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____HINO____
2026-02-12 23:48:37
14409文字
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おしえてください とみおかせんせい
義炭オンイベ展示作品でした!
互いに記憶持ちキ学
どうしても、忘れられないことがある。
あの日は月の綺麗な夜だった。千年竹林での稽古後、俺はそのまま水柱邸に泊まることになり、寝所の準備が出来たので縁側にいる義勇さんを呼びにいった時だ。
縁に座り夜空を見上げている義勇さんの髪が穏やかな風に揺れている。冷たい空気の中で夜空に浮かぶ星は輝いていて、その中でも義勇さんの瞳がひときわ美しいものに見えて、俺はその姿から目を離せなくなってしまった。夜に溶け込んでしまっているようなのに、仄かな月明かりが義勇さんの輪郭を浮かび上がらせている。
「
……
炭治郎。どうした」
「あっ!あの!準備が出来たのでもうお休みになるなら、と
……
」
ぼうっと見とれてしまっていたら義勇さんから声を掛けられてしまった。気配で気付いたのだろう。だけど義勇さんは動かないままだ。おそらくまだ休むつもりはないのだろう。なら、と俺はその隣に腰掛けた。義勇さんはちら、と俺に視線を落とす。
「寝ないのか」
「もう少し義勇さんとお話したくて」
「
……
そうか」
義勇さんはそれだけいうとまた夜空へと視線を戻した。静かな夜だ。だけどこれは嵐の前の静けさだろう。鬼たちがいつ禰󠄀豆子を奪いに来るかわからない。寝る前とはいえ、何があってもすぐに動けるように俺も隊服のままだ。
次の戦いで全ての決着がつくかもしれない。その時、お互いの命があるかもわからない。俺たち鬼殺隊は命を賭して鬼を滅する為に戦っているから。だけど、俺は。
「義勇さん、また一緒にご飯に行きましょう!」
誰にも死んでほしくない。義勇さんにも。だから未来の話をした。そう話すと義勇さんが顔をこちらに向けた。俺の心情を察しているのかもしれない。義勇さんは寡黙なひとだけど、誰よりも優しく繊細なのをこの数日間で俺は知った。
──強くなった。あの時とは比べものにならないほどに。
稽古を付けてくれた義勇さんが、俺に掛けてくれた言葉だ。あの時
……
禰󠄀豆子が鬼へと変貌したあの日。雪がしんしんと降り積もる中で、涙を流して蹲る俺を義勇さんは叱咤した。
あの時の俺は絶望に心が塗り潰されて、何をどうすればいいかも分からないままだった。義勇さんはそんな俺に希望の道筋を示してくれた。鬼殺隊士となった今ならわかる。鬼である妹を連れている俺を見逃すことの重大さを。けれども義勇さんは、俺を信じてくれた。命をかけて、俺たち兄妹を守ってくれた。
そんな優しい人を、死なせたくない。
「うん」
頷いてくれた義勇さんは薄らと微笑んでいた気がする。心做しか空気も柔らかい。それが自分に少しでも心を許してくれているものだと思うと、自惚れかもしれないけれど、それでも嬉しかった。なのに何故だか胸がぎゅう、と苦しくなる。この痛みはなんなのだろうか。
「炭治郎」
「は、はい!」
名前を呼ばれてなぜか大袈裟に反応してしまった。ばくばくと心臓が騒いでいる。こんな静かな夜なら、耳の良い善逸じゃなくても隣の義勇さんにまで聞こえてしまうのでは無いかと思うぐらいに心音がうるさい。俺の大きな返事に義勇さんもきょとんとしていた。
「す、すみません。義勇さんに名前を呼ばれるとなんだかびっくりしちゃうような、なんというか
……
」
「
……
? よく分からないが呼ばない方がいいということか?」
「⁉ そんな訳無いです!呼んでいただけるととても嬉しいです!」
義勇さんの方に身をぐい、と乗り出して食い気味に返事をしてしまう。そう言いながら俺は自分の気持ちを理解した。そうか、自分は義勇さんに名前を呼ばれて嬉しいから、こんなにも胸が高鳴っているのだろう。なぜ嬉しいか、までは分からないけれど。
