tokatelion
2026-02-19 12:10:37
13853文字
Public 依頼
 

aster様依頼

つなぐで受注した依頼の小説です。

 朝、天界には日の光が降り注いでいる。
 ハムと呼ばれる天使の家にも、カーテンの隙間から陽光が差し込んでいた。部屋は最低限の家具しか置いておらず、掃除だけは行き届いている。

 彼(性別はないが、便宜上)はベッドの上で唸り、覚醒したばかりだというのに、目を閉じたまま大きなあくびをした。はー、と長く息を吐けば、目の縁に溜まった涙をぬぐい、開いた瞼の向こうから青緑の瞳がのぞいた。
 そのままぼんやりと夢が過ぎ去るのを待っている。今日も夢見が悪かったな、と。なるべく振り返らないようにしていても、どうしてもさまざまな感触が体に残っている。寝巻の上から、夢の中で付けられた傷跡のある部分をさする。当然ながら痣はなく、多少触れても痛みはなかった。
 寝巻の袖をまくる。
 白い肌に残るいくらかの痣――今度は現実のものだ――を見て、不快そうに顔をしかめた。すぐに袖を元に戻して、上半身を起こす。ベッドの端に腰掛けると、両手を組んで天井に向けて伸ばし、大きくのびをした。背中に生える四枚の羽根もいっしょにぴんと伸びて、風切り羽を震わすほどまっすぐ広げられている。
 小さな羽は、狭い部屋の中で伸ばしても、さほど邪魔にならない。彼のような一兵卒に与えられる部屋は箱といっていいほど狭く、それなりの大きさの羽を持つ天使では窮屈で仕方ないだろう。

(ま、でかい羽をもつ天使は苦労せず上位に上り詰めるんだろうが)

 狭い室内を見回しながら、そんなことを考える。小さな翅に生まれて良かった、と思いたくないからだ。
 小さな羽にそぐわない大きな部屋に住むこと……ようするに、戦争で活躍して上等な兵士になることは、彼にとっての夢であった。功績をあげ、たくさんの報奨金を手にし、力を認められ、階級を上げていって。そうやって生活を楽にして、強い天使として名を馳せて。

(しなないだけマシな生活になっているが)

 下ろした腕がぺたんこなマットレスに添えられて。
 特に予定のない一日である。脚をゆらゆらと揺らしながら、今日は何をしようか、とぼんやり考える。
 他の天使であれば本を買ったり、花の手入れをしたり、勉強したり、娯楽を楽しんだりするだろう。
 しかし彼には金がなく、特に趣味もなく、文字が読めないので本を買うこともなく、時間を潰す方法といったらひとつくらいしかない。
 本来なら食べることも趣味に入れるべきだろうが、それを楽しむには金が要るのだ。

「めしはあるから……やはり、訓練にむかうか」

 ちらりと、壁に立てかけられた得物に目をやる。
 支給されたそれらはお世辞にも高級品とは言えず、けれど中の下より下な天使によき武器が贈られるはずはなく。よきものにしようとすれば金が要り……と、グレードアップには程遠い。
 置かれている武器の種類はさまざまだ。どんな武器を支給されようとマシな戦闘ができるようにと、支給される可能性がある武器はほとんど試し、練習を重ねてきている。少々の理由があり、打撃武器を除いて。

 壁に飾れるような家具を買ってやれればいいが、などと考えながら、ベッドから降りる。洗濯したばかりの、何着もある四枚羽用の服を手に取れば、カーテンをしっかり閉めてから着替えに入る。
 さほど器用でもない手も、四枚羽用のインナーと上着のファスナーをいじる時だけはきれいに動く。いつも通りの恰好になるのに時間はそうそうかからなかった。
 袖を少し振って服の重みを確かめて、それから部屋を出る。
 鍵をガッチガチに閉めて、小さな寮から街へ出ていく。

(じょういにはいれれば たしょうはいいめしがくえるが)
(まあ いつもどおりだろうな)

 部屋を出てすぐ、転落防止の柵を乗り越えて、そのまま中空に飛び立つ。寮長に見つかれば行儀が悪いと怒られるだろうが、これが一番早いのだから仕方ない。そのまま寮から伸びる道を見下ろしながら、街へと飛んで行った。


