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【時事】憲法改正が怖すぎる話 [Hoping for a ripple effect]

改憲案そのまんまは絶対進めちゃダメだよという話を、歴史の教訓や、なぜ批判は怖いという風潮があるのか、など交えながらまとめました。

普段ふつーレベルの政治的関心しかない私ですら、今の風潮、特に改憲案へは強い危機感を抱いています🥺
こんなん、一灯照隅のほんのちょっぴりにでもなっておかないと私は絶対後悔するから

「あの時何もいってなかったじゃん!」
になりたくないので、いっぱい考えて書いたものを投稿しますくりかえすが、わたしだって本当は楽しい妄想に入り浸ってたいのだけど、そんなこともできなくなるぞという危機感があるので




まずはじめに、「憲法」とは?
大きな誤解が2つ蔓延してるのかも、と思ったので前提から。


❶憲法は「国」のためのルール!
法律は、国が国民に守らせるもの。
でも憲法は逆!
「国民が、暴走しがちな国(権力者)に守らせるルール」です。「国が守るもの」であって、「国民が守らされるもの」じゃない。
※だから個人間(or企業-個人間)での「基本的人権の義務を果たせ」はお門違いだよ!


❷日本国憲法は世界中の「いいとこ取り」
+日本人が書き加えて作られたもの!
(=押し付けられたものではない)

🇺🇸の意見(家族の中で家長一人がハンドルを握るのではなく一人ひとりが対等な「個人」として尊重されるようにしよう)
🇬🇧の伝統(国民が王様から数百年かけて少しずつ勝ち取ってきた自由のこと)
🇫🇷の人権宣言
🇩🇪の当時世界一民主的だった憲法など

「人類が何千年もかけてたどり着いた知恵」を世界中からかき集めて、そこに当時の日本人が生存権などを書き加えた結果出来たもの。
いわば究極のアンソロジー憲法なのです。
とっても(クリスマスのお祝い楽しんだ後に神社を詣でる)日本らしいと思う。きっかけは「外」でも、ごちゃ混ぜの中から美味しいとこどりしてる憲法です。


ここで、「え、あのヒトラーのドイツが当時世界で最も民主的⁉️」とびっくりした場合、歴史的事実を知って欲しい。

当時、世界で最も民主的で、人権を尊重していたのがドイツのワイマール憲法でした。
ところが、「国を守るためだ」という正義の顔をして、憲法の中にあった「緊急事態条項」という「穴」を突いたヒトラーは、合法的に独裁を完成させ、ああいう結果を招きました。

なんと、この毒のような条項こそ、まさしく今、日本の某党が改憲しようとしている条項の内容そのものなんです。


さらに悪いことに、そうなった背景も今の日本と重なりすぎていて、鳥肌が立つレベルです。
当時のドイツでは、「和して同ぜず」(周囲と仲良くするけれど、安易に流されたり、自分を捨ててまで合わせたりはしないという自立した態度)という精神が失われていました。

なぜか?
教育にも問題があったと言われています。
当時、ドイツは世界最高峰の教育水準を誇っていました。でも、中身は「お上の言うことに従う、規律正しい国民」を作る傾向が強かった。
だから、長引く不況で生活に疲れ、多くの人が「考えること」にも疲れ果てた時、この教育が裏目に出たのです。自分の頭で判断するのをやめ、思考停止して分かりやすいリーダーに「同調」してしまった。
まるで、今の日本みたいに!

最近の日本、同じ傾向にある、よね……
批判は悪という空気感、議論や主張を面倒くさがる風潮、政治の話題に触れるなという同調圧力、「なんかイメージ良くて、わかりやすい、えらい上の人に任せておけば安心」という根拠のない危うい世論があると感じています。


批判は悪ではありません。

たとえば、有名な「裸の王様」の話を思い出して欲しい。王様が裸で歩いているのを見て、みんな「おかしい」と思っていた。でも、「バカには見えない布地だ」という空気感のせいで、仲間外れにされるのが怖くて、みんな「素敵な衣装ですね!」と嘘をついた。

これ、笑い話じゃないと思うんです。

今の日本も、これに近い空気になっていませんか?
本当は「その法案、おかしくない?」「その説明、納得できない」と思っていても、周りを見渡して、みんなが黙っているなら自分も合わせる。

「裸ですよ!」と叫ぶのは、王様への悪口じゃない。
王様がこれ以上恥をかかないための、国が笑いものにならないための、「誠実さ」ですよね。

悪口は、王様の体型をバカにして笑うこと。

批判は、「服を着ていないから、風邪を引きますよ」と、王様の袖(というか腕)を引く勇気。

本当の「和」っていうのは、みんなで「素敵な衣装ですね!」と嘘をつき合うことじゃない。
「王様、裸ですよ」と言っても、処刑されたり仲間外れにされたりしない。そんな安心感がある状態のことだと私は思います。