ふと、顔には出さないが、匂いから感情を読むと戸惑っているであろう義勇さんの顔が近いことに気が付いた。俺が身体を寄せてしまっているせいだろう。
「あ、ごめんなさい
……
!」
慌てて下がろうとしたが、縁に付いている手を義勇さんにそっ、と触れられた。
暫く冬の冷えた空気に晒されていたであろうその手は、驚くほどに冷たい。これはいけない、と義勇さんの手を自分の両手で包み込む。それは体が咄嗟に動いてしまったもので、なにか他に意図がある訳ではなかった。はっ、として弁解する。
「義勇さんの手が冷たくて、暖めないと、って思わず
……
弟や妹たちを思い出してしまって」
雪が積もる地域に住んでいたこともあり、冬の寒さが厳しい日もあった。そんな時には「にいちゃんが暖めてやる」なんて言いながら弟妹たちの手を取り息を吹きかけ、自分の体温を分け与えていた。そんなかつての温かい思い出が蘇り、じわりと胸が熱くなる。
「
……
、俺は炭治郎の弟じゃない」
「そ、そうですよね!すみません
……
」
兄弟子で、水柱で、そもそも歳上な義勇さんを弟妹たちと一緒くたに扱うのはさすがに失礼だった。慌てて包み込んでいた手を離したら、向かい合うかたちになっていた義勇さんと俺の影がひとつになる。
義勇さんに抱き締められている、と認識できたのは数秒経過したあとだった。義勇さんの香りが鼻腔内を満たしていく。なぜ、どうして急に、という至極当然な疑問がぐるぐると脳内を巡っていて、感情を嗅ぎ取れるほどの余裕なんてない。
俺の背中に回された義勇さんの腕に力が緩やかに込められた。
「俺はじゅうぶん暖かい。
……
お前だってこんなに冷えきっている」
「た、確かに、ちょっと寒いかも
……
?」
そうか。ただ義勇さんは俺に体温を分け与えてくれるために。その行動についての理由がわかったけれど寒さは特に感じていなかった、気はする。けれども義勇さんが俺が冷えていた、というのならそうなのだろう。
「ありがとうございます、義勇さん」
だから俺はお礼を伝えて、義勇さんのその背中に自分の腕を回した。隊服と羽織に隠されて普段は見えないが、義勇さんの身体は意外と厚みがあるのが、伝わる体温と共に感じ取れる。
俺が義勇さんの肩あたりに顔を埋めると、義勇さんはびく、と震えた。どうやら驚かせてしまったようだった。
温もりがとても心地よい。冬の洗練された空気の中に義勇さんの香りが溶け込んで、これから激闘があるとわかっている状況だというのに、とても穏やかな気持ちになる。義勇さんの優しさがその匂いに溶けて混じっているからなんだろうなあ、なんてことを閉じたまぶたの裏でぼんやりと考えた。
義勇さんに体を預けたまましばらくしたあとに、義勇さんにそっと体を離された。遠ざかる体温に寂しさを感じてしまう。ずっとこうしていたい、なんて言ったら子どもっぽいと笑われてしまいそうだ。
義勇さんはなぜか俺をじ、っと見つめて動かない。至近距離で視線が絡み合う。前までは寡黙な義勇さんとの間に流れる沈黙に気まずさを感じたりもしたけれど、今はそれすらも心地良さを感じるものになっている。
「
……
炭治郎」
「は、い」
義勇さんの手が俺の耳をなぞり、耳飾りに触れる。ふと、義勇さんの匂いに焦げたような、何かが混ざった匂いがすることに気付いた。普段は穏やかな水面を映しているような瞳も、何故だか焼けるような、なにか熱をもっているものに変化している気がする。
その瞳が、少しずつ近付いてくる。その青い瞳には俺しか映っていない。なぜか体が縫い付けられたように動かなくて、息を飲んだ。
しかし俺たちの影が完全に重なる前に、けたたましい鴉の鳴き声が静かな夜に響き渡った。
「──緊急招集!緊急招集ーッ!!」
ばさばさと羽ばたきをしながら叫ぶ鴉の、見たことが無いその様子に、なにか異常事態が発生したのだということは容易に察することができた。どくん、と心臓が鳴る。いったい何が起きたのだろうか。
「!
