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エス
2026-02-18 14:03:48
10889文字
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あきちゃった。
マイ武になる予定でした。
東卍の姫が屋上で歌うシーンまでたどり着きませんでした。
花垣武道十四歳。現在中学二年生。品行方正とは言い難くも、平和な日々を過ごしていた。尤も、平和の基準が人よりズレていた。棺桶に片足突っ込まなければよし。この程度の認識である。ちょっとくらいの警察沙汰は仕方ないし、病院とはお友達。それでも割と心安らかに過ごしていた。何と言っても大きな心配事が消えつつあるからである。このままいけば、知り合い全員生存エンドを迎えられそうだったのだ。もう、死ななければ、多少の事は目を瞑るくらいの気持ちだった。毎日楽しいなあ。よって、東京卍會総長代理の機嫌は、大抵悪くないわけである。ただ、そうして楽観視している時ほど、問題事は降って湧いてくるものなのだ。
「あの、代理、ちょっと聞きたい事があるんですけど」
話しかけられたのは、まさかの校内だった。特攻服も着ておらず、普通に制服姿だった。場所が場所なので当然である。話しかけてきた相手を見て、何番隊の誰だっけ、と、そんな事を考えていた。
「何?」
軽く聞き返しながら、校内で代理って呼びかけるの禁止しようかなとも思った。ちょっと恥ずかしかったのだ。外のノリを内に持ち込むのもな、とか、いや、この場合内のノリを外に持ち込んでるんだろうか、とか、どうでもいい事を考えながら待っていた。相手が中々切り出さないのだ。まさか面倒事。此処へ来てようやく、その可能性に思い至った。そもそも、総長代理である自分に持ち掛けてくる話である。滅茶苦茶嫌な話だったらどうしよ。どこぞの隊長が、誰かを病院送りにしたとか。いや、いつもだな。じゃあいいや。武道の結論は早かった。考えるのが苦手なのだ。
「あの、実は、」
やっと話し出したな。少しウンザリしながら、うんうん、と、親し気に頷いてやった。
「東卍に、姫がいるって聞いたんですけどホントですか」
「なんて?」
咄嗟に聞き返してしまったし、何なら間抜け面まで晒してしまった。ちょっと、いや、大分意味が分からなかったので。東卍に姫。初耳である。そもそも姫って何? プリンセスである。いるわけない。いや、待て。武道は冷静になった。いるって聞いた。つまり、誰かがいると言ったのだ。そして気付く。いた。
「千壽じゃね?」
やはり、結論は早かった。
「瓦城さんすか」
「だって、他に女子いないし」
そうなのだ。東京卍會は男所帯である。その中で唯一、瓦城千咒だけが女子であった。つまり、普通に考えて、姫とは彼女である。疑う余地なし。どう考えても姫って柄じゃないけど、と、本人に伝えたら暴力が返ってきそうな事をついでに思っていた。
「じゃあ、総長と付き合ってるって事ですか?」
「なんて?」
また訳の分からない話が出てきた。案の定、武道は呆けたのだ。何故東卍の姫=総長とお付き合いしているになるのか、全く理解出来なかったのだ。
「いやなんか、総長が彼女の事、東卍の姫だって宣言したって
……
」
「紹介されてないんですけど」
言った後から思った。親かオレは。
「んで、なんか、東卍で守ろうって決めたとかって
……
」
「公私混同にも程があるだろ」
言った後から思った。ちょっと頭よさげな事言ったな、オレ。
