あさかわ
2026-02-20 06:26:30
4672文字
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波箱で頂いた「鬼太郎に半衿をリクエストする水木」の鬼水です。メッセージ送ってくださりありがとうございました!

「お気持ちはありがたいのですが……よして貰えると」
 ひそひそと鬼太郎が話す声が、寝起きの微睡みから水木を引き上げた。うっすら瞼を開けるとカーテンの隙間から朝日がもれている。隣の布団に寝ていた鬼太郎の姿はなく、押し入れの近くに見慣れた膝小僧と漆塗りの小箱があった。
「ご先祖様が気にかけてくれるのはありがたいと思っています。確かに、ちゃんちゃんこの布地から半衿になって水木を守ってくだされば、それは良いことなんでしょうが」
 小声で話かける鬼太郎と、それに答えるように衣擦れの音がする。水木は起きていると気がつかれないよう、ごろりと寝返りを打って耳をそばだてた。ハサミの音とぷつぷつと糸を抜く音が聞こえてくる。鬼太郎が半衿を付け替えているのだろう。
「あの人に半衿を送るのは、できれば僕一人がいいんです」
 もらした言葉のなんと健気なことか。水木はぐっと拳を握った。
 連れ合って以来、鬼太郎は水木に贈り物をするようになった。和装の時に長襦袢に付ける半衿だ。鬼太郎は様々な半衿を贈っては、今のように手ずから長襦袢に縫い付けている。季節や時期によって付け替えており、今朝も針仕事にいそしんでいるようだ。

「どうしても断れない相手もいますが、できるだけ独り占めしたくて。すみません、狭量で」
 そんなことはない! とばかりに布がバシバシと床を叩く音がした。水木も心の中でちゃんちゃんこに同意する。
「仲睦まじくてよろしい……そうでしょうか。幼い独占欲のようで恥ずかしいんですが」
 いや、もっとやってくれ! と水木は背を向け拳を握る。ちゃんちゃんこがバタバタと動き回る音がする。同志よ、と水木は心の中で呼びかけた。鬼太郎が小さく笑ってハサミを動かす音がする。
「ありがとうございます」
 ぎゅっと布を絞る音がした。応じるように水木は布団の中で口を覆ってぐうと、うなり声を上げた。



「あっ、水木さんだ」
「げっ……ゲゲの鬼太郎だ」
 ある者は水木にひょいと手を振り、ある者は鬼太郎の姿に早足で逃げだす。もちろんその逆もある。妖怪の飲み屋が多い通りを行く水木と鬼太郎に反応はそれぞれ。水木は鬼太郎が付け替えたばかりの半衿を一撫でしてご機嫌だ。
「良い色じゃないか」
 薄氷のような淡い青が冷えるようになった季節の色を象っているようだ。
「気に入ってくれたなら良かったです。寒くなってきたから肌のあたりが柔らかいものをと思って」
 水木はニコリと微笑む。色よりも肌触りよりも、早朝に針仕事に精を出すお前が一等気に入っているのだと、喉まで出た声を鋼の意志でひっこめた。鬼太郎のちゃんちゃんこも朝を思い出したのか、そわそわとなびいているようだ。自分の前を守るように歩く鬼太郎のつむじが愛らしい。

「水木さぁん」
 猫なで声に鬼太郎の髪がぶわりと広がる。かばうように立つ鬼太郎の後ろに水木はさっと移動する。角から細長く皺のよった指が出る。
「どうも、お久しぶりです。相変わらず仲睦まじいようで」
「大坊主さんも、お元気そうで何よりです」
 角から出てきたのは大坊主だ。人間の世界でキャバクラ等の接客業に手を出している妖怪だ。大坊主は揉み手をしながら小首を傾げる。
「実は、居抜きした店舗を新装開店するんだけれど、人が足りなくってぇ。黒服のアルバイトとかいかがです」
「お断りします」
 ニコッと笑って水木は切り捨てた。途端に大坊主が真顔になり、数拍置いて眉が寄る。つう、と両の目から涙が伝った。このすさまじい嘘泣きと、変わり身の早さには感心するが、相手にするのは面倒である。