 街の広場に降り立つ。天使たちが発着によく使う広場である。
 丸いレンガ敷きの広場の真ん中で、噴水は毎日変わらず日光を浴びて飛沫をきらきらと光らせていた。
 羽ばたきの名残で四枚羽を軽くぱたぱたと振りながら、あたりを見回す。天使が数人散歩やら日光浴やら、屋外の読書やらを楽しんでいた。
 今日は休日である。戦いを最上としない天使たちは、こうしてのんびりと休日を謳歌しているのだ。

 広場を中心として、商店がいくつも並んでいる。本屋、花屋、レストラン、雑貨屋……ひとつとしてハムと接点はないが。レストランなら多少の縁ができそうなものだが、訓練場に併設されている食堂より高価な店に行く気はそうそう起きない。
 果物屋の露店が出ていたので、なけなしの銀貨をはたいてリンゴをひとつ買う。背の高い店主にやや背伸び気味にして銀貨を渡すと、みずみずしいリンゴをひとつ渡された。
 そばのベンチに腰掛け、皮ごとリンゴをしゃくりと食む。

「今日も訓練かい?」

 露店の天使が尋ねてくる。なにせ毎日のようにリンゴを買っていくのだ、顔見知りにもなるというものである。ハムはむしゃむしゃと咀嚼をしつつ、こくりと頷く。日光を反射する銀の髪が、もうひとつの天使の輪を作っている。

「うむ」
「リンゴひとつだけでよく朝が足りるねえ」
「たりんぞ。まったくたりない。しょくどうで あのからそうな、しろいやつがはいったスープ あれを二十杯のみたい」
「麻婆豆腐?」
「たぶんそれ」

 人間界から持ち込まれた料理は多数ある。彼のお気に入りは辛いものだ。量さえあれば質は問わなかったが、それでもおいしいものとそうでないものが並んでいれば、おいしいほうに軍配が上がるというものだ。

「足りないならこっちもあげるよ、色が悪くてワゴンに並べられなかったから」

 露店の店主がリンゴをいくつかほいほいと渡してくれた。普通に並べられていたリンゴもあったが、よく見れば色が悪い。

「うむ うまければなんでもいい」
「美味くないものは置いてないよ」
「そうか ならたべる」

 そう言って渡されたリンゴをベンチに並べると、早くもひとつめのリンゴを食べ終わった。芯を投げ捨てようとするのを見かね、店主がそれを回収してゴミ箱替わりの木箱の中に入れる。

「で? 今日も訓練かい?」
「そのつもりだ」
「飽きないねえ」
「おまえも くだものうるの あきないだろ? それとおなじ」
「飽きたら生活が成り立たないからな……
「せんそうには でないのか」
「向いてないんだよ。」

 店主が頭を掻く。短く、綺麗に切り揃った金髪だ。

「向いてないからこうして店を構えてる。こっちの生活も案外悪くないんだよ?」
「そうか」
「戦争に出たいんだね、四枚羽は」
「うむ そして でんせつになる」
「大層な願いだ」
「しかしこれには もんだいてんがある」
「へぇ?」
「英雄譚になっても おれにはよめない」
「英雄譚にもなるつもりなのか……

 早くも二つ目のリンゴを食べ終わり、三つ目にとりかかる。

「吸血鬼をたおし、にんげんもほろぼし、えいゆうになる」
「人間は滅ぼしちゃだめだなぁ。……剣で吸血鬼を倒すのか」
「そうだ」

 リンゴをむしゃむしゃと咀嚼すれば、売り物にしても遜色ない果汁が口内を満たす。大きさこそ店売りに劣り、見た目もややくすんではいるリンゴだ。ほどこしを快く思わないハムだったが、この果物屋は嘘をつかず訳ありの果物をよこすので、まだ嫌ではなかった。

「剣術の道は厳しいんだろ?」
「うむ 吸血鬼にかてるみこみはない」
「分かってても挑むのか」
「それしかないからな」

 三つ目のリンゴの芯はきちんと店主に渡した。
 店主がくれたリンゴは五つだ。すぐに四つ目にとりかかる。

 店主はいつでも『こう言っちゃなんだけど』、と切り出すことができるだろう。近接戦闘しかできない天使は、戦争で勝つどころか、生き抜くことすら難しい。それほど吸血鬼の力は強大だった。
 しかし、このハムという天使は、剣を扱うしかなかった。魔法が一切使えなかったのだ。それを店主は以前聞いていた。その時は、きちんと『こう言っちゃなんだけど』と忠告したのだ。
『それでもやる、おれはかつ。』とハムは言った。