兎に角すべてが初耳だった。東京卍會総長代理なのに。これはおかしい。噂にしてもおかしい。出所は何処の誰で、一体何を狙っているのかと言う話である。後本当に、佐野万次郎が、明司千壽とお付き合いしていないとは、言えなくもない。幼馴染だし、うっかりそう言うルートに突入する事もないとは言えない。いやマジで? 聞いてないんですけど? 最終的に武道の思考は、除け者にされたら嫌だな、と、言うところに行き着いていた。今世で一番佐野万次郎と仲が良い自信があったのだ。
これはもう確かめる他ない。
事実だったら、内緒にしてるなんて酷いって泣き喚こう。
この時僅かでも冷静さを持ち合わせていたなら、分かった筈である。佐野万次郎が、東京卍會の総長としての宣言を出す場に、総長代理がいない筈がない事を。
放課後、武道は携帯に向かって大声を出していた。
「場地君暇ですか!」
佐野万次郎と、明司千壽の仲を確認する。その場には、他の幼馴染もいた方がいいとの判断である。勝手に。
『何だよ。喧嘩か?』
「喧嘩よりもっと面白いかもしれません」
『行くわ』
場地圭介を呼び出すのは意外と簡単である。喧嘩か、猫、もしくは、必死に頼み込めば嫌々ながら来てくれるわけである。尚、待ち合わせ場所は明司春千夜の家にした。勝手に。
「あーかしくーん、あそびま、」
「せん」
応えと同時にドアが開いた。明司春千夜はツンデレなのだ。
「武道は分かる。何で場地?」
「武道が、喧嘩より面白れぇ事があるって」
「ねえだろ」
「あるんすよ」
花垣武道の自信満々な様は、明司春千夜から渋面を引き出すに十分であった。とはいえ、此処で追い返す春千夜でもないのだ。渋々、家の中へと入れた。ツンデレなので。
「場地、分かってると思うが、武道の面白いには期待すんなよ」
「わあってるよ」
「えっ、場地君オレの話を信じてついてきてくれたんじゃないんですか!?」
「信じるも何もまだ聞いてねえし」
「そりゃそう」
何せ、明司家に辿り着いただけである。完全に二人の武道を見る目は冷めていた。此処までの人生で、何度もこんな事ありましたと言わんばかりの慣れを見せつけている。だが武道はめげなかった。
これ聞いたら絶対驚くんだから。
自信満々に口を開いた。
「明司君、千壽とマイキー君が付き合ってるってホントですか!」
「馬鹿? 馬鹿だったわ。武道はずっと馬鹿だった。馬鹿、ホント馬鹿。有り得ねえだろこの馬鹿」
「言い過ぎじゃない!?」
春千夜の眼差しはこの上なく冷たかった。大寒を彷彿とさせる冷たさだった。此処だけ真冬。横で聞いていた場地が、退屈そうに欠伸をした。
「流石にオレも其処まで馬鹿連呼されたことねえわ」
「言っとくけど、場地の馬鹿と武道の馬鹿は方向性が違ぇから」
「ア?」
「喧嘩は止めてオレの話を聞いて下さい」
「未だ始まってもねえよ」
「始めないでって言ってんの!」
一際大きく武道が声を上げたため、一瞬静寂が満ちた。仕切り直しの空気は整ったのだ。一呼吸の後、春千夜が切り出した。
「で、何でそんな馬鹿なこと言い出したんだこの馬鹿は」
「そろそろ馬鹿禁止にして貰って良いですか。いやあの、今日聞かれたんスよ学校で」
「千壽とマイキーが付き合ってんのかって? 否定しただろ?」
「いやその、前振りがあって」
「付き合う前振りって何だよ、交換日記とかかよ」
「いやそっちの前振りじゃなくて、話の前振り、」
「オイ場地黙れよ馬鹿だから話進まねえじゃねえかよ」
「ア?」
「喧嘩は後でお願いします! なんか、東卍に姫がいるんですって!!」
「は?」
珍しく、本当に珍しく、場地と春千夜は似たような表情で、全く同じ言葉を同時に吐いたのだった。気持ちは分かる。武道だって聞いた時は、呆けたのだ。意味が分からな過ぎて。
「姫ってなんだ?」
場地の質問は尤もだった。寧ろ此方が聞きたいくらいである。
「だからあの、姫って言ったら女子じゃないですか。だから、千壽しかいねえじゃんて思ったんですよね」
