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ながひさありか
2026-02-15 00:31:39
9469文字
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STR-Phaidei
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明日は花束を持って行くから
・二相楽園のグラフィエ学院生徒の同級生学パロでバレンタイン
・ぜーんぶふわふわ
『@門のそばのパシャねこのところで待っててくれないか? 橋の上にデイジーさんがいる方だよ。そこで待ち合わせしよう』
そんな風に、一ヶ月も前に勝手にモーディスの予定をおさえてきたのはファイノンの方だった。期待するような青い瞳をちらちらとモーディスに向け、日付に言及して欲しそうな彼に「何が食いたい」と尋ねてしまったのは、今年が付き合って初めてのバレンタインデーだったからだろう。モーディスは週に二度ほど弁当をファイノンに作ってやっていたが、チョコレートの好みはまだ知らなかったからだ。
「なんでも。君が作ってくれるものなら」
「後で文句を言うなよ」
「言わないさ!」
やった! と嬉しそうに破顔して抱きついてくるファイノンを押し除けられず、モーディスは食べづらい体勢のまま弁当をつつく。甘めに焼いた卵焼きを掴むと、体重をかけてきていたファイノンが「あー」と口を開くのが見えた。
「お前の弁当にも入ってるが」
「僕が食べた分持って行ってくれ」
「
……………………
」
自分の弁当から食えと言ったつもりなのだが。そう口にするのは簡単だったが、食べさせて欲しそうなファイノンの要求を断る方が面倒だった。眉を下げた哀しそうな表情でじっと顔を覗き込んでくるような男だったからだ。普段はそんな顔をしないくせに、モーディスに言うことを聞かせようとする時ばかりそんな顔をする男を、モーディスは何故か冷たくあしらうことができないでいる。
モーディスは誰もいない屋上を眺めてから、諦めて箸で挟んだ卵焼きをファイノンに差し出た。
「ん
……
、うわっ、甘すぎないか?」
「人のものを取っておいて文句を言うな。だからお前の弁当にも入っていると言ったんだ」
モーディスは食べておいて文句をこぼすファイノンの弁当箱から出汁で味付けをした卵焼きを摘み、ファイノンが食べた分だけ口に運ぶ。出汁のいい香りが広がり、上手く焼けていたが、好みの味とは少し違う。ファイノンに食べられてしまった卵焼きの方が自分好みだった。
*
夏季休暇の直前、屋上で昼食を食べていたモーディスに「君の親ってマメなんだな」と購買部のハンバーガーを片手に尋ねてきたのがファイノンだった。
ファイノンはバスケ部に所属している隣の席の男で、休み時間はいつもクラスメイトに囲まれていた。図書委員をやっているモーディスは帰宅部だったが、時々人数が足りないと一つ上の先輩
——
プトレマイオスから呼び出されて、バスケ部に連れて行かれることがあり、ファイノンと何度か試合中に対峙したことはあったが、教室では用がなければ話すことはなかった。ファイノンは陽だまりのように明るい男で、クラスメイトと話す声も不快ではなかったが、かと言ってそれほど強い興味もなく、モーディスはいつでも隣で黙々と本を読んでいた。だから、積極的に会話をしたことはそれまでになかった。
人当たりが良く喋り好きの彼が人気のない屋上に来たと言うことは、囲まれるのに疲れでもしたのかもしれない。そう思いながら、「弁当は自分で作っている」と特に感慨なく答えた。
「え、君が?」
大きな瞳を見開き、ぱちぱちと瞬かせたファイノンは心底意外そうにモーディスと弁当に交互に視線を向け、へぇ、と感心したようにこぼす。
「悪いか。自炊が趣味だ」
「いや全然悪くはないけど、意外だと思って。実家が金持ちって聞いたけど、もしかしてあんまり親が家にいないとか?」
「
…………
不躾な奴だな」
「すまない、聞いてほしくなかったなら謝るよ。でも、僕も親が共働きなんだ。と言っても庶民と一緒にされても困るかもしれないけどね。ええと何が言いたかったのかと言うと、僕も自炊はできるけど昼食代はもらってるし、昼まで作ろうとは思わないから、余程外食に飽きてるのかな、なんて」
「
…………………
」