「ねえ人助け……じゃなくて妖怪助けだと思って一週間だけ。接客が嫌だったら裏方でもいいから」
「手を広げるのは結構ですが、人手もちゃんと計算しておかないと」
「水木さんを頭数に入れといたんだけど」
「本人の了解も得ずに決めるんじゃない」
 鬼太郎が怖い顔をして大坊主を咎める。しかし大坊主はひるまない。
「昭和の営業のたたき上げで、妖怪に馴染みがあって、多少の荒事に動じなくて、いざって時にゲゲゲの鬼太郎がすっ飛んでくるお人だぞ。働いて貰えば千人力だろ」
 大坊主がしつこく勧誘するのも仕方がない。水木は接客業になれており、酔っ払った客や迷惑な客をあしらう技術がある。その上本当に困った時は鬼太郎が来て力業で解決できるのだ。夜の歓楽街で商いをするものに垂涎の人材である。今までも何度か断っているのだが、相手は江戸の頃から商いを営む生粋の商売人。のらりくらりとかわしては、しつこく食い下がられている。

「ね! 一回だけ、店の入り口に立つだけでも伝票整理するだけでもいいから」
 品を作って近寄ろうとする大坊主。鬼太郎の髪がぶわりと広がって髪の毛針が出そうな様子だ。ここで手を出すと大坊主に交渉の口実を与えることになる。水木は鬼太郎の肩に手をおいた。
「これからデートなんですよ。旦那をあんまりいじめないでやってください」
 落ち着けと、鬼太郎の肩を三度叩く。鬼太郎は水木の顔を見上げて細長く息を吐き出す。
「今日のところはお引き取りください。また日を改めて話しましょう」
 言質を取った大坊主が顔を輝かせる。さめざめ泣いていた顔からの変わりぶりは呆れを通り越して見事だ。
「日を改めてね! 聞きましたからね! また勧誘にくるし、うちの店に訪ねてきてくれていいからね!」
 鬼太郎に名刺を握らせ、浮足立ったまま大坊主が帰っていく。鬼太郎は名刺を水木に渡さずポケットに押し込んだ。好かない相手でも名刺を破らずにいて偉いと思う。

「こうもしつこいと一週間なら働いてもいい気がしてくるなあ。金払いはよさそうだし」
……それこそ大坊主の思う壺です」
 面白くないと尖る鬼太郎の唇がかわいい。
「水木さんがやりたいのなら構わないですけど、こんなのズルですよ!」
 水木は膨れる鬼太郎の肩を抱き寄せた。鬼太郎には凶事でも自分にとっては吉事だ。朝に聞いた健気な言葉を実現するチャンスが早々にやってきた。
「なあ、鬼太郎。わがままを言ってもいいか」
 水木は首を傾け首筋を晒す。ちょんと衿をつついて言葉を紡いだ。
「俺がお前のもんだって一発で分かるような半衿が欲しい」
 鬼太郎は瞬きをしてから、頬を赤くする。
「俺だって、お前がつまらないちょっかいをかけられるのは面白くないんだ。勧誘をしっかり断るのにお前の力を貸してくれ」
「もちろんです。僕に任せてください」



「うん、大丈夫そうです」
 鬼太郎が水木の衿を注意深く確認した。水木は首元を触る細い指の温もりに目を細める。鬼太郎が任せてくれと行ってから十日ほど経ち、水木の長襦袢には新しい半衿が付けられた。冬の曇天を思わせる灰色は落ち着いた色合いで藍の単衣にもよく似合う。
「あとは、これを巻けば……父さん、どうでしょう」
 鬼太郎が黄色の襟巻きを水木の首にかける。茶碗風呂から上がった目玉は小さく頷いた。
「問題なかろう。水木よ、それの使いどころを間違えるでないぞ」
「はいはい」
 雑に答える水木に目玉がぱしりと手ぬぐいで背を叩いた。本当に分かっているのかと言いたげな顔をしているが気にせず先に外に出る。鬼太郎に巻いて貰った襟巻きは半衿と同じ特別製で、ぬくぬくと温かく心地がよい。
 鬼太郎は手早く茶碗風呂を片付ける。

