たぶん私は世にも珍しいものを見るような目で見ていたのだろう。今日がバレンタインだということは知ってはいたし、そこかしこでチョコレートの香りをまとわせたひとびとも見た。が、私には縁遠い日だと理解もしていたのでいつもどおり過ごしていたのだけれど。
――紫垂月頼宗、彼がわざわざ菓子店に出向いたのだと考えると、なにも感じないわけがなかったのだ。その美しいチョコレートを、目を細めて眺める。
前々から練り切りは好きだった。
職人の腕次第で、限りなく美しくなる。「食べるのがもったいない」と思えるのだから。私が先ほどそう伝えたように。
彼の指がそっとくちびるをなぞる。
「君がそれを食べるのを見届けて、その唇に触れられたら満足なんだ、僕は」
あまり血色のいいほうではないそこでも、これらを食べればすこしは色づくものなのだろうか。きっとそういうことではないことは分かっている。これは私の照れ隠しだから。胸中だけで完結する癖はいまだ、抜けていないようだった。
褒められる癖でないことも理解しているのだけれど、そうやって育ってきてしまった。波にあっという間に攫われるような、やわらかい砂浜のような癖ではないのだろう。
そうして、照れ隠しついでにくちびるを開く。
「初春の令月にして、気淑く風和らぎ、梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後の香を薫らす。よい春の日です」
外も初春にしてはあたたかい。そろそろ梅のつぼみも膨らむ頃だろうか。
「いただいても良いですか?」
「いいよ」
練り切りを模したチョコレートをひとつ、指先でつまんで食む。あまり甘くはなく、けれども濃厚ではあった。苦みもあり、甘さもある。なるほどチョコレートというものはこういったものだった。
「とてもおいしい。ありがとうございます。紫垂月殿」
口もとをほころばせ、素直に伝える。
一度に食べてしまうのがもったいなく思えて、しばし行儀良く並んだチョコレートを見つめた。
「あ、そうだ紫垂月殿。私も――」
用意をしていたのだった。固形のチョコレートではなくリキュールだけれど。洋酒なのだが気に入ってくださるだろうか。そう思い乍ら腰を浮かそうとした――が、彼の手のひらが私の手首をやわらかく掴んだ。
「僕にも味わわせてくれるんじゃなかった?」
「……そう、でしたね」
では失礼して、と色気もないことばを呟いて向き直り、ほおに手のひらでふれる。どくん、どくん、と脈打つからだの中身。いつまでたっても慣れないそれを押し込んで、くちびるを彼のそこに押しつけた。濃厚なぶん、彼にも味が分かればいいのだが。
何度かついばむように口付けをし、顎を引く。
「甘いね」
「はい」
彼は自身のくちびるをそっと舌でぬぐうようにしながら呟いた。
「あなたにもチョコレートの雰囲気を分かってもらえたら嬉くて、リキュールを用意してあったんです。夜、いかがですか」
「りきゅーる。洋酒?」
「ええ。洋酒です。苦手ではなかったら」
紫垂月頼宗は笑い、「もう一回」と箱に入ったチョコレートを指差した。――美しいひとは美しいものに惹かれるのだろう。
私はもう一粒、おごそかにそのチョコレートを持ち上げた。
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