当時のドイツでは、この「安心感(違和感を口にしてもいいバリア)」が消えていて、みんなが「仲間外れ」を恐れて空気を読み続けました。

その結果、「和(調和)」ではなく「同(同調)」を求めてしまい、一人ひとりが自分の「家の鍵(人権)」であり、自分を守る最後の武器である「選挙の1票」を、自らヒトラーに差し出してしまったのです。これは、単に誰かに投票したという話ではありません。
「もう疲れました。私のバリア(人権)も、決める権利も、全部あなたに預けます。だから私を助けてください」と、自分の人生のハンドルを完全に渡してしまったということ。


今の日本の状況は、深刻だと思います。
いつから「批判 = 悪口 = 和を乱すいじめ」という誤った認識が?
なぜ、本来大切な「議論(批判)」がこんなにも忌避され、全員で崖に向かっているのか?
ここには、私たちが受けてきた教育による「2つの大きな呪縛」があると感じています。

①「みんな仲良く」という同調圧力
学校では「みんな仲良く」が絶対的正義になっていませんでしたか?何かを決める際、反対意見が出ると「みんなが納得するまで話し合おう」と言われますが、実際には反対した子の意見を尊重するためではなく「1人を説得して、周りに合わせさせる(空気を読ませる)」ための時間になりがちではなかったでしょうか?
揉め事が起きれば、理由を問わず「どっちも悪い、握手して仲直り」で強制終了させられていませんでしたか?
そうやって「批判の芽」が摘まれ続けたことで、「自分の意見を言うこと = 場の空気を凍らせる迷惑な行為」と刷り込まれ、いつの間にか「批判 = 悪口 = 和を乱すいじめ」という誤ったインプットをしてしまった人が増えてしまったのではないでしょうか。

②「境界線(バリア)」の欠如
日本の教育は物理的な距離感も少しルーズだと感じています。「相手の体に許可なく触れない」という「個人の境界線」を徹底的に教える国が多い中、日本は「みんな一緒」が美徳とされるあまり、自分と他人の区別がズルズルになりがちです。
この「体の距離」のルーズさは、実は「心の距離」にも繋がっています。自分の体と相手の体の間にしっかりとした境界線がないように、自分の「意見」と「人格」の間にも境界線がない。
そのせいで、自分の「意見(考え方)」への指摘を、まるで「自分の心の敷地」に土足で踏み込まれたように感じてしまう。だから、ただの意見の違いなのに「自分という人間そのもの」への攻撃だと勘違いして、過剰に傷つき、怖がってしまうのではないでしょうか。


ここで、やっと本題です。

◆改憲草案の危険なポイント
おさらいですが、憲法とは、本来「国民が、暴走しがちな国(権力)を縛っておくための鎖」です。
ところが、今出されている改憲草案は、その鎖を自分たちで切り、逆に国民を縛りやすくしようとしているように見えます。「鎖(バリア)」を根こそぎ抜いてしまうような仕掛けです。

❶「個人」という言葉を削る(鎖を細くする)
憲法13条には「個人として尊重される」という言葉があります。草案ではここから「個」の字が削られ、単なる「人」に書き換えられようとしています。国を縛る鎖を細くして、「国という大きな組織のパーツ」として国民を扱いやすくしようとしているのです。

❷「公益」を優先させる(鎖をゆるめる)
自由や権利を認める条件として、「公益及び公の秩序」という言葉が強調されています。
これは「国が『みんなのためだ』と言えば、いつでも鎖を外して国民のエリアに踏み込める」というルールに変えることを意味します。
本来、国を縛るはずの憲法を、逆に「国民を縛るための道具」にすり替えようとしているのです。

❸「緊急事態条項」というスイッチ(鎖を完全に外す)
そして、最も恐ろしいのがこれです。
最近では「国会機能維持条項」や「議員任期の延長」といった、一見すると「民主主義を守るための善意の議論」のような名前に置き換わって進められていますが、本質は同じです。

国が「今はピンチだ」と宣言すれば、国を縛っていたすべての鎖(憲法)を一時的にせよ、一斉に「オフ」にできてしまうスイッチのようなものです。
鎖のない猛獣に「私たちの家の鍵」を渡してしまったら……後から「やっぱり縛られていて!」と叫んでも、もうその鎖自体が消えている可能性が非常に高い。それが歴史の教訓です。


私たちに今できることは、大きな声を上げて戦うことだけじゃないと思ってます。自分の中にある「これ、おかしくない?」という小さな違和感を、空気に飲み込まれて消さないこと。

「相手の意見が違うのは、私が悪いからじゃない。境界線があるから、意見は意見」

「批判することは、相手への攻撃ではなく、みんなで崖に落ちないための誠実さ」

そう信じて、自分でしっかり考えること。
それが、自分自身と大切な人を守るための、一番身近で確実な方法だと私は信じています。

いやー、長くなった。
こんなに長い文を読んでくれて、
ありがとうございました!





