オレがあの日駅前で動画撮影をしていなかったら?あのタイミングでセイカがミアレシティに降り立たなかったら?オレがセイカのことに気がつかず声をかけなかったら?
オレはこの大事な街を守れたのだろうか。つくづく自分は運がいいと思ってしまう。
運命なんて軽々しく言うものではないのかもしれないけど、オレとセイカの出会いはまさしく運命なんかじゃないかと思った。セイカに会えたことは何よりも代えがたいものだった。オレにとっての特別でセイカにとっても特別であってほしいとずっと願っている。
異次元の花嫁 もしもの話
◇
空はカラッと晴れ、心地よい日差しを地面が浴びる。まばらに散っている雲が空色のキャンバスを控えめに飾っていた。洗ったシーツはよく乾きそうな季節のことだった。過ごしやすい季節なのかこのミアレシティも普段より観光客が増えて活気を増しているような気がした。
ミアレシティではタワーの騒動や野生ポケモンの活性化など、トラブルこそあれば活気を取り戻してきたようにも感じる。その名残である異次元ミアレのひずみもだんだんと少なくなってきて問題も減ってきていた。反面できることならまだ調査を続けてほしいという話もあり、エムゼット団の切り札であるセイカを筆頭にひずみの中へと赴くことも続けている。
ガイはそういった調査はもちろんだがクエーサー社での仕事の勉強もし始めていた。いまだに会社のことは覚えることが多く、勉強不足を実感している毎日であった。
今日は会社での打ち合わせに参加をし、クエーサー社の仕事にも関わらせてもらえていた。その後お昼には会議も終わることができたので夕食の買い物を済ませ、路地裏を通り住まいであるホテルZへと足を運んでいた。
ホテルの入り口への扉を開けるとすぐそこのロビーには見慣れた顔が揃っていた。今日は誰も外に出かけていなかったようでエムゼット団の残りの3人は会話に花を咲かせていた。それにしても今日は更に話が盛り上がっているな、聞こえてきた声の弾み方にガイはそう感じていた。
何かあったのだろうか?扉を開けた音に気付いたのか一斉にみんながこちらへと顔を向けた。
「あ、ガイおかえり」
デウロがガイに向けて迎えの挨拶をするとセイカとピュールも同じように続けておかえりと声をかける。
「ただいま、なんか盛り上がってたけど何話してたんだ」
そうやって問いかけてみると三者三様の表情が見えた。
「聞いてよ!セイカがね、ファッション誌のモデルやったんだって!」
興奮気味に嬉しそうなデウロ。
「ボクもデザイナーとして知り合いがそういったお仕事をもらえるのは鼻が高いですね」
感心しているピュール。
「い、いや……ちょっとだけだよ、街の素人を撮るコーナーだし」
照れくさそうに頬染め、手持無沙汰のように髪をいじりだすセイカ。
セイカがモデル?どういった経緯があったかは知らないが多くの人にセイカの姿が知られるらしい。正直どんな風に載っているのか興味があった。
ミアレシティにやってきたときのセイカは随分と軽装で、動きやすさを重視していた。そんな印象があった。だがここへ居座るようになってから時折ブティックにも行っているようで、普段とは違う洋服を着ているのを見ることもあった。その姿も結構おしゃれでかわいらしくもあり、時には大人っぽくもあり、何着ても似合うってよく褒めていたのを覚えている。言われたセイカは少し不服そうというか「誰にでもそんなこと言うんでしょ」と言ってはいたが別にそんなこともないよなと改めて思う。そうやって褒めるのはセイカだけな気もした。
街にいた人を撮るということはストリートスナップのようなものだろうか。もしかしてエムゼット団のロゴ入りのジャケットを着ていたときだったりするのかな、もしそうだったらちょっとおもしろいかもしれないな、とそんな風に思った。
ふと見るとデウロが一冊の雑誌を手にしているのがわかった。おそらくその雑誌にセイカが載っているのだろうと容易に察しがついた。
「それがそうなのか?」
ガイは夕食の食材が入った買い物袋を誰も座っていない椅子に置くとデウロの持っている雑誌に手を伸ばし見せてくれと促した。
「ガイにも見せてもいいよね?」
