないだろう」
「ねえ、ユキハネ。この料理を囲むと喧嘩が起きるのも東では普通なの?」
 フォークを構えて睨み合う年長組二名をスプーンでいなしながらも、それぞれの取り皿に豆腐を放り込むのを忘れないケイ。
 静かな食卓とは程遠い団欒を眺めながら、
(私がお父さんたちと過ごしていた時も、こんなふうに鍋を囲んでいた……そんなような気がします)
 覚えているかももはや定かではない。けれども、どこか懐かしい光景に、ユキハネは鍋から漂う湯気とは異なる温もりを感じていたのだった。
 
 ***
 
 追加の具材も含めて鍋料理を堪能し、最後に運ばれてきた、うどんという麺料理――パスタより太くてもちもちとした食感のものだ――を食べ終えた頃には、雨に打たれて冷え切っていた一行もすっかり温まっていた。
 内側も外側もほかほかとした温もりに包まれ、どことなく弛緩した空気が流れている中、ケイが「そういえば」と切り出した。
「ねえ、ヒョウセツさんには俺たちがどの船で行くか、教えておいたんだよね」
「はい。出発の前に手紙を送ったので、私たちが到着する日時は伝わっていると思うのですが」
 船の運航状況は天候により大きく左右される。そのため、ヒョウセツには大体の日付と船の名前を教えておくに留めておいた。あとはクガネに近づく頃に、詳細な時間帯が伝えられるだろうと思ったからだ。その証拠に、酒場の壁にも今日の船便の大体の就航時刻が張り出されている。
 四人は後から知ることになるが、この潮風亭という酒房は波止場に隣接す酒場としてはクガネでも有名な店であった。
 初めてクガネに来たものは、まずこの店でクガネ料理を味わうと言われているほどであり、四人もその通りの道を辿ったことになる。
「船がついたって、ヒョウセツさんは気がついてないのかな」
「かもしれねえな。それに、この雨だ。出るのが億劫になっても不思議じゃねえ」
「ヒョウセツさんは、そのような苦労を惜しむ方には見えませんでしたが」
 やんわりとヒョウセツの弁護をするユキハネ。もしその姿を目にしていたら、ヒョウセツは狂喜乱舞していただろう。
 ともあれ、このまま酒場に残っているわけにもいかない。どうしたものかと一同が顔を見合わせているとき、続く行動に出たのもフェリキシーだった。
「おい、そこの店員。ちょっといいか」
「はいはい、のっぽのにいちゃん。なんだい?」
 フェリキシーが呼びかけたのは、先ほどの店員だ。
 フェリキシーは、腰に吊るした財布代わりの袋から数枚の貨幣を取り出し、店員に押し付けながら、
「クガネには知り合いに会いにきたんだが、いつまで経っても迎えに来ねえんだ。乾物屋をやってるムヒョウってやつの店にいるはずなんだが、どこにあるか知らねえか。たしか、味噌やら魚を砕いた粉みたいな奴を売っている店だ」
「その人のことは知らないけど、乾物とか味噌を扱うような、そういうひんがしの人向きの店なら、商業区にあるだろうさ。ちょいと待ってて。兄さんの気前の良さに免じて、地図を書いてあげるよ」
 そう言うと、店員は前掛けから端切れのような紙をとりだす。続けて持ち運び用の筆のようなものを出して、筆についていた小さな壺と筆を取り分けた。
「インク壺と筆を合体させた筆記具か。合理的だな」
 ミィハが興味深げに見ていると、愛嬌のある店員はパチンと片目を瞑り、
「西方にこいつはないのかい? 最初は墨をひっくり返したこともあったけど、慣れれば使いやすいよ」
 言いつつ、店員は小さな壺に入っていた『墨』という名前らしい黒のインクに筆先をひたし、するすると地図を書き始めた。
 大きな四角は潮風亭。そこから数本の通り道が続き、果ての方にあるのが彼女の話していた商業地区のようだ。
「この辺は、よそから来た商人への商いもしてるけど、クガネの住人向けの東方の品もよく扱ってるのさ。商売人も、自分の生活ができないと仕事に身が入らないってこと」
 完成した地図にひらひらと空気を送り、軽く乾かしてからフェリキシーへと差し出す。
 普段から書き慣れているのだろう。簡潔な線のみの地図ではあるものの、わかりやすい案内図となっていた。
 フェリキシーが無言でもう一枚硬貨を指で弾くと、「ありがと」と店員は片手で難なく受け止めて見せる。その顔は、歳の頃はケイやユキハネとさして変わらなさそうであったが、このようなやり取りに慣れている強かさが顔に滲み出ていた。
「追加の御駄賃のお礼にもう一つ。最近、商業区と隣の職人がよく住んでる区画のあたりで、揉め事がよく起きてるみたいよ」
「揉め事? 血が出るようなやつか?」
「そこまで派手な話は聞いちゃいないけどね。‥.ガレマール帝国がドマから引き上げただろ。その影響で、ちょっとね」
 思うところがあるのか、店員はそれ以上の話はしなかった。灰色の髪に隠れた顔の影が、一瞬悲しげに歪む。
「お兄さんたちもそこ行くなら気をつけてね」
 ひらひらと手を振り、今度こそ彼女は立ち去った。最後に残された物騒な情報に、ケイたちは顔を見合わせる。
「揉め事だって。俺たちみたいなよそ者が行って、大丈夫なのかな」
「今更気にしていても仕方ないだろう。街に人が住む以上、争いが起きることもある。それだけのことだ」
 不安げなケイに、合理的回答を返すミィハ。だが、生まれ故郷でいきなり不穏な話を聞かされて、ショックを受けていないかとユキハネの方を見やると、
「意外と平気そうなんだね、ユキハネ」
「ウルダハにいた頃は、よくある話でしたから。リムサ・ロミンサも、裏路地には入らない方が良いと聞きましたので、同じようなものかなと」
「揉め事が起きてるってことを酒場の女が知ってるくれえなら、大したことねえだろ。砂蠍衆みたいに、揉め事の張本人に警備員が媚び売ってるとか、そういうことがなけりゃな」
 思った以上に治安の悪さに慣れている二人に、ミィハもケイも束の間呆気に取られたのだった。
 
