すだ
2026-02-14 16:57:14
7759文字
Public 主スバカグ
 

春の里の応援団長

関係:幼馴染/ 文字数:7,746
バレンタインをきっかけにカグヤへ告白したスバルを応援する???とモコロン、いろは、うららかのお話。
注:モブが語り手です。
ぜんざいの作り方は笠原将弘さんのレシピを使わせていただきました。ありがとうございます。
「笠原流 ぜんざい」で出てくると思います。おいしかったです。
チョコ入りぜんざいも試食しました。一杯分に○ーナを二かけ入れただけで味が変わっておいしかったです。
#スバカグ

 我は桜の精霊である。
 春の里、いろは茶屋のすぐ隣で見事な桜の花を咲かせている。
 そんな我もかつては枯れ果てるところだったのを、大地の舞手であるスバルに助けられた。以来、目をかけている。
 奴には想い人がおり、名をカグヤという。幼馴染で婚約者なのだそうだ。カグヤも満更ではない……どころか同じく想いを寄せているようなのだ。スバルさえ頑張れば交際も目前だと我は見ている。それだけお膳立てされているにもかかわらず、一向に縮まらない距離にやきもきする毎日だ。
 茶屋の店主であるいろはも我と同じ考えらしく、何かにつけカグヤのことを甲斐甲斐しく助けてやっている。
 精霊から見ても立派な娘だ。本当はいい子いい子と桜の花びらをわさわさといろはの頭に落としてやりたいが、以前掃除が大変だとぼやいていた。少し悲しいが我は代わりに掃除をしてやることができない。そんなわけで、あの娘が店先を掃除しているときは、なるべく静かにしている。
 とあるよく晴れた日のこと、舶来雑貨・風切羽の店主、ツバメがいろはに相談を持ちかけた。
 店で取り扱っているちょこれいとというものを、ばれんたいんにかこつけて大々的に売り出したいというのだ。
 ばれんたいんとは、恋人や家族、友人など大切な人に贈り物をする催しらしい。いい機会だと愛の告白をする人間もいるのだとか。
 四季の里でもばれんたいんを流行らせて、ちょこれいとを買ってもらおうと考えているようだ。商魂たくましい人間である。
「いいですねー、楽しそう! 何を作ればいいかなあ」
 商品開発に燃えるいろはとツバメ。すると、向こうからカグヤがやって来る。
「おはようございます、いろはさん、ツバメさん」
「おはよー、カグヤさん」
「カグヤちゃん、おはよう」
「何をしているんですか?」
「あのね――
 いろはが事情を説明すると、カグヤは興味深そうに頷いた。
「ばれんたいん、良い催しですね。仲の良い人たちが、より親密になれる絶好の機会かと」
「そうだねー。どうせなら、そういう人たちの後押しができるようなお菓子を作りたいな」
……あの、いろはさん」
 おずおずとカグヤがいろはへと声をかける。いつも凛々しく物怖じしない戦巫女にしては勢いがない。
「その……私も何か作ってみたいです」
「一緒に試作品作る? いいよー」
「そうではなく……スバルに何か作りたくて」
「くわしく」
 いろはがカグヤへ詰め寄った。ツバメはやれやれと肩をすくめながらも止めようとはしない。
 我も詳しく聞きたい。枝をわさわさとできるだけ伸ばす。
「いえあの、深い意味はないんです。スバルにはいつも大変お世話になっていますし、日頃のお礼ができればと」
