家に帰ると寝室が封鎖されていた。明るい木目のつるりとした扉はガムテープで目張りされていた、わけではないが、ガムテープで大きな紙が貼り出してあった。
「この先、入るべからず」
なんでやねん。これだけや、分からんやん。なんやねん、べからずって。ここだけ江戸時代なんか。タイムストリップちゃうわタイムトリップか。
「要くん?おるんやんな?」
警告を無視して扉を開けると。
なんと、中には鶴になった要くんがいたのです。
という愉快な展開や、ちょっとエッチな展開も、期待していなかったと言えば嘘になる。せっかくなら楽しくいこうや要くん。暗い密室でストリップしてくれてもええんやで。
が、中を覗いても、そこには鶴もおらず、ストリッパーの要くんもいなかった。
なんや。おもんない。
部屋の電灯は光量が絞られ、中は薄暗かった。天井の豆みたいに小さな光が、部屋をぼやかしていた。物音はしない。簡単にいうと人の気配がない。寝てるのか?本当にいないのか?
いやでもしかし、よく見れば、部屋の真ん中に鎮座するふざけたバカデカサイズのベットには、毛布の山がふんわりこんもり聳え立っていた。家中の毛布と掛け布団を団子にしたかのような大きな塊りだ。
「ああ、きりしま、さん」
扉の音に気がついたのか、中から要がずりずりと這い出してきた。ガキのころ可愛がっていた団子虫を思い出す。そうか、暗くて湿っぽい石の裏を探せば、もっと要が捕まえられるのかもしれない。想定外のシチュエーションに思考が明後日の方向に動きだす。あかん。そういうことちゃうねん。要がもっと沢山おったら可愛いし、球捕ってくれる要と、練習に付き合ってくれる要と、一緒に走ってくれる要と、飯作って一緒に食べる要と、えっちなことを楽しむ要と、俺と買い物に行く要とがいることになるな……ってだから別に分業せんでも全部一緒にやってるやんか。ちゃんと動けや俺の脳味噌。
「きりしまさん、おれは、かぜをひいたので。インフルじゃ、ないんすけろ」
「あ、そうなん?熱ある?」
要の弱々しい声で妄想から現実に引き戻された俺は、要の様子を確認しようと部屋の中に踏み込んだ。
「だめ!だめれす!」
ちょっとすけべな舌ったらずな声で要は怒る。その嫌がり具合がすけべなんやけど、と思いながらも足を止めた。
「風邪がうつったら困るんで、入ってこないでってかきましたよね」
「うん、まあ、見た」
俺を叱る要の顔は赤く、額は汗でまだらに光っていた。高熱を出すなんて珍しい。大学で一緒に野球をやるようになった時から数年経つが、初めて見たかもしれない。
「じゃぁ、出てってください」
出ていけ、と言う割には、要はずっとこちらを見つめるだけで追い払う素振りもない。扉に寄りかかった姿勢を変えると、出ていくと思ったのか、要の視線は俺を追った。通常の七割程度しか開いていない瞳は、涙でなんだかきらきらとしていた。熱があるのだと分かっているが、呂律の回らない弱々しい口調で、そんな風に目を潤ませられると、頭の中にピンクの何かがむくむくと湧き上がるのを感じる。だめだ。だめだろ。こいつは今、俺は風邪をうつされるわけにはいかないし、要は熱があって弱ってる。布団の下で丸まっている団子虫を相手にアレコレするわけにはいかないだろう。
「分かった分かった。水は?いるやろ?」
「みずは、ありますから」
赤い顔をした要は褒められた子どもみたいに無邪気に笑う。そうして、そろそろと伸ばした手でベッドの下を指差した。よく見るとそこには水のペットボトルがズラリと並べられていた。玄関の猫避けかよ。
「ほな、しんどなったら、ちゃんと呼ぶんやで」
それだけ告げ、俺は寝室の扉を閉じた。パタンという寂しい音を、要はどんな気持ちで聴いたんだろう。毛布の中にいたら、聞かずにすんだだろうか。
翌朝はよく晴れていた。要がどうしているか気になって、走りに出る前に扉の隙間から部屋を覗く。毛布の山はベッドの真ん中にまだそびえたち、その下に丸まるはずの要の姿は見えなかった。よく寝ているらしいと、ほっとする。
こういう時は、弄りすぎてはいけない、猫と同じだ、と口の中で唱えて扉を閉めた。心配しだすと、心配しすぎてしまうから。
いつものコースを走り、コンビニで水を買う。水を買うのはいつものルーティンだけど、今日は要のためにも追加で買った。
「要くん?寝とる?」
帰ってシャワーを浴び、朝飯を食うと、辛抱たまらん我慢の限界がやってきて、要の様子を見に扉を開けた。勝手に覗くと、鶴ならぬ、本当に団子虫になってる恐れもあったけど。
でも、だってちゃんと治っているのか、気になって仕方がない。
「あ、きりしましゃん」
布団の中から顔だけを出した要は、濡れた瞳でにこりと笑う。ああ、可愛い。こんな時でなければ、駆け寄ってかき抱いて、犬を撫でるみたいにわしゃわしゃとくすぐりたおすのに。その後は、笑ったり怒ったりする要と組み合って……。
「もう、元気れす」
そう言う要の顔はまだ赤く、視線も定まらずにぼんやりとしている。
「うそやん。熱、測った?」
「はかりました」
「なんぼなん?」
「はちど……ごぶくらい……」
「あかんやん」
呆れてため息をつくと要が慌てて言い返す。
「きのうは、くどやったんすよ!」
「九度が八度になったところで、あんま変わらんやろ」
まあ、寝とき。
それだけ告げて、俺は扉を閉じる。ぱたん、と音がしたところで気がついた。そうや、水を渡してへん。
「要くん、水買うたから……」
扉を開けて覗くと、またふにゃふにゃと溶けた餅みたいな顔をして微笑み、こちらに手を振った。
うわまじか。
それは、心の底から嬉しい時に見せる柔らかい笑顔に近い微笑みで、俺はあやうく泣きそうになった。高熱で弱り、布団の中で団子虫みたいに暗く潜んでる時に、俺に思わず見せる顔はそれなんか。ああ、なんか、俺が照れるわ。
慌てて扉に手をかけ、そっと押す。こんな時でも好きだなんて、こいつに悟られたくはない。ただでさえ、自分自身が恥ずかしいのに。
はあ。切り替えるように息を吐く。それから、扉のはしにゆっくりと手をかけた。こんどは音がしないよう、扉は少しだけ隙間を空けて、静かに静かにその場を離れた。
〆
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