……今日まで何度も戦争に駆り出されて、それでも生きて帰ってくるんだから、実際にやれそうな気がしてくるね」
「きがするのではなく、やる」
「やれそうな気がしてくるね。もし吸血鬼に勝つようなことがあれば、店の果実全部をパフェにしたっていい」
「やれないとおもってないか?」

 じろ、と店主を睨む。

「まさか。……やれそうな気がするんだよ。ここまで生きてるってことは、天が味方してるって事だから」
「ふぅん。じゃあそのときは みせのざいことやらを くいつくしてやろう」
「仕入れが終わるまでしばらく閉店だな」

 店主は目を細め、四つ目を食べ終わったハムを見下ろしている。ハムの視線といえば五つ目のリンゴに向かい、さっそく一口目の跡を付けている。

「次の戦争に出る時はちゃんと挨拶しに来てくれよ」
「なんでだ?」
「急にふっといなくなったら寂しいから」
「そうなのか」
「ここで店やってるとあるのさ、いつも広場に来てた天使が戦争を境に一切やってこなくなることが。怪我ならいいけど、そうじゃないこともある」

 店主が少し羽を閉じ、遠いところを見る目で広場の向こうの青空を見ていた。

「せんそうでしねたら めいよだけどな」

 もぐもぐとしながらハムが店主を見上げた。

「そう思わない天使もいるってことだ」
「ふぅん……かわりものだな」
「四枚羽に言われたくないけどね?」
「そうか?」

 そうして五つ目のリンゴを食べ終わると、芯をぽいと店主に投げ渡す。それを掴んで、店主はゴミ箱に芯を入れた。

「訓練がんばって」
「うむ。」
「気を付けて」

 人口の少ない天界で、露店が混むことはめったにない。広場にはちらちらと天使が降り立っていたが、それぞれ別の商店へと向かっていく。あるいは、別の施設を目指して歩いていく者もいた。
 ハムもまた、ベンチから立って、訓練場への道を歩いた。

 訓練場へは歩いて数十分だ。飛べばもう少し早く着くのだが、訓練前に体力を使ってしまっては元も子もない。体があたたまるといえばそうなのだが、訓練に適した準備運動というものがある。

 訓練場の受付の前に立ち、受付カウンターの前で背伸びをしてぶんぶんと袖を振る。

「成人一名、ろくじかん」
「はいはい」

 挨拶無しの受付にも慣れたものだ、受付の天使が苦笑しながら名簿にハムの名前を書き入れる。

「六時間ですか。二時間ごとに休憩を必ず一時間は入れること」
「じかんがもったいないが?」
「仕方ありませんよ、規則ですから。体を壊しては賢い戦士とは言えませんよ」
「かしこくなくていい つよいせんしならいい」
「強い戦士というのは、賢くもあるのです」

 どうぞ、と入場の印であるペンダントを渡す。ハムはそれを受け取ると、首に掛けた。

「ちゃんと外から見てわかるように付けてください。これ言わせるの何度目です?」
「そうだった」
「上着の上からかけて」
「うむ。」

 再度掛け直し、それでよしと受付が確認する。

「武器はどうされます?」
「支給品を。長剣で」
「かしこまりました。では、武器庫からお取りください」
「わかった じゃあな」

 ふたたびぶんと袖を振り、四枚の羽根を揺らして武器庫へと向かう。受付は時計を確認し、「四枚羽さん、こっちから声かけないと休憩に入らないんですよね……」とため息をついていた。


 武器庫は静まり返っていた。ハム以外に天使の姿はない。
 さまざまな武器が黙って選ばれるのを待っていた。
 よく磨かれ、手入れされているというのに、やや鉄のにおいがする。武器がこの訓練場で正しく扱われてきた証だった。
 いくつかの長剣を手に取り、最も柄が馴染むものを持ち上げる。武器の相性を見定める力を彼は持っていた。より多くの近接武器を手にし、自分の手になじむものを探す。二十二年のうちに磨かれてきた実力だった。