補足1)
ちなみに、最近の世界の改憲例
世界情勢が怪しいからこそ「憲法は暴走しがちな権力を縛る鎖である」という考えのもと、🇩🇪では”いつか民主主義を壊そうとする勢力が過半数を取っても、勝手に裁判所を弱体化できないようにする”ために「普通の法律」で決めていた裁判所のルールを、わざわざ「憲法」に書き込む改憲をしてます。

こういう改憲なら賛成できる!


補足2)
今は特に、不安定な世界情勢を俯瞰し続け、どう振る舞うべきか考え抜く必要がある時だと思います。

先日の🇨🇦首相の演説も、平和は「状態」ではなく「意志」であるという覚悟を持ち、勝ち取りにいくべきなのだと、奮起させられるような内容でしたが(原文)、こちらの🇫🇷大統領の演説も紹介します。

2つともざっくり何かというと「戦略的自立」が大事であると問いてます。

自立?じゃあ憲法改正して強権的に武装したら?
と思う方もいるのかもしれません。
パワーによる抑止力もある程度必要だとしても、やっぱり「あの方向性の改憲は必要ない」が私の結論で、理由を3つの視点から整理しました。


①わざわざ”あの形”に改憲する必要性はどこに?
既に、必要な安全保障の枠組みは(同盟や各種協定で)柔軟に構築できています。
現行憲法は「平和」と「現実的な守り(武力)」を両立させる高度なバランス感覚を維持しており、それを壊した場合、あまりにもリスクの方が大きいと思います。
また、核保有についてはこの記事を一読いただけたら良いと思いますが、どう考えても非現実的です。


②あの内容への改憲による国際政治的リスク
この世界情勢で「人権軽視の中央集権になります!軍拡!」みたいな内容へ改憲し、全世界へそんなメッセージを発信してしまうことは、

・平和構築へ努力しようと結束しかけているミドルパワー陣営のなかで「価値観を共有できる信頼すべきパートナー」という唯一無二のブランドを自ら捨てることになるし(ちなみに、ミドルパワーでもない、中央集権よりの、人と資源のない国って、長年隣の半島で戦争している北側が想起される

・お隣からは「仮想敵が本当の悪者になってくれた!ありがとう」になる。

よって、国際政治上とってもリスクが高いと考えます。


③国防の基本は「多層性」
じゃあ戦略的自立とは?と考えてみると、それは、
自国の規範(憲法)を自分たちでコントロールし続け、大国に振り回されない「判断基準」を持ち続けること。その上で戦略的に多方面から「不可欠性の維持」をする、だと思います。

物流を止められたら終わる島国にとって、最大の防衛線は武器の数ではなく「世界に、日本を生かしておいた方が得だと思わせ続けること」にあります。

法整備(水源地である森林を外資が取得できないようにするとかの)とセットで考えるのは大前提として、たとえば、技術、文化、物流の中継地点(海底ケーブル拠点という観点からも水ガバナンスうまくて災害リスク低い香川のデータセンター誘致とかはありDC自体に課題はありまくるけど)、そして何より堅牢な憲法を持った「予測可能な法治国家」という信頼、このあたりの要素が大切になると思います。

権力が暴走しない法治国家として、価値観を共有する国々と「切り離せない関係(多層的な依存関係)」を張り巡らせる。これこそが、武力を行使させる隙を与えない、最も現実的な防衛ラインになり得ると考えます。


補足3)
こちらのレイダリオさんの意見、すごく、考えてることが同じ。要約すると「挑発を控え、戦略的柔軟性を保て」です。そのために「事故を起こさない外交」を提唱してますが、これはもちろん、力(パワー)では成立し得ない。
だから、法治と信頼という「独自の武器」を捨てるような改憲は、戦略的に見ても最悪の手。

ちなみにレイダリオさんはこういう方です。

ほんとは、まずは「そういう強行的なパフォーマンスをしたひと」へNOを突きつけられたら、まだ止められた。けど、結果は真逆だったし、、
どうするつもりなんだろう😞


補足4)
日本弁護士連合会がわかりやすい動画解説作成してた!
とにかく「手をつけてはいけない」根幹の部分だよ。
憲法じゃなかったら自分もこんなに騒がないよー!

最低投票率を設定する署名は勧めたい。
最低投票率を設けることで「消極的な現状維持志向」も民意として尊重される仕組みになるからいいと思う。