lilie_y0527
2026-02-10 22:42:15
12908文字
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バリスタルークと一般会社員(?)ディン

現代AUルクディン

朝日が差し込む、街角の落ち着いたカフェ。店長のアナキンがマシンを調整する中、店員のルークは、カウンター越しに「いつもの」お客さんを待っていた。

カラン、とドアベルが鳴る。

「おはようございます、ディンさん。グローグー」

入ってきたのは、仕立ての良いスーツを少しだけ着崩した、子連れの会社員ディンだ。その腕の中には、まだ少し眠たげに大きな瞳をパチパチさせている子ども、グローグーがいる。

「おはよう。……本日のコーヒーを一つ」

ディンの低い声が、店内に心地よく響く。ルークはかしこまりましたと弾んだ声で答え、流れるような動作でドリップを始めた。

「今日は保育参観なんですよね。グローグー、楽しみだね?」

ルークがカウンター越しに覗き込むと、グローグーが小さな手を伸ばす。ルークはその指先をギュッと握った。

「今日も元気だね、グローグー。すみません、ディンさん。僕、彼の可愛さにやられちゃってて」
……いや、大丈夫だ。よかったな、グローグー」

ディンは、ルークがグローグーに向ける屈託のない笑顔に、密かに胸の奥を温めていた。自分は不器用で、子育てにも仕事にも常に手一杯だ。けれど、毎朝ここでルークから受け取る一杯のコーヒーと「いってらっしゃい」の言葉が、彼の救いになっていた。

「おい、ルーク。お喋りしてないで、さっさとそのコーヒーをディンに渡せよ。……パドメが来るまでに、ミルクの温度を完璧にしておけって言っただろ」

奥からアナキンが、店長で父親らしい小言を飛ばす。すると、ちょうど店の奥から、アナキンの妻でルークの母のパドメが、顔を出した。

「アナキン、そんなに急かさないでいいわよ。……あら、ディンさん。おはようございます。グローグー君、今日も可愛いわね」

パドメの優雅な挨拶に、ディンは恐縮して会釈する。

「はい、お待たせしました。ディンさん。……熱いので気をつけてくださいね」

ルークが手渡した紙カップ。そこには、小さな手書きの文字で『ディンさん Have a nice day!』というメッセージと、小さなカエルのイラストが添えられていた。

……ありがとう、ルーク」

ディンは、カップから伝わる熱と、ルークの真っ直ぐな瞳に、一瞬だけ視線を泳がせた。ただの店員と客。けれど、この数分間のやり取りが、二人にとってかけがえのない日常になっていることを、周囲の大人たちは見守っているのだった。

……じゃあ、行ってくる」
「はい!いってらっしゃい、ディンさん。グローグーも、頑張ってね!」

扉が閉まり、再び静かになった店内で、ルークは自分の指先に残るグローグーの感触と、ディンの去り際の微かな微笑みを思い出し、幸せそうに息をつく。

……さて、ルーク。……顔が緩んでるぞ。仕事に戻れ」
「父さん……!もう、分かってるよ!」

賑やかな「JEDI 珈琲」の朝は、今日も希望の香りと共に幕を開ける。



***



……おはよう、ございます」

いつものようにドアベルが鳴り、少し寝不足気味のディンが入ってきた。その腕の中には、今日でちょうど二歳になった主役、グローグーが。

「おはようございます、ディンさん!そして……グローグー、二歳のお誕生日おめでとう!」

ルークが満面の笑みでカウンターから身を乗り出すと、その奥からアナキンが手を伸ばし、グローグーの頭を不器用に撫でた。

「ディンさん、今日のお迎えのあと、少しだけ時間に余裕はありますか?……実は、うちの『伝説の男』が、どうしても彼を祝いたいって張り切ってまして」

ルークが店の奥を指差すと、そこには引退したはずの先代オーナークワイ=ガンが、エプロン姿で現オーナーオビ=ワンと何やら熱心に話し込んでいた。

「クワイ=ガンが?……ああ、それなら喜んで。仕事は早めに切り上げられるようにする」

ディンは少し驚きながらも、その温かな誘いに小さく微笑んだ。




夕暮れ時。保育園帰りのグローグーを連れてディンが再び店を訪れると、店内は『貸切』の札が出ており、中にはいつものメンバーが勢揃いしていた。
テーブルにはパドメが飾ったらしい華やかな花束が置かれていた。

