Mary37memo
2026-02-18 04:45:43
3077文字
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誘惑リップスティック

原神BL二次創作/ムトイフ大遅刻バレンタインデー

確かこんなチョコレートがあったような、なかったような……。氷元素を仕込めるとか、本当に捏造です。


「よしっ、と。これで全部かな、お待たせ」

 テーブルに並べられた医療器具はどれもイファの注文通りのクオリティと数できっちり揃えられ、職人としてのプロ意識がその端々に感じられる。シロネンの作るものは、奇抜なものからオーソドックスなものまで幅広いが、どんなに忙しくても一貫して期待以上のクオリティが実現されていた。

「急な頼みで悪かったな。おかげで助かったぜ、ありがとな」

 モラと引き換えに器具を受け取り、シロネンの工房を出ようとした時、思い出したようにシロネンがイファを呼び止めた。

「ちょい待ち! コレ、アンタにあげるよ」

 そう言って渡された小さな直方体。イファの手のひらに収まるほどの小さなそれは、女性たちが使うリップスティックに見えた。心なしかその物体はひんやりとした冷気を纏っている。

……渡す相手間違えてないか?」

 訝しげに視線を返すと、シロネンは妖しく笑みを深めて、煌びやかなネイルとリングに彩られた指先で、その直方体を指差した。

「もうすぐバレンタインっしょ? コレ、こう見えてチョコレートだから」

 これが?
 シロネンの言葉に半信半疑でキャップを外してみると、確かにチョコレートの甘い香りがするが、見た目はまるで本物だ。イファは驚きつつそのココア色に艶めくルージュをしげしげと眺めた。

「台座の部分に氷元素をしこんであるから、一週間くらいなら溶けないで保ってくれるはずだよ。両思いおめでとってコトで、アタシからのお祝い」

 一瞬、シロネンの言葉にキョトンとしたイファだったが、徐々にその意味を理解して、顔に熱が集まっていく。なぜ女性たちの間では、噂が広まるのがこんなに速いのだろうか。
 耳が熱い。赤く染まる頬を帽子で隠して、イファは小さく「ありがとな」と呟くので精一杯だった。閉じた瞼の裏に浮かぶ甘い笑顔に心臓を掴まれる。
 ついニ週間前のことだ。花翼の集の族長ムトタへの長年の片思いを終えて、イファはムトタの“恋人”になったばかりだった。

 しかしながらこのニ週間、特に何の進展もなく、二人は至っていつも通りに過ごしてしまった。幼馴染で、お互い昔からの付き合いだから、今更どんなふうに関係を変えたらいいのかわからないのだ。
 本当は、触れたいのに。

「悩んでたって進まないじゃん? せっかく付き合って初めてのバレンタインデーなんだし、頑張んな」

 シロネンの楽しそうな笑顔に見送られ、イファはこだまの子を後にした。
 ムトタとの関係に変化があったことが友人達にジワジワとバレていることは気恥ずかしいが、それよりも、シロネンの持つ類稀なる技術と発想力によって生み出されたこのチョコレートに感心しきりであった。これは最早芸術品だ。
 故に、イファはこのチョコレートに込められた本当の使用用途にまだ気づいていない。ムトタにも見せてやろうなどと、五歳児の如き無邪気な思考と共に帰路についたのだった。

***

「な? すごいだろ? 俺がもらってよかったのか、いまだに謎なんだが……。でもお祝いだって気持ちは正直嬉しかったし……ん? どうしたんだムトタ?」

 バレンタインデー当日の夜、以前から約束していた通り夕食を共にして、イファは手作りのクッキーを渡した後に、シロネンから受け取ったチョコレートのリップスティックをムトタに見せていた。
 “両思いのお祝い”だと渡された時のことを説明しているうちに、片手で口元を押さえたムトタの頬から耳にかけてが、ほんのり朱に染まっていることに気がついた。緩んだ表情の上で、いつもは凛々しい眉が困ったように下がっている。