もしかして正解? と笑ったファイノンに、碌に話したこともないくせによく喋る奴だ、とモーディスは感じた。それでも踏み込みすぎだ、と一蹴してしまわなかったのは、ファイノンの人好きのする顔に少しの嫌味も乗っていなかったからだろう。
「バスケ部のくせに健康に悪いものを食うのか」
話題を変えるために、モーディスは何故か隣に腰を下ろしたファイノンの広げる不健康そうなハンバーガーセットに目を向け、眉を寄せた。脂質の多すぎるフライドポテトと、炭酸ジュースが入っていると思しき紙コップ、それから特大ハンバーガーが三つ。
「これが一番安いんだよ。サラダを選んだら主食が減る」
肩をすくめたファイノンはモーディスの弁当にもう一度視線をやりつつ、冷めたポテトを摘んで口の中に放り込んだ。
「安い
……
」
「もしかして購買部使ったことない?」
「ないな」
「それは勿体ないな。不健康だけど、僕たち男子高校生の腹を満たすにはぴったりのメニューが沢山あるんだ。
——
そうだ、君のそのサンドイッチとハンバーガーを一つ交換しないか?」
大きなクロワッサンにたっぷりの野菜とハムやチーズの挟まったサンドイッチを指差し、ファイノンがさも名案のように口にした。
「
……
半分なら。体に悪いものは好かない」
正直なことを言えば、不健康そうな味がちょっとだけ気になっていた。そうでなければ、こんな突拍子のない提案を受けはしなかっただろう。
「ピクルスは平気?」
「ああ」
モーディスがフォークでクロワッサンをなんとか半分にしている隣で、ファイノンが勢いよくハンバーガーを半分にする。
モーディスははい、と手渡された紙に包まれた半分のハンバーガーを受け取り、少し悩んだ末に齧り付く。濃い味付けに、ベタベタとした脂の不快な舌触りがする。パサパサの肉も食べていて味気がない。塩分が多すぎるな、と眉を寄せつつ咀嚼していると、ファイノンは二口で半分にしたハンバーガーを食べ終わり、次の包みを開けている。
「そういえば君ってなんでいつも一人なんだ? バスケ部の助っ人に来るくらいだから、友人を作りたくないわけじゃなさそうなのに」
「
…………
別に作りたくないわけではないが、本を読む時間が減る。友人がいなくて困ったこともない」
「そういえば、クラスでもずっと読んでるなと思ってたけど、図書室でもよく君を見かけると思ってたんだ」
ファイノンの言葉に、よく? とモーディスは眉を寄せて視線を向ける。
「たまたまだろうけど、僕が本を借りたり返しに行く時、君はいつもカウンターにいないんだよ。だから気づがなかったんだろうけど、僕も結構本を読むんだ。ところで君はもう、今月の新刊って読んだかい?」
司書さんの趣味全開のラインナップだよね、と笑う男に、モーディスはそこでようやく、本当に興味が湧いた気がした。年上の幼馴染には読書好きがいたが、同級生でそれほど本を読む相手が身近にいなかったからだ。
「
……
ああ。図書委員特権で二冊まで最初に借りられるから、予約の多そうなものを先に選んだ。お前も全て読んだか?」
「いや一冊だけまだ順番が回ってこなくてさ。『夏と花火と誰かの死体』ってタイトルのやつ。作者は乙二だっけ、確か著作がいくつかドラマ化してるよね」
話しながらも大口でハンバーガーの二つ目を食べ終えたファイノンは、サンドイッチに口をつけず、三つ目のハンバーガーの包みを開ける。ばくりと大口で食らいつく姿に、モーディスは胸焼けの感覚を覚えた。
「おい、交換しておいて食わないのか?」
「え?」
「食わないのなら返せ」
「まさか! 勿体ないから最後に食べようとしてたんじゃないか。もしかして君って、好きなものは最初に食べるタイプかい?」
「
…………
いや」
だろ? と笑ったファイノンがモーディスの手を警戒するように、サンドイッチを少し遠くへ置く。その奇妙な行動を見つめながら、モーディスは困惑に眉を寄せて胸をさする。心臓が妙に跳ねたような気がしたが、理由が分からなかったからだ。
「よし。我らが孤高の図書室の王子様のサンドイッチを御相伴に預かろう」
「別に俺は王族ではないが」
微妙に言葉の使い方が間違っていることと、「孤高の図書室の王子様」などという薄ら寒い呼び名のどちらにつっこみをいれるかモーディスは一瞬だけ悩み、後者を選んだ。
「王子様っぽいってことじゃないか? アイドルだってそう呼ばれるだろ」
「
……
お前は?」
「え、僕? 僕は特にないよ。強いて言うなら『バスケ部のエース候補』かな。まだ一年だからね」
……
お前の方がよっぽど「王子様」ではないのか?
