空腹を紛らわせるためのチョコレート菓子を購買へと買いに来たら、それが陳列しているはずの一角はピンクと赤でこれでもかと彩られていた。目がチカチカするほどに。おまけに耳が痛くなるような甲高い声もしている。うんざりしたまま足を向ければ、その正体はすぐにわかった。
「バレン、タイン……」
……くだらない。きっとお祭り騒ぎが好きなシアノ校長の仕業だろう。……ほんとうにくだらない。こんなことにうつつを抜かすくらいなら、こんなことに時間を費やすくらいなら、少しでもポケモンを強くしバトルで勝てるよう努力するほうがよっぽど有意義だ。現に俺には、そんなことにかまけている暇などない。アオイが学園に来ている今、俺の強さを証明するために、強くなったことを見せつけるために、もっともっと強くならなければいけないのだから。
バレンタインコーナーの隅に追いやられていた、ハートのシールが無造作に貼られた菓子をいくつか手に取り、購買をあとにする。
その日を境に、アオイは四天王への挑戦をぴたりと止めた。
いくら待てど暮らせど音沙汰がないことに俺はしびれを切らし、あちこち探し回った。そして人気の少ない廊下でようやく見つけたアオイを逃さぬよう、顔の両側に手をつき、脚の間に自分のひざをねじ込む。
「……」
「……」
「…………」
「……あ、あの、スグリ? 何か用……かな?」
「あのさアオイ。なんで四天王に挑戦してないの。ドームにも部室にもほとんど顔出してないみたいだし。見た感じ、体調悪いわけでもないよね。いつまで俺を持たせるつもり? それともなに、俺なんか倒すどころか挑む価値すらないって言いたいの?」
「ち、ちがうよ! そんなんじゃ……ない」
「じゃあなに」
「え、っと……それ、は……」
揺れるヘーゼルが、長いまつ毛で縁どられたまぶたで隠れては出てくるを繰り返す。淡い桃色の唇は、きゅうと結ばれたまま動かない。
「ねえ。黙ってないで早くなにか言………………っ!?」
「……?」
そこで俺は、ようやく自分の状況に気がついた。アオイの顔が、近い。文字通り目と鼻の先だ。そのことに気づくと同時に、飛び退くようにアオイから距離をとる。
「スグリ……?」
心臓がばくんばくんと跳ねて、今にも胸から飛び出しそうだ。おまけに顔が、頭が、やけどでもしたかのようにあつい。くそ、なんだよこれ。なんなんだよこれ。
「あの、だいじょ」
「っ!!」
反射的に、自分へとのばされた手をはねのけた。いつもより少しにじんだ視界の中に、悲しげな顔をしたアオイがいる。それをとらえると、また心臓が跳ねて、苦しい。
「……っ、早く四天王倒して、俺のとこまで来てよね」
「あ……」
消え入るような声が。ほんのりと甘い香りが。脚に残った柔らかな感触が、頭から消えない。離れない。
結局その日は、なにもかもが手つかずに終わった。
あれから数日。今日はやけに、あちこちから甘いにおいがする。そう、俺もよく知っている……チョコレートの、香り。
……ああ、なんだろう。なんだか無性に、いらいらする。
チョコレートの甘い香りは、部室にもわずかに漂っていた。今日は一日、ずっとそれをどこでもかいでいて、そのうち鼻がばかになりそうな錯覚すらある。
「……あ。スグリ」
「…………アオイ」
「よかった。スグリのこと、探してたんだ」
「……なんで?」
「……渡したいものが、あって」
アオイはそう言うと、バッグから何かを取り出す。大事なものを扱うかのように、慎重に、そっと。
「今日、バレンタインでしょう? ゼイユから聞いたの。キタカミでは、女の子からチョコレートを渡す日だって。だから……その……」
「……」
「……や、やっぱりわたしからなんて、もらいたくない、よね……。えと、忘れて? 明日からはちゃんとする、から。これも、捨てる、し」
…………は?
アオイのもとへと戻りかけた箱を、やや強引に掴む。お世辞にもきれいとは言い難い包装が少し、崩れてしまった。
「あ、の……スグリ?」
「……いらないなんて、言ってない」
「!」
「だからその……もらって、おく。……明日からは、ちゃんとするんでしょ? あんまり待たせないでよね」
「うん……うんっ!」
泣きそうだったアオイの顔が、きらきらとした笑みへと変わる。それを見たとたん、胸がきゅ、と音を立てて、苦しくなった。
「っ……じゃあ俺、急いでる、から」
「うん! 待ってて!」
アオイへと背を向け部室をあとにし、そのまま真っ直ぐ、自分の部屋へと向かう。
「……」
少しひしゃげてしまった包装を、これ以上ないほど慎重に、慎重に解いていく。箱の中にはラッピングよりも歪な、一目で手作りだとわかるトリュフチョコレートが並んでいた。それを一つ、そっとつまんで、口に入れた。
「……あま」
甘くて、ほんの少しだけ苦い。すぐになくなってしまわぬよう、ゆっくり、ゆっくりと味わう。
そういえば、俺が詰め寄ったあの日。あのときは気づかなかったが、アオイの手には絆創膏がいくつか貼られていた。……もしかして、アオイが四天王へのチャレンジを進めていなかったのは、俺にこれを作って渡すため……? …………いや、そんなわけないだろう。そんなわけ、あるはずもないに決まってる。だってアオイだし。
……。
…………。
……あーーーー! もう! なんなんだよこれ! なんなんだよこの気持ち!
「……俺をこれ以上、アオイでいっぱいにしないでよ……」
その独り言は、口のなかのチョコレートと一緒に、じわりと溶けて、消えていった。
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