……
行くぞ」
立ち上がった義勇さんは既に帯刀している。俺も近くに置いてある日輪刀を持ち羽織を着た。
鴉が示す方向に向かい共に駆け出す。束の間だった穏やかな夜は終わったことが、このうるさく鳴る心臓からも実感してしまう。この夜で決着が着くのかもしれないと、なんとなくそう感じた。
前を走る義勇さんの背中を見つめながら、俺は脇に刺した日輪刀の柄をぎゅ、っと握り締めた。
*
鬼殺隊として刀を振るい鬼を斬っていたのははるか前のことだというのに、こんなにも鮮明に思い出せるのはそれだけあの時の記憶が大切なものだからだろう。
「おっはよ、炭治郎」
「おはよう善逸、伊之助」
「ねえ〜今日の数学の宿題終わってないんだよお、教室着いたら写させて!」
「前にも写させただろ?善逸の為にならないから嫌だ」
「そ、そこをなんとか
……
!このままだとあの顔怖教師に殺されちゃうから!」
「なはは!雑魚だな紋逸は!」
煽るような伊之助の言葉に善逸が反応して俺の隣で小競り合いが始まる。いつも通りの登校、これが日常風景だ。
鬼殺隊として生きていたのは"以前の自分"で、"今の自分"は実家がパン屋の高校生として生きていた。時代も違うのに、以前周りにいた友人や仲間たちも前の記憶を保持しながらまた自分の近くで生きている。
不思議な縁だけれど、命を奪い合うような前とは違うこの穏やかな世界でみんながいるのがとても幸せだった。
ぎゃーぎゃー騒ぎながらみんなで歩いていると気付いたらすでに校門まで来ていたようだ。騒がしすぎて他の生徒たちが遠巻きに俺たちを見ている。
いい加減にしろ、なんてなだめようとしたら先に「我妻、嘴平、竈門!」と鋭い声が俺たちに向けられた。思わず肩を竦めてしまう。
「朝からうるさい」
「ひいいごめんなさい!でも違うんですこいつが全部悪くて」
「はあ?やんのかてめえ!!」
「静かにしろと言っているのがわからないのか
……
?」
怒気を含んだ言葉に怖いもの知らずの伊之助もさすがにぐ、と押し黙る。そのまま頭髪も注意されている善逸はすでに半泣き状態だ。
俺はその横を気配をなるべく消してそろ、と通り抜けたが、「竈門」と呼ばれびくりとする。恐る恐る振り返ると、こちらを真っ直ぐに見据えた視線とかち合った。
「お、おはようございます、冨岡先生!」
「おはよう。
……
校則違反だ、ピアスを外せ」
青いジャージを身にまとい竹刀を持つ冨岡先生の視線は刃物のように鋭い。言うことを聞かないとやばい。そう理解はしているが俺にも譲れないものがある。冨岡先生の視線がすう、とより一層鋭くなる。
「すみませんこれは形見なので無理です!さようなら!」
そう言ってから全力で駆け出す。捕まる前に教室に入らなければ。
この追いかけっこもいつも通りの日常だ。風紀を取り締まる冨岡先生は、この花札の耳飾りを学校に付けてくるのを許してくれない。けれど言った通り、これは父の形見だ。違反だとしても外すわけにはいかない。だから奪われる前に逃げるしかない。
けれど俺のフィジカルを完全に上回っている冨岡先生から逃げきることが出来る日なんて、ほとんど無い。こんな距離が近い状態で追いかけっこが始まってしまったのなら尚更だ。
周りの生徒たちから頑張れ、なんて声援が飛んでくるけれどそれに応えられる自信はない。
案の定、下駄箱前の玄関で襟を掴まれてしまった。引っ張られ首が締まりぐえ、と潰れた蛙のような声が出てしまう。
「
……
竈門、ピアスを外せ」
「うう
……
はい
……
」
ぜえぜえと肩で息をする俺とは違い、涼しい顔をしている冨岡先生はピアスを外す俺を逃がさまいと視線で俺を地面に縫い付けている。
片耳はすぐに外すことが出来たけれど、もう片方が上手く外せない。あれ、なんていいながら手こずっている俺を見かねたのか、冨岡先生の手が俺の耳に触れた。からん、と耳飾りが音を鳴らす。
その時ふと、あの日の夜のことが脳裏に蘇った。俺の耳飾りに触れた、あの時の義勇さんのことを。
……
冨岡先生は、あの夜のことを覚えているだろうか。
結局あれはなんだったのか。戦いを終えたあともなんとなく聞けないまま生を終え、ここまで来てしまった。今なら、教えてもらえるのだろうか。
「
……
外れたな。これは放課後に返す。帰宅前に生徒指導室に来い」
「え、あ
……
、はい」
歯切れが悪い俺を気にすることもなく、冨岡先生は俺のピアスをハンカチで包んでから自分のジャージの胸元にあるポケットに入れるとすたすたとこの場を立ち去った。