「オマエさあ、アレの何処が姫だよ。女は皆姫だとか思ってんのか? 現実見ろよ現実」
「お宅の妹さん可愛いですけど!?」
「ハア? オレの方が美人だろうが」
「なんでこの人妹と張り合うの?」
「馬鹿だからだろ」
「死んでも場地に言われたくない台詞すぎて死ぬ」
「死ねよ」
「殺す」
「はい、殺し合いも一旦後にしてもらって、でも現実問題、東卍の姫って言ったら、千壽一択じゃないですか」
「オレの可能性も八十パーセントくらいあるだろ」
「ねえよ。いい加減張り合うのやめて下さい」
どこの世界に妹と何方が美人か張り合う兄がいると言うのか。残念此処にいました。別に春千夜とて、始終張り合っているわけでもないし、はっきり言えば仲の良い相手の前でしかこのような事は言わないのだ。勿論本気で己の方が妹より可愛いと思っているわけでもないし、美人だとは五パーセントくらいは思っているが、その程度である。面倒な兄だった。
このままだと話が終わらない。いや、進まない。それを危惧したわけでは絶対にないだろうに、場地が確信をついた事を言った。
「ンで、何でそれが、マイキーと付き合ってるになるんだ?」
そう、問題は其処である。武道は意を決した。これを言うのは、中々勇気がいるのだ。
「総長が、彼女の事を、東卍の姫だって宣言したそうなんです。だから、東卍で守ろうって
……
」
言いながら思った。
言わねえだろ。
冷静に考えたら分かる。
佐野万次郎、絶対そんな事言わない。
大体もし相手が明司千壽だとして、守る必要がある女子では絶対にない。何せ、武道より確実に強いのだ。
沈黙が降りた。場地と春千夜が心底冷めきった目で、武道を見ている。
「で、オマエそれ、直接聞いたわけ?」
「や、ちょっと、聞いてない、スね
……
」
「場地は?」
「聞いてねえ」
「オレも聞いてねえんだよな。嘘じゃねえか! 騙されんじゃねえよ!」
全く以てその通りである。総長代理も、壱番隊の隊長も、伍番隊の隊長も聞いていないならば、つまりそれは無いのである。武道は慌てた。このままでは痛い目に遭わされる事は確実である。幼馴染だからと言って容赦してくれる相手ではないのだ。
「で、でもですよ、誰がそんな事を何の目的があって言ったのかって話にはなりませんか!?」
突然総長代理が真っ当な事を口走ったので、壱番隊と伍番隊の隊長は目を丸くしたのだ。出来の悪い子が時折見せる冴えは、人を十二分に驚かせるわけである。
「まあ、確かに? 意味分かんねえもんな」
「そうでしょ? そうでしょ?」
「で、オマエはオレにそれを調べろって言いに来た訳?」
「えっ?」
明司春千夜の一言に武道は思い切り呆けてしまった。思いもよらぬことを言われたからである。その様に春千夜は眉根を寄せ、ついでに拳を脳天に落としたのだった。
「違ぇのかよ!! 何のために来たんだよ!」
明司春千夜、東京卍會伍番隊隊長である。伍番隊は特務隊である。諜報だの何だの、内輪揉めも許されるし、風紀委員的な一面もある。よって、総長代理として出所不明の噂の真相を突き止めろと、そう、指示をしにきたと思ったのだ。残念ながら、花垣武道はそこまで賢くなかったのだった。
「いやあの、三人でマイキー君に突撃しに行こうかなって思ってえ
……
」
「何のために?」
「だから、千壽と付き合ってんの? って、聞きに」
「付き合ってねえだろうが」
「いや、分かんないでしょ。実際に聞いてみるまでは」
「分かるだろ。付き合ってるわけねえんだよ」
尚この間既に場地は飽きていて、もういっそ二人を殴った方が早いんじゃないだろうかと思案していた。殴ったからと言って問題が解決するわけでは絶対にないのに。ただの憂さ晴らしである。しかし実際に場地の拳が飛ぶことはなかったのだ。
「あれ? 場地と花垣じゃん」
もう一人の明司が帰宅したからである。