「夕方には戻ります」
「うむ。気をつけてな」
 出かける鬼太郎と水木を目玉が見送る。遠ざかる下駄と雪駄の音を聞きながら手ぬぐいで身体を拭う。さっぱりした後に目玉はぽつりと言った。
「みなも気をつけるんじゃぞ……
 息子と親友の勢いは己に止められるものではなかった。目玉はなるようになれとちゃぶ台に寝転がり昼寝をすることにした。



 居抜きした物件の改装が急ピッチで進められているようだ。あちこちで作業員が働いており、内装や電気工事の会話やドリルの音などが聞こえてくる。入り口でネオンライトについて図面を見ながら会話している者もいる。
「水木さぁん」
 猫が威嚇して逃げ出すような猫なで声とねっとりとした揉み手。大坊主が店の前に出てきた。
「わざわざご足労頂いてすみませんね。この店なんだけど、来週にはグランドオープン出来そうなんですよ。つきましてはオープニングスタッフとして、いかがです。当然割り増しでお給金も用意しますよ。鬼太郎も心配だったら別室で待っていてくれていいんだよぉ」
 水木は腕を組み愛想よく笑った。
「大坊主さんの粘り強い交渉には負けました。アルバイトしてもいいですよ。鬼太郎とも話し合いまして、一度くらい良いだろうと」
 鬼太郎は無言で水木の隣に立っている。大坊主に自由にしゃべらせるのも仕込みのうちだ。鬼太郎が水木に説き伏せられたようにみえる。それが大事なのだ。水木は襟巻きに手を伸ばす。

「ただし二つ条件があります」
「二つと言わず三つ四つでもどうぞ!」
 大坊主が食い気味に答える。水木は人差し指と中指を立てた。
「雇われるのは一週間だけ。この格好のまま働かせて欲しいんですよ。妖怪がらみの時はなるべく和装でいるのが鬼太郎との約束で」
 人として人ならざる者と関わる自覚を持つため。和装は境界を引くための目印だ。大坊主は両手を握って何度も頷く。
「全然イイよぉ! そういうコンセプトって黒服でもいいし、受付や裏方なら服装自由だし。あっ、お店の中ちょっと見ていく?」
 うきうきと店を指さす大坊主。水木は愛想良く頷いた。
「ありがとうございます。じゃあ、襟巻きは取りますね」
 水木は襟巻きを取り去る。途端大坊主がびくりと跳ねた。

「げっ!」
 大坊主の顔から表情が抜け落ち、しばらくしてから真っ赤に染まった。作業員の一人が顔をしかめ、そそくさ逃げて行く。他の作業員は時に変わった様子もなく図面を片手に作業を続けている。
「き、鬼太郎!」
「そんなに大声で叫ばなくても聞こえる」
 すました顔で鬼太郎が応じる。
「お、お前! は、破廉恥がすぎる! なんだ、この濃い妖気は!」
「松の草木染めだ。ゲゲゲの森の松林で拾ったものを焼いて煤にして染めた」
 鬼太郎は松の薪にたっぷりの妖力を込めてたき火をした。出来た煤を染料にしてそちらにも水と一緒に大量に妖力を流し込んでいたらしい。水木には分からないが、鬼太郎の奮闘を見守る目玉はかなり引いていた。

「お前、松は厄除けだって限度があるぞ」
 よろよろと後ろに下がる大坊主。水木は襟巻きで仰いで風を送る。
「ちょっと水木さん。それやめて! 襟巻きで隠しておいてぇ!」
「いやぁ、僕は人間だから全然分からないなあ」
 わざとらしく棒読みをしてからゆっくりと襟巻きを巻いた。妖力に満ちた半衿を妖力隠しの襟巻きで隠せば、匂いや気配も収まる。目玉曰く、この半衿は妖怪にとって黒板を引っ掻く音のように不快らしい。そんな人間が妖怪の店で働いたらどうなるか。
「鬼太郎お前! やり過ぎなんじゃないか!」
 鬼太郎は瞬きをして水木を見上げた。それから視線を大坊主に戻してさらりと言った。
「この人に悪い虫が付かないのが一番だ」
 大坊主は青い顔をして泣き出した。先日の嘘泣きと異なり、本気の涙である。
「虫除けどころか殺虫剤なんだよぉ!」
 死んじゃう! と悲鳴を上げて大坊主が店に逃げて行く。水木は遠ざかる背中を眺めてカラカラ笑った。