うすねず
2026-02-13 20:00:00
3020文字
Public カイスト
 

灰色の闇の中で

副題アロロアと鋼さんの触れあい体験記
アロロア×ローゲン(風原×鋼)
鋼さんがかわいそうな目にあうだけ。
風原は手を伸ばしたら無意識に掴んじゃった程度の感覚なので恋愛要素も浮気要素もありません(重要)。

鋼源十郎ことローゲンは、灰色の闇の中にいた。
浮いているのか沈んでいるのか、どこまでが自分の身体なのか、そもそも体とはどんな形をしていたのか。
時折何かが触れているような気がしたり、温度を感じたと思ったら消えたリ、チリチリと生じては消える感覚。ノイズのような気持ち悪さ。
ローゲンの脳裏になにか既視感のようなひらめきがあったが、捉える前に消えてしまった。
「あのう」
なにもかもが判然としない中に突然鮮明な言葉が落ちた。
「何だっ」
反射的に声が出る。声が出たことのなら口も喉も肺もある。ローゲンに肉体の感覚が戻ってきた。同時に意識と記憶もはっきりとしてくる。
「ここは、混沌か」
以前、「無手勝」コー・オウジの下で社員をしていた時の記憶に同じような場所で過ごした覚えがあった。
「おい、風原っ、お前の仕業なのかっ」
返答はなく、「アアアア」とか「アロロロアロロ」とか意味不明な声だけがローゲンの聴覚を刺激し続ける。先ほどの声は幻聴だったのだろうか。しかしローゲンは確かにその声を聞いたと断言できる。
なぜ風原からの応答がないのだろう。水上と結婚してからは安定し始めていたというのに。
数度呼びかけるも、意味不明な声のようなもの以外返ってくる音は無く、ローゲンの内心に焦燥が芽生える。
ローゲンの意識はまどろみから目覚め、覚醒していたが、時間が経てばまたこの灰色の闇の中に溶けてしまうだろう。
既に体の感覚はまたわからくなり始めていた。
どうすればここから脱出できるのか。前回はアロロア――風原によってあっさりと戻れたため、なんの手がかりもない。
「っ」
焦り始めていたローゲンの体になにか触れる。
それは冷たいようで熱く、柔らかくも硬くもあった。
曖昧ながらも鮮明な感触はローゲンの表面を探るように蠢く。
混沌の中でちらちらと生じる感覚の欠片とは明らかに異質な刺激。
脳裏に以前見た灰色の触手が浮かび、ローゲンに培われた戦士としての本能が警鐘を鳴らす。
咄嗟に手足に刃を生やしばたつかせと何かに当たった気配がする。
しかし切った手ごたえはなく、体表を這う触手の刺激も止まらない。
そもそもこの手はどこにある。触れられているのはどこだ。
ローゲンの知覚の中で触手が触れている部分だけが明確な輪郭を持っていて、確かに触れられていることはわかる。しかしその場所がどこなのか、断言することができなかった。腕に纏わりついているのか、足に絡みついているのか、腹を撫でているのか、わからない。
「くっ、う」
触手の位置がわからないので、全身から可能な限りの刃を生やしたりひっこめたりしてみる。
抵抗できているのかできていないかさえ定かではないが、とにかくできる限りのことはやっておきたかった。
本能的な喧嘩っ早さとは別にここで抗わなければ恐ろしいことになる予感がローゲンを突き動かしていた。
しかし、触手はそんな抵抗に影響されることもなく、その存在を確かめるようにローゲンの体に触れ続ける。
手を、足を、腹を、よくわからない場所を、這いまわる触手が、ジワリジワリとローゲンの領域を侵食している。
肉体を、溶かされている。
痛みはない。いや、とても痛い。痛くない、痛い、痛い。
己の一部が解かれ、周囲と、触手たちと混ざっていくのを全身が、魂が知覚していた。
あるのかないのかわからないのにひたすら強烈な痛みが強靭な戦士の精神をガリガリと削り、魂が侵食される苦痛と恐怖にローゲンの心臓が早鐘を打つ。打っているのが聞こえるのだから心臓と聴覚はまだ無事らしい。
喘ぐように口を開くが、声は出なかった。