何とも絶妙なタイミングであった。そう、此処は明司家なのである。尚、三兄弟だが一番上は大概不在である。渦中の人物のお出ましに、パッと武道が表情を明るくした。
「お帰り! 聞きたいんだけどさ、千壽ってマイキー君と付き合っ、」
最後まで言い切ることなく、花垣武道は天に召されたのだった。
尚この男の生命力と言ったら大概化け物染みていて、ある種不死身であったのですぐさま復活した。イエス・キリストも驚きの所業である。
こうして佐野万次郎本人に確かめる必要もなく、結論は出たのだった。
「オマエさあ、千壽に殴られた事ある?」
花垣武道が物凄く渋い顔でそう切り出したのは、数日の後であった。尚場所は、東京卍會参謀、稀咲鉄太の家である。時折勉強を教えてもらう名目で訪れていた。尚、稀咲は既に諦めていた。武道を追い返すことをではなく、武道に勉強をさせることをである。テスト前になると必ず泣き付いてくるが、結果が伴った事は今のところなかった。総長代理の勉学におけるやる気を引き出すのは、如何な参謀であっても不可能であったのだ。
「殴られたのか?」
「そう、寧ろ一回死んだ」
「生きてんじゃん」
その上、武道が訪れた時には大抵もう一人いた。半間修二である。寧ろこの男こそ、入り浸っていると言っても過言ではなかった。他にダチとかいなさそうだもんな、と、武道は内心で憐れんでいた。友人の数で言えば、花垣武道は相当なものである。
「でも三途の川見たし」
「三途の家で?」
「ホントだ、ウケる」
「五点」
「鉄太マジ厳しいんだけど」
優しいだろ、と、稀咲は内心で溜息を吐いた。応える価値も無いようなやり取りに口を挟んだ時点で、そう思ったのだ。
「兄貴の方と違って、急に殴るような女じゃねえだろ」
「オレだってまさか、命懸けるような問い掛けだったとは思わないじゃん」
「どんな失言をしたんだ?」
「マイキー君と付き合ってんの? って」
聞いた瞬間、稀咲と半間は同じような表情を浮かべたのだ。眉根を寄せ、目の前の男を得体の知れない物を見る目で見たのである。それくらいの言葉だったのだ。大体誰が見たって分かる。明司千壽の好意の矢印は、佐野万次郎より花垣武道に向いている。友愛か親愛か恋愛かは不明だとしても、明らかにそうである。なのに当の本人がこれ。そりゃ、一回殺そってなる。花垣武道のデリカシーの無さと言ったらこれである。しかも悪意ゼロ。思わず男二人は溜息を吐いた。
「何だってまたそんな質問を?」
仕方なく稀咲は聞いた。別に聞きたくないな、と、思いながら。何だか面倒事の予感がし始めていたのだ。
「オマエ等さあ、東卍に姫がいるって話聞いてない?」
「なんて?」
いよいよ頭がおかしくなったかと思った。東京卍會は男所帯である。姫などいるはずがない。いや、いる。そう、瓦城千咒だ。
「それが何で総長と付き合ってるって話に?」
「何処の隊員か分かんないんだけど、聞かれたんだ。総長に彼女がいて、その彼女の事東卍の姫だって宣言したって。そんで、東卍で守ろうって決めたって。それが誰か知ってるかって」
「で、伍番隊の副隊長だと思ったと」
「他に女子いねえし」
「因みに稀咲はその宣言聞いた?」
「聞いてねえな。武道は聞いたってワケか」
「聞いてねえよ」
「は?」
訝し気に二人して、武道を見た。何を言っているのかこの男は。いよいよ頭がおかしくなったかと思った。だが此処で稀咲は冷静になったのだ。花垣武道は頭がおかしいわけではない。頭が悪いのだ。
「あのだな、武道」
「いや、分かる。オレも誰も聞いてねえなら、そんな宣言は出てないって事だ」
「ヤベェ、普通の事言ってるのに賢く見えたヤベェ」
「オレ半間のこういうとこ嫌い」
「オレ、オマエの事稀咲の次に好き」