 とか言いながら顔は真っ赤だ。お前の恋心、隠せていないぞ。いろはもお見通しらしく、うんうんと頷く。
「そっかー。そういうことならいくらでも協力しちゃうよ!」
「ありがとうございます。私、料理が得意ではなくて。私のような人間でも作れそうな甘味はありますか?」
「そうなんだ。どういう所が失敗しやすいの?」
「食材を切るのはそんなに苦手ではないと思います。火加減と味付けがどうしてもうまくできなくて……
 一応料理らしいものは出来るものの、所々焦げていたり味が薄かったり濃すぎたりするそうだ。食べられなくはないので、食材を無駄にしないよう我慢しながら食べているのだとか。ものを大切にする人間は見込みがある。
「なるほど、火加減と味付けかあ……それなら、ぜんざいなんてどう?」
「ぜんざいですか?」
「うん。時間はかかるけど意外に手間がかからないんだよ。どうかな?」
「作ってみたいです。よろしくお願いいたします」
「そうと決まれば作り方を教えるね! ツバメさん、試作品の話はまた後日お願いします」
「もちろん。カグヤちゃんのたっての願いだ、そっちを優先しておくれ」
 うまくいくといいね、と目配せし去って行くツバメ。相変わらず粋な姉御だ。
 カグヤといろはは茶屋の中でぜんざいを作るようだ。困った。我は動けないため、家の中を見ることはできない。
 背に腹は代えられない。ここは奥の手を使おう。
 実は精霊の力を使えば、近距離なら家の中を覗けるのだ。日頃うららか様から、人の生活を覗き見することは禁じられているし、力を使うと何日か回復に時間を要するが仕方ない。
 何せ舞手とカグヤの将来がかかっているのだ。見守るほかない。我は何もできないけど。
 というわけで第三の目よ開け。
「まずは小豆を軽く洗います。お水を入れたら火にかけて渋抜き。渋抜きしたお水を捨てて、またお水を加えたら落とし蓋をして一時間くらいコトコト煮ます。お水が減ってきたら同じくらい足してあげてね。小豆がやわらかくなったら小豆と同じ量のお砂糖と、味をしめるためのお塩を入れて、好きな濃さに煮詰めれば完成だよ」
「なるほど……。やってみます」
 いろはの指導のもと、真剣な表情でカグヤが小豆を煮る。
 固唾を飲んで見守ること一時間。
「できました……!」
「すごいすごい!」
 額の汗を拭い、カグヤが歓声を上げる。何とか炊き上がった小豆を見て、我も歓喜した。いつの間にかこんなに立派に成長して……
「それではお砂糖を……
「ちょっと待ってカグヤさんそれは塩!」
「えっ」
 えっ。
 驚いたカグヤが塩の入った袋を全部鍋へとぶちまける。
 ああ……遠足は家に帰るまでが遠足なのだと世のえらい人は言ったものだ。最後の最後まで気を抜いてはいけないのだな……
 力を使い果たし、我は眠りへと落ちていった。


 ポン。
 鼓の音に目を覚ます。開けた視界に飛び込んできたのはうららか様の春の陽射しのような笑顔。
 ――申し訳ありませんうららか様。誘惑には勝てず……
 うららか様は困ったようなお顔で頬に手を添えた。
 ――仕方のない子ですね。ですがあなたの気持ちも分かります。今回だけですよ。
 うららか様の思念が直接我の中に響く。温かいお言葉に枝がふるふると震えた。
 ――はい、スバルとカグヤの行く末を見守るのだけはご容赦ください!
 ――全くもう。
 ――それで、例のふたりはどうなりましたか?
