吐く息の白は、景色に同化して消えていった。ピリリと刺すような寒さは司の頬を容赦無く痛め付ける。マフラーの端を持って少し上げると、少しはマシになった気がした。
久々に大雪の降った翌日の事だった。
待ち合わせの時刻にはまだ余裕がある。類はきっとまだ来ていないだろう。道路状況の万一に備えて早めに出てきた司は、時計を見てからまた歩みを進めた。
今日は買い出しの後脚本の打ち合わせだ。ファミレスにでも行こうと思ったが──空を見上げると、まだボタボタした雪が落ちてくる──この様子を見るに、一度解散してセカイでの打ち合わせに変更した方がいいかも知れない。買い出しの荷物を置きに帰る事も出来て一石二鳥だ、などど呑気に思っていると大通りへと出た。
思ったよりも人通りは多かった。こんな天候なのだから家に篭っていても良さそうだが……そう過ぎった直後、自分だってその“人通り”の一員なのだと考える。やむにやまれぬ事情で出ている者もいるだろう。
それに司自身、この買い出しが“やむにやまれぬ事情”なのかと問われれば自信はない。明日だって明後日だって構わないし、買うものは決まっているのだからネット通販だって使えるのだ。それでも類と買出しに行きたいという欲求が恋人に会いたいからなどと言う不埒な思考からだとは認めたく無かった。
やがて公園前に着いた、今日の待ち合わせ場所だ。類はまだ到着していないだろう、そう思って公園をきょろきょろ見渡すが、やはり姿は確認出来ない。
その直後、聞き慣れない音が耳に入った──ジャゴジャゴ、ミシ……──不可思議な音だった。何となしに音の正体を探りたいと、公園の奥へ進んでいく。通り過ぎた噴水には雪が積もっていて、水流も寂しげだった。
「ほら、ここジャリジャリしてる!!」
「すっげー!」
無邪気な男児たちの声が聞こえてきたのは、脇の植え込みからだった。小学校低学年くらいだろうか、ダウンを着てニット帽を被って手袋を付けた、似たような格好の二人組だった。
「足あと付いた!」
「なんか粒が丸いな……えい、えい」
ジャコジャコ、ジャリジャリ……──雪と言うよりは氷の粒になっている一帯は、二人の男の子によって踏みしめられていく。
司は辺りを見回した。親はどうやら近くにはいないらしい。近所の子なのだろうか。
ふむ……少し考えてから、口を開いた。
「おーい、君たち! あっちの木の下のほうが綺麗な雪があるぞ!」
少し遠くからそう、声を掛ける。これならさすがに不審者には見えないだろう。
「ええ? でもここで良いよ」
「そこは春になると花が咲くんだ。見た事はないか? チューリップやマーガレットが咲いてるのを」
「あ、おれ見た事ある。お母さんが連れてきてくれた」
「そうなんだ。じゃあ可哀想だな。ねえおにーさん、綺麗な雪ってどこ?」
どうやら理解してくれたらしい。良い子たちだ。
「あっちだ。それに……な……」
わざと勿体振って、口元に手を寄せた。釣られたように、子どもたちが耳を向ける。
「あそこの雪だったら柔らかめだから、雪だるま作れるぞ」
にたりと笑う。子どもたちの目が散る雪のように輝き出した。
「マジで! いこうぜ!」
「おにーさん、ありがとう!」
走りだす彼らに「風邪ひかんようにな! 遅くならん内に帰れよ!」と叫ぶ。彼らは振り返って手を大きく振ってくれた。
少しホッとした。植え込みの花の心配もあったがそれ以上に、あちらの方が開けていて人目に付きやすい。こんな日に人攫いが活発になっているとは思えないが、まだまだ小さな彼らへの心配もあった。
再度噴水前を通って、公園の入口へ──ジャリジャリ、ジャコジャコ……──先程も聞いたような音がする。また子供か……? そう考えながら音の出処を探す。
植え込みにもいない、木の下でも無い、噴水の横でも……
「おや、司くん。来ていたんだね」
「類⁉」
入口の門の裏、門扉のレール沿いに類は屈んでいた。片手で雪を払いながらピストルのような形のマイクを傾けている。近くに足跡がある事から、足で踏む事もしていたのだろう。