ニヤニヤと、意地の悪い視線を寄越してくるものだから、武道は顔を逸らして舌を出した。吐きそうの意である。内心で、友達は選べよ、等と思っていた。勿論、稀咲鉄太に向けて言っている。尚、当の稀咲本人はオールスルーである。慣れているのだ。
「分かってて何故殴られるような真似を?」
「宣言はしてないけど、付き合ってないわけじゃないかもって思って」
「は?」
「だから、マイキー君と千壽が付き合ってるってのは、あるんじゃないかって
……
」
いや、ないだろ。稀咲と半間の声が内心で一致した瞬間だった。付き合う以前に、佐野万次郎が明司千壽を女性として扱っているところなど見た事がない。大体万次郎は、滅多な事でもない限り女性には手を上げないのだ。なのに暴走族に入れている時点で、それはもう女性としては見ていないのである。
呆れながら半間が言った。
「だとしても、オマエには関係ないだろ」
「いやあるだろ」
「ねえよ」
「オレの方がマイキー君と仲良いし」
「って事はオマエこれからマイキーにツレ出来る度に、そうやって口挟んでくワケ?」
「まさか。でも、紹介はして欲しいじゃん」
「紹介されたら黙んの?」
「まあ
……
多分
……
」
黙んねえなこれ。聞いた半間は呆れていた。完全に面倒な小舅である。彼氏の友達が鬱陶しいって言われるタイプのヤツ。そもそも武道にすれば、佐野万次郎に恋人が出来ると言う事それ自体、上手く想像できないのだ。そう言う佐野万次郎を見た事がないからである。だからと言って恋人が出来たら祝福しないわけではない。出来る。でも、除け者にはされたくない。この感情を何というか、よく分からなかった。独占欲なのかもしれないし、だからと言って、佐野万次郎を自分の物だと認識しているわけでもない。だって、佐野万次郎である。花垣武道如きが占領できる器ではない。
これ以上面倒な事にならなければいいが、と、思いながら稀咲が言った。
「真偽の程は別として、誰が言い出したかは気になるな」
「何を?」
「東卍に姫がいると言う事、その姫は総長の彼女で、しかも、東卍で守ると宣言した事」
「嘘なのに?」
「嘘でも言い出した誰かがいるって事だ」
「何のために?」
「問題は其処だ。オマエはこんな話、誰も信じないと思うだろう。しかし実際は違う。信じないのは、あくまで総長に近い人間だけだ。現にオマエに話を持ってきた人間は、あり得ると思ったから行動に出たんだ。分かるか?」
「分かんない!」
「馬鹿!!」
稀咲の怒号に半間がケラケラと笑った。他人事の笑い方だった。何せこの男は、面白ければ何だっていいのである。こういう時の花垣武道は全く頼りにならない。頭脳が足りないからである。深く稀咲は息を吐き、少し調べてみるか、と、そんな事を思っていた。別に総長に彼女がいようといまいとどうだっていいが、東京卍會が巻き込まれるのは御免である。惚れた腫れたは他所でやって欲しいものだ。尚この間半間はずっと武道を馬鹿にしていた。自室で行われる小学生男児のやり取りに、もう一度稀咲は深く息を吐いたのだった。馬鹿って言う方が馬鹿、等と言う言葉の応酬を現実に耳にしながら。
そうしてある意味稀咲が危惧した通り、話はおかしな方向へと転がり始めたのだ。
「なータケミチィ、オマエ、姫なんだって?」
問われ武道は呆気にとられた。眼鏡をかけた男が、にやにやと、如何にも揶揄ってやろうと言う面持ちで己を見ている。一体何の事だか見当もつかないが、一拍の後武道は顔を顰めてみせた。
「オマエさあ、何処をどう見たらオレが姫に見えるってんだよ見えるかも知れねえけど」
「見えねえよ調子乗んな」
「オマエが言ったのに!?」
