【スタゼノ】歌の中の歌

スタゼノワンドロワンライ 第241回お題「愛してる」
雨に降られてジャズバーに入ったスタンリーとゼノが、一人佇む女と喋る話。スタンリーはほとんど喋りません。

 俺達がそのバーに入ったのは、ただ今夜が雨だったからだった。そして俺達が珍しく車じゃなく、歩きで街を移動していたからだった。
 俺達はモーテルに車を停めたまま、食事に行くつもりだった。でも、その途中で強い雨が降って来て、逃げるように灯りのついたあのバーに入ったのだった。
 いつもなら車で素通りするそこは小洒落たジャズを流す場所で、ドアを開けるとまだ二十歳になったばかりくらいの若い女が一人、バンドを背景に小さな、薄闇の中に浮かび上がるようなステージで歌っていた。見渡した限りの客層はまちまちで、男も女も、いろんな人種がいた。ホワイトカラーも、ブルーカラーもいた。多分、俺達みたいなゲイもいた。でも、そんなのは今は大した問題じゃない。
 俺はバーテンダーへカウンター越しに酒を頼み、ゼノも同じものを、と言った。そして軽く乾杯をして――さっきまでのあんたはいつにも増して最高だったってからかって――酒をあおった。でも、ゼノはすぐに何かを見つけた。真っ黒な瞳が、夜の闇のような、空のような瞳が興味深げに光った。それはよくあることだったけれど、俺はまたかって思って彼が見た方向に目をやった。
 ゼノが見ていたカウンターの端にいたのは、何かを思案するような、派手なメイクをした、まるで歌手みたいなきらきら光るスパンコールが縫い付けられた衣装を身にまとった女だった。彼はそんな女を見て、科学的な興味を持ったようだった。それが何だったのかは分からないが、気を引かれたみたいだった。そして俺にこう言った。失恋でもしたのかな、と、普段の彼なら言わない、少々踏み込んだことを。
「あんた、もう酔っ払ったん?」
「紳士としては込み入った事情の女性を放ってはおけないだろう?」
「あんたが紳士? あんたはさっきまで散々……
「君、彼女に僕たちと同じものを」
 俺が皮肉を込めてゼノに文句を言おうとした時、彼はどういうわけかそんなことを言った。すると女が顔を上げる、俺たちを見る、男二人の組み合わせに疑問を持つ、警戒する。なので俺はとっさにゼノの腰に手を添えて、敵じゃないと訴える。俺達はそういう仲なんだって、だから安全だぜって女に訴える。
 そうすると、彼女は表情をようやく崩して、こっちに来てってジェスチャーをした。そして俺達はその女に近寄った。きらびやかな衣装に身を包んだ、きっと歌手だろう女に近付いた。
「あなた達、見ない顔ね。この店ってデートに使いやすいのに」
 女は名乗りもせず、この店はゲイも歓迎よと笑った。だが、その声はかすれていて、グラスにぶつかる、爪に塗られたマニキュアは剥がれていた。彼女はどこか、放心しているようにも見えた。だから俺はまさかゼノの言う通り、失恋をしたんだろうか? と思ったのだが、先に言ってしまうとこれから俺はそれは間違っていることを知る羽目になる。まぁ、さっきのゼノの当てずっぽうのプロファイリングを信じるなんて馬鹿なことだったのかもしれないけれど。いや、もしかしたら、彼は俺の気を引くために、わざとそう言ったのかもしれないけれど。
「どうしてお酒を奢ってくれるの? 私がぼんやりしてたから?」
「僕達が今機嫌がいいからだよ。気分が大きくなってるのさ」
「あら、もう今夜は楽しんだ後ってこと?」
「さぁ、どうかな。今から楽しむところかもしれない。君は? 男を待ってる?」
 俺はその気まぐれな会話を聞きながら、女の手入れされた髪を見た。しばらく会ってないお袋とおんなじ、ブロンドの巻き毛。マリリン・モンローとまではいかないが、気合いを入れたセクシーな胸元。
「違うわ、私の場合は男が出て行った後。まぁ、男って言っても、商談相手だけど……
……君はここの歌手で、商談相手はレコード会社のエージェントとか?」
 ゼノのその言葉に、女は目を丸くする。そして暇そうなバーテンダーを睨み付けるが、バーテンダーは冤罪だって肩をすくめる。何が冤罪なのかは知らないが、女が歌手で、そしてレコード会社のエージェントと会ってたってことは真実なんだろう。
「そうよ。確かに私はこのバーの歌手で、CDを出さないかって話を持ちかけて来た男と会ってたわ。でも、あいつの目的は私と寝ることだったんだけどね」
「よくある話だ」
「えぇ、よくある話ね」
 女はグラスに口を付け、そして付け加えるように、自分の生い立ちを語った。唐突に、でも、皮下に黄色く溜まった膿を吐き出すように。
 女の人生は、確かにゼノの言った通り、彼女の言った通り、よくあるものだった。歌手に憧れた、トレーラーハウス育ちの少女がバーで歌うようになり、CDデビューを夢見る話。そしてそこにつけ込んだ業界人の男に、愛人にならないかと誘われる話。
 そろそろ三十が近くなった女は、今夜このバーで男と話すうちに、もう愛人になってもいいかと思い始める。でも、心に嘘はつけない。大好きなジャズ、大好きな歌、それを俗っぽい男に奪われたくはない。唯一の救いだった歌を、自分以外の自由にされたくはない。だって、愛を歌うのが、私の仕事だから。
 そして女は申し出を断り、男は去って行った。話はここで終わり――いや、今に続き、彼女はぼんやりとバーに佇んでいたというわけだ。そこに俺達がやって来た。雨に濡れて、それほど興味のないジャズが鳴り響くこのバーにやって来たというわけだ。
「どうしてこんなふうに喋っちゃったのかしら。あなた、カウンセラーか何か?」
「いいや、科学者だよ。僕のボーイフレンドは軍人なんで、ケアのために医学書はいくつか読んだけどね」
「ふぅん、無口な軍人さんね。売り出し中のモデルかと思ってた」
 女はそう言って何も喋らない俺を見つめて、そっとグラスを空にした。
「君は歌わないのかい? さっきからずっとステージを見てる」
「今夜は休みだもの。それに、あの子の仕事を奪っちゃ悪いし」
「でも、今の君は歌いたそうだ」
 ゼノが首を傾げて言う。女はその言葉にしばらく考え込み、バンドが新しく演奏を始めた音楽を聞いて、思い出したようにこう言った。
「お酒を飲んだから、声がしゃがれてるわ……
「いや、それがセクシーなのさ。この曲にぴったりだ」
「本当に?」
 女がどこか、何かを見つけたように笑う。そしてステージの歌手の声をなぞるように、目を伏せて歌い始める。でも、その声は次第に力強く、大きくなってゆく。
 ――愛している
 ――それこそ歌の中の歌
 ――そしてその全てが、あなたと私に繋がっている
 スキャットを効かせたそれに、バーの客達がカウンターを振り返る。女は、歌手を夢見たかつての少女は力強く歌う。それを聞き、見たゼノは、観客が彼女に注目した隙に、グラスを持つ俺の手に軽く指を絡める。そして、俺は歌に合わせて、唇を動かす。
 その時、俺が何て言ったかって?
 なぁ、それを聞くのは野暮ってもんだよ。音楽に疎いこの俺が、歌で伝えたいのはたった一つだったから。そう、だって歌の中の歌は、この世でただ一つなのだから。


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