どれだけの時間が経過したのだろう、そもそもこの場所に時間などという概念はあるのだろうか。
しかし触手が現れた時点に比べ、ローゲンの精神がすり減っているのは確かだった。
自身の存在も曖昧な灰色の闇の中、ローゲンの体表に融合した触手は無遠慮に動き回り続けている。
「ぐ、ぅえ゛」
喉奥でざわめく触手にたまらずえずく。
もしも、大きく開かれた口腔を観測できる者がいたとすれば、ローゲンの粘膜そのものから触手が生えていることが分かっただろう。
戦士と呼ばれるカイストの多くは呼吸をしなくてもある程度活動できる。ローゲンもその例にもれず、一日程度ならば無呼吸でも問題はないはずだった。
そのはずなのに、息苦しい、息ができない。苦しい、気持ち悪い。
意味のない音が喉から漏れている。漏れているのだろうか、そう錯覚しているだけなのでは、わからない。
このままでは遠からず骨や内臓までも触手に溶け始めるだろう。それとも、もうすでにすべて混ざり合ってしまっているのだろうか。
自分がどうなっているのか把握したくともチリチリとしたノイズが邪魔をする。自我さえもバラバラに解けていきそうなノイズの中で唯一、触手によってもたらされる途方もない苦痛だけがローゲンにとって鮮明だった。
際限の無い責め苦に魂が悲鳴を上げ、苦痛を快楽へと転換させる。耐えがたいほどの快感がローゲンを揺さぶり、快感に少しでも抗おうと全身が仰け反った。


「あれっ」
唐突に、聞き覚えのある音がローゲンの耳朶を打つ。
…………ぁ、かぜはら、か」
辛うじて残った理性をかき集め、無理やり声を出す。口の中の触手が邪魔でしゃべり難い。
「あれっ、僕は、また、わからなくなって……
「おちつけ、なんでまた俺たちはここにいるんだ。お前の仕業……で、いいんだよな」
明らかな他者の存在に、ローゲンの声に安堵が滲む。
風原が元凶の可能性が非常に高いとはいえ、なにもかもがおかしいこの空間ではただ会話ができる相手がいるというだけでも砂漠でオアシスを見つけたかのように喜ばしいと思えた。
「あの、これって、浮気になってしまうんでしょうか」
「浮……なんだって」
「僕は、水上さんと離れてしまいました。永遠に一緒にいるって誓ったのに……
「いや……まあ、少しくらい違う場所にいることも夫婦円満に貢献するかもしれないぞ」
「えっ、本当ですかっ」
「で、なんで俺はまた混沌にいるんだ」
「ええと、わからなくなってしまったんです」
「何が」
「えっと、形です。僕の形がわからなくなってしまって、なので」
「俺で形を確かめてたってことかよ」
「そう、なんでしょうか。形が無いとちゃんと考えられなかったので、わからないんです。それで、気が付いたら鋼さんがいました」
「とりあえず近くにいた俺を引っ張ったってことかね……。あ、余計なおせっかいかもしれんが、水上にはこんなことしてやるなよ」
「なぜですか」
「そりゃ……えーと、俺は強いから耐えられたが、水上が同じ目に遭ったら死んじまうかもしれねえぞ」
「えっ、そうなんですか。絶対にしませんっ」
「おー、そうしな。……それで、俺は戻れるんだよな」
風原と会話する内に安定し始めた視界で灰色の触手に埋もれた自身を見やりながら確認する。
というかこの視界も風原――アロロアのものではないだろうか。一体どこまで同化されてしまったのだろう。
「はい、戻れます」
「じゃ、いいや」
意識を失えば取りかえしのつかないことになるという根源的な危機感だけで抗っていたローゲンの意識に靄がかかる。
「すみません、ちゃんと切り離しておきますね……
風原の謝罪を最後にローゲンの意識は途絶えた。