はらす
2026-02-15 15:54:31
3103文字
Public 忘バ
 

20260214桐智 バレンタインまで、あと一週間

2026/02/14 桐智 バレンタイン2026 大学生でバッテリーを組んでる桐智 3100字

「要くん、バレンタインのチョコって最高何個貰ったことある?」
来週はバレンタインだ。二月と言えば運動部のオフシーズン。部室棟は人が少ない。野球部はもっと少ない。古く汚い部屋には俺と要のふたりしかいない。寒くて薄暗いが、夏の環境整備の方が大切なため、扇風機だけは十台以上あるのに暖房は一台しかない。自主練後の勉強会といってふたりでタブレットを覗いているが、要にぎゅっと肩を押しつけ座っていても、反対側はやや冷えた。誰もいない右肩に、その辺に転がっていたジャージをかけた。
「悪趣味な質問しますよね」
要は画面から目を離さず、口だけ動かす。俺の軽口を拾うより、ノートにメモをする方が大切らしい。まあ、そうか。俺の雑談にいちいちフルスイングで答えていたら何も進まないまま日が暮れてしまうことを、この一年で学習したから。息をするように、ごくあたりまえに、適当な相槌を返すようになった。実のところ、そのくらいの方が、俺にはちょっと心地よい。
「いつものことやん?」
「そこ、開き直るんですか?」
「うん」
頷くと、要は小さく吹き出した。「腹立つな」と言いながら、目は優しく弧を描き、口角は心持ち上がっていた。面白かったらしい。
が、ふいに真顔に戻った要は振り向き、じっと俺を見つめた。
「俺だけ聞かれるのって、不公平だと思うんですけど」
「俺が何個もらったかってこと?」
そうです、と要は頷く。静かな声だったが、好奇心を隠せずにいた。声が少しだけ弾んでいる。
「俺なあ、高校ん時に、三九個もろたんが最高やねん。サンキューやな」
「そのオヤジっぽいダジャレいります?」
いやいや、要くん。突っ込むんやったら、笑ったらあかんやろ。口元が緩んで波型になっとるやん。
まあ、でも、せっかく突っ込んでもろたから、もうちょっとこのネタ続けよか。
「いちばん拾わんでええとこばっかり突っ込まんどいて。『たくさん貰ったんですね』って素直に言うたらええやん」
「たくさん貰ったんですね」
「んふっ、棒読みありがとう」
要の声は震えていた。笑いを押し殺しているのがばればれだ。でも俺だって、棒読みには棒読みで返さなおもんない、と感じつつも、ついつい小さく笑ってしまう。あかんなあ、こいつとおると、笑いの沸点が下がってしまう。常に一二〇度くらいでいたいのに、今やったら四〇度くらいか。ぬるま湯やん。でも、ええ湯加減や。
「ところで元の質問に戻るけど」
俺が話を元に戻すと、要は唇を突き出した。俺と二人だけの時に見せる子供みたいな不満顔だ。でもたぶん、本人はそんな顔をしているなんて気づいていない。面白いから弄りたいけど、やめてしまったらつまらない。
「このまま忘れてくれても良かったのに」
「あほかい。絶対聞きたい質問やのに、忘れへんやろ」
「はあ……で、なんでしたっけ?」
誤魔化したいのか、何としても回避したいのか、要は質問を逸らす。でも、すこし首をかしげて困ったようにこちらを伺う仕草が可愛かったので、笑いそうになる。
「バレンタインに何個チョコもらったか?やんか」
「ないですよ。ないです。もらったことないですね」
要はばっさりと言い切った。その言い方やと、逆に怪しいで要くん。
「うそやん?ほんまに?野球部やで?」
「俺の知ってる野球部はチョコレートもらわないですよ」
要はそう嘯いた。あほかい。同期のやつらを巻き込むなや。清峰なんか、もらってないはずないやんか。
「はあー!小手指どないなっとんねん」
「正確に言えば、断ってたんですけど」
「ああ、ほお、なるほど?」