その後すぐに善逸や伊之助が駆け寄ってきて「今日は朝からついてないなあ」なんてことを話していたけれど、俺の頭はもう、あの夜の風景と蘇る香りに思考が奪われてしまっていた。
*
「
……
できました!」
放課後、俺は冨岡先生に言われた通りに生徒指導室に来ていた。校則違反で捕まった日はほとんどここで恒例行事のように反省文を書いている。もう何を書こうかなんて悩むことも少なくなっていた。
机を挟んで向かい合い座る冨岡先生は俺の書いた反省文に目を通してから「よし」といい、朝入れていたポケットから俺のピアスを取り出して手渡してくれた。
「反省したのなら明日からは付けてくるなよ」
「それは約束できないですが、わかりました!」
じろ、と俺を睨む冨岡先生に誤魔化すようにへへ、と笑うと、これ以上言っても無駄だと理解しているのか、冨岡先生は諦めたようにため息をついた。
「お前が頑固なのは昔からだからな。
……
もう帰っていいぞ」
冨岡先生が言う『昔』というのは、鬼殺隊として生きていた頃から、という意味だろう。
「義勇さん」
「
……
なんだ。あとここには俺たち以外誰もいないとはいえ校内だ。先生と呼べ」
以前の記憶がお互いにあるのは不思議な感覚だ。だけどそれ以上に、この平和な時代でまた共に生きていけることが嬉しい。
命を奪い合うこともない。夜に怯えて眠ることもない。幸せで暖かい世界。そこでまた義勇さんと再会できたのも何かの縁だろう。
「義勇さんは、覚えていますか?あの夜の日を」
「いつだ?」
「俺が義勇さんに稽古を付けてもらった日です」
そう言うと、ぴし、という音が聞こえてきたんじゃないかと思ってしまうぐらいに、義勇さんは文字通り石のように固まってしまった。
「よかった!覚えているんですね!」
どうしてこんな反応をしているかについては首を傾げてしまうけれど、どうやら義勇さんの記憶にも残っているようで安心した。あの夜は俺にとって大切な思い出だから、義勇さんが忘れていないことにも喜びを感じてしまう。
「あの時は時間が無くてゆっくり話せなかったじゃないですか。でも今なら──」
「──急用を思い出した。今すぐ帰れ。ここを出ろ」
「えっ⁉あの、義勇さん⁉」
義勇さんは激しい音を立てて立ち上がったかと思うと、俺の腕も強く引っ張られてしまい、無理やり立たされてしまう。そのままぐいぐいと背中を押され、生徒指導室から廊下へと出されてしまった。
「ちょ、っと!義勇さん!!」
「
……
、冨岡先生、だ。わかったなら帰れ」
ぴしゃん、と扉を閉じられて鍵を掛ける音まで聞こえた。どうやら本当に急用らしい。それならば仕方がない。また明日にしよう。前とは違って、今は時間はたっぷりあるのだから、お互いがゆっくり話せる日にした方がいいだろう、とひとりで頷いてその日はその場を後にして帰路に着いた。
……
だけれどその日以降、義勇さんが俺に接触してくる機会はめっきりと減ってしまった。もちろん俺は毎日ピアスを付けてくるので校則違反に目を光らせている義勇さんに捕まってしまうこともある。
だけれど生徒指導室に呼び出されても書き置きが残されているだけで義勇さんの姿がないだとか、他の生活指導の先生だったりで義勇さんとふたりきりで過ごすタイミングが全くない。
避けられている、と気付くのにそんなに時間はかからなかった。
「どうしてだろう」
俺が校則違反を繰り返しているからいい加減愛想も尽きたのか。いや、だけど俺が頑固なのは知っているし、もしそうだとしても俺に理由を話すだろう。義勇さんは黙って離れる人じゃない。
……
いくら考えてもわからない。けれど、何か思い至る部分があったとしても、それは俺の想像でしかない。本当の理由なんて結局本人の口から聞くしかない。
言いたくないであろうことを、無理やり聞き出すことなんて本当は良くないのかもしれない。これは俺のわがままでしかない。
だけどこのまま放っておいたら義勇さんが遠くに行ってしまいそうな気がする。そんなのは絶対に嫌だった。
なら、やることはひとつだ。
*
迂闊だった。
鬼殺隊として生きていた記憶を保持したまま生きているのは自分だけではない事は、尊い思い出を共有できて喜ばしいことだと、今は思える。だが、あのことを未だに炭治郎が覚えていたとは。
あの当時の自分の行動に対する理由を問われて、答えられる訳がなかった。だから追及されてしまう前に早々と会話を切り上げた。そうすることで「触れてはいけないもの」だと察してほしい気持ちはあった。
