Ymi:no
2026-02-18 20:38:19
3171文字
Public ビマヨダ小話
 

可愛い毛玉と物騒なご主人様

ポメビとヨダナが家族になるまでの物語

 加賀浦かがうら財閥の長男に生まれた夜奈ヨナ(ドゥリーヨダナ)はトップとしての輝かしい手腕や実績に比べ、まるで一般人のように街に溶け込むことを趣味としていた。別に庶民になりたいとかではなく、そうやって遊ぶのが一種の息抜きになっていたのだ。数多の人々が行き交う大通りの雑多な雰囲気も、せせらぎの聞こえる河川敷のまったりとした空気も、同じようにヨナの張り詰めた心に小さな息吹を与える。ときおり親友たちを誘い出し、やいのやいのと歩くのもまた違った趣きがあった。

 その日もいつものように見慣れた河川敷を歩いていると、背中にドンッとそれなりの衝撃が走った。あんまりにもあんまりな痛みに驚き振り向くが、辺りには人影のひとつも見当たらない。
「な、な、な、なんだぁ……?! 誰もおらんではないか……!」
 全くもって意味の分からない状況に、思わず心の声を口に出してしまう。幽霊のような非科学的なものは信じていないが、この不自然な状況を説明できるものもなかった。
「きゃぅん!」
 ……足元から、動物の鳴き声がするまでは。
…………子犬ぅ?」
 それは随分と小さく、珍しい紫のふさふさ毛に覆われた犬っころだった。巷で人気のポメラニアンというやつだ。散々末妹の犬カフェ通いに付き合わされ、様々な犬種を見てきたヨナには簡単に区別がついた。
「もしかして……お前か?」
 背中の痛みに顔を顰め、子犬を見下ろす。ほぼほぼ弾丸のようなスピードで飛んできたことになるが、他の可能性がない以上、消去法でそういうことになってしまう。
「きゅぅん!」
 言葉を理解しているのかそうでないのか、子犬が元気よく鳴き声を返す。推定年齢よりよっぽど元気そうな毛玉に、思わずため息が漏れる。この紫の毛玉が背中を打ったので間違いなさそうだった。
「全く躾のなっておらん野良犬はこれだから……
 がさごそと持っていた鞄を漁り、ひとつの袋を取り出す。それは犬好きが高じて遂に小型犬を飼い始めた妹へ、土産にと買ったドッグフードだった。このポメラニアンも小型犬で、年頃も同じくらいなので丁度いいだろう。新品の開け口を豪快に開き、外側へくるくると折り込んでいく。こうすると袋がそのまま皿代わりになるのだ。
 なんだかんだと文句をたれる割に、親友からは「旦那も似たり寄ったりっつうか……犬好きなんだろ? 認めたがらねぇけどよォ」などと言われており、ヨナ自身は否定しているものの、末妹に負けず劣らずの犬好きであった。
「お前が何度拝み倒しても食べられない高級品だぞ〜? 元気玉らしくたくさん食べるといい」
 目の前に袋を置いてやれば、子犬がきらきらとした目でヨナを見つめ、しっぽをちぎれんばかりに振り回す。野生でありながら、〝待て〟をする姿にヨナの好感メーターが急上昇する。……ヨナが犬を好む理由に、従順さがあることは言うまでもないだろう。
 ずいっと袋を押し出してやれば、〝よし〟という言外の命令を聞き取ったのか、子犬が凄まじい勢いでペットフードを食べ始める。それをしゃがんだまま、肩肘をついて見守った。
 この辺りは人の手も十分に入っており、食料らしい食料は川の中にいるかいないかといった具合である。なぜ野良犬がいるのかは不明だが、母犬がいないことも鑑みれば、やはり腹が減っていたのだろうと思う。
「うむうむ、よく食べて……いや、食べすぎではないか……? その小さい身体のどこに収まったというのだ…………
 ゆうに大袋ひとつを完食した子犬に、ひぇっと悲鳴が漏れる。もしかしたらこの子犬は、胃袋が四次元でできているのかもしれない。
……まあよいか。元気があるのは悪くなかろうて」
 空になった袋を持ち上げ、軽く捻って鞄に戻す。目の前の子犬は満足したのか、くぅんきゅぅんと嬉しそうに鳴いている。たまにはこんな日があってもいいだろう。
 少し痺れた足をゆっくり伸ばしながら、立ち上がる。餌を与えたことですっかり懐かれたのか、ヨダナが歩き出すと子犬もトコトコついてくる。しばらくは河川敷を一人と一匹で歩き、いつもとは違った景色を楽しむこととなったのだった。