爽やかな笑顔を浮かべている男にそう思ったが、素直にそれを口にする気にはならなかった。クラスメイトの男を王子様呼ばわりするのは、普通に恥ずかしい。
ファイノンはどうやら違うらしいのだが。
*
それから、週に二度ほどファイノンは屋上に現れるようになり、モーディスと読んだ本について話をするようになった。夏季休暇があけて一ヶ月も経つと、今度は教室でファイノンが話しかけてくるようになり、ちょっとだけクラスはざわついた。
王子様って話しかけづらいオーラがあるのに、あんたいつの間に仲良くなったの?
そうクラスメイトに尋ねられたファイノンは、「僕もよく本を借りるから、彼とは本好き仲間なんだ」と注目を無視して読書を続けているモーディスから本を奪った。
ああ今ここか、とモーディスの読んでいたページにざっと目を通して感想を溢すと、何事もなかったかのように本を返す。モーディスはため息をついて終わりにすると、ファイノンの暴挙も、クラスメイトの視線を気にせずまた読書に戻ってしまう。
一連の流れを面白いと感じるか、怖いもの知らずと感じるかは人によった。さておき、「モーディスは見た目と違って怖くない」とクラスに浸透するきっかけにはなった。
屋上で昼食を取るのは、食べ終わった後に読書に集中できるからだ、とモーディスはファイノンに言い、食べ終わった弁当箱を丁寧に包んで、図書室で借りてきた本をファイノンの隣で黙々と読んでいる。
ファイノンはといえば、「不健康なものを俺の前で食うな」と先日から弁当箱を押し付けられるようになり、屋上でランチをする時はモーディスの手製弁当を食べている。
いつ食いにくるのか前日までに連絡しろ、と真面目な顔で言い放つモーディスと、勢いで受け取ってしまった弁当箱を交互に見やり、ファイノンは十数秒黙った後、「えーと、
……
じゃあまず、連絡先教えてよ」とはにかんで答えた。
*
「お弁当作ってくれるってそう言うことだろ」
唐突に帰路で問われ、モーディスはやや混乱した。十二月の始まりで、そろそろ冬休みになろうかとしていた頃だった。
ファイノンとの週二のランチは今や週三から四になっていて、「逆に食材管理が面倒だから毎日作ってやるか?」と考えはじめていたりもした。
部活終わりに一緒に帰らないか、君は図書室にいるだろ? そう言われて、ファイノンと途中まで一緒に下校するのはここ最近ではもう珍しくないことだったが、まさかこんなイベントが待ち構えていようとは、モーディスは全く予測していなかった。
「そう言う?」
やや困惑しながら眉を寄せ、モーディスは唐突に心臓がどくどくと力強く暴れ始めたのを感じ、胸に手を置いた。これが一体どう言う「シチュエーション」なのか頭ではなんとなく理解していたが、どうにも心がついていかない。
こんなシーンを散々本で読んだな、と現実逃避のように考えていると、聞いてる? 少し傷ついたような、焦ったような顔でファイノンが口にした。
「それとも僕の勘違い?」
縋るような表情で手を握られ、モーディスはファイノンの潤んだ(ように見えた)揺れる瞳と、握られた手に交互に視線を向けた。
はじめてこんな風に手を掴まれた、と自覚した瞬間、心臓がさっきよりもさらに跳ねて、顔に熱が上ってくるのを感じた。掴まれた手が震え、すっかり陽が落ちた視界では、街灯が妙にちかちかと強く光っている。モーディスはふい、と視線を逸らし、「お前の、言いたいことがわからない」と口にした。
耳の中で、どくどくと心臓の跳ねる音がうるさかった。触れ合ったファイノンの手の熱さは知らないもので、それにも落ち着かない。