 ――いいときに目覚めましたね。カグヤ様がスバル様にぜんざいを振る舞うところですよ。
 何と、我は運が良い。確かに「寒い寒い!」といろは茶屋に舞手が駆け込んでくるところだった。
「いらっしゃいませ、スバル様」
「ずいぶん寒そうだねスバルくん」
「さっきまで冬の里で農作業をしてきたので……。うう……。何か温かいものありますか?」
 震えながら注文しようとするスバルの隣のモコロン様も寒そうに震えている。冬の里はそんなに寒いのか……我は春の里の桜で良かった。
「丁度いいところにきたよ。今カグヤさんがぜんざいを作っててね」
「カグヤが?」
 名を聞いた途端落ち着きがなくなるスバル。全く分かりやすい男だ。これで恋心を隠しているつもりなのだから笑わせる。残念なことに、カグヤは全く気づいていない。ふたりの両片思いを周囲だけが勘付いているという妙な図式ができあがっている。
「カグヤ様、スバル様がいらっしゃいましたわ」
 うららか様が呼びかける。店の奥から「はい!」と威勢のいい返事が聞こえ、茶屋から椀の乗った盆を持つカグヤが姿を見せた。こぼさないようゆっくりとした動作で歩み寄る姿に、全員が固唾を飲んで見守る。
 ようやくスバルの前まで辿り着くと、隣へ腰かけ椀を差し出した。
「どうぞ」
「ありがとう……
 椀を手にしたスバルの顔が綻ぶ。ああ、そんなにとろけた顔をして。カグヤが作ったものを食すのがそんなに嬉しいのか。
「うまそうだな! オイラにもひとつ!」
「はーい。モコロンのはわたしが作ったのをあげるね」
「何か違いがあるのか?」
「あれはカグヤさんの手作りで、スバルくんのためのものだから」
「ふーん……
 何かを察したモコロン様が悪い顔をする。神竜のはずなのに時々邪悪さを感じるのは我だけか? モコロン様は超絶愛くるしいので、多分気のせいだろう。
「いただきます」
 一度椀を置き手を合わせるスバル。奴といいカグヤといい、いつも礼儀正しい。大地の舞手が礼儀正しく清らかなので、里の空気は常に清浄だ。そのおかげで今日も我は元気にふたりの様子を眺められる。
 心配そうにスバルの様子を見つめるカグヤ。分かるぞカグヤ、前は塩を大量にぶち込んだものな。だが今日は大丈夫のはずだ。ほら、その証拠にスバルが目を瞠っている。
「! おいしい……。けど、何だろ、普通のぜんざいと違う感じが……
「そうだな、あんこの甘さとは違う、どろっとした甘さを感じるぞ」
 隣でいろはのぜんざいをすするモコロン様も同じ感想のようだ。
「甘さの正体はこれです!」
 いろはが取り出したのは、皿に置かれた板状の茶色い物体だった。
 スバルとモコロン様が怪訝な顔で謎の物体を見つめる。
「何だこれ」
「ツバメさんのところで売ってるチョコレートだよ。今回のぜんざいに入れてみたの。すっごく合うからびっくりしちゃった」
「西の食材とアズマのものがこんなに合うなんて、不思議です。いろは様の料理の幅も広がりますわね」
「はい!」
 うららか様がおっとりと微笑まれると、いろはも嬉しそうに頷いた。いつもながらこのふたりは仲が良い。すずとカグヤを合わせ四姉妹とこっそり呼ぶ者がいるのも頷ける。
「これが中に入ってるんですか」
「そうそう。ツバメさんに相談されてね。もうすぐばれんたいんだから、チョコレートのお菓子を考えてくれって言われちゃって。これを機に世の中に広めたいみたい」
 いろはのちょこれいとだけやたらと発音がいいのはあれか。食材に対する理解度がやたらと高いからか。さすが甘味を極めし者。この空のどこかにいるらしい、甘味を極めし翁と気が合いそうだ。
「そのばれ……? って何ですか?」
「西の方の催しでね、恋人や家族、大切な人に贈り物をするらしいよ。あとは想い人に告白したりするって」
「へえ…………あれ?」
「それでカグヤさんがいつもお世話になってるスバルくんにお礼がしたいって言うから、一緒にぜんざいを作ってみたの。試しにチョコレートを入れたら想像以上においしくて! 期間限定甘味として売り出そうと試作を重ねているところだよ」
「ちょっと待っていろはさん。さっきのもう一回」
「試しにチョコレートを入れてみたら想像以上においしくて」
「もう少し前です」
「ええと……? ばれんたいんは恋人や家族、大切な人に贈り物をする催しで、好きな人に告白したり」
「こいびと……かぞく……こくはく……
 おいおい大丈夫か、目が据わっているぞ。
 スバルがカグヤに向き直る。先程の鬼の形相はどこへやら、爽やかな笑顔である。変わり身が早すぎて少し怖い。
「カグヤ、おいしかったよ。ありがとう」
「お口に合ったなら良かったです」
 ほんのり頬を朱に染めながらカグヤがはにかむ。完全に恋する乙女の顔をしている。あまりの愛らしさにスバルも顔を覆っている。
 意を決したのか、スバルが「ちょっといい?」とカグヤを連れ出すと、我の下へと場所を移した。ま、まさかこんな近距離で始まってしまうのか? 愛の告白が!