「さあ、お座りください。……グローグー君、君のために特製の一皿を用意したよ」

オビ=ワンが恭しく椅子を引くと、厨房からクワイ=ガンが、手のひらサイズの小さな、けれど宝石のように美しいケーキを運んできた。

「二歳になりたてでも安心して食べられるように工夫して作った。……さあ、召し上がれ」

クワイ=ガンの穏やかな声と共に、ケーキが目の前に置かれる。そこには、数字の『2』を象った小さなクッキーと、二本の細いキャンドルが灯っていた。

「ありがとうございます。さあ、グローグー。みんなでお祝いだ」

ディンの言葉に合わせて、ルークが優しく歌い始める。歌い終わりの「おめでとう」という皆の声に合わせてグローグーが「ぷー!」と一生懸命に息を吹きかけると、小さな二つの炎が消えた。店内に温かな拍手が沸き起こる。

……ありがとうございます。皆さん、本当に……

ディンは、ルークから手渡されたコーヒーを一口飲み、胸が熱くなるのを感じた。身寄りのない自分がこの街でグローグーを育てていけるのは、このコーヒーの香りと、それを手渡してくれる彼らの温かさがあるからだ。

「ディンさん、そんなに固くならないで。……グローグーの成長は、僕たちの喜びでもあるんですから」

ルークが隣に座り、幸せそうにケーキを頬張るグローグーを見つめて微笑む。その横顔を眺めながら、ディンは心の中で、来年も、再来年も、この場所でこうして笑い合える未来を願わずにはいられなかった。


***


パーティーが終わり、店には片付けを終えたルークと、お腹がいっぱいになり眠ってしまったグローグーを抱くディンの二人だけが残った。

「今日は本当にありがとう、ルーク。あんなに祝ってもらえるなんて思わなかった」
「いえ、僕らが勝手にやりたかっただけですから。……あ、そうだ。ディンさん、これ」

ルークがカウンターの奥から取り出したのは、小さな、けれど質の良さが一目でわかる革のキーケースだった。

「これは……?」
「グローグーへのプレゼントはみんなからあったでしょう?だからこれは、毎日頑張っているディンさんへ。……僕からの、個人的なプレゼントです」

ディンが戸惑いながらそれを受け取ると、使い込まれた自分の鍵が、すでにその新しいケースに収まっていることに気づいて目を見開いた。

……いつの間に、鍵を……
「さっきグローグーが遊んで落とした時に、こっそり。気を付けてくださいよ、拾ったのが僕でよかった。……そのケース、内側に小さなポケットがあるんです。そこに、これを入れておきました」

ルークが指差した先。ポケットには、一枚の小さなショップカードが入っていた。だが、そこには店のアドレスではなく、ルークの個人の連絡先が手書きで記されていたのだ。

……ルーク、これは……
「コーヒーの注文だけじゃなくて……もし夜中にグローグーが熱を出したり、ディンさんが一人で抱えきれないことがあって、話し相手に困ったりとかしたら、いつでも呼んでください。……まずは、お友だちで」

ルークは少し照れくさそうに、けれど真っ直ぐにディンを見つめた。ディンは、手の中にある革の温もりと、ルークの誠実な想いに、心臓が大きく跳ねるのを感じた。

……大事にする。……ありがとう、ルーク。……連絡、……するかもしれない」
「はい。待ってます」

夜の街灯の下、ディンは新しいキーケースを握りしめ、胸に宿った小さな熱を大切に持ち帰るのだった。


***


ある日の閉店間際。寝ているグローグーを抱えたディンは、灯りの落ちかけたカフェのドアを叩いた。

……すみません、もう終わりでしたか?」

カウンターでマシンの手入れをしていたのは、ルークではなく店長のアナキンだった。

……ディンか。まあ、座れよ。今日の余りでよければ淹れてやる」

アナキンはぶっきらぼうに顎でスツールを指した。ルークがいないことに少しだけ安堵し、同時に少しだけ落胆した自分に気づき、ディンは苦笑しながら腰を下ろす。

……ルークは?」
「あいつなら、明日アンタに出すための新しいレシピを、裏で必死に選別してるよ。……ったく、こだわりすぎなんだ、あいつは」

アナキンは店の入り口の札を裏返してから、手際よくカップを温め、ふと独り言のように続けた。

「あいつな……昔から、一度『これだ』と決めたら絶対に手を離さないんだ。今は特に、アンタのこととなると、周りが見えなくなって、一直線で、かなり必死だよ」
……俺のこと?」
「ああ。アンタの好みに合わせて、グラインダーの調整を変えてるんだ。……少しでも疲れた顔をしてれば、カフェインの量を調整して、アンタが笑えば、その日の夜は鼻歌混じりにレシピを考えてる。……正直、見てるこっちが恥ずかしくなるくらいだ」