上背と同じく、案外手も大きいやつだ。バスケをやっているならそれはそうかもしれない。
——
散々隣に座らせていたのに、今更そんなことに気がついた。
「君なら行間を読んでくれるかと思ったのに」
はにかんだ様子のファイノンが、いたずらっぽく、囁くように優しい声で口にした。モーディスの手を握り直し、指を絡ませる。びくっ、と体を跳ねさせたモーディスの手を離さず、ファイノンはむしろその手を引き寄せた。
「
……
誤読する方が困る」
「確かにそうか。でもなんとなくだけど、君って自覚がなさそうだからなあ。逃げないでくれると嬉しいけど」
「逃げる?」
むっ、と顔を上げたモーディスの視界に、ファイノンの嬉しそうな眩しい笑顔が映る。こっち見てくれた。そう、ばかみたいな言葉が顔に書いてあって、思わず、モーディスはまた視線を逸らしてしまう。
その姿に、ほら、とファイノンが苦笑する。
「逃げないで聞いてくれよ。わからなかったら今日のところは考えてくれるだけでいいからさ。
……
つまりさ、僕は君が好きなんだ。君はどう? 付き合っちゃおうよ」
*
甘いけどうまい、と卵焼きについての感想を口にするファイノンを「いい加減ひっつくな、食いづらい」と肩を揺らしてモーディスは遠ざけようとしたが、どうにもうまくいかない。ファイノンの髪が頬をくすぐるのも落ち着かないし、自分のものではない制汗剤のにおいが鼻先に香るのも落ち着かない。
近頃、二人きりになるとずっとこんな感じのファイノンにどう対応するべきなのかよく分からず、モーディスはどうにも気のないフリをしてしまいがちだった。
冷たい
……
、と傷ついた顔をされる回数も増えていて、それが半分以上芝居だとわかっていてもやはり居心地が悪い。お前はもう少し節度を持って接しろ、そうすれば俺も普通に振る舞う、と言えば「それはちょっとなあ」とけろりとした顔で文句を垂れるファイノンは、距離感を改める気はないらしい。
「味付けは同じで良かったのに。面倒臭かっただろ?」
「大した手間ではない。直前に、」
直前に卵液に砂糖をいれるかどうかくらいだ、と答えようとしたモーディスの言葉は半ばで飲み込まれた。顔を覗き込むように、ファイノンが唐突にキスをしてきたからだ。
「
………
、っ、
……
! おい
……
っ」
弁当と箸を持って両手が塞がっているのをいいことに、舌を入れてくるキスにびくっとモーディスの体が跳ねた。慌てて弁当を置き、ファイノンの胸を強く押す。
唇を舐めて離れて行ったファイノンの青い瞳と視線が合った。ファイノンはきらきらとした瞳で、してやったり、と嬉しそうに濡れた舌を少し出して笑っている。
その表情に普段の少しとぼけた空気とは別なものを感じ、モーディスはうなじから背中にかけて体温が上がるのを覚えた。じわりと汗をかく感覚に居心地の悪さを感じ、モーディスは思わず視線を逸らすと、無言で残りの弁当をかき込む。
「嫌だった?」
「
………………
」
「なぁモーディス」
「
……………………
」
モーディスは食べ終えた弁当箱と箸をまとめてランチョンマットで包み、再び顔を覗き込んできたファイノンに「さっさと食え。昼休みも終わるぞ」と鋭く呟く。スマートフォンを取り出して時間を確認しようとすると、ポケットに入れた手首をファイノンが掴み、ぐいっと引く。
「
——
今日親、二人とも帰ってくるの遅いんだ。夕飯までうちに来ないか?」
「
……
調子に乗るな」
これはいける、と妙な確信を持った瞳でこちらを見つめていたファイノンの頬を掴み、腕を振って手を払う。
「期末試験直前だぞ」