デウロはセイカに目配せしながらなぜか確認をとっていた。セイカは先ほどよりも頬を赤らめ「あ、うん……まぁ」なんて歯切れの悪そうな返事をしていた。なんだよ、デウロやピュールには簡単に見せられるのにオレには見せづらいのかよ、と少しだけむっとした感情おさえデウロから雑誌を受け取った。
ご丁寧に雑誌には付箋が貼ってあり、どのページに載っているのかが一目でわかった。ガイはそのページについている付箋を引っ張るように雑誌を開く。
案の定そこには見知った顔があった……ように見えた。見開きページには複数人の女性の姿があったせいもあり、実際にどこを見たらいいのか分からなくなった。
よく見るとこれがセイカだとはっきりわかるのだが、普段とのイメージと印象を随分と変えていたせいで一瞬脳が理解を拒んだ気がした。
街で見かけた素人を撮るなんて言っていた割にはきっちりとしたヘアメイク。いつもの飾りのないヘアゴムを使ったシンプルな髪型はがらり印象を変えていた。思っていたよりも長くおろした髪はゆるりと巻かれ柔らかさを増していて、小さくきらきらとした花の飾りが髪を星のようにまとっていた。
控えめだがいつもとは違う化粧もしているようで、元々長いまつ毛はそのままにまぶたのあたりが少しキラキラとしていた。唇はいつもより赤みを増していて、おそらく口紅か何かをつけているのだとすぐに気づいた。
まぁそこまでは雑誌に載せるような写真を撮るのだからありえない話でもない。ストリートではなく、ちゃんとしたスタジオを使ったということだろう。案外本格的な仕事に少し驚いた。
だがそれよりもインパクトがあるものがある。これはファッション誌なのだ。着ている服に肝を抜かれてしまった。
デコルテどころか肩まであらわにして、普段の活発さからは想像できないような白く細い肌を見せている。その肌よりもっと白い、純白と言っても過言ではない、足まで隠すようなふんわりとした歩きにくそうなドレス。さらにドレス全体を覆い被さるようにまとった花柄のレースは上品さに遊び心を加えていた。
その白の中心には小さいが目を見張る、海や空のような青と水色の花がメインとなったブーケを持ってこちらに微笑んでいる。
思わず見とれてしまうような、見違えるようなセイカの綺麗な姿に、何か複雑な感情が芽生えたような気がしたがすぐには分からなかった。自分の知らないセイカの姿がそこにはあって、そのことを認めたくない自分がそこにいたような気がした。
ガイは慌ててページの写真以外の部分を確認した。そこには写真の雰囲気を壊さないように綺麗に飾られたフォントで『新作』『今年のトレンド!』『一生に一度の思い出に』なんてモデルの人たちの邪魔をしないように説明や見出しが書かれていた。そして思わず1つの単語を口に出してしまう。
「ウエディングドレス……」
雑誌の中でセイカが着ていたのは結婚式で花嫁が着るような華やかなドレスだった。
◇
ミアレシティはこのカロス地方の中心都市だ。当然多くの人が集まり、街を賑やかにしてくれている。
そんな街の更に中心にあるプリズムタワーであれだけの事件が起きたのだ。ミアレシティは時の人、いや時の街と化していた時期があった。
タワー暴走を鎮めた人たちは誰なのか、話題にならないわけではなかった。とはいえクエーサー社の社長であるジェットを中心に会社が動いてくれていたので、マスコミのような取材などがエムゼット団に回ってくるようなことは基本的には無く、内心はありがたいと思っていた。
今回のファッション誌はその例外の方だったらしく、ミアレシティで活躍を見せるセイカ個人に、モデルをやってほしいと依頼をしにきていたようだった。
タワーの暴走よりも前からSNSなどでセイカの知名度はあがっていたようだった。彗星のごとく現れ、ZAロワイヤルで連勝しまくり、バトルの腕をメキメキとあげていったセイカが目立たないわけがなかった。この地でできた友人の中には人気のインフルエンサーもいるのだからより知られるのに時間の問題だったようにも思える。
それにビジュアルもいい。身長はデウロほどではないが男のガイと並んでも遜色なく高く、体は引き締まっていてスタイルもよい方だと思う。栗色の瞳は大きく、まつ毛も長い。
女性と表すにはまだあどけなく、少女と表すには成熟した年齢にも今回の雑誌の『新しい花嫁』という特集にも確かにぴったりだと納得はできた。