アナキンは淹れたてのコーヒーをディンの前に置いた。香ばしい香りの奥に、ルークのひたむきで、少しだけ偏執的な執着が透けて見える。

「ディン。あいつはまだ未熟で、やり方が強引なところもある。あいつがアンタに向けているのは、ただの親切心じゃない。アンタとあのチビの心の中に入り込もうとしているんだ。心の、大事な場所に」
…………

ディンは、熱いコーヒーを一口飲んだ。ルークが自分に向けていた、あの真っ直ぐな、逃げ場のない瞳の理由が、アナキンの言葉によって形を成していく。

……店長。俺は……
「返事は必要ないよ。ただ、あいつが何か暴走する前に、覚悟だけはしておいてやってほしい」

アナキンは不敵な笑みをディンに向けた。その背後で、裏の扉が開き「あ、ディンさん!来てくれたんですか!」と、パッと花が咲いたような笑顔でルークが駆け寄ってくる。
ディンは、ルークの眩しい笑顔を見つめながら、手の中のカップを強く握りしめた。アナキンの言う通り、自分の日常が、この青年に少しずつ支配され始めていることを、認めざるを得なかった。

「父さん!ディンさんに余計なこと言わなかったでしょうね?」

ルークは、カウンターを挟んでディンと向かい合ってるアナキンを見て、あからさまに焦った声を上げた。アナキンは「さあな」とだけ言い残し、裏の扉へと消えていく。残されたのは、閉店後の静かな店内に、ディンと、耳まで赤くしたルークの二人だけ。

「ディンさん。あの、父さんの言うことは話半分に聞いてください。……あの人、昔から大げさなんです」

ルークは落ち着かない様子で、手に持っていた豆の袋をカウンターに置いた。けれど、その指先がわずかに震えているのを、ディンは見逃さなかった。

「君が、俺の好みに合わせてグラインダーを調整をしてるって話か?」

ディンがわざと平坦な声で尋ねると、ルークは「あ……」と声を漏らし、視線を泳がせた。

……それは、プロとして、当然のことで……
「俺が笑った日の夜に、鼻歌を歌いながら新しいレシピを考えてるって話もか?」
……っ!!」

ルークは言葉に詰まり、今度は顔全体が真っ赤に染まった。ディンは、いつも自分に優しく接してくれる店員であるルークが、自分のために一喜一憂し、必死になっていたという事実に、喉の奥が熱くなるのを感じた。

「そんなに、俺のことが気になるか。ルーク」

ディンの問いかけに、ルークはしばらく黙って俯いていたが、やがて、ゆっくりと顔を上げた。そこにあったのは、獲物を見据えるような、射抜くほどに真っ直ぐな瞳。

「気にするな、という方が無理です。……あの日、あなたがこの店に入ってきた時から。僕は、あなたがどんな風に笑って、どんな風に落ち込んで、その時々にどんな味のコーヒーを求めているのか……それを知ることだけが、今の僕の生きがいなんですから」

ルークは一歩、カウンター越しにディンへと身を乗り出した。爽やかなコーヒーの香りに混じって、ルーク自身の熱い体温が伝わってくる。

「父さんの言った通りです。僕は、やり方が少し……強引かもしれません。でも、ディンさん。あなたを幸せにできるのは、僕の淹れるコーヒーだけだって……そう証明したいんです」

ルークの指先が、カウンターの上に置かれたディンの手に、そっと触れた。それは「客と店員」の境界線を、静かに、けれど決定的に踏み越えようとする合図だった。

……君のコーヒーは……確かに、いつも最高だ」

ディンは、触れられた場所から広がる熱を確かに感じていた。アナキンが言っていた「覚悟」の意味を、彼は今、この青年の熱い眼差しの中に、はっきりと見ていた。

しかしディンは広がる熱に引き寄せられそうになる心を、鋼のような自制心で押し留めた。彼はゆっくりと、けれど確実に自分の手を引き、代わりに冷めかけたコーヒーカップを両手で包み込んだ。