……いや、まさかこんなものをもらうとは……なんて言うか、試されてるのかな、と……

 こんなふうに緩んだ顔のムトタを見ることは滅多に無い。その珍しい表情にイファは胸をときめかせていたが、ムトタの呟きの意味まではわからなかった。試されるとは?まだ試作段階ってことか?出来栄えとか味の感想を後で伝えた方がいいのか?だったら、ムトタにも食べてもらおう。五歳児は全くもって他意など無く、それをそのまま口に出した。

「ムトタ、食べてみるか?」

 本当に、この子は……
 わかっていないのだろうなと思いつつ、ムトタにだって忍耐の揺らぐことはある。特に、イファに触れたいと思う欲に関しては。こちらの気も知らないで無邪気に差し出される、その誘惑の色をしたリップスティックに手を伸ばす。

……じゃあ、いただこうかな」

 イファからリップを受け取ったムトタはキャップを外し、イファの顎に手を添えるとその唇にチョコレートのルージュを押し当てた。急に触れられて、驚きと緊張で身を固くしているイファの唇が、ムトタの手でチョコレート色に彩られていく。
 なんで?
 と、視線を投げかけた先で、ムトタの鈍色の瞳が余裕無くイファを見つめていた。色気を滲ませた真剣な顔に、心臓の鼓動が速くなり、息を飲む。顔が近づいて、イファがようやくこのリップスティックの使用用途に気がついた時には、唇に柔らかな熱が触れていた。

***

 唇の感触を自覚して、興奮が腰から背中へと駆け抜ける。イファの呼吸が勝手に乱れはじめ、込み上げる期待に瞳が潤んでしまう。待ち焦がれたファーストキス。今までの、仲のいい友人のような二人の関係から明確に線を超えたことを、擦り合わされる唇が纏う性欲の気配が物語っていた。

 ただ唇を触れ合わせているだけなのに、ムトタとのキスはどうしてこんなに気持ちいいんだろう。イファの瞳がますますトロンと溶けて、痺れる指先がムトタのベストを掴むと、そこから伝わる催促を正しく理解したのか口付けが深くなった。貪るように角度を変え、イファの唇を彩っていた色がムトタに移り、甘い味に誘われるように夢中で唇を舐め合う。

「ん……、使い方、わかったかい? イファ」

 そう問いかけるムトタの顔は、もうイファのよく知っている幼馴染の顔でも、族長の顔でもなかった。物足りなそうに向けられる視線は先ほどよりも熱を帯びて、イファを求めている。恋の色を纏った男の顔に、それだけで背中がゾクリと震えた。
 初めてのキスなのに、こんなに気持ちよくされてしまったら、どんどん欲張りになってしまう。節度を保って、どこかでブレーキを踏まなければきっと歯止めが効かなくなるだろう。イファは、火照った顔を隠すように俯くと、意を決して呟いた。

……っ、わからないから、もっと……

***

 バレンタインデーから数日後、シロネンは集落の中で見覚えのある姿を見つけ足を止めた。パカルに会いに来ていたのだろう。こだまの子の集落の中で、その花翼の集を象徴するような羽飾りのついた帽子はよく目立つ。シロネンが声をかける前に、振り向いたムトタと目が合い、あからさまに気まずそうな苦笑いを返される。その顔に、シロネンは満足そうに笑った。

……ウチの五歳児に、あまり危険物を与えないでくれないかい」

 困ったように、そして満更でもなさそうに告げられて、シロネンはますます笑みを深める。

「へぇー、そんなに盛りアガったんだ。よかったじゃん」

 どうやらバレンタインデーの贈り物はたいそう気に入ってもらえたようだ。

 あーとか、うーとか、何かを噛み締めるように呟くムトタを他所に、次にイファが訪ねてきたら、幸せな惚気話を根掘り葉掘り聞いてやろうと思うシロネンであった。