言いながら、最近矢鱈姫って言葉を聞くな、と、思っていた。流行っているのかもしれない。不良界隈で。何せこの山岸と言う男は、歩く不良辞典なのである。ある意味不良の最先端を行く存在であった。それを言えば花垣武道は、立場を考えれば知らな過ぎるわけである。未だに姫って何? 誰? 此処でストップしているのだ。
「は? タケミチ、総長代理から姫に降格したんか?」
「姫って下がってんの? 上がってね?」
「そもそも、何で暴走族のチームに姫がいんだよ」
山岸がおかしなことを言ったものだから、次々と何時もの面子が参戦してきた。そうして武道は、確かに姫って総長代理より上なのか下なのか、と、考え出したのだ。現実逃避である。
「大体、姫って言ったら、瓦城さんじゃないのか?」
「それが違うんだよ、タクヤ」
真っ当な事を冷静に山本が言い、訳知り顔で武道は否定した。そう、それが違う事は分かっているのだ。姫、と、言うのは、所謂総長の恋人の事を指すのであり、あの二人は付き合っていません。三途春千夜の家で、一度三途の川を渡りかけたので知っていた。
「そう、違うんだぜ、タクヤ」
「相変わらず山岸は詳しそうな面してんなあ」
「面だけじゃねえの。実際詳しいの。姫ってのは、総長の彼女なんだよ。ンで、それは瓦城さんじゃない」
「じゃあ誰なんだよ」
「タケミチ」
「オレかあ」
流されるまま武道は肯定したが、言った後から冷静になった。いや待て、おかしいな、と、漸く脳が働き始めたのだ。これだから稀咲にも呆れられるのだ。そう、花垣武道は頭が悪いのである。だが悪いなりに考える頭はある。総長の彼女は、瓦城千咒ではない。瓦城千咒ではなく、花垣武道。つまり、自分と、佐野万次郎は付き合っていると言う事である。何処で?
「オレぇ!?」
「遅ぇよ」
「マジで付き合ってんのかと思っただろ」
「え、付き合ってんのオレ?」
「知らねえよ。付き合ってんのかよ」
「記憶にない」
「じゃあ付き合ってねえだろ」
「何コイツ、マジで馬鹿じゃね?」
「マコトに言われた死ぬしかない」
「まあ死ぬ前に山岸の話を聞こうぜ」
「タクヤ
……
!」
「感極まってるとこ悪いけど、別に優しい事言ってねえからな?」
千堂のツッコミに山本は薄く笑みを浮かべていた。否定も肯定もしないパターンである。でも誰もが慣れていたので、気にせず先に進んだのだった。
「先ず大前提として、マイキー君はモテる」
「それはそう」
「入れ食いってワケ」
「オレのマイキー君のイメージ下げんのやめて」
「オマエのではないだろ」
「でもオレ付き合ってるかもしれねえじゃん」
「さっき否定しただろ自分で!」
「ハイハイ、黙って聞く。兎に角モテるけど、固定の相手はいないわけ。そもそも、直接粉かけるガッツのある女子って少数なワケ。本人優しくても周り怖いし」
まあ、本人も十分怖いけど。そう、武道は内心で思った。但し、相手が同性に限るわけである。基本異性には優しいのだ。手を上げる事もない。因みに周りにいる怖い筆頭は、龍宮寺堅である。中身より、見た目が怖い。
「それが最近、めっちゃくちゃアタックする子が出て来て、とうとう東卍の姫を自称し始めた」
「姫って自称すんだ」
「マイキー君が言ってくれなかったからじゃね?」
そりゃ言わないだろうな、と、武道は思った。瓦城千咒なら未だしも、東京卍會に無関係の女子を姫扱い。絶対にしない。分かっていて武道は想像してしまった。オマエ今日から東卍の姫な! と、宣言する佐野万次郎である。思わず唇を噛んだ。吹き出しそうになったのだ。駄目だ。普通に面白い。そんな佐野万次郎は嫌だではなく、面白いに傾いてしまった。いなくて良かった。
「そんで何を思ったかその女子は、姫である事を吹聴し始めた」
「え、まさかそれをガチで信じてる人間がいるってワケ?」
「そう、そのまさかなんだなこれが」
うっそ。