……ルーク。君の気持ちは、嬉しくないわけじゃない。だが、俺は自由な身じゃないんだ」

ディンの低い声が、静まり返った店内に重く響く。ルークは拒絶されたわけではないことを直感しながらも、真剣な表情でディンの言葉を待った。

「俺と君とはそれなりの歳の差がある。……君の周りにいる同年代の連中のように、すぐにその手を取って走り出すような身軽さは、俺にはない」

ディンは一度言葉を切り、ソファ席で眠っているグローグーに視線を向けた。

「俺には、あの子がいる。……俺の人生の最優先は、いつだってあの子だ。君と二人でいる時でも、あの子が泣けば俺はそっちへ行く。お前よりも、あの子を優先し続ける。それが今の俺だ」

ディンは再びルークと向き合った。その瞳には、一人の父親としての、厳しくも温かい「覚悟」が宿っていた。

「君はまだ若い。俺のような人間に縛られず、もっと自由で、もっと華やかな時間を過ごせるはずなんだ。それでもいいなんて、簡単に言えることじゃないぞ」

店内に、沈黙が降りる。ルークは、ディンが自分を突き放そうとしているのではなく、自分という存在を尊重し、守ろうとしてくれていることを理解していた。ルークは、先ほどよりもずっと揺るぎない眼差しでディンを見つめ返した。

「ディンさん。僕を、ただの『若者』だと思わないでください」

ルークはカウンターに両手を突き、ディンの瞳を真っ直ぐに射抜いた。

「僕が惹かれたのは、誰より優しく、強く、……その小さな命を必死に守り抜こうとしている、不器用な『あなた』なんです。グローグーを優先するあなただからこそ、僕は、あなたを支えたいと思った」

ルークの言葉に、ディンは息を呑んだ。

「あなたが彼を一番に想うなら、僕は二番目で構いません。その代わり、あなたが彼を守るのに疲れた時、……僕があなたを守る、一番の場所になりたい。それが僕の答えです」

ルークの瞳には、一切の迷いがなかった。その真っ直ぐすぎる光に、ディンの強固な防壁が、じわりと音を立てて崩れていく。

……二番目で、構わない、か」

ディンはルークの言葉を反芻するように呟いた。その声は微かに震えていたが、先ほどまで彼を縛り付けていた「父親としての覚悟」という鎖は、ルークの真っ直ぐな瞳によって、音もなく解け落ちていた。

ルークは動かない。返事を急かすこともなく、ただディンの次の動きを、祈るような、それでいて確信に満ちた眼差しで待っている。

ディンはゆっくりと、自分の前にある空のコーヒーカップを横に退けた。そして、自分を律するために握りしめていた拳を解くと、カウンターの上に置かれたルークの手に、自らそっと、掌を重ねた。

……っ、ディンさん……

ルークの息が止まるのがわかった。重なったディンの手は、仕事で鍛えられ、育児で荒れた、決して柔らかくはない手だ。けれど、その掌から伝わってくる熱は、ルークがこれまで誰からも受け取ったことのない、深く、静かな信頼の証だった。

……後悔するなよ、ルーク。……俺は、お前が思っている以上に頑固で、不器用だ。……それに、あの子のために、お前を振り回すことになるかもしれない」
……望むところです」

ルークは重ねられたディンの手を、裏返すようにして強く握り返した。指を絡め、その隙間を埋めるように。その瞬間、二人の間に流れていた「店員と客」という空気は完全に書き換えられた。

……なら、……明日も、俺のコーヒーを頼む」
「はい。世界で一番美味しい一杯を、ご用意しておきます」

ディンは、ルークの握り返す力の強さに、一瞬だけ目を見開いた。優しく、けれど絶対に離さないという意志。年下の青年の、その甘い熱に侵食されながら、ディンは初めて、誰かに寄り添われることの安らぎを、自分に許すことができた。

背後で、グローグーが寝返りを打ち、小さく「ぷー……」と声を漏らす。その愛おしい守るべき命を見て、二人は夜の静寂の中で、静かに微笑みを交わした。


***


翌朝。ディンはいつも通りドアベルを鳴らしたが、その足取りはどこか落ち着かない。腕の中のグローグーだけが、いつも通り「ぷー!」と元気な声を上げている。
カウンターには、すでに完璧にドリップの準備を整えたルークが立っていた。二人の目が合った瞬間、昨夜の「手のひらの熱」が蘇り、店内に一瞬だけ甘い沈黙が流れる。