あの雑誌を見た時、「すごい」「綺麗だ」という感想と同時にシンプルに「結婚」というワードが頭をよぎった。ただの雑誌のモデルなのに妙な焦りを感じてしまった。セイカが遠くに行ってしまうような、そんな焦燥感にかられていた。
しばらく雑誌を見て固まってしまっていたようで、いつまで見てるの!とセイカに怒られすぐに雑誌は没収されてしまった。その直後にデウロにすごく綺麗だよね、と焦ったように声色でフォローされてしまい、ガイは「ああ、うん」という気の抜けた返事しかできなかった。
「に、似合ってるぜ!」
そう慌てたように言うとデウロとピュールは白々しい物を見るような目でガイを見てきていたたまれなかった。だって仕方ないだろ、ファッション誌って聞いてウエディングドレスを着ているなんて誰が想像できるかよ。そんな言い訳を心の中でしながらふとセイカの方を見ると雑誌をぎゅっと胸に抱えて相変わらず頬を赤らめていた。その顔を見るとさらに自分の中に漁りの心が増していくような気がした。
別に女性が結婚に憧れるのはよく聞くことだし、そういった意味での照れを見せているのだとそう思った。だってセイカに想い人がいるなんて聞いたことないし、まさかな。
ガイはもやもやした気持ちを抱えながら、セイカの普段見ないような照れた表情を交互に思い出しその日の午後を過ごした。ホテルの清掃をしていても時折ぼーっとしてしまい気づかないうちに無駄な時間を過ごしてしまっていた。
みんなとの夕食を終え、使用済みの食器を片付ける。今日はセイカと二人で皿洗いをすることになっている。何か悪いことをしたわけではないのに妙な気まずさを二人の間を包み込んでいた。いつもは今日あったことや、自分たちの育てているポケモンの話をしたりして会話が絶えないのだが、業務上だけの返事、水の流れる音、食器がこすれる音しか聞こえてこない。隣にいるのに話したくないわけがない。ただ今日はセイカの綺麗なウエディングドレス姿で頭がいっぱいだった。いっそその話を掘り下げてみるべきなのだろうかと手を動かしながら同時に頭で考えているとセイカの方から沈黙を破るように口を開いた。
「ねぇ、ほんとに似合ってるって思った?」
あのドレス。ガイにもわかるような不安そうな声色で、ただガイの方は一切見ず、手元動かしながら問いかけてきた。当たり前だろ、そう言うとセイカは目だけ動かして様子を伺うようにガイの方を見てきた。
「なんかいつも間髪入れずに服のこと褒めてくるから、あの間がちょっと怖かったんだよね」
「だって驚くだろ……」
あの間、とわざわざ強調するあたりよほど沈黙していた時間が長かったのか、それとも普段節操なく褒めているのか自分では判断しづらいが、セイカはセイカで普段着られることのないような服を着た姿をガイ見られるのが不安だったのだろうか。確かに同じ性別のデウロならウエディングドレスへの憧れや女性ならではの観点で褒めやすいし、ピュールは男性だが服にこだわりがあるし、素材に関してもうるさい。ファッションとして感想も言いやすいだろう。
もしかしたら同年代の男の反応が気になるのは仕方がないのか?そうやって解釈してよさそうだとガイは思った。照れていたのもそうだったのだろうか。だったらこちらが変に意識するのも失礼なのかもしれないとガイは改めてセイカに向けて言葉を向けた。
「その、予想外過ぎて驚いただけでさ、すごく似合ってたし、綺麗だったと思うぜ」
自分の知っているセイカに見えなかった。それは心の奥にしまいこむとした。セイカを見つけたのは自分で、ミアレシティでセイカと一番長く過ごした人間も自分なのだと強く自負している。だからそんなこと口が裂けても言いたくはなかった。
「も、もういいよ。わかったからさ、ありがとう」
セイカは嬉しそうにはにかむと、照れくさそうにお礼を言った。妙な緊張感に包まれた空気がやっと和らいだような気がした。セイカは肩の荷が下りたのか再度ガイに向けて問いかけてくる。
「ガイもさ、将来的には結婚とかしてみたいと思うの」
「えっ、なんだよ急に」
「まぁ気になって」
私もあんなドレス着させてもらったし、なんて言いながらセイカはガイの様子を伺うように見ている。気にしているような素振りにも見えるし、ただの世間話のようにも感じた。