「何やってるんだ……」
「フィールドレコーディングだよ。この硬めの雪の音は何かに使えそうだと思ってね」
「なるほど……確かに、都心じゃそうそう雪なんて降らないしな。おまけにこの小さな氷の粒状になっているのも珍しい。かき氷の音なんかに使えそうだな」
「ふふ、そうだねぇ。でもかき氷なら、かき氷を削る音を録音するか、実演でも良い気がするよ。
どちらかと言うと、拷問で肉を削ぐ音なんかにに使えそうかと……」
「何だその物騒な音は。やらんぞ、そんなショー」
「冗談だよ」
フフフと笑う顔は本当に冗談だったのか判断が付かないが、何にせよ、SEの種類は豊富にしておくに越したことはないのだろう。それは十分理解していた。
「ん?」
ふと、フィールドレコーディングを続ける類の手を見る。真っ赤な手、手袋もせず、小刻みに震えるのも本人にとっては無意識なのだろう。
「類、手袋してこなかったのか」
屈んでいた類は立ち上がり、マイクを持ちながらも自分の手を広げてみせた。
「先程録音に夢中になりすぎてね、濡らしてしまったんだ」
司は手袋を外した。コートのポケットに詰めてから、赤くなったその手を包むように握る。冷たい。凍るように、なんてものじゃない。冷え切っていて、手自体が保冷剤のようだ。よくこんな状態で録音なんてしていたものだと感心してしまうほど。
手を離して、ポケットから手袋を取り出した。
「着けておけ」
「お断りするよ。君が寒いだろう」
「ダメだ。ほら、手が真っ赤で可哀想だ」
また手を取って握る。今度は片手だけ。やはりまだ冷たい。寒さを主張する手に、はあと息をかけた。
されるがままだった類の目が、一度大きな丸を描いた。すぐに元の瞳に戻り、にまっと口だけで笑みを作る。分かってくれたようで良かった、司はそう安堵した。
「ふむ……では、片方だけ貸してくれるかな?」
「片方で良いのか? 両方いいぞ」
「ううん、片方だけ」
司は左右の手袋を前に差し出して交互に持ち上げる。類が左にはめる手袋を指差したため、そちらを渡すと、すぐに左手へと装着した。
「……温かいね」
「オレが着けてたからな」
「司くんの温もり、という訳だね。ではこちらにも、その温もりを貰おうかな」
「ん? やはりもう片方も要るか?」
類はそれには答えずに、左手を伸ばして司の手を取った。司が呆気にとられている間に指と指の間に手を滑らせて、キュッと優しく握った。
「な……」
「ね、温かい。おや司くん、そう言えば右手に手袋をはめていなかったね。先に着けると良いよ」
にこにこと一度手を離す。頬を染めながら黙って右手に手袋を装着。左手を垂らした所をまた掴まえられてしまった。
「では、買い出しに行こうか」
「うむ……」
冷えた類の手。その冷たさが司に送られるが、頬の火照りが繋いだ手に伝わり、手の間に温もりが生まれる。
「買い出しの後はどうするんだ」
「僕の家に行こうよ。脚本も詰めたいしね。司くんの家でも良いけれど……」
「……いや、類の家に行って良いか?」
握る強さが無意識に強まってしまったと気付くがもう遅い。類は「ふふ……」と笑みを零していた。
「そうだねえ……司くんの家だと気兼ねなくキスできな──」
「買い出しだ! まずはショッピングモールに行くぞ‼」
引っ張るように歩き出す。類はまだ笑みを浮かべたまま、引きずられていた。この白い世界では赤く染まる頬も隠せやしない。
「後で、さっき録音したやつ聴かせてくれるか?」
「おや? 興味が湧いたかい?」
「音だけで聴くと違った印象を受けそうだと思ったんだ。生の音と録音だと聴こえ方も変わりそうなのも興味がある」
「何の効果音に使えそうか、二人で考えてみるのも楽しいかも知れないね」
冷気に満ちたこの街。話しながら歩く道は、少しだけ暖かかった。
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