リレーションシップとは何か:同じ時間を共に過ごそう

※ファミレス行こ。の感想。最終回の内容に触れています。
2026/2/16 2/17加筆 2/18加筆

最終回めっちゃめっちゃめっちゃめっちゃ良すぎたので、『ファミレス行こ。』の最終回が、どんなに嬉しくてどんなに素敵だと思ったか、記念に書いておきたいと思います。

『ファミレス行こ。』は「聡実くんの幸せを考えて」描かれていると上巻にありました。なので、ファを読むにあたってはまず、聡実くんの幸せって何なんだろう?という問いがありました。一読者として、その幸せの中に狂児がいてくれたら嬉しい。でも狂児は冒頭から聡実くんの人生に再登場していて、仲良くご飯を一緒に食べたりしている。となると、焦点は未来です。これからどうなるのか。

聡実くんと狂児の関係性が将来的にどうなるのか?という着眼点には、続く/続かないのほかに、彼らの関係性が「何」なのか、という注目も含まれていたと思います。BLはいいけど現実のゲイはダメ、みたいなあからさまな同性愛差別の風潮が散見される中で、もし聡実くんの中に同性愛的な感情があるなら、決してそこを漂白しないでほしい、という気持ちがありました。(投稿してから気づいたけどファはフィクションだった……が、どちらにせよ存在するものをないことにしないで欲しいという思いは変わりません。同性愛が「BL」などのラベルの元でしか存在できないというのがまかり通るのはおかしいし嫌です)

その一方で、わたしには一つ懸念もありました。わたし自身がasexualで、恋愛とか性的なものの枠組みがいつも自分にしっくりくるわけではない。だから、聡実くんと狂児のこの関係性にラベルが貼られること……というより、「聡実くんの幸せっていうのはもちろん、好きな人とロマンティックリレーションシップを築くことだよ!」といわれたら、すごく疎外感を感じるだろうな、ということです。

この世にある物語は大概そうだから、この疎外に対する耐性はありますし、もちろん和山先生にそう言われたら、そういう話なんだ、と受け止めます。でも、わたしの心のどこかに、その不安は確かにありました。

だからこそ、わたしがめちゃくちゃ嬉しかったのは、最終回のこの描きかたでした。聡実くんの求めるものを表現するために、関係性の名前をひろく自明のものして持ち出さない。それでいて、二人の関係は曖昧にされたわけではなく、むしろ関係性とは何か?という核に触れ、ド直球で二人の関係性が明示された。とわたしは感じました。凄すぎ嬉しすぎ。ここでは主にそのことについて書きたいと思います。


関係性の種類(恋愛/友情/家族/仕事などとラベリングされるもの)より先に、まず「お互いがどんな時間をどれくらい、どういう優先度で共有するか」が、関係の実態を形作る という話があります。関係性は、お互いが(暗黙/明示に)時間をどう使うかを決めていくことで形作られる。さらに、それについて明示的に話し合うことで、その関係性は優先しやすく、また語りやすくなる というものです(*参照)。『ファミレス行こ。』は、それが自覚的に描かれている作品なのではないかと思いました。

たとえば、愛がないわけじゃないけど関係が断たれている狂児と甥。あるいは、絶やさずファンレターを送り続けた組長と、それに気づいていなかったマサノリ。ここで描かれているのは、単に「家族」というラベリングだけではこぼれ落ちてしまう、ただの「良好/断絶」以上のものです。お互いがどんな時間を共有しているか、どれくらいの優先度でそこに居るか、そして居られなかったか。そこに基づいて、それぞれ唯一無二の関係が見えてくる描き方だと思いました。

そしてそれは、聡実くんと狂児にもそのまま当てはまります。

聡実くんと狂児に関して言えば、空港での再会以来、時間を作ってたまに会ってご飯を食べる関係が続いていましたが、それは期間限定である可能性が提示されていました。その可能性は焼肉屋で明言化され、狂児もあっさり「わかった」と(お前そんな顔すんのか!!!という表情で)答えています。ここでまず、「会ってご飯を食べる関係」は、いつか終わるものとして提示される。

でも、聡実くんはそこから、自分が本当はどうしたいのかに気づいていく。考え抜いた末に、「これからもこうやって会える関係でいたい」「ずっと一緒にいたい」と言葉にする。ここで、ふたりの時間は、将来も続いていく可能性が出てくる。少なくとも聡実くんはその方法を探っている。

でもそれを現実にするには、狂児がヤクザでいることが壁になる。狂児がヤクザでいることは、二人で過ごす時間を、二人の意志に関わらずいつでも終わらせることができる爆弾みたいなものだからです。だから「ヤクザいつやめるん?」と聞いた。狂児は、親父が死ぬまでやめないが、聡実くんが必要とする限り一緒にいる、と明確に返しました。

正直、ここまででもう条件は出尽くしたんじゃないか、とわたしは思いました。そうすると現状維持しかない。狂児の答えはできる範囲で現実的で誠実だし、聡実くんの望みにも応えているように見える。

