よるうみはる。
2026-02-11 08:18:56
2811文字
Public パロ
 

一等星のつかまえかた。

大正浪漫のれめししっていいよなと思ったけど、書きたいとこ書いたら別に大正浪漫じゃなくてもよかったかもしれない。
これはあの叶家のご子息様が民草の敬一くんを囲っているみたいな( ^ω^)・・・

 天蓋付きの寝具の上、獅子神敬一は肌触りのいい敷布をまとわりつかせながら、躯体をしならせた。
 薄い絹は呼吸に合わせて微かに擦れ、白磁のような肌に影を落とす。格子の隙間から漏れる灯りは、蜂蜜のように濁ってやわらかく、ここが屋敷の最奥――外界から切り離された、音さえも死に絶えた沈黙の聖域であることを、かえって残酷なまでに強調していた。
 身に纏うべき衣類はすべて無慈悲に剥ぎ取られたままであり、この隠微な部屋を訪れる唯一の主が現れぬ限り、それを再び纏うことさえ彼には許されていない。仕方なく、己の逞しくも美しい肢体を隠すように薄い布を巻き付け、のそりと起き上がると、窓の外から差し込む陽光が、繊細なレエスの窓掛けを透過して、淡い光の粒子となり獅子神の髪に降り注いだ。
 その血筋に異国の色彩が混じり込んでいるせいか、髪は月を溶かしたような金糸の輝きを放ち、伏せられた睫毛の奥に潜む瞳は碧い海を映し取ったかのような、神秘的な色香を湛えている。およそ日本人離れしたその容姿を、周囲は宝石を砕いて象った月からの使者だとか、現代に現れたかぐや姫だとか、浮世離れした言葉で謳い上げるが、獅子神自身は己を生粋の日本人であると固く信じており、その唇から異国の言葉が零れることは生涯一度として無かった。
 しかし、その恵まれた六尺ほどの体躯は、決して「儚い」の一言で片付けられるような軟弱なものではない。体躯は西洋人らしく並の日本人よりもしっかりしており、六尺ほどの身の丈も壊れ物に例えるには難しいことではないだろうかとも思う。
 ――だが、彼をこの琥珀の檻に囚えている男は、獅子神よりもさらに三寸ばかり背が高く、その存在感だけで室内の空気を支配してしまう。その男――叶黎明は、自らを純粋な日本人だと称してはいるが、その曾祖父が露西亜人であるという真偽不明の噂が絶えないほど、どこか浮世の理から外れた、底知れぬ深淵を瞳に宿していた。
 その男の出自よりも、彼が何者であるかよりも、獅子神にとって重要なのは、――彼が来るか、来ないか。ただそれだけだった。
 廊下の彼方で、古びた床が鳴らす幽かな軋み音が響き、獅子神は弾かれたように視線を向けた。重々しい沈黙を挟んで、真鍮の鍵が回る乾いた音が室内に響き渡り、ゆっくりと扉が開かれる。そこには夜を引き連れたような鴉羽を濡らしたような男が立っていた。叶黎明は、天蓋の内側という秘められた領域に足を踏み入れると、急ぐ素振りも見せずに、まるで流れる時間そのものを指先で撫でるかのような緩慢な足取りで歩み寄る。二人の間に横たわる空気の厚みや、互いの体温が混ざり合う微かな対流、そして乱れ始めた呼吸の温度までを愛でるように、彼はほんのわずかに首を傾げた。
 室内を照らす灯火は、二人の境界線に黄金の澱みとなって溜まり、天蓋の布に反射して、目に見えぬ甘い膜のように周囲を包み込んでいく。その光の渦の中で、獅子神の肌は、先ほどまでよりも一層なめらかに、まるでこの世の理を超越したような幻惑的な質感を帯びて見えた。触れれば指先に甘い結晶が残りそうな、あるいは舌の上で儚く崩れ去ってしまいそうな、そんな危険な錯覚を呼び起こすほどに。