断る意味が良く分からなったが、理由を聞いても意味は分からないんだろう、ということだけは分かった。まあ、理由は特に重要じゃない。それより。
「したら、今年受け取るチョコが、人生で初めてのチョコやな?」
「え?今年も受け取りませんよ?」
「いや、俺が今、決めてんけど」
持てる限りの胡散臭さを総動員し、意味ありげに目を細めて囁いた。絶対に怪しさが伝わるように、わざとらしく。
「あ、いや、じゃあ、それは」
要は動揺して口ごもる。うん。これで気づかんかったら、俺が困るところやったわ。
「俺は、もらうのはプロ級やけど、あげる方は初めてになるな」
「はあ」
要の反応はぼんやりとしている。なんでやねん。ここまで言うたのに。
「もしかして、俺のも断る?」
「しませんよ!」
噛みつくような勢いで否定する要が、あまりに面白くて愛おしい。安心で、鼻から息が漏れた。思っていたよりも緊張していたらしい。俺もあほやな。
「したら、要くんからも欲しい……なんか買うてえや」
「ああ……まあ、いいですよ」
素直に頷く要を見て、ちょっと違うな、ということに気がついた。なんだろう。これじゃない。この流れじゃない。
「いや、やっぱいらん」
「なんですか?勝手過ぎますよね」
要は眉間に皺を寄せた。目元のほくろにも小さな皺が寄り、咄嗟に、可愛いなと感じた。
「だって、ココア味のプロテインとかになりそうやもん」
…………チッ」
「うーわ、舌打ちやん。先輩やぞ」
ケラケラと笑うと、要はますます皺を増やした。憮然とした顔ってこんな表情を言うんだろう。これも、ふたりだけの時に見せる顔だ。もう誰にも見せたくないな、こいつのこの顔。
「人にものをあげるのって、慣れないので……
不正解を引きたくないんだろう。人間関係に慎重な要の性格がよくでていた。普段ばばっさり切り捨てる分野なのに、俺に対しては迷っていることに気をよくした。
そうか。そうだよな。
それなら、今日なら、いいだろうか。
「ほんならな、形のないものがいい」
「え?」
きょとんとした顔で要が振り向く。タブレットの光が要の少し幼さのある顔を照らしていた。
「たとえば、キスとか」
「は?」
「それか、好きです付き合ってくださいっていう告白とか」
「あ?」
どっちでもええで?
諭すように、唆すように、要に向かってゆっくり囁く。
目を白黒させて驚く要が面白い。しかも、よく見ると耳が赤い。可愛らしい。でも、俺も、頭の後ろがちりちりと緊張しているのを感じる。
「俺な、要くんのこと好きやねんけど」
「え?急に?」
「急ちゃうやろ、わかってるやろ、お互い」
分かってるけど、ふたりとも分かってない振りして過ごしてきたやん。
要はうなずいて視線を落とす。黙り込んだ顔は、先ほどまでとうってかわって表情がなく、急に不安が押し寄せてくる。
「でも、せっかくバレンタインやから、ちゃんと言うとこうと思って」
だから。
「だから、要くんも」
そこまで言って口を閉じると、じっと何かを考えていた要は、ゆっくりと頷いた。
「わかりました」
そう言って、要は挑むような瞳で俺を見つめる。このまなざしが好きだと思う。今までも、試合で、練習で、部室で、何度も浴びてきたこの瞳の強さが、これからは野球以外でも俺だけのものかと思うと腹奥が熱くなった。
「じゃあ、当日楽しみにしてください」
要は右手を伸ばし、俺の唇に人差し指をあてた。
野球で鍛えられた指先は、ザラザラとカサついているのに、押す力はやわらかい。野球をする硬い指と、触れ方の優しさが混ざり合い、俺に触れているのは要圭でしかないことを思い知る。
息が詰まる。隣に要がいるなんてあたりまえのことなのに、ただ唇に触れられているだけやのに、こんなにも心臓がうるさい。バレンタインまで、あと一週間。長いのか、短いのか、もう分からなくなった。
当日は、きっと、もっと柔らかいんやろうな。