 離れたところでうららか様たちが拳を握っている。分かる、我にも拳があれば固く握っているはずだ。代わりに枝を震わせる。
「さっきのぜんざい、どう捉えればいい?」
「どう、とは?」
 全く分かっていない様子のカグヤ。これだからふたりの仲は全然発展しないんだよなあ。
「えっと……。オレはキミのことを好きなんだけど、カグヤはちがうの?」
 よくぞ言った! 歓喜のあまり枝を上下に揺らしてしまう。
「すき……? すき……
 壊れたからくりみたいに言葉を繰り返すカグヤ。
「うん、好きだよ。恋しいって意味の好き」
……なっ……
 ひっくり返りそうになるカグヤを慌ててスバルが支える。
「そそそんなこと急に言われても心のじゅんびが」
 まずい、酸欠状態になっているぞ。処理能力の限界を迎えたようだ。
 自分はスバルを好きだが、相手も好意を抱いているとは想像もしていなかったに違いない。あまりの錯乱状態から容易に想像できる。
 同じく恋愛初心者のスバルに、この局面は打開できるのか?
「はい、ゆっくり息吸って」
 スバルが優しく語りかけると、カグヤが深く息を吸う。
「はいてー」
 ふーっと息を吐く。どんなに混乱していても反射的にスバルの言うことを聞いてしまうらしい。親鳥を追いかける雛鳥を彷彿とさせるな……。大丈夫なのかこの幼馴染たち。
「落ち着いた?」
 仏頂面で頷くカグヤ。
「お恥ずかしいところをお見せして……
「こっちこそ、そんなに慌てさせちゃうなんて思ってなかったからさ。変なこと言ってごめん」
 さっき言ったことは忘れていいから、と悲しそうな顔で距離を取るスバル。
 雲行きが怪しくなってきたぞ。絶対ふられたと勘違いしている。
 ようやく自分がやらかしたことに気づいたカグヤが焦ったように手を伸ばすが、あと一歩届かない。
 まずい、まずいぞ。何かこの空気を一変させる手はないか。このままだとうまくいくどころかお互いがぎくしゃくしてしまう。
 駄目だ駄目だ! それでは今までと変わらないぞ! せっかく想い人のためぜんざいを作ったのに、この機会を逃してどうする! 好きなんだろうスバルのことが!
 我は全霊力を枝に集中させた。そのまま大きくしならせる。大量の桜の花びらがスバルとカグヤのもとへと降り注ぐ。突然の桜吹雪に、皆呆然と我を見上げた。
「わーすごーい……
 感嘆の声を上げるいろは。カグヤははっとした表情で花びらを目で追っている。
 心なしか視線が我のことを凝視しているような……。いや、巫女とはいえさすがに我の存在に気づくなんてことは……
……そうですよね、ここで素直にならなければ」
 小さく呟くとスバルに一歩近づき手を差し出すカグヤ。
「お話があります。人気のないところへ行きましょう」
「へっ!?」
 人気のないところへ行くぞ、などと色気があるんだかないんだかよく分からない台詞にスバルが目を白黒させる。
「そうですわね。腰を据えてふたりきりでお話しするのがよろしいかと」
 ここで我らが女神、うららか様の登場だ。決めるところはきっちり決める。そこにしびれる憧れる。
「そうしろそうしろ。オイラはここでぜんざいを食って待っててやるから」
 モコロン様、それはぜんざいが食べたいからではなく……? いや、きっと崇高なお考えがあるに違いない。
「カグヤさん、後片付けはしておくから、ごゆっくり!」
 いろはがきりりとした表情で親指を立てる。カグヤも真顔で力強く頷いた。
 深々と頭を下げたふたりが桜並木へと吸い込まれていく。
 ふう、何とかなったか。我も少しは役に立ていたらいいのだが。あの流れで結局何もありませんでした、だったらさすがの我も泣くぞ。
 あ、また意識が遠のいてきた……


 再び目を覚ますと、今度はカグヤが我の前に立っていた。幹に手を置き、瞳を閉じて何かを祈っているようだ。
 やがて、紅藤色の瞳が開かれた。ゆっくりと我のことを見上げるカグヤ。凛とした顔が柔らかく綻ぶ。
「ありがとうございました。あなたのおかげで、勇気を出せました」
 あれ、我お礼を言われてる? やはり存在に気づかれていたってこと?
