燗にした酒を持っていくと、場はすでに騒がしく乱れていた。ドクタケ忍者隊の控えの間として普段使われている少し広めの部屋には十人ほどの男たちがひしめいており、できあがっている赤ら顔はサングラスでも隠しきれていない。
「やっと酒のおかわりが来たか! こっちへ持ってこい」
「はい」
部屋にこもる酒臭さと男臭さに内心眉をひそめつつ、にこりと笑いながら部屋に入ると、男たちが「おお!」とどよめいた。
「軍事殿のお気に入りの利子ちゃんだ!」
「やっぱりかわいいな」
「こっちにおいでよ」
酒を置いてさっさと部屋を辞するつもりだったが、酔ったドクタケ忍者たちに次々と話しかけられる。
「酌の一つくらいしていってよ」
「でも」
「いいだろ? 減るもんじゃあるまいし」
腕を掴まれ、引き留められる。
酒を置いた足で天鬼の部屋へ行くつもりだった。私と天鬼様の時間が減るが? と苛立ちに任せて投げ飛ばしてやりたくなったが、あまり目立ったことをするわけにもいかず、困ったような顔でほほえんでみる。
「でも、そろそろ天鬼様のところに行きませんと」
軍師の名を出せば解放されるかと思ったが、酔った男たちの口からは不満の声が漏れ始めた。
「いいよな。天鬼殿は俺たちには忍びの三禁がどうのと怒ってくるのに、自分はこんなかわいい娘を夜な夜な部屋に呼んでるんだもんな」
「うらやましいよな」
「いつも澄まし顔で俺たちを生ゴミを見るような目で見てくるけど、利子ちゃんと二人になったら、どうせエロ親父みたいなことしてるんだろ?」
酔っぱらったドクタケ忍者たちに好き勝手言われて、苛立ちとともに普段溜まっているこちらの鬱憤も湧き上がる。
「天鬼様はそんなことしません」
「またまたぁ」
「本当です」
本当にあの人は何もしない。こちらが部屋を薄暗くして雰囲気を作っても、色めいた目で見つめても、偶然をよそおって手を触れても、あげくの果てに同じ布団で眠ってみても、まったく手を出してこない。
「君みたいな子が一晩中そばにいたら、普通我慢できないだろ?」
「天鬼様は普通の方じゃありませんので」
「じゃあ毎晩二人で何をしてるの?」
「……本を読んでいます」
「それだけ?」
「はい」
「本当に?」
「……はい」
うつむいて返事をすると、からかうようだった男たちの口ぶりに同情的な雰囲気が交じり始めた。
夜、二人きりで同じ部屋にいても、ただ本を読んだり、架空の戦の軍略を互いにぶつけたりするだけで、色めいたことは何一つ起こったことがない。
一度、無防備な寝巻姿の天鬼の胸元から淡く色づいた小さな突起が見えたときは、こちらこそ鬼になってしまうのではないかと思うほど一気に頭に血が上ったが、あまりにも警戒心なく天鬼が無邪気にほほえんでいたので、女装した父の姿を思い浮かべながら理性を総動員して手を出すのを我慢した。
男の一人が座布団をもってきて、敷きながら言った。
「利子ちゃんもここに座って。一緒に飲もうよ」
「……ありがとうございます」
手渡されたおちょこに注がれた酒を一気にあおると、周りから「おお〜」と歓声が上がった。少しだけ酒がまわり、ぽろりと本音がこぼれる。
「……私に魅力がないのでしょうか」
「そんなことないよ。利子ちゃんはかわいいよ」
「天鬼様もそう言ってくださいますが、指一本触れようとしません」
「それは、きっと君のことが大事なんだよ」
「でも」
「もう少し飲んでさ、酔ったふりして天鬼殿にしなだれかかってみたら」
いつの間にか私の周りにドクタケ忍者たちが集まり、おのおの親身になって私の恋愛相談に乗り始めた。
「酔ったふりですか」
「そう。あえて隙を作るのもありなんじゃないかな」
「隙ですか……」
「ほらもっと飲んで」
「はい」
おちょこに酒を注がれるたびに一気に飲み干していく。そのたびに男たちがやんやと拍手をしてくれるので、だんだん酔いが回り、ふわふわと気分がよくなってきて、隣りにいたドクタケ忍者の肩にこてんと頭を乗せてみた。
「酔ったふりって、こんな感じですか?」
「あ~いいね。利子ちゃん、たまんないよ! あとは上目遣いで『酔ったみたい……』ってかわいく言えば完璧」
何度かまばたきをして、言われた通り隣の男を上目遣いで見つめながら言った。
「……酔ったみたい」
「利子ちゃん、最高! 俺ならこうしちゃう」
調子に乗ったドクタケの男は私の肩に腕を回した。
──途端に、ものすごい勢いで部屋の引き戸が開き、大きな音が部屋に響いた。
騒がしかった部屋が水を打ったように一気に静まり返る。
「……天鬼様」
天鬼は見るものすべてを凍りつかせそうな冷え切った目で部屋を見渡し、最後に私の肩を抱いている男の目を見ながら太刀に手をかけ、低くつぶやいた。
「……酒に溺れた鼠が十匹」
「今すぐ片付けます!」
男たちが大慌てで部屋の酒を片付け始める。天鬼は私の腕をつかみ、呆然としている男からはがすように強く手を引いた。
「あの……」
「部屋に行く」
「はい」
無表情の天鬼の横顔には隠し切れない苛立ちがにじんでいた。顔から血の気が引き、酔いが醒めていく。天鬼は私の腕を掴んだまま自分の部屋に入ると、立ったまま口を開いた。
「……ずいぶん楽しそうだったな」
「話を聞いてもらっていただけです」
「私はつまらない話しかできない男だからな」
「そんなことありません。あなたの話をしていたんです」
「……どうせ不平不満か悪口だろう」
否定しようと思ったが、ふと考えが変わった。
「そうです」
天鬼にきつく掴まれたままの腕を持ち上げる。
「ようやく触れて下さったのに、こんな触れ方ないです」
「利子?」
「どうせなら、きちんと手をつないでください」
まだ醒めきっていなかった酔いは、私にいつもより大胆な行動をとらせた。
「こんな風に」
腕を掴んでいた天鬼の手をとって、きゅっと握りこむ。天鬼の顔から苛立ちが消えた。代わりに困ったような顔をして、私の顔をじっと見ている。
「たまには本を読む以外のこともしませんか?」
「利子」
「天鬼様」
つないだ手を引き寄せると、天鬼は戸惑いながらも近づいてくる。そんな天鬼の顔を上目遣いで見つめると、白い頬がすっと薄く染まった。
「……酔ったみたい」
天鬼の指に指を絡ませると、小さく息をのむ音がかすかに聞こえる。
酔いに潤んだ目を閉じると、壊れものでも扱うようにやさしく抱かれて、私はその肩に熱い頬をそっと載せた。
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