だが、俺はこの現代の生に染まっていて失念していた。炭治郎のしつこさと頑なさを。
「こんにちは!失礼します!冨岡先生はいますかー!」
生真面目な炭治郎は職員室のドアをノックしてから挨拶して開く、というルールを律儀に守ってくれるので、炭治郎の声が聞こえた瞬間に身を隠すことが出来る。おまけに声も大きい。道場破りに来たかのようだ。
おかげで今日もこんにちは、の「こ」が耳に届いた瞬間に給湯室の方に逃げ込むことが出来た。
「ああ、冨岡ならそこに──あれ?いねえな」
宇髄が炭治郎に返事をすると炭治郎はきょろきょろと辺りを見渡している。ここはドアの方から見ると死角だ。入って来ない限り見つからない。かつ、職員室に入ってくる生徒なんていない。
「さっきまでは居ましたか?」
「ああ。地味〜な顔して座ってたぜ」
「そうですか
……
」
うーん、と顎に手をやる炭治郎は、恐らく俺が行くであろう場所を考えているのだろう。いつもの通りならこのまま立ち去る。
俺が必要以上の接触を避けていることに、いい加減炭治郎も気付いているだろう。もしかしたら、傷付けてしまっているかもしれない。だから頃合いをみて、あの話に触れないようにして距離を測り直そうと思っては、いる。
「宇髄先生!ちょっと職員室の中に入ってもいいでしょうか?」
「おう、なんか持ってったりしねえなら別にいいぜ。
……
面白いことになりそうだしな」
「それはしないので大丈夫です!ではお邪魔します!」
……
聞き間違いだろうか。「お邪魔しました」ではなく、「お邪魔します」と炭治郎は言ったのか。そして宇髄は入室をなぜ許可するのか。
その瞬間に、以前の記憶がぶわりと脳裏に再生される。柱稽古に参加しない俺にその理由を聞こうと、四日間も俺に付きまとって、湯浴みや厠にまでついてくる上に朝早くから訪ねてくるものだから睡眠すら疎かになったあの日々を。
「あ!冨岡先生!こんなところに居たんですね。お茶の準備でもしてましたか?」
突然、ひょこ、と給湯室に頭を覗かせる炭治郎に思わずびく、と身体を跳ねさせてしまった。思い出に浸ってしまっている間に簡単に見つかってしまった。目を泳がせてしどろもどろに答えることしか出来ない。
「
……
、いや、別に」
「そうなんですね!なら良かった、俺、冨岡先生に聞きたいことがあって」
「
……
それは授業内容でのことか」
そう問うと炭治郎はう、と言葉を詰まらせた後に少し考えてから、喉の奥から絞り出すように「
……
はい」と返事をした。その顔はいつも嘘をつくときの顔をしていて、とてもわかりやすい。馬鹿正直なやつだ、と心中で微笑した。
「嘘をつくな」
「う、嘘じゃ
……
」
「どちらにしても、無理だ」
そう突き放すと、炭治郎は黙りこくって俯いた。強く言いすぎたか、なんてことを思ったが、自分が避けているくせに炭治郎を心配するような己の身勝手さに反吐が出てしまう。
伸ばしかけた手をそっと戻したあとに、炭治郎がばっと顔を上げた。
「じゃあまたあとで来ますね!」
「
……
は?いや、」
「それじゃ、お邪魔しました!」
俺がなにか言う隙を与えずに炭治郎はばたばたとしながらも退室の挨拶は欠かさずに立ち去っていった。あとで、とはどういう意味だ。俺の「無理だ」という答えを「時間が無いから」と解釈しているのだろうか。
今は中休み。これから昼休みだってあるし、放課後もある。まさかその度に訪ねてくる気をしているのだろうか。そのまさか、が杞憂であることを祈りたいが、如何せん前例がある。
……
長い戦いになりそうだと、長い溜め息をついた俺を笑う宇髄の声が背後から聞こえてきた。
*
今回の義勇さんは想像以上に難易度が高い。以前に四日間引っ付いた時は寝食を共に出来たけれど、今は俺も家の手伝いとかがあるから義勇さんの自宅まで伺うことが出来ないから、前回よりは効果は薄いのかもしれない。
けれど校内にいる時は時間があれば必ず義勇さんを探した。一週間もそうしていれば他の生徒たちも「また冨岡先生探し?」なんて声をかけてくれて直近で見かけた場所を教えてくれる。どうやらいつも追い掛けられている俺が逆に義勇さんを追いかけ回しているのが面白いらしい。
そうして顔を合わせても義勇さんは何かにつけて俺から距離を取ろうとする。ピアスを外されたあとなら尚更だ。何かを聞こうとしても「他のやつに聞け」の一点張りで取り付く島もない。