「あのとき、私のことを応援して下さったのですよね」
 そうか、気づいたのか。小さい子や勘の鋭い者が、時折我の存在に気づくことがある。神に仕える巫女として育ったカグヤもそういった類いの人間なのだろう。
 気にするな、我はお前たちが幸せならばそれでいいのだ。応えるように枝を軽く揺らす。少しだけ落ちる花びらに、カグヤが目を細めた。
「カグヤ、お待たせ」
 後ろから声をかけられ振り返ったカグヤのかんばせが明るく輝く。
「スバル」
 満面に笑みをうかべたスバルが、白魚の指に自分のものを絡ませる。何か我が眠っている間に距離ががんがん縮まってない? 元からあってなかったようなものだったけど。一体何があったんだ、気になる。
 後でうららか様に教えてもらおう。
「何してたの?」
「桜さんにお礼を言っていました」
「そっか。うまく伝えられた?」
「はい」
「それなら良かった」
 そう言うとこちらにお辞儀をするスバル。カグヤが人間以外の存在と話していても、茶化すことなく真剣に受け止めている。多分、幼い頃から感受性が強く色々なものが見えるのを知っているから自然と受け入れているのだ。
 そして、自らのことを決して笑わないスバルだからこそ、カグヤは信頼し好意を寄せているのかもしれない。
 そのままいろは茶屋にふたり並んで腰かける。「いらっしゃいませー!」といつもより大声でいろはが出迎えた。
 茶屋を訪れていたピリカが仰天していた。何があったか知らないものな。
 注文の後、運ばれてきたのは例のぜんざいだった。ついに期間限定甘味が完成したようだ。
 ぜんざいの入った漆塗りの腕に、箸休めの塩昆布、そして小皿に乗ったふたつの……これは多分ちょこれいとだな。愛の結晶と同じ形をしている。
 いろはの説明によると、ちょこれいとを入れることで味を変えられるそうだ。ふたつの味を堪能できるなんて、贅沢ではないか。根っこから水分を吸ったら一緒に肥料分も吸えちゃったみたいな感じか。二度おいしい……っておいスバル! カグヤに手ずからちょこれいとを食べさせようとするな! 周りの客たちが真っ赤な顔で注目しているぞ! カグヤも真っ赤な顔でぜんざいに入れる分だからと断っている。さすがに公衆の面前では恥ずかしいらしい。ふたりきりのときはやるのかな。やるのかもしれないな。
 散々客たちに見せつけた後、恋人たちは去って行った。モコロン様はこれから先、あの甘ったるい空気の中生活するのか……。どうかお健やかに。
「何かずいぶんと甘ったるい空気を感じたが……。変なものでも食べたのか?」
 不思議そうなピリカに春がきたのだと説明するいろは。その言葉だけで狩人は全て察したようだった。
「春……なるほどな。めでたいことだ。今度手土産でも持って会いに来るとしよう」
 確かにめでたい。まさかあんなに甘々な感じになるとは想像もしていなかったが、スバルとカグヤが幸せなら何でもいいか。消えるしかないと思っていた我が、こうして春の里で若いふたりを見守れるなど、望外の幸せではないか。
 春風が心地良い。いろはとピリカが笑っている。おや、ひなもやって来たようだ。桜色の里は暖かで優しい空気に満ちている。
 我は桜の精霊である。
 命を救われたスバルと、奴の恋人カグヤとの行く末を、これからもこの地に根ざしながら見届けていくことにしよう。