だとしてもだ、どうしてそんなことを聞かれるのかガイはわからなかった。それに今日雑誌を見た後のガイはセイカがそういうことに興味あるのか、相手はいるのだろうかとぼんやりと考えていたところがあったため、正直どきりとした。まさか本当に想い人がいるのだろうか。
「今はまだ考えてない、かもしれない……」
「かも、なんだ」
「仕方ないだろ」
だって今日、セイカのウエディングドレス姿を見るまで結婚なんて単語一切身近になかったのだから。それにガイにはそういった相手も特にいない。特別誰かと交際をしたわけでもないし、そういった話を受けたことすらない。だいたいまだそういった年齢でもないだろうし。そうやって聞かれてもいないことに対していちいち心の中で言い訳をしていた。
「じゃあセイカはどうなんだよ」
「私?」
まるで同じことを聞き返されるのを待っていたかのようにセイカは余裕そうな表情で返事をした。
「あるよ、一応ね」
女の子の憧れだからね。そういうとセイカはいたずらっ子のようにクスクスと笑った。
「でもどうしよう」
セイカはそう口に出しながら水気を拭いた食器を棚に片付けていく。
何が?そうやって問いかけるとセイカは一瞬手を止めて考えるように小さくうなった。
「よく言うじゃん、結婚前にウエディングドレスを着ると婚期が遅れる?みたいな話」
「なんだそれ」
おそらくどこかで流行った迷信だろ。女性は占いとか好きな人が多いと聞くしその類なのだろうか。セイカもそんなことを気にするんだなと少しだけ面白かった。
「気にしなくてもいいんじゃないか」
「気にしてもいいじゃん」
セイカはぷくりと頬を膨らませ、小さく怒りをあらわにした。小さな子供のような態度はちっとも怖さを感じず逆にかわいげさえ感じた。
「セイカなら引く手あまたなんじゃないか?」
見た目の話関係なく、明るいし、優しいし、頼りになるのは間違いないのだから。ただ単純にそう思って思わず口に出した言葉だったが、それを聞いたセイカは目を大きく見開いてガイの方に視線を強く移した。思ってもみなかった表情にガイもつられて思わず驚いてしまい目を見開いた。
「な、なにそれ……」
セイカはわなわなと震える声でガイにそれだけ言い放ち、目の前の食器棚の扉を強めに閉めた。着ている洋服を汚さないためにつけていたエプロンを早々と脱ぎ、セイカはその場をあとにしようと台所の出入り口へ足を向けた。完全に出る直前に一瞬だけ足を止めセイカはぽつりと呟いた。
「ご、ごめん……ガイからそういうの」
そこに続く言葉があったのは確かだったが、ガイにはうまく聞き取ることができなかった。
「な、なんだよ……」
意味も分からずその場に取り残されてしまったガイは、ただ茫然とセイカの見えなくなった後姿を見つめるだけだった。
◇
翌日、朝早くに起きたガイはすでにできあがっている朝食のパンを人数分切り分け、ラップをし、エムゼット団の会議室に用意した。朝はみんな割と自由な時間に起床するので時間があった人同士で朝食をとることが多い。ホテルを住まいにしている人の中でガイは一番早く起きることが多くついでにみんなの朝食も用意している。
昨日の夜のセイカの態度が気になってしまいガイはいつもよりは眠ることができなかった。そのせいで今日はいつもよりも早い起床になってしまったようだ。今日はクエーサーでの仕事もないし、二度寝をしてもよかったのだが動いていないとなんだか落ち着かなかった。
ガイは自分の分の朝食を手早く食べ終わると庭の掃除をするために外へと足を運んだ。ホテルを出て左側、植え込みを沿って歩くとホテルの上へと昇ることができる梯子が設置されている。その近くに見慣れない、いやここでは見慣れないだけで今はミアレシティのいたるところにあるものがった。
「ひずみだ……」
ごうごうと渦を巻くように、暗いのに不思議とうす暗い光を放っている、異次元ミアレへの入り口である黒いひずみがそこにはあった。ひずみのチェックをしてみたがワイルドゾーンなのかバトルゾーンなのか、それすらもはっきりとわからなかった。
どうしたものかと考えてみたがガイはなぜだかそのひずみから感じる雰囲気に強く呼ばれているような気がした。なぜそう思ってしまったのかはわからない。その異様な雰囲気に対する怖い物見たさなのか、それとも知っている人間の潜在意識を感じとったのかはよくわからなかったが入らなければならないとそう感じた。
