みずあめ
2026-02-14 23:02:31
2820文字
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ゆづあい

ワンライお題「バレンタイン」

休憩から戻った事務所のデスクの上、ちょこんと置かれたオシャレな箱を見つめて俺は動けなくなっていた。
今日は二月十四日。世にいうバレンタインデーで、カフェでも限定メニューを出したり、社員同士でチョコを配り合ったりしていたから、もちろんそれは俺も把握していて。でも、これは明らかに。
「あ、由鶴戻ってた。限定メニューもうすぐ準備してた分なくなりそうなんだけどどうする? 売り切れにしちゃってもいいと思うけど」
「恋くん…………あ、えっと、限定メニューのことだよね。今日で出し切る予定だったから材料もそんなに残ってないんだ。カフェはそろそろ終わる時間だし、売り切れたらそれで終わりにしようか」
「はーい了解。そんで、どうしたの? なんかあった?」
「え?」
「なんか突っ立ってるし、明らかに動揺してたし。なんか問題発生?」
よく気が利く恋くんの前で隠し事ができるほど、まだ頭は回っていなかった。どうしようと逡巡した隙にこちらに近づいて来た恋くんが俺のデスクの上にある箱を見つけて「わーお」とわざとらしく声を上げる。
「めちゃくちゃ本命っぽいね。お客さんから?」
「いや…………他の人には」
「ナイショにするって」
……いま休憩から戻ってきたら、置いてあって」
「おっと。つまり内部犯? 今日オーナー代理は休みですよねー。ふ、つまり確定で男から?」
楽しそうな口調でそう言い、恋くんは事務所内をぐるりと見渡した。今は出払っていて誰もいないけれど、カフェのシフトに入っている何人か、代行業務前に事務所に寄った数人、それに仕事の用がなくても社員であればいつでも出入りはできるから候補はあまり絞れない。
「名前書いてないの? ていうかさっきは本命って言ったけど、チョコ好きなら普通に知ってる店のだし、たまたま手に入ってプレゼントーとかあるんじゃない?」
「そう、だよね」
「うん、そうそう。俺だったら同僚にそんなガチっぽいのはあげないけど」
にっこりと笑う恋くんに思わず苦い顔をしてしまう。そんな俺を見て余計に笑い声を上げ、冗談だよと言うけれど、状況はさっきと変わっていないわけで。
どうしようかともう一度デスクに視線を落としたその時、すぐ後ろでガチャッと扉を開く音がした。資料室で作業をしていたらしい逢さんが出てきて、恋くんはパッと笑顔を切り替えた。
「そんじゃ俺はお仕事に戻りまーす。由鶴、犯人分かったら教えてね」
「あ、うん。お疲れ様」
……なんだあいつは。無駄話をしにきていたのか」
「いえ、限定メニューの在庫について報告に来てくれて」
「犯人とは?」
「それは……、その」
何と言うべきか迷い、自分のデスクについた逢さんに「コーヒーを入れますね」と声をかけてミニキッチンに向かった。棚から二人分のコップを取り出し、コーヒーを入れる用意をしながら考える。差出人の分からないチョコをもらった、なんて、逢さんがなんて思うか。
「ちゃんと昼食は取ってきたのか」
「はい、しっかり食べてきました。休憩ありがとうございました」
「ああ。……由鶴」
「はい?」
……その、チョコレートだが」
「えっ」
いつのまに俺のデスクを見たのだろう。咄嗟に振り向いた先で、逢さんはすこし気まずそうな顔をして俺から目を逸らしていた。
「逢さん?」
「俺からだ。だからもし恋に余計なことを言われていたなら俺のせいだ、悪かった」
……逢さん、から?」
思わずデスクの方を見遣り、仕切りに隠れてここからは見えないチョコレートの箱を頭の中で思い出した。箱に書かれていたロゴは有名なチョコレート専門店のものだった。おそらくこの時期、百貨店でやっている催事に行かなければ手に入らない類の。
「バレンタインだろう」
「そ、うです、けど、……逢さんからもらえるとは思ってなくて、すみません、すごい驚いちゃって……逢さんから……
……いらないなら」
「いります! 絶対、欲しいです。……ありがとうございます、嬉しいです」
……なら、いい」
チョコレートの差出人が分かって喜びに浸るのも束の間、俺はハッとして逢さんを見つめた。だってまさか、ここで逢さんにもらえるなんて思ってもいなかったから。
「逢さん、俺からも逢さんに渡したいんですけど、今日の夜、食後のデザートとして出そうと思ってたのでここにはなくて」
「昨日の夜作っていたものか」
「気付いてたんですか!?」
「あれだけ甘い匂いがすれば気付かない方が難しい」
「うっ……すみません、もしかして気を遣わせてしまいましたか……?」
もらってばかりになることを良しとしない人だ。俺が用意しているなら自分も、と考えてわざわざチョコレートを用意してくれたのかもしれない。
申し訳なさにしゅんとすると、逢さんは不思議そうに首を傾げて椅子から立ち上がった。俺の隣に立ち、いつのまにか沸騰していたヤカンの火を止める。俺の視線の先で、その横顔はどこか楽しそうに笑んでいた。
「バレンタインにチョコレートを買って渡すなんて初めてだった。こんなのただの企業の戦略だと思っていたが、案外悪くなかった。きっとずっとおまえのことを考えていたからだ」
……
「もしかしたら由鶴も同じ気持ちでチョコを作っていたのかもと思えば、余計に」
……あなたのことだけ考えて、作っていました」
「ああ。だから俺も楽しみにしてる」
甘いものが特別好きなわけじゃない逢さんのために甘さは控えめで、昨日だけじゃなく自分の家でも何度か作ってみて見た目にもこだわって、だけど普段とあまり変わらない日常のデザートとして出してもおかしくないように。ずっと、逢さんのことだけを考えて作ったチョコレートだ。
……好きな人のことをたくさん考えてプレゼントすること自体がとても特別で楽しいものだと思っていたんですけど、……もらうのも、すごく嬉しいんですね」
「今さらか。いや、俺がおまえにもらってばかりいるから気が付いていなかったのか……。今日だけじゃ返しきれないな。これから、覚悟しておけ」
「え、え、そんなつもりじゃ」
「どんなつもりでも関係ない。俺がおまえに贈りたいから、そうするだけだ」
話しながらコーヒーを入れてくれた逢さんが俺のコップをデスクまで運んでくれる。慌ててその後をついていき、改めて直面したチョコレートの箱はさっきよりもうんと特別に輝いて見えた。
「たぶんコーヒーに合うんじゃないか」
「だめです、もったいなくて食べれない」
……食べないまま置いておくつもりか?」
「ちゃんと食べます。でも、もうちょっと味わいたいので」
「食べずにどうやって味わうんだ……
「見てるだけで幸せになるんです」
ごめんね恋くんは、犯人は見つからなかったってことにさせて。逢さんが俺のためにチョコレートを用意してくれたなんて嬉しいこと、誰にも秘密にしておきたいから。