ぬす
2026-02-18 00:42:09
3759文字
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発症

「遅効性」の続き

 人間は恋をすると正常な判断能力を失うものだ。
玄関チャイムが鳴ってドアスコープを覗き込んで――本当なら、その時に追い返すのが正しい判断だったのだろう。
喜んでしまう私が憎い。扉を開けてしまう私が憎い。
そんな私の葛藤を他所に、彼は笑顔で何かを取り出した。
「プレゼントをお届けに参りました!」
 差し出されたのは嫌な予感のする小箱。
大きさからして、おそらく中身はアクセサリーか何かだろう。
私が純粋な乙女なら、すぐに手に取ってリボンを解いたはずだ。
想い人からの贈り物、それに心躍らぬ者はいない。
だがそんな単純な話なら葛藤なんて生まれない。
手に押し付けられるそれを押し返して、控えめに睨みつけ、ただ一言。
「いらない」
「そんな!せめて開けてみてはくれませんか?
 あなたの好みに合わせて選び抜いたものですよ」
 贈り物の理由に心当たりはある。
この男は借りを作ったままでいたくないのだろう――何度もサンポを匿って、なんとなくそれは察してはいた。
何を提案されようと、何を贈られようとその度に断っているのにめげない男だな、と思う。
きっと、私とのこれまでを精算したいのだ。
だからこそそれを受け取って、今の関係が崩れてしまうのが嫌だった。
「この前のこと、気にしてるだけでしょ。
 別にいいよ。サンポと過ごすの楽しかったし」
「それは何よりです。ですが!
 今日こそは受け取ってもらいますよ」
 チャームポイントの垂れ眉を珍しく吊り上げて随分と必死なふりをして、その姿は少し可愛らしくも思える。
だが今だけは絆されてはいけない。
もう少し頑なな態度を取っていれば今回もあっさりと引き下がるだろう。
時間を稼いでやればいい。
「玄関で話すのもなんだしさ、あがっていってよ。
 紅茶、飲むでしょ?」
「はぁ、またそうやって……
「すぐ帰るつもりだった?
 今日はシルバーメインに追われてないもんね」
「それでは僕があなたを利用しているだけの男みたいじゃないですか!」
「違うの?いけない詐欺師さん」
「僕は詐欺師ではありません!」
 酷いです、としくしく泣き真似をしながらソファの真ん中を占領して大人しく紅茶を待つサンポ。
いつもの来客用ティーカップを温めて、茶葉を一杯すくって――この準備にも慣れたものだ。
自分一人で飲む時はもっと適当に淹れるのだけれど。
「サンポが来るんだったらお菓子も焼いておけばよかったな。
 いつも突然来るんだから」
「それはそのぉ、すみません。
 連絡をすると、あなたが張り切って迎え入れてくれそうで」
「そうだね。もっとあなたが喜ぶもてなし方を考えるかな」
「あなたはいつもそうです。
 このサンポをこぉんなに甘やかして、どうしたいんです?」
 どうもこうも、それが楽しいのだから仕方ない。
下心はあるが、甘やかして何か見返りを得ることが目的ではない。
簡単な話、ただ喜ぶ顔が見たい。
その対象が犯罪者だというのが問題なだけで。
「そんなことでは悪い人に付け入られてしまいますよ?」
「サンポとか?」
「またそんなこと!」
 声を荒げるサンポの前に温かい紅茶を出せば、おやつを与えられた仔犬が鳴きやむように静かになる。
客が来る時のために奮発して買った良い茶葉だ。
この家に客なんて一人しか来ないというのに。
「ミルクと砂糖も好きに使っていいからね」
「はぁ」
 サンポの向かいに座り、自分も同じ紅茶を一杯。
彼が好むミルクや砂糖の量もすっかり覚えてしまった。
ティースプーンをくるくると回して、ひとくち――ほっと穏やかな表情を見せるのが愛おしくて、つい見つめてしまいそうになる。
 何度も彼をこの目に焼き付けようとして、その度に燃え上がる欲望を覚えて目を伏せた。
物語の中の海のようなその髪に流されてみたい。
その傷を負った情熱のようにあなたを包み込みたい。
それが叶う男ではないことは、嫌と言うほど知っている。
「僕が悪い人だというのなら、どうしてあなたは僕を家に招き入れるんです?」
「それがわかってるからここに来るんでしょ?」
 口にはしない。だが、彼は理解しているはずだ。
私が恋情故にどこまでも尽くしてしまっていることを。
「お嬢さんのそれは、いつか身を滅ぼしますよ」
「いつかって、いつ?」
 痛い目に遭うと言うのならいっそ、砕けるまで痛めつけてほしい。
いつまでも歪な恋情に溺れる私の愚かさを笑って、伸ばす手を踏みつけてほしいのに。
ずるずると、差し出してしまう。
繋ぎ止められるはずのない彼に縋り付いてしまうのだ。
 かたん、と音がしてちらりとサンポの手元を見る。
プレゼントだと持ち込まれた小さな箱のリボンがするすると解かれて、中からひとまわり小さなケースが取り出されていた。
「ほら、見てください。
 綺麗でしょう、あなた好みのはずですよ」
……そうだね、そうだけど」
 ケースを開いて現れたのは、確かに私好みのもの。
華美ではあるが下品ではない、細やかな装飾の指輪が収められたそれを差し出して、サンポが笑う。
「サイズも合うはずです」
「測ってもないのに?」
「それ程、僕もあなたを見ているということです」
想い人である前に、この男は詐欺師だ。
人を誑かす言葉の一つや二つ、平然と吐くことができる。
その言葉が恋焦がれる女をどれほど狂わせるか、よく理解していることだろう。
何故、私にそれを言うのだろうか?
