2026-02-11 16:12:04
3520文字
Public 小説(pixiv公開済)
 

Roses are blue

2026/2/8 イケハニVRの無配でした。
惨劇の後、眷属としたみなしごくんの目覚めを待つ吸血鬼さん。
記念日2024のBinary Vampireな世界観の吸血鬼パロです。
イベント名(VALENTINE ROSE FES)に絡めて、チョコレートと薔薇のお話にしました。

「Roses are red」という詩(童謡)をモチーフにしています。
吸血鬼さんはきっと、眠るみなしごくんに歌ってあげていたのだと思います。

 バラはあかく、
 スミレはあおい。

 砂糖はあまく、
 ――君は目覚めない。

    †     †     †

 淡い月の光が、しずやかに、しめやかに、彼の横たわる寝台を照らしていた。
 柔らかな鵞鳥の羽を詰めた枕にぐったりと沈み込む、青白く小さな顔。ぴくりとも動かぬ頬を、指の先でそっと撫でる。
 かつては陽に焼けてかさつき、けれど日溜まりの温もりを宿していた頬は、いまは大理石のように白く冷え切って、僕の指を滑らせた。
 今宵も、目覚めの予兆はない。
 とは云うものの、僕が眷属を迎え入れるのは初めてのことだ。如何ほどの時を経て目覚めるものか、目覚めの前にどのような予兆が――そもそも兆しがあるものかどうか、それすら知らぬ己の無知が歯痒かった。
 始祖に連なる者である僕は、一族にあってとりわけ血が濃い。その血を享けて眷属へと変性する者の身体にかかる負荷は、如何ほどのものか。
 彼自身、命を断たれたこと、それも悪意の刃に切り刻まれて非業の死を遂げたことにより、身体はもとより、心に負った傷も大きかろう。心身とも、癒しに時を要するのは必然であり、やむを得ないことだ。
 けれど、それにしても遅すぎる。遅すぎて、遅すぎて。ただ待つしかないまま、不安になる。
 このまま、永劫に目覚めを迎えることなく、彼の、あるいは僕の身が、朽ちてしまったりしたら……と。
 溜息を吐き、傍らのテーブルに置いた真鍮の盆を見下ろす。馥郁と香る黒檀色の液体を満たした白磁のゴブレットがふたつ、並べてあった。
 チョコレートは、我らの一族が嗜む数少ない嗜好品のひとつだ。糧としては微々たるものながら、口淋しさを癒してくれる。
 元来、ごく少量の人の血さえあれば事足りる我々だが、バラの花の精気を得ることでも、幾許かの活力を補うことが出来る。チョコレートの原材料であるカカオは、バラ類の括りに属するものであると、人間の著した博物誌で読み知った際には、成程と得心したものだった。
 彼の枕元でそっとゴブレットを揺すり、香味をくゆらせる。白い杯でたゆたうチョコレートには、スミレの砂糖漬けを浮かべてあった。
 仄かに漂う甘い香りは、眠る君に届いているだろうか。


 ひそやかな儀式の後、身を休める彼に、熱いチョコレートを振る舞うのが好きだった。
 従順に差し出される腕の、骨の浮き出る細さに、唇で触れるたび心が騒いだ。彼の生き血を啜る僕が何を、と自嘲しつつ、多少なりとも滋養を得て欲しかったのがひとつ。
 もうひとつ。人である彼と、人ならざる異形の者である僕のふたりが、束の間であれ同じ味を楽しむ時間を持てることは、チョコレートよりももっと甘く、温かく、心を融かしてくれた。

 スミレを浮かべたのは、ほんの気まぐれだった。
 ある薄曇りの日、獣たちの様子を見るために森を歩いていて、小さく開けた草地に出た。そこに、青い絨毯のようなスミレの群生があった。
 そっと摘んで持ち帰り、気まぐれに砂糖で包んだのは、深い森の暗がりの中で、僅かに射す光へと小さな花弁を差し伸べる様子に、思い浮かぶ面影があった所為かもしれない。
 青い花の浮かぶゴブレットを受け取った彼は、目を瞬かせ、それからきらきらと輝かせて、はじめて見ました、綺麗ですね、美味しそう、ほんとにすごく綺麗、と幾度となく繰り返しながら、熱いチョコレートの上でスミレの砂糖漬けが花ひらく様を、飽きることなく見つめていた。
 微笑ましく眺めつつ、冷めてしまう前にどうぞ召し上がれ、と促すと、彼は両の手で押し戴くようにしてゴブレットを持ち、小さくこくり、こくりと喉をくぐらせて、頬を紅潮させた。
「お気に召したかな?」
「あまくて、とても美味しいです。それに、花の色が……
 いちど言葉を切り、頬をもっと薄紅色に染めて、はにかんだ笑みを浮かべた。
「スミレの青が、あなたの瞳の色みたいで。甘くて、優しくて。あたたかく、やわらかくほどけるのも、あなたみたいで。ずっと見ていたくなっちゃいました」
 そう言って、彼は、彼こそ、花がほころぶように笑った。