ちくり、と胸の辺りに棘が刺さったような痛みを感じた。その痛みはじくじくと心臓へと広がっていく。義勇さんと目を見て話せない現状に、心が締め付けられるようにつらかった。
どうすれば、また義勇さんの瞳に俺を映してもらえるのだろうか。聞き出すことを諦めてしまえばいいのだろうか。だけれどそうしてしまったら、今以上になにか心に穴が空いた感覚を抱いてしまうような気がする。
人の気配が減った放課後の廊下をひとり、とぼとぼと歩く。傾いてきた陽の光が窓から射し込んでいて、橙の光が床や壁を照らしている。その廊下の先に、見慣れた青いジャージに身を包んだ、探し求めている人の姿が見えた。ぱあ、と心に光がさす。
「とみお──」
「──あ、あの!!竈門くん
……
!」
冨岡先生の名前を呼んで気付いてもらおうとしたが、言葉の中途でどこだかで聞き覚えのある声が俺の名を呼んだ。呼ばれた方
……
後ろに振り返ると想像通り、クラスメイトの女生徒たちの姿がそこにあった。俺を呼んだであろう女の子の後ろにいる何人かが、ほら、なんて小さな声で何かを急かしている。
「ん?どうしたんだ?」
「っ、ちょっといい
……
?すぐ終わるから」
その時、ふわりと漂う甘い匂いが鼻をくすぐった。この香りは目の前の彼女からしているようだ。何故だか嗅ぎ覚えのあるそれから記憶を手繰り寄せる。そうだ、この匂いは善逸が女の子
……
特に禰豆子のことを話す時にしていたような気がする。
ふと、視線を廊下の先へとやる。先ほどまで見えていた義勇さんの姿はもう見えなくて、また見失ってしまったようだった。
「そこの空き教室に!ほら!竈門くん!」
「あ、うわあっ」
他の女子生徒から背中をぐいぐい押されて、誰もいない教室に無理やり押し込まれてしまった。そのあとに俺に声を掛けてきた女の子もゆっくりした足取りで入ってきて、他の子たちは何故だか「頑張ってね!」なんてことをその子に色々言ったあとにドアを閉めて立ち去っていった。
暫く沈黙が続く。なんだか気まずくて俺から話しかけようかな、なんて事を考えていたら、しん、とした空気を割るように震えた女の子の声が静かな教室に響く。
「あ、あの
……
竈門くん。わたし
……
」
その時、思いきりドアが開かれた。その勢いはとても強くて女の子も俺も声を出して驚いてしまった。初めはその女の子の友達が戻ってきたのかな、なんて思ったが、そこに立つ人の姿を見て息を飲んでしまう。
「ぎ
……
、とみお、か、せんせい」
なんで、義勇さんがここに。
探してやまなかったその人の名前を思わず口にしそうになり、喉奥へと押しやる。俺が呼ぶと義勇さんはちら、と俺に目線を移したがすぐにドア近くに立つ女の子へと視線を戻してしまった。
「
……
すでに下校時間を過ぎていると思うが、ふたりでなにをしていた」
そうか、校内の見回りか。なんて呑気な考えに俺は至ったが、風紀の鬼と恐れられる義勇さんの鋭い視線と、纏っている冷たい空気に耐えられる女の子なんていないだろう。その子も半泣きになりながら「なんでもないです!」と言い残して義勇さんの脇をすり抜け教室から逃げるように走り去ってしまった。
俺と義勇さんだけが残された教室に、また沈黙が落ちる。なぜだか義勇さんも俺を見つめてじっと動かない。いつもなら俺を見つけると逃げてしまうのに、不思議だった。
「
……
あの」
俺が声を掛けると、義勇さんははっとしたように目を少しだけ見開いた。そのあとにすぐ、踵を返そうとするものだから俺は思わず、義勇さんのその手を握った。
「
……
竈門、なにを」
「待ってください!お願いだから逃げないでください!俺はただ
……
」
握る手に思わず力を込めてしまうが、義勇さんからしたらこの手を振り払うことなんて造作もないことだろう。けれど、義勇さんは俺の手を跳ね除けるなんてことはしなかった。微かで不器用なそんな優しさを感じて、胸がぎゅ、と締め付けられる。
「
……
。わかった、逃げないから
……
そんな顔をするな」
「ほ、本当ですか⁉」
「ああ」
そんな顔というのは、どんな顔だろうか。自分ではよく分からないが、そのおかげでこの数日間続いていた追いかけっこは今日で終わるらしい。
ここだと人が来るかもしれないから、と義勇さんは俺の手をゆっくりと離したあとに、俺の前をゆっくりと歩き出した。
その歩幅は離れることがなく、懐かしさすら感じるその距離になぜだか目の裏がひどく熱くなってしまった。
*
「お前が聞きたいことは、どうせなんで俺があんなことをしたのか、だろう」
