むかいえ
2026-02-15 03:35:55
4529文字
Public シャアム
 

こころをひとさじ

シャアムワンライ、お題「バレンタイン」。アラハマ軸。

 平日昼下がりのファミレス。ランチの繁忙を乗り越えて閑散とした時間帯でも、安価で居座りやすいファミレスはそこそこ人の出入りがある。
 ノートパソコンを広げたスーツの男性。がやがやと話に夢中なマダムの一団。受験勉強でもしているらしくノートに齧り付く青年。アムロはドリンクバーから自分の席に戻りながら、なんとなしに店内を見回していた。彼は単純に遅めの昼食を摂りに出てきただけである。人混みを避けた時間帯を選んだ結果だった。
 二人掛けの席に戻る。食事はすでに食べ終えて、皿も下げられている。食後に何か飲もうと立ち、コーヒーを入れてきたところだった。
……既婚者なの、その人」
 そこでなんとも前後の文脈が気になる声が聞こえて、アムロは目を瞬かせる。
 声は衝立の向こうからである。アムロが来店した後に女性客が二人、衝立を挟んだ隣の席に案内されていたのは覚えている。人の波が捌けても騒めきの絶えないファミレスでは多少話し声を拾ってしまうのは仕方がないけれど、これまで気にならなかったのはアムロ自身が食事に集中していたからだろう。
 淹れてきたばかりのコーヒーはまだカップの三分の一も減っていない。聞こえて来る会話をなるべく気にしないようにしながら、アムロはスマートフォンに視線を向けた。
「え……不倫したってこと?」
「んなわけないでしょ……! 好きも何も伝えてすらないし!」
「じゃあ相談って何よ。言っとくけど不倫に手を貸せなんて言うなら絶交だから」
「ふん、あんたがもし手伝うよなんて言い出してたら私も絶交するわよ」
 駄目だ意識を逸らせない。スマートフォンの画面に映る文章を追っても目が滑るばかりだ。諦めて女性客たちの会話に聞き入る。盗み聞きには心の中で謝罪した。
 二人は気安い友人らしい。ぽんぽんとテンポよく交わされる会話はこうである。
 相談者の女性が最近、会社の同僚を好きになった。しかし彼は既婚者であり、諦めようと思っているのだが、この思いを押し込めることができない。どうしたらいいか?
「そもそもさ……ただの同僚としか思ってない人から急に『実は好きでした』とか言われたら嫌でしょ。気まずすぎ。私なら無理。しかも奥さんいるし。奥さんと電話してるの見たことあるけど本当に優しい声でさ、あ~本当に奥さんが好きなんだな~って思うわけよ。もう完敗よ完敗。掠奪だの不倫だのしたところで私にはあんな幸せそうな顔なんてさせられないのよ。いやしないけどそんな人として終わってることするわけないけど! でもでも好きなのよこの気持ちどうしたらいいのよぉ……
「あ~~~……
 滔々と思いを語る彼女に、相談を受けている方の女性が形容し難い声を出している。ほんのり涙が混ざる声は切実で、相手の男を本気で好きになってしまったのだなあと全く関係のないアムロにすら憐憫を抱かせる。
……私、異動の話も受けてるから、多分近々、物理的には離れられるの。だからちょっとずつね、気持ちの整理はできるかなって思う。……ただ、自分の中に仕舞ってられないのよ。どうしたらいいの……でも好きなんて真正面から言えない……異動しても社内は一緒なんだからさぁ
「ふうん……じゃあいっそ紛れ込ませてみたら?」
「ぐすっ……紛れ込ます?」
「ほら、もうすぐバレンタインだし、ちょうど良いじゃない。どこもバレンタイン一色じゃん。十四日はどうせ義理チョコでーすって職場にばら撒く奴が絶対いるわ。アンタもばら撒くのよ。そんで、その人にチョコと気持ち押し付けて終わり」
……バレない?」
「バレないバレない。あっ、贈る食べ物で意味が変わるとかなかった? それも利用しましょ」
 しばしの無言が落ちる。恐らくくだんの意味を検索しているのだろう。
 気になったアムロも手元のスマートフォンで手早く調べてみた。マカロン、キャンディ、ドーナツ、クッキー……見るだけでも甘そうな菓子のラインナップに『バレンタインに贈る意味』なんて文言が添えられている。これまで知らなかったアムロは感心してしまった。世の女性は細かいところまで調べて贈り物をしているらしい。
 バレンタイン特集、というサイトを流し見していると、アレンジメニューなんてものまで出てくる。チョコレートを使ったお菓子、飲み物……アムロはそれを見て、ピンと思い立つものがあった。
 やがて隣の席では「これとかどう?」と彼女たちの会話が弾み始める。アムロはいつの間にかぬるくなってしまったコーヒーをさっさと飲み干した。
「異動して落ち着いたらビュッフェ行こ。チョコフォンデュあるとこね」
「うん……ありがと……
 顔も知らない女性たちの作戦が上手くいくように願いながら、荷物を手早く纏めて会計の支払いに向かう。
 いいことを聞いたな、と思いながら。
 