「おはようございます、ディンさん。……昨夜はよく、眠れましたか?」

ルークの微笑みは、昨日までと同じ「店員の顔」に見えて、その瞳の奥には隠しきれない独占欲と慈しみが満ち溢れている。ディンが何か答えようとした、その時。

「おいおい、朝からなんだ?コーヒーが砂糖菓子になるぞ」

カウンターの奥から、アナキンがニヤニヤとした顔で現れた。

「と、父さん!変なこと言わないでよ」
「変なこと?お前、今朝からずっと鼻歌のキーが三つくらい高かった。……それに、ディンのその、顔を見てみろ」
……っ、店長、それは……!」

ディンは顔を真っ赤にして絶句した。グローグーまでが不思議そうにディンの顔を覗き込んでいる。

「まあ、いいさ。ルーク、今日からディンの分は『家族割引』にしてもいいぞ。どうせ将来、うちの身内になるんだろうから」
「父さん!!……もう、あっち行ってて!」

ルークが慌てて父親を追い払う。アナキンは「オビ=ワン!お祝いのケーキ作ってくださいよ!」と奥へ笑いながら消えていった。

「すみません、ディンさん。父さんが、本当に失礼なことを……
「いや、いいんだ」

ディンは、ルークから差し出されたいつものコーヒーを手に取った。カップを受け取る時、指先が触れる。昨夜までは偶然を装っていたその接触も、今は二人にとって確かなスキンシップだった。

……家族割引、か。悪くない」

ディンが小さく、けれど幸せそうに呟くと、ルークは弾かれたように顔を上げ、この世で一番幸せそうな顔で笑った。その笑顔の眩しさに、ディンの心臓がまた一つ、大きく跳ねた。 「JEDI 珈琲」の朝は、甘く濃密な香りに包まれていた。


***


夕暮れ時、保育園の帰り道。ディンはグローグーを連れて、いつものようにカフェの前を通りかかった。すると、ちょうど店のドアが開き、私服に着替えたルークが飛び出してきた。

「ディンさん!グローグー!待ってください!」
「ルーク!?まだ仕事中じゃないのか?」

ディンが驚いて尋ねると、ルークは背後の店を指差した。窓越しに、アナキンが「さっさと行け」と追い払うようなジェスチャーをしているのが見える。

「父さんに交渉して、今日は早上がりさせてもらったんです。今夜は僕が、あなたたちの家で夕食を作ります」
「本気か?俺の家なんて、大した調理道具も何もないぞ」
「大丈夫です。材料は全部ここに」

ルークが誇らしげに掲げた買い物袋からは、新鮮な野菜と、グローグーが好きそうな卵やフルーツが顔を覗かせていた。
ディンのアパートは、質素で清潔で、どこか「ただ眠るためだけの場所」という空気が漂っていた。せめてもの救いは、転々と散らばっているグローグー愛用の玩具か。しかし、ルークがキッチンに立った瞬間、その空間に魔法がかかったように活気が宿り始める。

「ディンさんは、グローグーと遊んでいてください。すぐにできますから」
「ああ。すまない」

ディンはリビングのソファでグローグーと積み木をしながらも、背後のキッチンから聞こえる包丁の音や、漂ってくる温かな香りに、言いようのない、くすぐったいような幸福感を覚えていた。

「できた。グローグーには、野菜を細かく刻んだ特製オムライス。ディンさんには、コーヒーを隠し味に入れたシチューを」

テーブルに並べられた料理は、どれも彩りが良く、愛情がこれでもかと詰め込まれていた。
手をぱちんと合わせたグローグーが美味しそうにスプーンを動かすのを見て、ディンも手を合わせたあと、一口、シチューを口に運ぶ。疲れた身体に染み渡る、優しくて深い味。

「おいしい。ルーク、君は料理も上手いんだな」
「よかった……。ここのキッチン、初めて使いましたけど……すごく、馴染みますね」

ルークは自分の分を食べるのも忘れ、幸せそうに食事をする二人を眺めていた。その瞳は、ただの「親切な店員」のものではない。いつかこの家の一部になり、ディンの日常を自分の色で塗り替えてしまいたいという、静かな、けれど情熱的な意志が宿っていた。