もう居心地の良さすら感じてしまう生徒指導室に誘導され、机を挟んで俺の前の椅子にどっかりと座った義勇さんの声はいつもより重い気がする。
義勇さんの言うあんなこと、というのはあの夜に義勇さんが俺に触れたことだろう。それならば俺が聞きたいことと一致する。
「はい。でも、いいんですか。あの
……
話したくないんですよね?」
「なんだ。今さら興味が無くなったのか」
「そういう訳じゃないんです!けれど
……
」
迷うような俺の様子を見てか、義勇さんの空気が微かに揺れた気がする。なんで、笑ったのだろうか。
その理由はわからないが、すぐに義勇さんの表情はいつもと同じように凪いでいるようなものへと戻ってしまった。
「いや、むしろ、俺はお前に聞きたい。
……
炭治郎」
その口で、久しぶりに呼ばれた自分の名前にどくん、と心臓が鳴った。なんで義勇さんに名前を呼ばれるだけで、こんなにも全身を巡る血液すら熱さをもつような錯覚を感じてしまうのだろうか。
その視線は俺を真っ直ぐに見詰めていて、水面を思わせるような綺麗な瞳には俺が映し出されている。
まるで、あの日の夜を彷彿とさせるようなその視線に、俺はまた身動きが取れなくなってしまう。
「俺の答えを聞きたいか?」
義勇さんの言葉が、身体に、心臓に、腹に、重たく伸し掛るようだ。その答えを聞いてしまえば、前のようには戻れない。何故だかそんな考えが脳裏をよぎる。
けれどその予感は、不思議と悪い意味では無いことも何となくだけれど感じていた。なにより俺のわがままだけど、義勇さんの口から、その言葉を聞いてみたかった。
「はい」
「
……
。そうか」
俺が頷けば、義勇さんは思案したようにふう、と息をついた後に天井を仰ぎ見た。話すのが苦手なお方だから、言葉を選んでいるのだろうか。
義勇さんの視線が俺へと戻される。ふと、空気に乗る義勇さんの匂いを嗅いだがその香りはいつもと変わらず洗練されたような、爽やかさを感じさせるようなものだった。
「正直あの時は、つい体が動いていた、としか言えない。どうして自分があんな行動をしたかなんて、あの時の俺には聞いてもわからないだろう」
「え」
答えが義勇さん自身にもわからない、ということなのだろうかと声を漏らすと、義勇さんは「聞け」と俺を黙らせた。
「急かすな。あの時の、と言っただろう。今の俺とは違う」
「ああ
……
そういう意味でしたか」
「
……
俺は、もう大切なものは作らない。失ってしまった時の身も心も引き裂かれるような悲しみに耐えきれないから。そう思っていた。けれどお前が
……
炭治郎が、繋いでいくことを思い出させてくれた」
今も鮮明に思い出せるよ、なんて自分の頬を撫でる義勇さんの今の姿は鮮やかな青いジャージのはずなのに、時折隊服と羽織を身にまとったあの頃の姿がぼんやりと浮かんで見えるようだった。
「俺にまた守りたい存在が出来た。それがお前だ、炭治郎」
机の上にある俺の手に、義勇さんの手が重なる。義勇さんの手はひどく熱くて、俺の手を溶かしてしまうのではないかと思うほどだった。
「だがこの想いは、お前が想像しているような庇護欲のようなものではない。もっと身勝手で暴力的なものだ。だから俺はあの時、炭治郎に触れた。今なら理解できる」
する、と義勇さんの指が俺の指の間を割入ってくる。義勇さんに触れられた所は熱を持ちながら、びりびりと全身を駆け巡る電気のようなものがそこから流れてくるようだった。
俺はずっと言葉が出なかった。何かを言いたいのに義勇さんから漂う、とてつもなく甘くて、なのにそれを焦がして煮詰めたような匂いに肺まで満たされたようで息すら難しい。
「炭治郎、俺はあの日からずっと」
義勇さんのもう片方の手が俺の頬に触れる。今日は耳に付いたままだった耳飾りが、義勇さんの手に触れてからん、と音を鳴らした。
義勇さんの瞳の色は、あの夜とまったく変わらないままで、水面に映る景色のように揺れながらも俺の姿を映し出していた。心臓はずっとうるさく鳴っていて、徐々に鼓動が速くなってきている。
「お前のことを欲して止まないんだ。その心ごと、すべてを」
「、っ
……
!」
義勇さんの口から紡がれる、熱を持ちながらも絞り出されるような苦しそうなその言葉に、高鳴っているままの俺の胸は握りしめられたような強い痛みを一際感じた。
俺の頬に触れたままの義勇さんの手のひらも、熱を帯びていて俺をどろどろに溶かしてひとつになってしまうのではないか、なんて錯覚すら覚えてしまう。