❀❀❀

 その日を境に、ヨナが河川敷を歩いていると、どこからともなく子犬が弾丸のように飛んでくるようになった。ヨナも毎日餌をやりつつ、たまに河川敷を一緒に走ったり(弾丸毛玉が早すぎていつも置いていかれる)、おもちゃを持ってきて遊んでやったり(先にヨダナがバテる)と、なんやかんや可愛がっていた。
 そしてそろそろ責任者兼保護者として、この愛らしい紫の毛玉を引き取るべきだろうと思い始めていた矢先、事態は思わぬ方向へ転がってみせたのだった。
 ヨナがいつものように河川敷を歩いていると、なぜかいつまで経っても子犬が現れない。端から端を二往復してもあの元気玉が飛んで来ず、背中に走った怖気に駆り立てられるように河川敷を探し回った。
 そういえばあの子犬がどこを塒にしているのか、全く確認していなかった。あの元気さゆえに、明日も明後日も変わらず会えるものだと誤認していた。野生は時に、何もかもに厳しいことをすっかり失念していたのだ。
「おいッ! お〜〜〜〜いッ! 犬っころ、どこにおるのだ!!」
 整地された河川敷の茂みなんてたかが知れているが、そのひとつひとつを掻き分け、あの珍しい紫がないか見て回る。どこにも足跡すら残っておらず、段々と空の色があやしくなるのも相俟って、ヨダナの不安も益々強くなっていく。
「はぁっ、はぁ、けほ、こほっ、」
 立ち上る土煙に噎せながら、それでもとにかく足を動かした。
「あとは……ここか……
 やがてぽつぽつと雨が降り始め、地面に暗く斑模様が広がっていく。そうして雨に打たれながら、ヨナが最後に足を止めたのは、河川敷に架かった橋の下だった。唯一雨風の防げそうなここは、ヨナの心情的にも最後の砦であった。
 もしもここにあの子犬がいなかったら。肩入れしすぎた自覚があるだけに、いつも通りでいられるかヨナは自信がなかった。
 一歩、二歩と橋へ近づいていく 何ひとつとして見落とすまいと、全身の神経を研ぎ澄ませて慎重に進んだ。
「きゅぅ、きゅー……
「そこにいるのか……?!」
 微かにだが、あの子犬の鳴き声が聞こえた。しかし随分と衰弱している様子に、じんわりと脂汗が滲む。昨日までは間違いなくいつもの元気玉だった。それがなぜ。
 果たして紫の毛玉は見つかった。隅に追いやるように置かれた横倒しのダンボールを小屋にして、その中で血まみれの身体を抱えて震えていた。
――――――――ッ!!」
 そっと傍へしゃがみこみ、着ていたジャケットをタオル代わりにして子犬を抱きかかえる。
「きゅぅん……、くぅん……
 すんすんと鼻を鳴らしながら、弱々しくもヨナに擦り寄る姿に、ぶちんと血管が切れる音がした。これは明らかに人為的につけられた傷だった。きっとこの人懐こい毛玉はいつものように他人に懐き、……恐らくそのままサンドバッグにされたのだろう。
 腹癒せか何か知らないが、ヨナのものに手を出そうとは恐れ入る。ぜひ己の人生を潰してくださいと、自ら身を差し出すに等しいというのに。
――……ウム、河川敷まで頼む。それと子犬の病院をだな……
 片手で子犬を抱えたまま、スマホで傍付きを呼び車と病院を手配する。
 ――かくして最速で名医の元へ運ばれた子犬は、ヨナに引き取られた後に甲斐甲斐しく世話をされ、後遺症もなく加賀浦家の一員となったのであった。
 ちなみに子犬をサンドバッグにした輩は後日特定され、ヨナによって徹底的に甚振られたことを明記しておく。彼は今頃、檻付きの病院で楽しく暮らしていることだろう。