 ◆
 
「これはまた随分と買い込んだな……?」
「急に食べたくなったんだ」
 今日も今日とてアムロの家にやって来たのは、仕事終わりのシャア・アズナブルである。
 バレンタイン当日。社内は浮き足だって其処此処からほんのり甘い香りが漂っていた。当然、シャアも綺麗にラッピングされたチョコをいくつも受け取っている。もはや毎年のことだ。引き止める声もあったが、彼はアムロとゲームをする約束を理由にさっさと退社していた。
 うきうきとアムロの家にやって来たそんなシャアは、テーブルの上を陣取る菓子の山々に目を丸くする。定番のポテトチップス、煎餅、おかき。ツマミなのか、チーズやナゲット、フライドポテトもある。
「バレンタインフェアしてたから、逆に塩っけが欲しくなってな」
「そうか……
 アムロは普段そこまで菓子を含めて食事に関心は乏しい。そんな彼が多くの食べ物を買い込んでいることに内心訝しみながらも、シャアはすでに準備されているゲーム機の前に座る。ちらりと盗み見たアムロはいつも通りに見えた。「あなたも食べていいぞ」とそっけなく言われ、一番手近にあったフライドポテトをつまむ。
「今年もチョコは貰ったのか? 色男」
「は? ……ああ、まあ……だがほとんどが義理だろう。ありがたいことだが、しばらく甘いものはいらないかもな」
「ふうん。……じゃ……俺からはこれで。しょっぱいのもいいだろ」
「ふむ、確かにそうだ。ありがたく受け取るよ」
 塩分過多だが……と苦笑した。シャアがバレンタインデーに同僚から多くのチョコを貰っていることは、そこそこ長い付き合いであるアムロも知っている。それを踏まえて準備してくれたのかもしれない。彼の気遣いにちょっと感動しつつ、シャアもまたコントローラーを握った。
 アムロがカチカチとコントローラーを操作し、テレビの液晶画面が変わっていく。
……ん。とりあえずこの前の続きからやるぞ」
「ああ」
 それからは時々菓子をつまみながらゲームを進める。いつものことだ。バレンタインのことも、シャアの頭から抜け落ちていった。
 
……ハァ……よし。休憩する。……何か飲むか?」
 一区切りついた頃には、ゲームを始めて二時間ほど経っていた。
 目元を揉みながらアムロが問う。テーブルのカップはすでに空だ。塩っけの強い菓子やツマミのおかげで注がれていた麦茶は飲み干してしまっていた。
「何がある?」
「あー…………、ココア……とか?」
「ココア? 珍しいな」
……別に。しょっぱいやつの次は甘いやつが飲みたくなるだろ」
 アムロがいそいそと立ち上がりふたつのカップを持ってキッチンへと消える。シャアに聞いておいて選択の余地はないらしい。ぐっと凝り固まった背筋を伸ばして、彼も一息つく。ソファに背を預け、天井を見上げて目を閉じた。
 キッチンから聞こえる物音が耳を打つ。かたん、ことこと、がさり、からから。一人暮らしでは気にも留めない生活音の一つ。自分以外の音。誰かが――アムロが自分のために動いているのだと思うと、じんわりと胸の奥があたたまる気がした。
 やがてふわりと漂う甘い香りに、シャアは目を開ける。「ん」と差し出されたのは赤いマグカップだ。アムロは一人暮らしの男らしく、食器もコップもひとつずつしか持っていなかった。来客時は紙コップを使っていたのだが、彼の家にあまりに入り浸るシャアが持参して以来、そのまま置いているものである。
 アムロもまた自分用の白いマグカップを持ちながら、シャアの隣に腰掛ける。二人分の体重を受けたソファが僅かに軋んだ音を立てた。
 カップの中身は宣言通り、ホットココアだ。まだ少しばかり熱いそれを一口飲むと、柔らかな甘みが口の中を満たす。知らずほうと息を吐いた後、「ん?」とシャアは首を傾げた。後味がココアだけの甘さではなかったからだ。
「アムロ、チョコでも入れたのか?」
 何気なく隣を見やると、マグカップを持つアムロの手が揺れるのが見えた。
……ただの隠し味だ」
 ぼそりと呟いて、彼はちびちびとココアを飲み始める。なんだかバツが悪そうに、頑なにシャアの方は見ず、静止モードにして動かないゲーム画面をじっと見つめている。いつもはっきりものを言う彼の珍しい様子に、シャアはぱちぱちと目を瞬かせた。
 そんなに気にすることだろうか? 隠し味にチョコを入れることが――――……と、そこまで考えたところで、ア、とシャアの口が間抜けに開く。そうして咄嗟に引き結んだ。でなければ、にやにやとだらし無く緩んでしまいそうだったからだ。
 そう言えば、今日はバレンタインである。
「アムロ……三倍返しは期待しててくれ」
「! ……別に、そんなつもりじゃないからなッ」
「フフ……
 シャアが気付いたことに気付いたアムロが、ぷい、と今度は顔を背ける。シャアからはアムロの柔らかそうな髪と、その隙間から覗くほんのり赤みがかった耳しか見えない。
「ありがとう、アムロ」
……ん」
 随分と回りくどいチョコレートだ。もしかしたら、甘い飲み物をシャアに自然に渡すために、しょっぱいものを用意したのだろうか。だとすれば、なんといじらしいことだろう。しょっぱいものも嬉しく、チョコレート自体も嬉しい。シャアの優秀な頭脳が導き出す予想に、結局にやにやと口元が緩んでしまう。
 
 アムロと共に遊ぶのは楽しい。彼のことは生涯のライバルであり、無二の親友だと思っている。だからこそ、それ以上を望みながらも一歩踏み込むことを躊躇ってしまう。今の関係が心地良いからこそ壊したくないのだ。
 どちらともなく、互いを特別視していることは察していた。けれどその意味を擦り合わせることはない。決定的な言葉は双方言わないまま。今の二人は、指先が不意に触れ合っては引っ込める、そんな焦れったさも含んでいる。
 いつか踏み越えるラインを前に、もだもだとした甘酸っぱい時間。それすらもシャアにとっては好ましい。
 チョコレートの溶けたココアの甘い香り。彼の心の隠し味。ソファに隣り合う二人の間に流れる、静かで穏やかな空気はなによりも尊い。ああ、だから――今はもう少し、このままで。