幸い今日はドーナツを作ることができるアンシャもホテルZに遊びへ来るはずだ。ひずみに入るのにはアンシャのドーナツとフーパの力が必要なのだからガイはその力を借りるために二人をホテルZで待つことに決めた。
数時間もすればアンシャもフーパを連れて一緒にホテルZへやってきた。その頃には朝から活動しているエムゼット団のメンバーも各々自分の用事を済まそうと活動を始めていた。
セイカもガイの用意した朝食を食べ、昨夜の表情とは打って変わって笑顔でお礼を言うと足早にホテルを出て行った。話をしたい気持ちはあったが、あまりにも通常運転でガイに声をかけてきた姿を見てなんだか毒気を抜かれてしまっていた。
気を取り直してガイはアンシャに用意してもらったドーナツを持って、フーパにホテルの外へついてきてもらった。早朝見かけたひずみは相変わらずそこにあった。
フーパがおいしそうにドーナツを頬張ると、強まったそのパワーでひずみの中へとの探索が可能となる。ガイは大きくなったそのひずみに足を踏み入れるとおそるおそる闇の中へと進んでいった。
一瞬の瞬き。目の前には相変わらず色素を失ったような現実離れした世界がそこにはあった。異次元ミアレはミアレシティに住んでいる住人やポケモンの潜在意識。強く願えば伝説のポケモンにだって会えるし捕獲をすることも可能だ。街並みもミアレシティそっくりな場所が多い。テンプレートされがちな異次元のマップが多いはずなのにガイはこの風景を初めて見たような気がした。
「ホテルZだ……」
異次元に入ったはずなのに、さっきまで見ていた景色と構造は瓜二つ。ホテルZの庭にガイは立っていた。ただやはり全体的に色はなく、そこだけは普段見ていた異次元ミアレの姿だと認識できるようになっていた。あたりを見回してみてもポケモンどころか人の姿も見えない。かといっておどろおどろしい雰囲気を感じることはなくむしろ穏やかな空気が流れている。
「拍子抜けだぜ……」
ガイは一言ぽつりと呟くと小さくため息を吐いた。ミアレシティにいる誰かがこの潜在意識を生み出したのだろうか。ホテルZということはエムゼット団の誰かの潜在意識かもしれない。人の姿がないとはいえ、誰かの心の内をのぞき見してしまっているようで少しだけむず痒い気持ちがガイ襲った。せっかく来たけども早めに帰ってしまおうか、そう思い始めた時にふわりと何かの香りがガイの鼻をくすぐった。
花のにおいだ。そう気づいて思わず庭の中心を見やる。花の香りはそこからしているのだと気づいた。それと同時にさっきまで何もなかったそこに、同じくらいの身長の二人の人間が立っているのが気づいた。
一人は真っ白なウエディングドレスを。もう一人は真っ白なタキシードを着てお互い見つめあっている。まるで結婚式を挙げているように見えるのに参列しているゲストの姿はまるで見当たらない。この二人だけの世界にガイだけが迷い込んでしまったようだ。
気まずい、という気持ちも大きいが当事者がどんな人なのかも気になってしまう。ダメだとわかっていてもやってしまうというのはこういう感情なのだろうか。ガイは二人の顔が見えそうな位置にゆっくり体をずらすように少しずつ移動する。花嫁側の顔がはっきりと見えそうな位置に移動するとその見覚えのある顔に思わず声を漏らしてしまった。
「セ、セイカ……?」
どこからどうみても花嫁の顔はセイカにそっくりだった。いや、見間違えることはない確実にセイカだと断言できる。ガイは確信めいた気持ちで様子を伺った。よく見ると昨日見た雑誌に載っていたのと全く同じウエディングドレスで、髪型も雑誌に載っていた通りだった。手元にはあの青いブーケも持っていて、すごく幸せそうに笑っているのだった。
なんなんだよ、この異次元は。ガイは見たことないような形式の異次元に少しだけ尻込みをしてしまった。異様ではあるが不快ではない。そんな感じの気持ちになった。写真越しではない実体のあるセイカは雑誌で見るよりも遥かに綺麗だと感じた。
ガイはしばらく遠目で花嫁姿のセイカに見惚れてしまっていたがあることに気づいて少しだけ顔を青くさせた。セイカと見つめあっているタキシード姿の男のことだ。異次元は現実にはないこととはいえ誰かの潜在意識の表れだったはずだ。
「なに、勝手に……」