「真面目だなあ。まあ、そう言うところも好きだけどね」
じゃあせめて一緒に帰ろうよ。
熱い指先が胸許に置かれ、モーディスの心臓を撫でるようにつつく。
「
…………
わかった」
*
待ち合わせ時間になっても現れないファイノンに、日付を勘違いしたか? とモーディスは眉を寄せた。しかし、試合で部活が休めなかったから夜まで待っててくれ! と昨日も帰路で縋りつかれていて、「わかったから離れろ」と引き離したのは記憶に新しい。
スマートフォンには特に遅刻の連絡もなく、通話をかけても繋がらない。
土曜日の今日、モーディスは朝からキッチンに立ってファイノンのためにガトーショコラを焼いていた。今までに何度か焼いたことがあり、これが一番失敗しない自信があったからだ。
こんなことをするような柄か、と思いつつ、どうせするのであればとことんやる主義のモーディスは、数日かけて文具系やラッピング系配信者のチャンネルを見倒してラッピングも揃え、バレンタインらしい赤とピンクのパッケージでケーキを包みもした。
味見をした限りでは特に問題はなかったが、卵焼きの甘さを「結構甘い」と言うファイノンが、果たして本当に気に入ってくれるのかは分からなかった。モーディスの舌にはいつもより甘さ控えめに感じたが、世間一般ではそうでもない可能性は大いにある。
『ねえ! そこの君! ねえってば!』
三十分もパシャねこの近くでスマートフォンを眺めていたモーディスは呆然と顔を上げ、そこでようやく、橋の方から大声で呼ばれていることに気がついた。橋の上の幽霊のデイジーだ。
慌てて走って駆け寄ると、デイジーはモーディスの顔や全身をじろじろと眺め、ホッとしたように息を吐いた。しかしすぐに首を振り、緊張したように声を張り上げる。
『よかった気が付いてくれて! ねえ君、モーディスって子でしょ?』
「そうだが、一体
……
?」
『ファイノンって男の子知ってるわよね? 君が通りかかったら教えてくれって伝言を預かってるの、急いで病院に行って! 救急車が
——
』
*
「
……
人騒がせだ。お前もデイジーも」
「悪かったよ。僕も彼女も焦ってたんだ」
救急車が、とデイジーが口にした瞬間、いてもたってもいられず駆け出した。
しかしモーディスがだらだらと冷や汗をかきながら病院に到着したその時、まさかのファイノンからの着信を確認した。
『今どこにいるんだい? デイジーさんから伝言は聞いてるかな、』
と呑気な声が耳を打ち、思わず、「ハ?」とモーディスの喉から声が出た。
てっきり、ファイノンが事故にでも遭ったのかと思いきや、轢き逃げにあった老人のために救出車を呼び、そのまま病院まで来たと言う話だった。院内では電子通信機器の電波は病院関係者以外は遮断される仕組みになっていたため、モーディスがいくらかけても繋がらなかったのだ。
老人の家族が病院に迎えに来たので、ファイノンはようやく建物から出、そうしてモーディスに連絡をしたという顛末だった。
「まあ、お前もそのご婦人も無事で何よりだ。連絡が雑だったのは問題だが」
「次からはどうにか連絡を入れるよ。僕も事故を見るのははじめてだったから気が動転してたんだ。
……
グルメ街で何か奢るよ。ああでも結構遅くなっちゃったからどうしようかな。ドリームレスコーヒーぐらいがいいのかも、君は門限があるだろ
……
」
「ファイノン」
焦ったようにスマートフォンを取り出し、マップを開いては閉じて時間を確認し、顔を上げて、また画面に視線を下ろすファイノンの明らかに動揺した姿に、モーディスは静かに声をかけた。