武道は素で驚いていた。だって、そんな自称、一体誰が信じるのかと言う話で、だが、ふとここで稀咲鉄太の言葉を思い出したのだ。数日前の事である。こんな話誰も信じないと思うだろう。そう言った。だが、続きがあった。それは、あくまで佐野万次郎に近い人間の話であって、普通に信じる人間もいるのだと。つまりそれが事実だとすれば、武道が思うよりずっと、東卍の姫、と、言う肩書は信憑性があると言う事である。佐野万次郎は、自分の彼女を東京卍會の姫だと宣言すると思われていると言う事である。うっそ。
「マイキー君はそんな事言わない!」
突然大声で訳の分からない発言をした男を、訝し気に周囲は見た。気でも触れたかと思った。友人達からの正気を疑うようなまなざしを受け、武道は少し冷静になった。
「いやだから、ウチの総長はそういう事言わないんですよ」
「知ってますけど」
「ぐっ」
何言ってんだコイツは、と、言外に含まれていた。その通りである。少し冷静になったところで、発言に変わりはなかった。
「でもさ、山岸、タケミチに姫って言ったじゃん? 姫ってその女子じゃないの?」
おお、と、山本以外の四人が感心した。ごく自然に話が最初に戻ったからである。ふと山本は気恥ずかしくなった。別に凄くも何ともないのに感心されると、居心地が悪いものである。
「そう、そこだよ、タクヤ君。流石にこの話が広まった結果、マイキー君の耳にも入っちまったってワケだ」
「まさか、ヤっちゃった?」
「マイキー君はそんなことしません」
「知ってますけど」
「オマエさあ、一々マイキー君でマウント取ってくんのやめろよな」
「だってオレが一番佐野万次郎の事知ってんだもん!」
この発言は大いに周囲を引かせたのであった。マジかコイツ、そう言う目で花垣武道を見た。残念ながらマジである。一先ず、この面倒な男に触れるのは避け、話を続けることを選んだのであった。ただ一時的に無視したとして、この場にいるので絶対に口は挟んでくるわけだが。
「で、此処まで来ると、普通に断っても意味がない事は分かってたワケ。だって、普通に断ってこうなってんだもん」
「あ、断ってんだ」
「多分」
「多分かよ」
「そんで、考えたかどうかは知らねえけど、マイキー君は言っちゃったの。東卍の姫は、タケミチだって」
「はあ、マイキー君が」
「そう、マイキー君が」
「オレを東卍の姫だと」
「又聞きだけど」
「えっ、マイキー君にはオレが姫に見えてるって事?」
「そうはならんだろ。そうだとしたら隊員全員で眼科勧める案件だろ」
「単にタケミチの名前が一番出しやすかっただけだろ」
「えっ、そんなオレ都合のいい姫だと思われてんの?」
果たして都合のいい姫とは。そもそも姫と呼ばれている自分を認めるのが早い。早すぎて全力で引く。花垣武道てこんなだったっけ。四人の疑わし気な視線など諸共せず、武道は考えていた。
発端は、東京卍會に姫がいると聞いた事である。しかし、その姫は自称であった。普通なら話は此処で終わりなのに、広まってしまったので、仕方なく、かどうかは不明であるが、佐野万次郎が噂を上書きした。それも、東京卍會の姫は別にいると言う内容である。しかもその姫、男である。名を、花垣武道と言う。武道は思った。オレじゃん。そう、自分である。
「いや、普通に姫なんていないって否定すればよかったんじゃね?」
急に真面な事を言い出した武道を四人は何とも言えない顔で見たのだ。
「それは、マイキー君に言えよ」
その通りである。
いや、もしかすると、否定しても埒が明かなかった可能性もあるが。ただ、考えたところで分かるはずもない。つまり、本人に尋ねる他ないのだ。漸く武道は、思い至ったのだった。噂に振り回されるより、確認する方が確実である。しかも、早い。
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