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Aino Yoshino
2026-02-16 19:58:51
1894文字
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初恋だったらしい
巫フレです
「今年も騒々しいな」
言いつつ研究室を訪ったオットーは応接用に一応用意されている、しかし本のための椅子になりつつある一つの空いたスペースに腰掛けた。
「バレンタインデーにかこつけて浮ついた若者どもの黄色い声がそこら中に溢れているというのに、お前は相変わらず陰鬱な声色だな、オットー」
提出されたレポートに目を通していたこの部屋の主ーーフレモントは、顔を上げてかつては学生として通っていた男を見た。鬱々とした表情である上になんだか機嫌が悪そうだ。
「
……
随分と人気があるようだな」
「なに?」
「
……
」
オットーは無言で視線をテーブルの上の菓子箱の山に向けて、それからフレモントを見る。
「浮ついた学生が置いて行っただけだ。お前は食べるなよ。毒見してないものを気軽に口にするな」
「
……
」
「恋だのなんだの、そんな暇があればまともなレポートを書けるように努力すべきだと言いたいところだが、若い時間も貴重なのは否定できん。オットー、そう言えばお前はついぞ浮いた噂の一つもないままに卒業して行ったな。そういった人間関係のあれやこれやも経験のうちだろうに」
「もう済んだ話だ」
「そう、もう
……
済んだ?」
聞き捨てならない話である。それなりに長い付き合いになるが、そんな話は一度も聞いたことがなかった。
「お前、あれだけ私にやれ新しい研究だ、楽章の改訂だと付き纏っておきながら
……
いつ頃の話だ?」
「入学してから、卒業するまで」
「
……
今は」
「諦めた」
「諦めた!お前が!」
諦めるという単語がこの男の口から出てこようとは。予想外のことに、フレモントは驚く。
「一体どこのご令嬢を見初めたか知らないが、お前ほど将来性のある男もいないだろうに、何故諦める必要が」
「可能性がないものをいつまでも追いかけているのは建設的ではない」
「なんだ、なんとかならないのか」
「なんともならない」
「ええい、誰なんだ相手は!」
「
……………
」
「私にも言えない相手か?」
オットーがフレモントの問いに答えないなど、常にはないことだった。なんであれ、まずは言えない理由から話すだろうに、それもない。無意識に息を潜め、答えを待てば、男はかすかに笑んだ。それだけだった。それを見たフレモントはどうしようもなく腹が立った。何故。
「お前は、」
いいかけて、口を噤むしかなかった。お前は、なんだと言うのか。なんと言える?この男の知らない一面があると知っただけで、知らされなかったことに腹を立てて? 当然だ。当時は教授と学生で、お互いのプライベートに口を挟むような間柄ではなかった。
「
……
それでいいのか」
「
……
」
オットーはもう一言も答えるつもりがないのか、しかし、いつもと変わらない眼差しでフレモントを見ている。
物事にはタイミングというものがある。それを逃せば二度とない機会、それが今であるような予感がして、フレモントは発言を思い返し、考えを巡らせた。
オットーは、追いかけると言った。可能性がないとも。この暗く、直向きな眼差しが研究とリターニア、そして自分の他に向いたことなどあったか? そうなれば、答えはひとつだ。
「
……
私か」
「そうだ」
肯定してついにオットーはフレモントから顔を逸らした。それにより、かすかに震える耳が、よく見えるようになる。珍しくも、緊張をしている様子だった。フレモントは、思わぬ告白を受け、面映いような気持ちになり、それ以上に自らが安堵していることに気付いた。ここからは駆け引きだ。間違いなく、相手は出方を窺っている。打つ手を誤れば、山羊は逃げ、二度と姿を見せぬやもしれない。
「お前は、諦めた、と言ったが
……
学生からのささやかな贈り物を見咎める気持ちはあるのだな」
今にして思えば、可愛らしい悋気だった。そう、可愛らしい。
「なんであれ、お前が諦めるのは、私としても残念だ。後一歩のところだったかもしれんのにな」
かすかに息を呑む気配。常に泰然とした青年のこのような反応。真実、今現在も心を傾けていると、告げられたようなものである。可愛らしすぎると揶揄いたくなってしまう。
「花の一輪でも摘んで、差し出されるだけでも」
「
……
出直す」
条件を耳にするやいなや、優雅な所作で挨拶して出ていくオットーを、フレモントは唖然と見送った。
そういえば、行動力の塊のような奴だったなと、思い返す。確実に勝つ方法があるならば迷わず選び、機会は逃さない。
もしかしたら判断を間違ったかもしれなかった。諦めたと言うのがそもそも。なんにせよ、どんな花を持ってくるのか、楽しみなのは間違いない。
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