「次は、何を作ろうかな。キッチンのスパイス、僕好みに揃えてもいいですか?」
……任せる」

ディンのその言葉を聞いた瞬間、ルークの口元に小さな甘い微笑みが浮かんだ。こうして少しずつ、ディンの生活の中に、ルークという存在が根付いていく。


***


夕食が済むと、ディンは「僕がやります」というルークを押し切り、二人で狭いキッチンに並んで立っていた。ディンが皿を洗い、ルークがそれを布巾で拭く。そのなんてことのない家庭的なリズムが、ディンの胸をひどく落ち着かない、けれど心地よい鼓動で満たしていく。

……ディンさん」

最後の一枚を拭き終えたルークが、隣で手を止めたディンの袖を、そっと引いた。

……ん?」

ディンが顔を向けた瞬間、そこには想像以上に近くにルークの顔があった。リビングの柔らかな照明を背負い、ルークの瞳が潤んだように光っている。

「今夜、あなたの家に来て、あなたとグローグーと一緒に食事をして。……僕、もう我慢できそうにないんです」
……なに、が」
「『店員とお客さん』のふりをするのが、です。お店では、父さんの手前……それから、あなたの立場を考えて、精一杯いい子にしていますけど」

ルークは一歩、逃げ場のないシンクの前でディンに詰め寄った。コーヒーの香りはもうしない。代わりに、ディンの鼻腔をくすぐるのは、ルーク自身の清潔な、そして隠せない熱の匂い。

「ディンさん。はじめての、わがままを言ってもいいですか?」

ルークの手が、ディンの頬に触れた。少し荒れたディンの肌を、ルークの同じように少し荒れた指先が慈しむように撫でる。

……ああ」

ディンが掠れた声で答える。その瞬間、ルークの顔がゆっくりと近付いた。ひどく静かな、けれど熱い「はじめてのキス」だった。

…………

ディンの喉が小さく震える。ルークの唇は驚くほど柔らかく、けれど自分を求める意志は驚くほどに強固だった。ディンは、濡れた自分の手を拭うのも忘れ、ルークの腰に腕を回した。

…………グローグーが、テレビに夢中で助かったな」

唇を離したディンが、降参したように笑うと、ルークは満足げに目を細めた。

「ちゃんとタイミングは測りましたよ。あの子から、パパを盗ったりなんかしませんから」

ルークは、ディンの首筋に顔を埋め、深く息を吐いた。これからこの人たちの日常に自分を溶かしていかなければ。まだはじまったばかりなのだから。


***


翌朝「JEDI 珈琲」は開店直後の活気に包まれていた。ディンはいつもより少しだけ遅れて店に入った。昨夜のキスの感触が、まだ唇の端に熱として残っているような気がして、どうしてもルークの顔を直視できないでいた。

「おはよう、ディン。なんだ、今日は随分と顔が赤いな。風邪?」

カウンターの奥でマシンを叩いていたアナキンが、不敵な笑みを浮かべて声をかける。

「いや、少し、寝不足なだけで」
「へえ、寝不足ねえ……ふーん、寝不足ねぇ」

アナキンがニヤニヤしながら奥へ引っ込むと、入れ替わりにルークが、淹れたてのカップを持ってディンの前に立った。

「おはようございます、ディンさん。……昨夜は、お見送りありがとうございました」

ルークの声は、驚くほどいつも通り、澄んだ「店員の声」だった。ディンが少しだけ安心し、カップを受け取ろうと手を伸ばした――その時。
ルークがカウンター越しにぐっと身を乗り出した。カップを手渡すわずかな隙に、彼は指をさり気なく触れさせながら、ディンの耳元に唇を寄せ、周囲には決して聞こえない、低い熱を帯びた声で囁いた。

……昨夜のキス、まだ、唇が少し腫れてますよ。僕の跡が残ってて、すごく……可愛いです」
「っ……!?」

ディンの背筋に、昨夜のそれとは違う、痺れるような衝撃が走った。驚いて顔を上げると、ルークはすでに元の位置に戻り、いつもの「完璧な店員」の微笑みを浮かべていた。

「今日のは、特に『甘め』のコーヒーです。……ディンさん、遅刻しちゃいますよ?」

ルークの瞳は、楽しそうに細められている。周りから見れば、ただ店員が客にテイクアウトコーヒーを手渡しているだけの光景。けれど、ディンの頭の中は、今の一瞬の囁きで真っ白に塗りつぶされていた。