 ***
 
「ねえ、ユキハネ。建物の屋根の下にぶら下がってる、あの丸くて赤いのは何?」
「あれは提灯、だったと思います。照明の一種で、紙でできていたような……?」
「紙でできてるのに、燃えちゃわないの!? じゃあ、あれも紙?」
「あれは灯篭ですね。ものによっては、光を通すところを紙にしているはずです」
 ユキハネの説明を聞きながら、ケイは忙しなくあちこちへと首を巡らせている。
 夜間な上に雨が降っているので、昼間に比べるもはるかに視界は悪い。だが雨煙にも負けない華やかな照明の数々に、ケイはすっかり心を奪われていた。
「クガネの人たちって、俺たちとは違う服を着てるよね。あれは何ていうの? どういう作りなんだろう」
「着物のことですか。一枚の大きな布を、帯で締めて着ているんです」
「へえ、そうなんだ! すごいなあ、ここは俺が想像もしたことないものばかりだ……!」
 見たことがないものが目に入ると、すぐさまそちらに向かおうとするケイ。できるなら、彼の好奇心を存分に満たしてやりたいものの、今は予定がある身だ。ミィハは少年の腕を引っ掴み、ふらふらとどこかに行こうとする彼を、何度も引き止めなければならなかった。
「ケイ。目移りするのはまた後にしよう。フェリキシーたちに置いていかれたら、僕たちは完全に迷子になってしまう」
 観光気分のケイを置いて、フェリキシーは地図を片手にずんずんと迷いなく歩いている。
 長身ではあるものの外套を羽織り、暗色の肌を持つ彼は夜に溶け込みやすい。見失うわけにはいかないと、ミィハはケイの手を掴んで小走りで彼に駆け寄ろうとして、
 