 今日の相棒を決めれば、そのまま訓練場の舞台へと向かう。
 訓練場には屋根のある部分にいくらかの木人が置かれ、また素振りをしやすいようにある程度のスペースが確保されている。屋根のない広場では、晴れた日には試合が行われていた。
 戦い以外の娯楽を持つ天使がそれぞれの趣味を満喫する休日に、訓練場を訪れるものは少ない。ハムを含め、三人程度の天使が訓練を行っていた。
 戦闘を趣味とする天使同士は休日でもよく訓練場で出会うことになる。特に挨拶は交わさないが、なんとなく相手の存在を覚えている。

(いつもの魔法剣使いと、弓使いがひとりずつ、か)

 ちらりと彼らに目をやれば、彼らは自分の武器を黙々と奮っていた。剣が何もない空間を音を立てて裂き、遠くからは弓矢用の的を狙った矢がまっすぐに的へ飛び、突き立っている。
 同じ戦場に立ったことがあるかどうかを考えることがある。しかし、下級の天使である自分が、魔法と武器を併用できる彼らと横並びで戦えるかというとノーだろう。先鋒として立ち向かう自分達の後ろから、支援魔法を受けながら吸血鬼に立ち向かっているはずだ。

 空気を震わす武器と魔法の気配を感じながら、準備運動を終えて剣を取る。全員が横並びで戦う日が来るのだとすれば、いずれ自分が上位の天使の目にとまり、支援魔法を受けて戦う日を待つしかないだろう。

 訓練場、木人の前で剣を構える。
 短く息を吸った後、一歩踏み込み、真横一閃に薙ぎ払う。
 鈍い音を立て、木の欠片が宙に舞った。
 魔力で強化された的は破壊が難しい。吸血鬼の肉体はそうそう破壊できないからだ。天使の筋力をもって生まれる一閃ですぐに真っ二つになるのは、己の肉体を霧に変える魔法が趣味の吸血鬼か、人間くらいのものだろう。
 そのまま二度三度と剣を奮う。金属と木のぶつかるガツンという音が何度も響く。基本的な型を繰り返す四枚羽の剣術は、ともすれば舞に近しいところがあった。剣舞とは趣が違う。魅せるために振るうわけではない剣が、無駄のない動作で空気を割く様子は、見る者が見れば究極のものだった。――実戦ではまるで役に立たないのだが。

 役に立たない、誰に見せるわけでもない剣筋の価値は、ここにいる戦い好きの二人くらいしか知ることはないだろう。しかし言葉を交わすことはなく、お互いを見やることもない。時折彼らの視線、そして四枚羽の視線が他を向くことはあれど、視線が交わることはなかった。彼らはほぼ常に的を見ていたから。

 ひとつブレが見つかれば、その型を繰り返し練習する。
 適切な重心で体重をかけ、最も効率よく剣を振る。
 満足すれば次の型に移る。
 一通り確認すれば、それらを組み合わせた剣術に変えていく。
 その繰り返しである。

 もし他の天使と同じくらいの力があれば、と思う。
 もし力があるのなら、多少は太刀打ちできるのかもしれない。
 天使は生まれつき、人間を凌駕する戦闘能力を持っていた。
 人間が束になってかかってようやく倒せるか、程度の能力だ。

 しかし、ハムにはそれがなかった。
 どうしてそう生まれてしまったのかは、彼にはわからない。
 それでも、一対一で人間に引けを取ることはそうそうなかった。
 フェアな戦いであれば、だが。

 ふと自分の手が止まっていたことに気づく。どうして、という感情に囚われている場合ではない。再び剣を握り直し、構え、的に一太刀食らわせたところで。

 からん、と訓練場にベルの音が響く。

「訓練場をご利用の皆様、休憩の時間です。武器を指定の場所に置き、休憩室に移動してください」

 もう二時間経ったのか。顔を上げて時計を見れば、たしかに長針がさきほどよりも動いている気がする。きっとふたつぶん動いたのだろうな、と考えながら、武器を置いて休憩室に向かう。

 額の汗をぬぐいながら休憩室の入り口をくぐる。
 休憩室は訓練場から歩いて数分のところにあり、よく換気がなされていた。管理を任されている天使がハムに気づくと、カウンターの向こうでコップに冷水を注ぐ。ハムはカウンターの前で待ち、部屋をぐるりと見渡していた。
 いつも通りの木造りの壁。掲示板には、なんと書いてあるのかわからない紙がたくさん貼られている。
 カウンターの向こうの天使が「どうぞ」と水を差しだせば、そちらを向いてコップを受け取る。そして一気に飲み干すと、空になったコップをカウンターに置いた。向こうの天使は無言のおかわりコールを意に介さず、さらに水をそそぐと、ハムはコップを持って部屋に並ぶ長机に向かっていった。