期待しているわけではない。ただ、理由が見えなかった。
「そんなこと言わなくても、もう少し利用されてあげるよ」
 私は愚かな女だ。都合よく扱えばいい。
共犯なんて耳障りの良い言葉で舞い上がらせて、バレたら切ってしまえばいい。
いずれ使い捨てられるだけの存在だと自覚している。
「ですから、その関係をやめたいのです」
――やめたい?
 意外な言葉に動揺して、ティーカップが揺れる。
少し溢れた中身が胸に染み込んで、ほのかに熱い。
「僕はあなたから搾取したいわけではないのですよ。
 今ここで対等になりませんか?
 そうしてより良い関係を築きましょう」
 ティーカップを置いたその手を取られ、指輪が差し出される。
爪の先に指輪がかけられて――ああ、いけない!
やめて、と叫んで慌てて手を引けば、いかにも悲しそうな顔をしてこちらが折れるよう罪悪感を煽ってくる。
だが今はそれどころではなかった。バクバクと早鐘を打つ心臓を押さえ、呼吸を整える。
……え、なに?私の知ってるサンポじゃない」
「あなたは僕を誤解しすぎです!
 女性を騙して、利用して、奉仕させるだけの酷い男に見えますか!?」
……見える、けど」
「ひどぉい!僕をもっと信じてください!
 そして、そんな男なら惚れ込むのはおよしなさい!」
 ぐ、と言葉に詰まる。
惚れ込む――相手も理解しているだろうとは思っていたが、改めて本人から言葉にされるとなんと恥ずかしいことか。
くらくらするほどに脳に熱がこもる。今の私の顔はきっと紅茶よりも赤い。
……わかってるならさ、指輪とか……悪趣味だよ、サンポ」
「わからずやなあなたにはこれぐらいがちょうどいいでしょう」
「そうやって何人騙してきたわけ?」
「もう!またそうやって逃げるんですか?」
 ああそうだ、逃げ出したい。
犯罪者を庇って、情に流されて、今更まともな恋はできない。
だから、光から逃げることを選んだ。
ただ破滅に至ることを望んだ。
そんな惨めな道しか残されていないと思いたかった。
「全く、恋をするならもっとサンポをよく見てください。
 この指輪、受け取っていただけますね?」
……どの指に合うサイズを選んだの」
「それはご自分で確かめるといいでしょう」
 ケースにしまわれた指輪が手のひらに収められる。
大きすぎる現実を受け止めることができなくて、震えて落としてしまいそうになる手を彼の手が包み込んでいる。
熱い。彼の手もアクセサリーケースもひんやりとしているはずなのに、自分の手だけが燃えるように熱い。
「受け取っても、遊びに来てくれる?」
「勿論です!これで終わりだと思ってたんですか?」
「うん。終わりにしたいんだと思ってた」
「まさか!ああ、泣かないでください。
 僕はここにいますよ、あなたを見捨てて行ったりしません」
 いつもなら嘘くさいと切り捨ててきたその言葉がなんとも喜ばしい。
信じていいのだろうか?答えは否、信じてはいけない。
だけど、ああ――もう少し先の未来も、彼に会えることを夢見ていいのだろうか。
「そうだ、次は一緒に街へ出かけましょう。
 シルバーメインに追われなくともあなたに会う理由があっていいはずだ」
「なに、それも口実だったの」
「ええ!あなたの思う僕は悪い男のようですから」
「悪い人であることには間違いないでしょ」
 あはは、と笑う頃には手の震えは落ち着いていた。
体温が移った彼の手があたたかくなって、それほどまでに触れられていたことに今更気恥ずかしさを感じる。
……つけてくね、これ。その時は」
「楽しみにしていますよ」
 指にひとつ口付けを落として、彼はその両手を離した。