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篠
2026-02-16 19:43:42
2680文字
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ベリー酒と結果的に惚気るおっきいニャンコ
「あ、待って黒様!」
予想通りテーブルの上に投げ出されたままの書類から、発行したばかりの小さなカードを拾い上げた。不機嫌そうな顔で前方を睨む黒鋼の写真が、右上に小さく載せられている。今まさに呼び止められた男がしている表情とそっくり同じだ。それでも大人しくファイの言葉を待っているあたり、可愛げがあると言えるのかもしれない。
「ほら、このカード見せないとお酒買えないってさっき説明されたでしょ」
「
……
そういやそんなこと言ってたか」
「言ってたよー。もう、黒たんってそういうとこあるよねぇ」
明らかに不服そうに口をへの字にしているものの、こと酒に関する話であったためか反論はない。その手に持たれると余計小さく見えるカードは、この国で身分証明書の役割を果たすのだという。黒鋼は矯めつ眇めつ見たあと、胸元にそれをしまった。
先に玄関で待つ小狼はきちんと携帯しているだろうが、少年にあたる彼のカードでは残念ながら酒類の販売は認められていない。
「黒鋼ってば忘れん坊さん♪」
「うるせぇ!」
「買うのはいいけどほどほどにねー」
どすどすと音を立てて大股で歩く背中に声をかける。自分も酒は大好きだが、彼ほど目がないわけではない、と思う。とはいえ財布は小狼に持たせているので、孝行息子が程よいところで呑んだくれお父さんを止めてくれるはずだ。
記憶力はいい。洞察力もある。まるで野生の勘だと茶化さないと受け止められないほど直感も鋭い。その性質は、ファイ自身がいやになるくらい思い知っている。
出会って間もない頃に伝えた言葉を、一言一句違わず記憶されていたのは顔に出さずとも随分驚いたし、嘘をついたときや何かをはぐらかしたときは、決まってあの鋭い目線が頬や首筋を刺すように向けられた。秘密が全て詳らかになるまで、何度急拵えの笑顔を貼り付ける破目になったかわからない。
それはそれとして、自分が対応すべきでないと感じたやりとりに関しては割といい加減なところがある、というのがファイの印象だ。先ほども役所の職員が旅行者に対する説明をしてくれている最中、黒鋼の思考は明らかに他所事へ向いていた。
思い返せば阪神共和国の頃から、会話をするファイたちに構わず見慣れない文化に気を取られている姿を目にした気がする。つまり興味の有無が耳を傾けるか否かの判断基準に直結しているのだろう。一方、過去のファイのように見過ごせない厄介事に対して、常に目を向ける危機感を持ち合わせている。これは職業病といえるかもしれない。
旅の中では主に小狼が、ついでにファイもこういった説明をきちんと聞く性格なので、初めから自身の役回りではないと考えている可能性もあった。日本国に居た頃は大層やんちゃをしていたと知世姫から聞かされている。おおかたそれに対する説教も、必要のないこととして聞き流していたに違いない。
だから下心なしとはいえ、お世話になった宿の仕様も覚えず、女湯に足を踏み入れるなんて真似をすることになるのだ。
あの件に関してはファイも擁護する気はない。黒鋼にやましい気持ちがなくとも、過ちは過ちである。幸か不幸か小狼の曇りのない眼によって、一応の反省はしたようだったが。
――
まぁ確かに黒ぽんって、説明書全部読まないで使い始めそうなタイプだよね。使ってみればわかるだろとか言って。逆に小狼君は最後まで真面目に読むだろうなー。モコナは一番察しがいいというか、読まなくても上手に使いこなしそう。
この場に居ない彼らに思いを馳せながら、窓を開ける。ざっと掃除をして空気を入れ替えて、備え付けの食器を洗ったくらいで帰ってきてくれると嬉しいな、などと考えながら。
ファイの想定より少しだけ遅れて、買い物を終えた一行が帰ってきた。大きな荷物の中でも、黒鋼が持つ重量感のある包みの一つが目を引く。中から緩衝材に包まれた瓶がぶつかり合う、鈍い音が聞こえた。
「おいしそうなのいっぱい買ってきたのー!」
黒鋼だけでなくモコナまで一緒だったのは、小狼に分が悪かったなと今更ながらに気づく。ファイも喜んでご相伴にあずかる身とはいえ、さすがにちょっと申し訳ない。おまけに生真面目な少年は、一応予算以内の買い物ではあるのだと庇うような発言までするものだから、余計いじらしくなって思わず茶色い頭を何度も撫でまわしてしまった。
「小狼君が気にする必要ないよー。どんなの買ってきたの?」
荷を置いた黒鋼が手早く包装を取り外していく。黒鋼が好みそうな辛口のものがいくつか、おそらく地酒だろうラベルの記載が多いものもいくつか。店員から聞いた説明を話してくれるモコナは、どの瓶にもまんべんなく頬ずりしそうな勢いだ。その中でも細身な輪郭のガラス瓶が、一際目立つ華やかな赤紫を輝かせ佇んでいる。
「
……
果実酒? 黒たんがこういうの買うの珍しいね」
ファイの疑問に答えたのは、黒鋼ではなく小狼だった。
「この国に来たとき、近くの公園に濃い紫色の小さな実がたわわに生っていて、それが貴方の国にあったものに似ていると言っていただろう」
「そうだねぇ、
……
あっそれのお酒ってこと?」
「ジャムや酒に使われるのが一般的だと教えてもらったんだ。その、味まで似ているかはわからないが」
「早速確かめてみないと!」
「白まんじゅうは早く呑みたいだけだろうが」
「わざわざ探してくれたの? ありがとう小狼君」
「いや、探したのはおれじゃなく」
そう言って小狼はがさがさと荷物を片付ける黒鋼を見上げた。黒鋼は隣に視線を向けることなく作業を続けている。
ファイもつられて彼を見た。周囲の様子を探りつつひとまず公園を散策していたときも、小狼が蔓を伸ばして育つ果実を見つけ、ファイが雪の下でも逞しく息づくその様子を懐かしんだときも、黒鋼はモコナの相手をしつつ興味がなさそうに少し離れた場所に立っていたはずだ。
「
……
黒るー、聞いてたの?」
「あ? 近くに居たんだから聞こえてるに決まってんだろ」
心底怪訝そうに言うものだから、ファイはすっかりおかしくなってしまった。
だって君、最初に役場への道を案内してくれた人の地元紹介も、オレたちに向かってあんなに一生懸命説明してくれた職員さんの話も、適当に聞き流してたのに。
きらきらと光る瓶を傷つけないよう、そっと手を伸ばす。未だにこちらを見ない黒鋼に礼を言って、見慣れぬ文字のラベルをなぞりつつファイは笑った。
「ふふ、楽しみだなぁ」
君ってば、ちょっと極端すぎる。
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