 彼らの間で言葉が交わされることはほとんどない。お互いに戦闘のスタイルが違うこともあるし、もとより交流を得意とする天使ではなかったからだ。ハムも他のふたりも、思い思いに水を飲んだり、少し早めの軽食を摂ったりしていた。
 この空間を、四枚羽は好いていた。二人とも、彼から見て強かったし、努力を欠かさない姿勢は嫌いではなかったからだ。他の二人から見れば、自分は天使らしからぬ戦い方をしているのだ、好意的に見てもらえているとは思わなかったが。それでも馬鹿にしてきたり、見下してくる様子はなく……なにより口を出してこないのがよかった。

 ハムには魔力がない。それを知らない天使が口を出してくることは少なくなかった。『そんなに剣の技術が磨き上げられているのに、なぜ魔法を使わないのだ』と。あるいは直球に、『魔法を使ったほうが生き残れる』と。
 生まれつき多量の魔力を持つ天使という種族にとって、ただ剣技のみを磨くというのは、戦争に役立たない趣味とみなされることも多く、そのたびにハムは顔をしかめ、袖をびしびしと相手にぶつけていた。
 いまや彼に魔力がないことは、新しく生まれる天使以外には広く知られ、剣の技術がただの酔狂ではないことが理解されつつある。しかし、それで勝てるかと言えば別の話なのだが。

(戦果をあげることができれば、多少はやくにたてるだろうに)

 近接戦闘で支援魔法を受けられるのは、ハムのような取るに足らない天使が吸血鬼にぶつかった後の天使たちなのだ。戦果を上げれば上げるほど受ける支援は増え、生き残ることも勝利に近づくこともできる。
 魔力のないハムにとって、支援魔法を受けることは一筋の希望なのだった。

(ないものねだりという言葉は、こういうときにも使うのだろうか)

 そんなことを考えながら、開け放した窓の外を見る。
 特に言葉の浮かばない休憩室には、受付の天使が食器を片付けるかちゃかちゃという音が響いていた。

 やがて、からんとベルが鳴る。

「休憩時間は終了です。訓練場を解放します」

 そんなアナウンスが流れ、休憩をしていた天使たちが椅子から立ち上がる。肩を回したり軽く羽ばたいたり、思い思いのしぐさを見せて部屋を出ていく。ハムも空になったコップを受付のカウンターに置き、狭い歩幅で休憩室を出ていった。

 それを繰り返すこと二回目。

「カーマイン。めしをくれ」

 休憩室のカウンターで、水の入ったコップを受け取りつつ、ハムが空いた手をぶんぶん振って昼飯をリクエストしている。

「はい昼ごはんね。銀貨何枚分?」
……はちまい」
「じゃ、八枚にふさわしいのを作るから。ちょっと待ってて」

 カウンターのトレイに銀貨がちゃりんと落ちる。受付の天使はそれをカウンターの下に仕舞うと、他の天使からもリクエストを募った。訓練所に併設された休憩室では、出された銀貨分にふさわしい量の食事が出てくる決まりになっていた。メニューは日替わり。今日は三人分しか作らないから、ある程度豪華なものが出てくるだろう。

 このハムという天使は……驚くほど食べる! ただそれに見合うクレジットを持っていないから頼めないだけで。この場では、銀貨八枚はそれなりの量になる。こうして訓練場に人が少ないときに大量に頼むことで、質のよい食事を大量に食べることができるのだ。
 調理が終われば、それぞれの名前が呼ばれ、一人前の料理を受け取ることになる。
 ハムの前に出てくるのも一人前だ。しかしここからが大食いの本領発揮である。ものすごい早さで平らげ、そしておかわりをここから最低五回はするのだ。それも、受付の善意でやや大盛にしてもらったものを。
 今日のメニューはオムライスにスープ、サラダと豪華なものだ。チキンライスにはチキンがごろごろと入っていた。質より量と言い切る気はないが、腹が満たせれば満足感はより強くなる。レストランで質のいい料理を少し食べるよりは、ここで心行くまで食べるほうが彼の価値観にあっているのだ。