「どうだ。お前が聞きたがっていた答えは」
「お、おれ
……
」
「
……
」
しどろもどろになってしまっている俺のことを義勇さんはじっと見つめたまま動かない。腹の底に溜まっている色々なものを言葉にしたいのに、どう言葉にすればこの気持ちを表現出来るのかが俺にはわからなかった。
「
……
、お前は」
「え?」
「逃げないのか。あの時は何もわかっていなさそうだったが、今ならもう理解できるだろ。このままなら了承したと取るぞ」
「え、
……
え⁉」
畳み掛けてくるような義勇さんの言葉に思考を強制的に再開させられる。そういえば、あの日の夜も義勇さんは俺の頬に触れたあとに影が重なってしまうぐらいに距離を詰めてきたことを思い出して、ぶわ、と顔に熱が集まってしまう。
未だに混乱している頭脳をフル回転させて、義勇さんの言葉と行動を紐付けて脳内で必死に整理する。が、追い付かずに義勇さんに助けを求めてしまった。
「ま、
……
ちょっと待ってくれませんか!」
「わかった」
「ありがとうございます
……
!」
こくりと頷く義勇さんの物分りの良さに感謝をする。
義勇さんは俺を大切に思っていてくれていて、そしてその気持ちは庇護欲ではなくて、俺に触れるような想いを抱くようなもの。義勇さんの言っている通り、今なら理解できる。
「つまり義勇さんは
……
俺のことが好きってことで大丈夫ですか?」
「
……
。
……
、そうだ」
事実ならなぜそんなに言葉を詰まらせるのだろうか。「馬鹿正直すぎる」なんて小さすぎる呟きが聞こえてきたのは考えすぎかもしれない。
そう理解できても、俺は不快感なんてものは一切感じなかった。むしろずっと、自分の心の中で渦巻いていた、自分では紐解く事ができなかった感情の答え合わせができた。
「ようやくわかりました。俺も義勇さんのことが好きです」
「
……
それは、俺の言葉の意味を理解して言っているのか?」
義勇さんが目を細めてそう言ったことに、思わずむっとなってしまうのは仕方がないだろう。
「わかってるつもりです。
……
義勇さんが言葉にしてくれたおかげで、俺自身もやっとわかったから」
握られたままだった義勇さんの手を握り返して、ぎゅっと力を込める。この温もりを手離したくない。触れてほしい。その瞳に俺だけを映していてほしい。義勇さんに、たくさん名前を呼んでほしい。
この気持ちは多分、義勇さんが俺に向けてくれているものと同じもののはずだ。
「俺も、ずっと義勇さんを求めていました。俺だって義勇さんが欲しかったんです。昔も、今も」
言葉を口にすると、渦巻いていた感情にも名前を付けることができた。義勇さんに避けられていたのは、俺たちの過ごしてきた年月からすると些細な時間だったはずなのに、心が張り裂けそうだった。義勇さんの姿を見つける度に心に光が差すような気持ちになれるのは、俺にとって義勇さんが大切な人だからに他ならないだろう。
「
……
もう逃がしてやれないぞ」
「それはこちらの台詞です」
逃げ回るあなたをようやく捕まえたんですから、と言いながら、俺が義勇さんを握る手に力を込めると、義勇さんは目を丸くしたあとに少ししてから優しく微笑んだ。
*
帰宅が遅くなった炭治郎を自宅まで送り届けたあと、ひとりで夜道を歩く。この世は街の灯りが明るいおかげで夜でも歩きやすいが、夜空に浮かぶ星々はそのせいで少し見え難い。
俺だけを追い掛け、俺の名前を呼ぶ炭治郎が、同級生である女子に好意を寄せられているのを見た瞬間に酷く心が掻き乱された。教師として生徒はみな平等に扱うべきだ。だが炭治郎だけは譲れない。大正を生きていた記憶を含めているはずなのに、未熟な精神に恥を感じる。
彼女が気持ちを言葉にする前に邪魔を入れたのは俺の弱さだ。だが、炭治郎だけは渡したくなかった。もちろん、告白されたとて炭治郎がそれを断ることも理解している。
だが、炭治郎の心に痕を残すのも許し難いと思ってしまった。矮小な考えに自嘲する。
けれどそんな自分を炭治郎は受け入れ、求めてくれた。こんな幸福があっていいのだろうか。数え切れないほどに抑え込んでは、その度に自覚してしまうこの気持ちを、凍らせようとしたこの想いを、炭治郎は溶かしてしまった。その意味を本当に理解できているのだろうか。
夜風に当たっていても、未だに炭治郎の熱が忘れられない。この手に残る体温に、俺はまた口付けた。
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