 僕が、スミレを摘んだ草の上で。
 君は、虚ろに月を見上げていた。
 彼の体から溢れ出し、湿った森の土を覆い尽くさんばかりに流れた血が、青かった花を朱に染めた。
 森にはもう、青いスミレは咲いていない。

    †     †     †

 窓にかかる細い月を眺め、物思いに沈んでいたせいで、微かな衣擦れの音に気づけなかった。
 背に聞こえた、か細い悲鳴に振り向く。
……? …………!」
 瞼は閉じたまま、弱々しく、けれど引き絞るように悲痛な、声なき叫びとともに、彼が手で喉を押さえている。
 刹那、彼が自らの喉を絞めているかと見えて、愕然とした。だが、そうではない。息をしようとして出来ず、声を上げることも出来ず、もがいているのだと気がついた。引き攣るように身を捩っては、ひっ、ひっ、としゃくりあげながら喉を詰まらせ、指を食い込ませている。
 急いで傍に寄り、喉にかかった指を一本ずつ開かせた。
「落ち着いて、力を抜いて。ゆっくりと……
 ――君はもう、あえて呼吸をする必要はなくなったのだから。
 口には出さずに、心の中だけで呟く。
 人ではなくなった彼は、生きてはいない。人間の身体らしい営みは、ただの錯覚であり、残り火のようなものだ。
 どれだけ恐ろしくても、もう、身が震えることはない。悪寒に歯の根が合わなくなることはない。
 人の身を持っていた頃の感覚のままに、恐怖への反射として深く息を吸おう、身を戦慄かせようとしても、それに応える身体機能を持たないがゆえに、怖れを散らすことが出来ない。
 怖気と怯懦を体内に封じられ、捌ける先は与えられず、ただひたすらに苦しみ抜いている。

 大丈夫だから、とも。
 ごめんなさい、とも。
 まだ言えなくて、きっと彼の耳に届くこともなくて。

 もがき続ける身体を、強く抱きしめる。
 声にならない声を上げ、呼吸にならない呼吸を吐きながら、はくはくと開け閉じする口に、ひたりと僕の口を押し当てた。
 氷のように冷たく、枯草のように乾いた唇に、息吹とともに僕の精気を吹き込む。
 ――眷属となった者には、主から直に、精気を与えることが出来る。
 僕がどれだけ飢えようとも、彼は、彼の口にだけは、永遠に甘い蜜を注ごう。
 魂の安寧を取り戻すまで。何度でも、幾らでも、僕の命を、精気を、唇をあげよう。
 贖いにはならなくとも。罪を消し去ることは出来なくても。
 身悶えする動きが、止まった。力なく落ちゆく手を受けとめ、指を絡めて握り締めると、うっすらと瞼が開いた。

 右の瞳はバラの真紅。忌まれ子であった証。
 左の瞳はスミレの青。僕の眷属となった証。

 かちりと視線が合う。ぱちぱちと何度か瞬きが繰り返され、それから、僕の瞳を覗き込むように見つめて、彼は呟いた。
「あお……青いのに、あたたかいの、あなたは、……どうして? 優しくて、甘くて、スミレの……お砂糖みたいに……
 いとけない子どものような呟きに、湧き上がる愛おしさをぐっと呑み込んで、小さな囁きで答えた。
「スミレの砂糖漬けは、作れなくなってしまった。ごめんね。かわりに、バラの砂糖漬けを作ってあげる」
 手が、滑り落ちる。瞼は重く下がり、目の焦点がぼんやりと霞んで、再びの眠りに引き込まれつつあるようだった。
……バラ? でも、バラは、あかいから……あなたの色じゃないから……
 うつらうつらとしながら呟く彼に、またくちづけを落として、ふわりと息を吹き込む。
 あわせた唇から甘い精を流し込みながら、言葉を紡いだ。
「それなら、青いバラを探そう。見つけたら、ふたりで一緒に砂糖漬けを作ろう。甘いチョコレートに、青いバラの花びらを浮かべて、ふたりで一緒に飲もう」
「青いバラ……あなたの、瞳の色……
 とろりと目を閉じる彼の、口の端が幽かに上がった、ような気がした。
 そう。ふたりで、青いバラを探す旅に出よう。
 見つければ願いが叶い、幸せになれるという、青いバラ。

 この世の何処にも咲くことのない青いバラを探して、永遠の旅に出よう。

    †     †     †

 Roses are blue,
 バラはあおく、
 Violets are red,
 スミレはあかい。

 Sugar is sweet,
 砂糖はあまく、
 And so are you.
 貴方は、やさしい。


 〈Fin〉