 おかわりを繰り返そうとも、同室の二人はもう驚きはしない。……というよりも、彼らも武闘派であるせいか、そこそこ食べる。受付の天使が休憩時間の間ずっと料理を作り続けるハメになる程度には。
 彼らは黙々と料理を食べ進め、しばらく休憩室は調理と食事の音だけになる。ハムの休日の常なる光景だ。目が覚めて朝食を済ませてから、しばらく剣を振る音と食事の音だけが聞こえてくる。人間の街に住んでいればこうはならないのだろうが、天界では一人を好む天使が一切会話をしない休日を送ることはめずらしくない。彼らはお互いのプライベートに口を出すことが少ないのだ。

 最後の一皿のオムライスを食べ進めながら、開けっ放しの窓から穏やかに吹き込む風をあびる。いつ戦争が起きるとも知れない天使達の世界で、休日は吸血鬼との戦いがないと約束された唯一の時間だった。
 吸血鬼から天使への宣戦布告はめったにない。若い吸血鬼がきまぐれに天使で遊ぶときくらいだ。休日の休戦について、吸血鬼とは暗黙の了解が成立している。
 このいびつな日常に、天使達は疑問を抱いていない。もともとそうして生まれてきて、そうして生きてきたからだ。
『われわれは戦うために生まれてきた』
『休日は一切の戦いを禁ずる』
 そうした常識が定着し、異を唱えるものはいない。それを定めたのが彼らの仕える神なのか、それとも天使達自身が決めたのかはすでにあいまいになってしまった。ただそういった日々が続いていた。
 天界は狭い。そして、人間界との交流があるのは上層部だけである。ハムのような一兵卒が人間や外部の常識に触れる機会は、ない。

 皿の上に残った米の一粒も惜しんでスプーンでかき集めれば、わずかなケチャップと共に口に含む。あっという間に食べ終わってしまった昼飯の食器を受付に戻し、長めの休憩時間を過ごす。
『水分を取るように』と受付の天使に気を回され、彼らはコップを傍に置き思い思いの時間を過ごしていた。といっても、ほとんどがイメージトレーニングの真っ只中であるが。

 頬杖をついて窓の外を眺める。昼飯の消化を待つ間、あたたかな日差しが差し込むせいで、うつらうつらとしてくる。とろんと落ちてくる瞼をこすり、手から落ちそうになる顎を手のひらに引っ掛けておく。
 寝たら夢を見るのだ。それが嫌な夢だったら、残り半日を生きる気分ではなくなってしまう。
 ぼーっとしていると、自然と羽が半開きになっていく。ふわふわとした羽毛が午後の日光にさらされ、毛先の輪郭を照らしていた。

 頬杖を突く気力もやや薄れていき、長机にぺしょ、と伏せる。本当に眠ってしまいそうだ。眠ったところで他人に怒られはしないが、訓練の時間に遅れてしまったらもったいない。そしてやはり嫌な夢は見たくないのだ。それにしたって背をあたためる陽光は心地よい。満腹感がさらに眠気を誘い、無暗にぱたぱたと振られる四枚の羽だけが覚醒を示していた。

「おい」

 と声が聞こえる。最初は受付に話しかけている声だと考えていた。

「おい。四枚羽」

 そこでようやく顔を声のほうに傾ける。長い袖に隠れていた青緑の眼が片方、声の主を見上げた。先ほど訓練場にいた、魔法剣使いの天使だった。

「なんだよ」
「先日の戦。お前、また生きて帰ってきたんだな?」
「とうぜんだ、ほかならぬ おれだぞ」
「戦場は西の森だったな?」
「そんなふうに きいたおぼえがある。……うむ、森だった」
「西の森の吸血鬼。得物はなんだった」

 魔法剣を使う天使と言葉を交わすのは、初めてではない。こうして戦争や戦闘の話をすることはしばしばあった。

「曲刀だったかな。」
「ふむ……
「ありゃてかげんしてたな。おれらのうしろにいる つよいやつとのたたかいを こころまちにしているようだった。おれらより、うしろのひがいが じんだい……だったとか」

 体を起こし、机越しに立っている相手に「まあすわれ」、と袖を振る。

「相手の戦術についてはあらかじめ周知されていたのか?」
「されてた。だからうしろには、せいえいとやらが あつまってた」
「死者は出なかったそうだな」
「そうだ。だから、てかげんしてたとおもう」