――ッ!!」
 
 二人の三角耳は、確かに捉えた。
 夜の街に似つかわしくない、呻き声と悲鳴が混じったような声を。
「ミィハ」
「ああ、聞こえた。こっちだ!」
 外套を靡かせて、ミィハとケイはすぐさま声が聞こえた路地へと足を踏み入れる。
 灯篭の数もまばらな路地は、薄闇に包まれている。水たまりを蹴立てて向かった先、その薄闇の中に黒い塊が見えた。近づけば近づくほど、呻き声がはっきり耳に届く。
「大丈夫か!」
 雨でも隠しきれない暗闇のシルエットは、倒れている人の形をしていた。すぐさまケイはカーバンクルを召喚する。柔らかな光を纏った獣は、照明と護衛の両方を兼ねてくれる。
「う、うう……っ」
 どうやら意識はあるらしい。倒れていた誰かは起きあがろうとしたが、駆け寄ったミィハがすぐに制止した。頭を打っていた場合は、無理に動かさないほうがいいこともあるからだ。
「あ、あんたたちは……
 カーバンクルの灯りが照らしたのは、ヒューラン族の男性だった。歳の頃は三十か、もう少し上か。胸の前を大きく開いた装束は、ザナラーン風のものだ。日に焼けたと思しき褐色の肌や、ぴんぴんとはねた赤毛も、ウルダハではよく見かける容姿だった。
 ならば、彼はミィハたちと同様、西からやってきたものなのだろう。
 男は手を頭に伸ばし、ギョッと目を見開く。倒れた拍子に額を切ったのか、彼の指は雨でも流しきれない血に濡れていた。
「血、血が……!? 俺、まさか、死ぬのか……!?」
「落ち着くんだ。見たところ、傷は深くない。すぐに治せる。僕は、治癒魔法を会得した冒険者だ」
 実際に傷の深さはわからなかったが、負傷者を安心させるためにあえてミィハはそう言った。
 予想通り、冒険者という肩書きは、西方の人間には有効だったらしい。男がいくらか落ち着きを見せたのを確認してから。
「ケイ。犯人が近くにいるかもしれない。フェリキシーたちを呼んできてくれ」
「それならもう呼んでおいたよ。ほら」
 ケイは自分の耳にかけたリンクパールに片手を添え、片手で路地の入り口を指した。そこには見慣れた長身の影がすでに姿を見せている。
「お前ら、いきなり道を外れたと思ったら……何かあった、みたいだな」
 遅れてやってきたフェリキシーは、ミィハが様子を見ている人物――道の途中で仰向けに倒れている男と、一帯の物々しい空気に、事態を察したらしい。
「あいつ、どこ行ったんだ……? くそ、商談の邪魔だけじゃ足りないってことかよ……!!」
「おい。そいつはどこに逃げた」
 今にも起き上がりそうな被害者を、再びミィハが宥め、雨に濡れないように外套を被せる。
 代わりに、フェリキシーが犯人について尋ねると、
「向こうに走って行ったよ。俺のことを突き飛ばして、そのまま逃げたんだ!」
 気を高ぶらせていた青年は、しかし傷が痛むのかすぐにうめき声をもらす。
 フェリキシーはユキハネを連れて、青年が指した方へと駆けて行き、ミィハは男の頭部に手を翳して治癒魔法を発動した。
「簡単な応急処置は施しておいたが、無理に動かない方がいい。打ったのは頭だけか?」
「た、多分。あいつに突き飛ばされて、転んで、それから悲鳴が聞こえて……
「おそらく、あなたが倒れて動転したのだろう。その者が叫んでくれたおかげで、君を見つけることができた」
 頭を支えながら、ミィハは男を抱き起こす。
 その様子を見守りながら、ケイはそっと風属性の魔法を発動し、男の運搬を手伝った。
(ミィハは、重たすぎるものを運んでいて、自分の体が傷ついても気がつけない。だからって、俺は患者の運び方なんてわからないから、せめて手伝いくらいはしよう)
 男の体重を軽くするように働きかければ、少しは楽にミィハも運搬ができるだろう。
 怪我人を治すためなら、ミィハは我が身を顧みないところがある。それが医師としての矜持だと分かっていても、ケイははらはらしてしまう。
「ひとまず、どこかで治療の続きをしよう。ケイ。悪いが、そこの家の住人に掛け合ってくれないか」
 ミィハの指示を受けて、ケイは手近な家の入り口をノックした。見慣れない様式の扉は、ガタガタと大きく揺れ、ケイが想像していたノック音とは程遠い騒音が辺りに響き渡った。
 これまたクガネ独自のつくりに驚いていると、程なくして玄関口に照明が行き来し、ガタガタと扉の錠を解除する音が響く。戸が完全に横に開くのも待たずに、
「あの、すみません。そこで怪我をした方がいて、治療をしたいのですが、少し場所を貸してもらえませんか」
 奥から出てきた人はケイを見やり、続いて奥にいるミィハに視線をやる。遅れて、手に持った燭台がケイの顔を照らした。
「なんと、それは大変だ。もちろん、構いませんよ。すぐにもっと大きな灯りを用意させましょう……おや?」
 手元にある燭台を掲げていた男は、そこで語尾を持ち上げる。ケイも遅まきながら気がつく。
 掲げられた灯りの下に見えた顔は見覚えのある者だった。
「ケイ殿? それにミィハ殿ではありませんか!」
「ムヒョウさん!?」
 蝋燭の灯りが映し出していたアウラ族の男。それは、ケイたちが探していた人物――ムヒョウであった。