顔を上げたファイノンの表情には申し訳なさと動揺の両方が混ざっていて、「呼び出しておいてこんなことになってごめん」、と口にするファイノンの声は、普段のはきはきとした喋り方とは打って変わった、弱々しい声だった。
モーディスはファイノンのその姿に、元より心配をしていただけで怒りは然程覚えてはいなかったが、怒ったフリすらもしてやりたくはない、と感じた。存外気に病みがちの男なので、モーディスが冗談でも詰ればきっと本気にしてしまうだろうと感じた。
「人助けをしていたのだろう。であれば今日のことは気にするな。連絡がなかったのは困るが、お前が無事ならそれでいい。
……
残念だが、お前の言う通りそろそろ帰宅せねばな、家のものがうるさい。
明日は暇だと言っていただろう? 今日のところはこれを渡しておく。明日はグルメ街で付き合え」
「
……
チョコレート?」
モーディスの差し出した紙袋を大事そうに、けれども絶対に離してたまるかとでも言うようにガシッと掴み、ファイノンが視線をあげる。目許を少し赤くしたファイノンのきらきらとした瞳が真っ直ぐに突き刺さり、モーディスは思わず片足を引きかける。そのまま「じゃあな」と走って帰りたいのをなんとか堪えて、いや、と首を振る。
ファイノンの様子に釣られたのか、自分も顔が熱くなっていた。
「ガトーショコラだ。お前には甘すぎるかもしれないが、」
「ほ、本当に?」
食い気味にぐっと近づいてきたファイノンに、モーディスはなんだ、と今度は明確に一歩、足を引いた。距離が近すぎると感じたからだ。
「お前が欲しいと言ったんだろう。なんでも、と言うから好きに作ったが、
……
文句があるのか?」
「それはない! そうじゃなくて、その、ありがとう。すごく嬉しいよ。なんでもって言ったのは本当になんでもよかったんだ、君からもらえるなら
……
、」
「
……………………
そうか」
へにゃり、と眉と眦を下げたファイノンの口角が落ち着かなくニマニマと緩んでいる表情を見つめ、ふい、とモーディスはその顔から視線を逸らした。喜んでもらえて何よりだったが、予想よりもずっと素直な反応がなんだか気恥ずかしい。
「走ったから形が崩れているかもしれないが、文句を言うなよ」
「言うわけないだろ? それよりモーディス、ちょっとはこっちを向かないか? さっきから視線が合わなくて淋しい」
「
……
これだけ傍にいて淋しいも何もないだろう」
「いやいや、近いからこそ視線が合わないのが淋しいんじゃないか。なぁ、恥ずかしがってる君は可愛いけど、もう少しちゃんと顔が見たいんだ」
ファイノンは紙袋を片手に持ち直し、モーディスと距離を詰める。不自然に視線を逸らしたままのモーディスの顔を覗き込み、真っ赤な顔で恥ずかしそうに唇を結んでいる表情をじっと見つめる。
「キスしていい?」
「普段は聞きもしないくせに、こんな時ばかりなんだ!」
照れ隠しで語気を荒げたモーディスに、ファイノンは確かにそうだね、とにこやかに笑う。
「でも聞きたい気分だったから」
いい? ともう一度尋ねて、モーディスから首肯を引き出すと、形のいい唇にそっと口付ける。
意外と往来でするなとは言わないんだよな、と思いつつすぐに唇を離すのと、モーディスのスマートフォンが音を鳴らすのがほぼ同時だった。
「
……
家の迎えが来るから、お前は先に行け。明日のことは帰宅してから考えよう」
「わかった。じゃあその、モーディス。また明日。
…………
愛してる」
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