 両腕をぺたんと机の上に置き、腕を組んで顎を乗せる。一方相手は位の高い天使なのか、背筋をまっすぐと伸ばし毅然としていた。

「戦いを趣味とする吸血鬼……
「たぶんそう しゅみではあるが、あそびではなさそうだ」
「お前から見ても、か」
「おう。あそびであそこまで 剣技がみがかれるとは おもえん」

 ため息に似た息を吐く。

「たぶん、おまえなら 見向きされるんじゃないか」
「お前は?」
「あんまり きょうみなさそうにみえた」

 相手はじっとハムを見下ろしている。そして、ふっと息を付いた。そうして腕を組み、視線を窓の外へとやった。

「理不尽だな、生まれというものは」
「うむ」

 神よ、なぜわたしに力をくださらなかったのですか。
 そう何度も繰り返している。
 目の前の魔法剣使いが何を考えているのかはハムにはわからなかったが、なにか自分のことについて考えているのではないか、という気がした。

「ジェイドはしぬなよ」
「死ぬ気はないが」
「ここにいるのが すくなくなるのは やだ」
「こちらのセリフだ。」

 ちらりと弓使いに目をやる。
 彼はコップに口を付けながら、どことも言えない場所に視線を向けていた。そちらを見てみたが、壁以外にはなにもなかった。

「レベッカもしぬなよ」

 弓使いに目をやる。弓使いはややむっとした表情を見せた。

「死なないって」
「いまきめた。これがおわったら エドウィンのはかまいりにいく。いいな おまえらもこい」

 からんとベルが鳴る。訓練再開の合図だ。
 特に異議は唱えられない。訓練場は、再び静けさを取り戻した。


 天使は基本的に火葬される。天界には土葬に向くほどの大地がないからだ。空に広がる星座図のような円盤の上に、何人もの遺体を埋めるための土を運ぶのは難しい。
 上級の天使となれば、骨をうずめるための立派な墓が建つこともある。しかし、訓練場に通う三人のような末端から中堅のような天使達は、集合墓地に骨の一部を埋められるのが常だった。吸血鬼に破壊されていない部分、あるいは残っている一部分を焼き、骨にし、埋めるのだ。それが翼であればなお良い、とされていた。天使にとって、翼は心臓と同じくらい大事な器官であった。

 エドウィンと呼ばれる天使もまた、ハムや他の二人と同じく、集合墓地に埋められる側の天使であった。数年前の出来事となると、天使の寿命を考えれば、まだ記憶に新しい。
 天使の平均寿命は短い。こうして若いうちに戦い、命を落とすからだ。三人はまだ悪運に恵まれているほうだった。エドウィンは、天使としての使命を正しく全うしたのである。

 墓地は街からやや離れたところにあった。三人はだまってレンガ敷きの道を歩いた。天使たちにとっての墓参りは、赴くことそのものにあった。

 丘のように土が盛られた墓地には柵が立てられており、踏み入ることはもちろん上空を横切ることも禁止されていた。眠りを妨げないためである。自然と言葉も出なくなり、三人はただ芝生に覆われた丘を眺めるのみとなっていた。
 何人の天使がさらなる天に還っただろう。やがて魂は樹に集まり、ふたたび卵になると言われるのが常だった。しかし、そうして転生した天使に出会えたことは一度もない。何人もの知人が命を落とし、幾人かの天使が生まれ、そこに共通の記憶はなかった。きっとエドウィンと呼ばれる天使と再会することはないだろう、と、三人は思っている。

 骨が丘のどこに埋められているのかは定かではない。戦争があるたびに丘は高くなり、あるいは増えて、死者の数を思い知ることになる。

「それで? 四枚羽はなんで花を買った?」

 弓使いがハムの持った白薔薇を見下ろしている。

「人間は、死者に花をたむけるんだそうだ」
「人間の文化を模倣するのか? よりによってお前が?」
「なんのいみがあるのかは しらん。しかし、死者になにもあたえられないよりは、よいきがする」

 丘の前に花を置きっぱなしにしたら、掃除されてしまうのは目に見えているのだが。そこに込められた意味を理解しているわけではないが、死者のために金を払ってものを買う、というのは、なんとなくハムにとって思うところがあるらしい。

 目を凝らせば、いなくなった仲間の顔が浮かぶ。

(名前を教えてくれてありがとう、エドウィン)