セイカと結婚しようとしているのだと。恋人でもない自分に、そんなこと思う資格など一切ないことはわかっているが急に不快感で頭がいっぱいになった。深呼吸し、勝手に湧いた怒りに押しつぶされてしまいそうになるのをなんとか抑え、ガイは相手の男の姿をよく見ようとまた少しずつ移動する。当の二人はガイの存在には一切気づかないようだった。
男の顔が判別できそうな場所まで回り込むとそいつの顔をしっかりと見やる。花嫁の顔がセイカだと気づいた時とは違う、ガイはその顔見た時声が出そうになるのを思わず抑えた。
顔が真っ暗なのだ。鉛筆やサインペンのようなものでおもいきり顔が塗りつぶされていて一切顔が判別できなかった。ここが異次元ではなく現実だったら、きっとホラー漫画の世界観だっただろう。それくらい異質な見え方だった。一瞬強い恐怖心ガイを襲ったがなんとか息を整える。
誰の妄想なのか、異次元に反映される潜在意識にはこういうものもあるのかと。考えることはいっぱいあった。あのファッション誌を購入した人間の内に、セイカに気がある奴でもいたのだろうかと、パッと思いつくのはそれくらいだった。
それくらいだったらかわいいことだとは思うがこれがいつか現実になったらと思うと嫌で仕方がなかった。しかも場所がホテルZだ。なぜ嫌かはっきりと言語化するのは今のガイには難しかった。オレの大切人たちとの思い出の場所で、大切な仲間が奪われるような気分なのが嫌なのだろうか。もちろんそれも感じているがもっと漠然としたわかりやすい何かがあるはずだと頭を悩ませた。
ふと目の前の二人を見ると、今まで微笑みあい見つめあっていただけの様子から少しだけ動きを見せたのがわかった。男はセイカの頬に手を優しく添え、セイカの顔に自身の顔を近づけようとしていた。セイカの方もゆっくりと目を瞑り相手のことを待っているようだった。
この姿、このシチュエーション。経験の無いガイでも嫌でもわかった。見たくない、そう思った時には二人に向かっていつの間にか走り出そうとしていた。現実だったらこんな邪魔は絶対に許されない。異次元だからこそ、いや異次元なのに二人を止めることに必死になっていた。
だけど二人には近づけない。どんなに走ってもその場を足踏みするだけで足が前に進まなかった。今までにない異次元の様子にガイはショックを受けた。
「なんで……」
だってセイカはオレの、オレの……。
ガイの心は焦りでいっぱいだった。なんでオレはこんなに必死になっているんだと。冷静になろうと足踏みをゆっくりとやめた。これ以上は近づけない、そう思い再度セイカたちの様子を見た。今までガイのことを無視するように二人の世界を堪能していたはずなのに今はこちらの姿をはっきりと見つめている。ガイのことを認識しているようだった。
ガイを見つめる瞳は優しく、慈愛に満ちているようにも感じた。ガイは思わず息をごくりと飲んだ。セイカはガイに向けて微笑むとパクパクと口を動かした。何かガイに向けて言っているようだったが、声は聞こえなかったため何を言っているのかわからなかった。そしてセイカは手に持っているブーケを笑顔でガイに向けて高く放り投げたのだ。
視線がブーケを追いかけ宙を追いかける。ブーケはガイの手元にすっぽりと吸い込まれるように収まるように振ってきた。視線を前に戻すとセイカたちはいつの間にかパッと姿を消していた。
「なっ、どこに」
行ったんだ。そう口に出す前にガイの目の前はくるりと世界を変えた。ここに入ってきたひずみに今度は押し戻されるように、この世界から追い出されてしまった。
気が付くと目の前には異次元にはなかった色があった。ハラモチエネルギーが切れてしまったのかガイは異次元ミアレから現実のミアレに強制的に押し戻されたようだった。目の前の壁にはすでにひずみはなく、同じ異次元に入ることは不可能だということを物語っていた。
「なんだったんだよ、あれ」
ポケモンもいない、バトルを仕掛けてくるやつもいない。ただ誰かの強い潜在意識。そこまで長い時間滞在したわけではないが得体のしれない何かにガイはどっと疲れを感じてしまった。肩を丸めてため息をつくと手に何かを持っていることに気が付いた。あの異次元で受け取った青いブーケだった。異次元で手に入れたポケモンや道具を持ってこられることはわかっていたがこのブーケも対象だったようだ。