「ああ、いいな。今日も、敬一くんは綺麗だ」
 叶は感嘆を含んだ声でそう言い、まるで出来上がった飴細工を眺めるように、獅子神の全身をゆっくりと見渡した。その視線は決して卑俗なものではない。しかし、項から胸元へと続く曲線、布の皺に沿って落ちる濃い影、そして緊張に震える指先に至るまでを、一滴も零さぬよう丹念に味わい尽くしていく。
 獅子神は、動くことができなかった。
 強靭な自らの肢体をもってすれば、その気になれば逃げ出せたはずだ。それなのに、身体は叶の視線という目に見えぬ糸に絡め取られたかのように重く、ただ静止して愛でられることを選んでしまう。
 叶は、獅子神の金糸の髪に細い指を差し入れ、その滑らかな感触を確かめるように、何度も、何度も、優しく撫でた。強く引くことも、乱暴に絡めることもせず、ただ、秘蔵の宝石に付いた一粒の埃を払うような、極めて繊細な接触を繰り返す。
「宝石みたいだ、本当に。光を当てるたびに、別の色みたいに見えて」
 叶は楽しげにそう言って、持ち上げるほどの力さえ加えられていないのに、獅子神は首を逸らすことさえ忘れてしまう。薄い唇を震わせ、今度こそ、かのう、と言いかけた先に、甘い吐息とともに、その言葉は叶の唇によって封じられた。
 それは口吻けというにはあまりに静謐で、けれど逃げ場を完全に断つような、逃れがたい情愛であった。重ね合わされた唇の隙間、叶がふと顔を離し、寝台の脇にある漆で艶めく深い赤みのある楢木で作られた袖机に置かれた陶器の置物を手に取る。獅子神は、ぼんやりとそれを視線だけで追いかけた。中には小さなラムネ菓子が入っている。花の意匠を施した、甘やかな菓子を叶の繊細な指先が触れた。
「くち、あけて」
 叶の言葉に、薄く口を開き、獅子神はそっと舌を差し出す。ちろりと、舌先にラムネが乗せられると同時に叶のわずか塩気のある肌も触れ合う。それを口内で転がると、また叶の影に覆われてしまう。叶の唇がより深く、抗う余地をすべて奪い去るように押し当てられ、熱に触れてじわりと蜜のように溶け出した。
 獅子神の口腔で崩れゆく結晶の甘みが、二人の呼吸を媒介にして混ざり合い、熱を帯びた唾液とともに喉の奥へと甘美な毒のように流れ落ちた。それはまるで、叶という男の支配そのものを無理矢理に嚥下させられているような、屈辱的でいて、しかし抗いがたい陶酔に満ちた服従の儀式であった。
 叶の舌が、溶けきらぬ砂糖の尖った角を追いかけるようにして、獅子神の歯列をなぞり、粘膜の裏側までを執拗に蹂躙していく。鼻腔をくすぐる濃厚な香油の芳香と、咽せるような砂糖の匂い。獅子神は、酸素を求めるように、あるいはこの終わりなき抱擁を止めてほしいと願うように、叶の肩に震える指先を立てた。ようやく唇が離れるとき、天蓋の灯りを反射した銀色の糸が、二人の間に儚く、美しく引き伸ばされる。
「砂糖菓子みたいだね、敬一くんは」
 唾液に濡れる獅子神の唇を叶の人差し指が触れ、下唇をそっと撫で上げた。そんな朧気な存在では無いのだが、叶は時々、そんな風に獅子神に囁いた。あまい秘めやかな、毒のようだと。
……んなわけねえだろ」
 獅子神がいくら抗議しようと、この男がそんな悪態すらどうでもいいと言わんばかりにもう一度、くちびるを塞ぐ。今日はいつ服を着せてもらえるだろうかと思案しながらも、男の首へと腕を回し、獅子神は睫毛を震わせて目を閉じた。
 外の世界でどれほど文明が開花しようとも、この閉ざされた天蓋の下では、ただ一粒の砂糖菓子が溶けゆく時間だけが、二人のすべてを支配していた。