 そんな言葉が浮かんだ。
(おかげで、二人の名前も知れた。名前を呼び合うのは案外悪くないものだ、俺以外は、だけれど)

 魂が樹々と卵に還るのだとすれば、彼の魂もすでにここにはないはずなのだが。神話、宗教、そういったものを越えて、なにかが天使達に同族への祈りをもたらす。

 白薔薇をひょいと柵の手前に置いて。

「おれは まんぞくしたが? おまえらは?」
「声が大きいぞ」

 二人が大丈夫だと伝えれば、ハムが丘に背を向けて帰路をたどる。本来であれば、戦争で命を落とす名誉を讃えるべきなのだろう。天使たちはそう教えられてきた。しかし、それではどうにもしっくりこない関係というものが生まれることもある。三人にとって、そういう天使が一人いたのだ。

 いずれまた戦争が起きれば、火葬場からの煙は絶えず、丘がまた一つ高くなるか、あるいは増えるかするだろう。その時、おそらく戦友と言えたその天使の骨がどこにあるのか、わからなくなっていくはずだ。
 いくら“上”から有象無象として扱われようと、有象無象にもひとつずつ意志があるのだ。命令には従う。神話を信じる。戦争に出る。それは全て同じである。同じ中で、名前も記憶も経歴も違う一個一個が、疑問と納得を抱えながら生きていた。

 墓参りを終えればジェイド、レベッカと呼ばれた天使と分かれ、もう閉じる訓練場に滑り込み、休憩所に乗り込んで夕飯を作ってもらう。それがハムの休日の終盤だった。さすがに五杯のオムライスを強請ったりはしないが、格安で食事を出してもらえるのは休憩所が一番適していた。
 受付の天使がその日の余り物で出来立ての夕飯を出してくれる。たとえそれがミルク粥であろうと、野菜の切れ端を炒めただけのものであろうと、文句を言わずに食べる。そして銀貨を一枚渡して、帰る。

 広場に天使の姿は少なく、露店もすでに引き払っている。そう固くもない靴底でぺたぺたとレンガの道を歩き、読めない看板をちらちらと横目で見ながら、休日を終えていく天使達の存在を確かめる。

 寮に帰れば、シャワーを浴びて眠るだけだ。
 それがハムにとって、一番の負担だった。
 シャワーを浴びるまではいい。浴びなければより不快な晩を送ることになる。問題は夢だ。

 夜の支度を終えれば、寝巻に着替えてベッドに横たわる。膝を抱え、背を丸め、ゆらゆらと羽を揺らす。月光は銀の髪を細く淡く照らし、無音の部屋の中、夜だけが満ちていた。

 天使の輪がゆるやかに輝きを失っていく。伏せがちになった眼と、銀色のまつげ。両ひざをしっかりと抱いて、夢のさざなみが打ち寄せるのを待つ。

 どうして力を与えてくださらなかったんですか。
 どうして銀の髪で生まれたんですか。
 どうして四枚の羽根で生まれたんですか。

 神を恨む天使がいていいはずがない。しかし、神を信じるには少々酷な道を歩んできた。もっとも憎むべきは人間であるが、それにしたってもう少し楽な道もあったろう。
 天使とて眠らねば死が近づく。集中力の途切れが戦場での気のゆるみに繋がるからだ。だから、眠らなければならない。
 瞼を閉じる。今日感じるのは痛みか、それとも別の感触か。
 神を恨み、そして願う。神様どうか今日は夢を見ない晩でありますように。夢に人間がでてきませんように。
 願っているうちに、眠りはやってきて――

 ――小さく唸り声がする。痛みのせいか、それ以外のせいかわからない。ぴく、と指が動いて、膝を軽く引っ?いた。
 神様どうか今日は夢を見ない晩でありますように。その願いが聞き届けられているのなら、ここまで神の存在を疑うこともなかっただろう。神に仕えるのが天使なら、神だって天使のことを少しくらい考えてくれたっていい。そう思うのは、身勝手なのだろうか。
 瞼の間からぽろと涙がこぼれる。それは頬を伝い、枕の布地に染み込み、消えた。

 夜が更けていく。多くの天使が休日を終え、いつ始まるかわからない戦争に向けて刃を研ぐだろう。それは四枚羽も同じである。戦争をあきらめた天使達も、兵士のために祈ることになる。

 彼が暮らすのは、狭い、狭い世界だった。――今、その時までは。