ブーケを見つめていると先ほどの異次元で起きたことが鮮明に思い出される。手放したいような、大事に取っておきたいような。そんな反芻した考えを巡らせていると背後から聞きなじみのある声が聞こえてきた。
「なにやってるの、そんなところで」
セイカだった。用事を済ませて丁度帰ってきたのだろうか。花嫁姿ではなくいつものジャケットを着ていることに心底安心感を覚えた。
「なんでもねぇよ」
「えーほんとかな?」
セイカは少しだけからかうような声色でガイに話しかける。さっきの話を今この場でしてしまうのは正直いうと嫌だった。あの中で自分の感じたことをうまく言語化できる気がしなかったからだ。ただガイがセイカに向けて思う気持ちに新しいものがあることだけは気づいた。だけどそれも今は照れくさくて言えない。
「ちょっと変わったひずみに入っただけだよ」
「へぇ、どんな?」
誰よりもいろんな異次元へ出入りしているセイカのことだからか、先ほどよりも興味津々に目を輝かせてガイに詰め寄ってくる。
「いつか言う」
えーなんで!と残念そうな顔を見せる。同じような異次元が出たときのために対策とか必要じゃない?と、ブーブーと文句をガイに向けるのだった。しばらくそういったやりとりをしているとセイカは次にガイの持っているブーケに興味を向けた。
「かわいいね、それ……でもなんか見たことあるような」
気のせいだろ、と口には出してみたけど内心は焦っていた。だって現実のセイカも手に持っていたものだったからだ。気がつかれたら更に問い詰められるに違いない。今そんなことになるのは正直めんどうだった。オレにだって気持ちの整理をする時間が欲しい。いつか気持ちを伝えるための準備をしたいと。とはいえこのブーケはどうしようかと考えていたのは事実だ。ガイはセイカに向けて手に持っているブーケを差し出した。
「やるよ、これ」
「え?」
セイカにもらったものをセイカに返すだけだ。ただそれだけ。
「……ありがとう、嬉しい」
セイカはブーケを受け取ると頬を染め、柔らかく微笑んだ。異次元にいたセイカが最後にガイに向けた笑顔と全く同じだった。自分でも顔が熱くなっているのがわかった。柄にもなく照れてしまったのが少し恥ずかしい。セイカはそんなガイの気持ちに気づくわけもなくそのまま言葉を続けた。
「昨日はごめんね」
急に怒ったりして。セイカからの謝罪の言葉だった。確かに昨夜のセイカは急に態度を一変させてガイも驚いた。その話もしたかったがセイカの方から謝ってきたのだから同じように答えたかった。
「い、いや……気にしてないし、オレが変なこと言ったのかもしれないし」
続けてガイも謝罪する。セイカはふるふると首を横に振ると困ったように笑う。ガイは悪くない、そう言っているようにも見えた。そういえばセイカの機嫌をそこねてしまったときオレは何を言ったんだっけ?とふと思い返した。
『セイカなら引く手あまたなんじゃないか?』、確かにそう言った気がする。ガイは頭を抱えた。今となってはこの言葉自分の首をしめているようにしか思えない。セイカが魅力的だからという意味で言った言葉だが、今のガイにとっては距離をとったようにしか思えなかった。それに対してセイカが怒る理由はいまいちわからなかったが、ガイ個人としては軽い後悔を覚えた。
あの言葉忘れてほしい。そう言うべきなのだろうか。それよりももしもの話だ、異次元であったことが知らないうちに起きてしまう方が怖い。駄々をこねる子供のように思わず思っていることをセイカに向けて口に出してしまった。
「オマエ、絶対にオレの知らないうちに黙って結婚なんてするなよ」
ただの幼稚なエゴだ。でもチャンスが欲しいと思ってしまった。オレたちの出会いが運命だったと確信できるような。
セイカは目を丸くして呆気に取られていた。でも少しだけ目線を上に何かを考えるような表情を見せ、眉を少しだけ下げて嬉しそうな表情でガイに向けて言葉を口に出した。
「しないよ、黙って結婚なんて」
「ガイにだけは報告だってするつもりないけどね」
セイカは柔らかな表情で、愛しい物を見るように言葉の強さとは裏腹に小さく微笑んだ。
青いブーケから花の香りがふわりと二人を包み込んだ。
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