いを
2026-02-16 19:11:51
1673文字
Public 刀神
 

染めたての金色


ばれんたいん。
・空さん【EBIFLY_72】
お借りしています。

 チョコレートを溶かし、固める。そういったシンプルな料理過程にも、たくさんの想いがこめられていることを知っている。
 空とすみれが甘い匂いを漂わせながら、焦げ付かないように気をつけながらチョコレートを溶かしている。垂はそれを眺めながら雑誌を捲った。年に4回やってくる購買意欲を刺激される通販雑誌だ。安くてよさげでほしいものがあるページに付箋を貼りつけながら、なかなかにけちくさいなと自覚した。
「空、具合はどうですか」
「いい感じ!」
 すみれはとなりで忙しなく、ゆるゆるとほどけるチョコレートをつま先立ちで眺めている。その目はとても輝いていて、台所の窓から入ってくる日光でよく照らされていた。
 変わったと思う。表情があれほど乏しかった彼が、空と過ごすうちに目で訴えかけるようになってきた。自我がでてきたのだ。すこし、遅いかも知れないけれどこれは子どもにとって必要な通過儀礼――イニシエーションだ。
 雑誌をテーブルにおいて鍋を覗き込むと、ふわりと甘い匂いが漂ってくる。上手に溶かせたようだ。
「そろそろ火を止めていいですよ」
「うん」
 空がうなずくと、すかさずすみれがカチリと火を止めた。得意げな笑みだ。
「これだけでもおいしそうですね。えっと、あと必要なのはこれ……。なんだか懐かしいというか」
 カラフルなカラースプレー。ハートのかたちや、銀色の小さい粒のようなものもある。それからちいさくてかわいらしい柄の包み紙。
 思わず過去を懐かしんでしまいそうになりながら、すんでのところで我に帰った。
「冷蔵庫にありますからね」
「うん」
 髪をポニーテールにしたすみれが垂を振り返って、ぐっと親指を立てた。どこぞで覚えてきた、最近ハマっているであろうハンドサインだ。溶解炉に溶けるのはアンドロイドであって、チョコレートではない。こちらも負けじと同じく親指をたてる。
 ふと、インターフォンが鳴る。台所から離れてももう大丈夫だろうと、玄関に向かった。のぞき窓をのぞきもせずにふわりと開けてしまったのが運の尽きだった。顔があきらかに引きつる。
「あ……あね、姉貴……ッ」
「垂! 元気だった!」
 おおよそ刀遣いがしないであろう悲鳴が轟く。モデルもかくやというすらりとしたプロポーションと顔面の姉は、長い髪を揺らしてハグをしようと――突進といっても過言ではない――したが、ぬるりとそれを躱した。
「ちょっとは姉孝行しなさいよー」
「イ・ヤですッ! ていうかあね……姉さん、海外行ってたんじゃなかったんですか」
「フランスなら飽きて帰ってきちゃったぁ」
 フランスとは飽きるものなのか。庶民派の垂には分からない。
「んま、あたし忙しいから、顔見に来ただけ。あ! あとこれね、パリのショコラティエが作ったショコラ! 聖バレンチノの斬首刑日にア・タ・サンテ! オルヴォワール!」
 忙しなく放り投げられた四角い箱をはっしと受けとって、ため息をつきつつあっという間にメルセデスベンツに乗り込み颯爽と去っていく姉を眺めた。悪い人ではないのだけれど、垂は振り回されっぱなしである。
 手の中のチョコレートの箱をカラカラと振りながら台所に向かう。
「垂! さっきものすごい悲鳴が聞こえたんだけど、なんだ? 妖魔か?」
「失敬な。僕の声ですよ」
 台所の真ん前で立ちはだかっている二人を見下ろす。彼らを横切ろうとすると、すみれがダメ、という顔をした。
「垂は待ってろよ。あとはおれたちでやるから!」
……そうですか? それじゃ、楽しみにしてます。くれぐれも気をつけるんですよ」
 すみれ渾身のサムズアップを信じることにして、そのままきびすを返して居間に向かった。
 冷所――居間の死角に隠しておいた紙袋を取り出して、ひいふうみいと数えた。ちょうどみっつある。デパートでこっそり買ってきたチョコのテリーヌだ。喜んでくれるとよいのですがと思い乍ら、座布団に坐った。
 暖かな春の日。よい思い出になるだろう。空にとってもすみれにとっても、自分自身にとっても。