でも、トイレでの様子を見る限り、聡実くんには、狂児がヤクザであること以外にも引っかかっているものがあるように見えました。それって何?それをどうするの?というのが、最終回まで残った謎でした。

その後、聡実くんは、「狂児が好きで、狂児は生きてる」とはっきり自覚します。その上で何らかの決着をつけに行きます。

ここから先の動きが、「関係性に決まった名前のラベルを貼る」方向である可能性に、わたしは大変ビビっていました。理由は前述のとおりです。

しかしそうではなかった。

最終回で明かされたのは、聡実くんが狂児と対等になりたいということでした。これから対等になるために、スタートラインに立つために、刺青を消してほしいということでした。

聡実くんは、関係性にラベルを貼りに行ったのではなく、狂児に貼らせに行ったわけでもなかった。重い15万円を持った聡実くんは、好きで、生きてる狂児に、これから先の二人の時間をどう過ごしたいか、そのためにどこをどう変えたいか、どう始めたいかを話しに行ったのでした。つまり、これからの関係性を作りに行ったのでした。

聡実くんにとっては、今のまま一緒にご飯を食べるだけでは、おそらく狂児がヤクザを辞めたとしても不十分だった。もしそれだけだと、関係の形として、聡実くんが「必要とする側」で、狂児が「与える側」みたいになってしまう。その非対称さが、聡実くんには耐えられなかった。
必要とする側/与える側という関係性の中にも愛はあると思います。だけど聡実くんは、自分たちについてはそうじゃない形を求めた。

ところで、この非対称性の何が問題なんでしょうか?1439大好きなわたしからしたら、狂児は一生分、14歳の頃の聡実くんからもらってるので、何を与えるように見えたとしても、それは与えてるんじゃなくてお返しなんじゃないか?と思ってました。だからイーブンなんじゃない?と。

でも、もしそうだとしても、それも結局「過去の帳尻合わせ」みたいな構造の中にいる、ということなのかもしれない。お返しで繋がっている限り、今の聡実くんは「今」というスタートラインに立てない。たぶん狂児も。聡実くんは、狂児から与えられるものに自分が繋がれている、だけじゃなくて、狂児も過去の出来事に繋がれてるんじゃないかって感じてたのかもしれない。

聡実くん自身が狂児とどうなりたいのかはっきりわからない頃から、それでも見切りのメロンパンで切り詰めて、夜勤で働いて、溜まっていく正体不明の不安、悲しみ、怒り、祈り。それをぶちまけて、聡実くんは、僕との未来を見ろ、と言ったようにわたしには見えました。同じ時間を共に過ごそうと。

そして狂児は一瞬の迷いも見せずにそれを拾いに行こうとした。

狂児が刺青を消すか消さないかはわからないし、そもそも狂児にとって刺青が「聡実くん好き」以上にどういう意味を持つのかもわからない。でも、あのシーンだけで、聡実くんの思いは決して無碍にはされないだろうなと思いました。

対等でいたいってどういうことだろうとまだ考えていますが、今から先の未来を二人同じ位置から始めたい、同じ時間を共に過ごしたい、ということなのかなと(今は)思っています。読み返すうちに感想がかわっていくのも楽しみなので、今日の気持ちをここに書きました。

焼肉後の、「普通の大人」の既成概念を否定するかのような情動。その大元となった感情を解き明かすための知恵袋から友人知人への聞き取り。さらには本人からのダイレクトな質問や会話を経て、聡実くんは自ら、自分の感情と、これからどうしたいかという願いを見つけました。

社会には、さまざまな感情につけるためのそれらしき名前のラベルが既製品としてたくさん用意されているにも関わらず、聡実くんが自ら「自分の」それを探し続けたこと、そしてまた、既存の名前をつけることによって目指す関係性を定義するのではなく、「自分の願い」を通して定義しようとしたことが、私にはすごく嬉しかったです。

そして、彼の願いが、目の前にいる狂児との未来のほうを向いたものであったことがとてもとても嬉しいです。それはまさに、関係性を将来にわたって構築する核となるものだからです。

和山先生の描く「聡実くんの幸せ」がこれで本当に良かった。こんなに素敵な結末が見られるなんて、本当に幸せです。



ここからはわたしの話です。

リアルタイムで漫画を追いかけるのがほぼ初めてだったので、この作品を読んで初めて、ソーシャルメディアを覗き発言し、「同じ時間を共に過ごす」ことの興奮、楽しさ、そして厄介さや辛さも含めて、たくさんの感情を味わうことができました。わたしが追いかけたのは1年ちょっとでしたが、5年以上二人のことを見守られた読者の方々は、思いもひとしおかと思います。

たくさん積み重ねられてきた感想を見て、おそらくこの漫画がなければ交わることのなかった人々の、「人を思うとはどういうことか?」「愛とは何か?」について、本当に一人一人異なる考え方や視点に、たくさん、たくさん触れることができたのは、わたしにとってなにものにも変え難い経験でした。リレーションシップという分野は、わたし自身、見つめ、語るのを避けていた分野だから余計にです。

また同じことができるかはわからないですが、この経験も本当に素敵なものだったと思います。

どうもありがとうございました。