……き、君は…………
……ふふ。お仕事、頑張ってくださいね。今夜も、楽しみにしてますから」

ルークは最後に、自分たちにしか見えない角度で、そっとディンの指先に自分の指を滑らせた。ディンは真っ赤になった顔を隠すようにカップに口をつけたが、コーヒーの味なんてこれっぽっちもわからなかった。

ただ、心臓の音だけが、昨夜よりもずっと激しく、カフェの店内に響いているような気がしていた。


***


……また、来たのか」

玄関を開けたディンが、呆れたような、けれどどこか安堵したような声を漏らす。その視線の先には、両手にスーパーの袋を提げ、当たり前のように「お疲れ様です!」と入ってくるルークの姿があった。

「父さんが『今日は一段と浮ついた顔をしてるから、早くあがっていい』って。……ほら、今日はディンさんの好きな、お肉をたくさん」
……店長、甘やかしすぎだろ」

ディンは溜息をつきながらも、ルークのジャケットを受け取る。ルークがこの家に通い始めてからしばらく経つ。今やキッチンの棚には、ルークが持ち込んだこだわりのスパイスやコーヒー豆と、グローグー用の可愛らしい食器が当たり前のように並んでいる。

リビングから、パジャマ姿のグローグーが駆け寄ってくる。ルークは荷物を置くと、グローグーを抱き上げ、その小さな頬に自分の顔を寄せた。

「僕がいなくて寂しかった、グローグー?……パパを独り占めしてたから、寂しくなかったって?」
……。言ってないだろう、そんなこと」

ディンはキッチンで野菜を洗い始めたルークの背中を、リビングのソファから眺める。自分の家なのに、ルークがいることが自然に感じてしまう。ルークが持ち込む生活の音――包丁の響きや、鼻歌、そして温かな会話――によって、かつての生活は鮮やかに塗り替えられていた。

「ディンさん。……そんなところでぼーっとしてないで、手伝ってください。今日は、一緒に包丁を握りましょう」
……グローグーを見てないと」
「カエルくんの絵本に夢中みたいですよ。包丁怖いなら、僕が手取り足取り教えますから」
……二番目のくせに」

ルークが振り返り、確信犯的な笑みを浮かべる。今のグローグーの一番はカエルくんのようだ。
キッチンという狭い空間で、ルークがディンの背後から手を重ね、包丁を持つ手を誘導する。

…………、近い……
「朝、お店であんなに焦らされたんです。家でくらい、くっついてもいいでしょう?」

ディンの耳元に、熱い吐息が触れる。店では「完璧な店員」を演じているルークが、この家の中だけで見せる、独占欲の強い「一人の男」の顔。
ディンは、自分を囲い込むルークの腕の温もりに、もはや抗う術を持たなかった。生活のすべて、心の隙間のすべてが、ルークという存在で満たされていく。それは、どんなシロップよりも甘く強く、ディンをこの場所に繋ぎ止めていた。


*** 


グローグーが寝室で深い眠りにつき、小さな寝息だけが聞こえるようになったリビング。ルークは当然のように、自分の家から持ってきたお気に入りのマグカップに、ディンのためのデカフェの珈琲を注いだ。

「お疲れ様です、ディンさん」

ソファに座るディンの隣に、昨日よりも数センチだけ近い場所にルークが腰を下ろす。

「ああ。……いつも、すまないな。夕飯まで作らせて」
「僕がやりたくてやってることですから。それに、こうしてあなたと静かに話せる時間が、僕にとっての一番の報酬なんです」

ルークはカップをテーブルに置くと、膝をディンのほうへ向け、リラックスした姿勢で彼を見つめた。 テレビもつけていない部屋。暗めに落とした照明だけが、二人の輪郭を柔らかく縁取っている。

「ディンさん。今日は、僕のことを何回考えましたか?」
「っ………………

直球すぎる問いかけに、ディンは思わず視線を泳がせた。日中、仕事をしている最中も、ふとした瞬間にカフェの香りを思い出し、ルークの甘い囁きが耳の奥で何度も繰り返されていた。それを認めるのは、あまりにも癪だった。

「考えてない。忙しかったんだ」
「ふふ、嘘ですね。……耳が、少し赤くなってる」

ルークの手が、ゆっくりと伸びる。それはキスの時のような熱い接触ではなく、ただ、ディンの指先に自分の指先を重ねるだけの、静かな、けれど逃げられない触れ方。

「一気に全部なんて、望みません。……でも、こうして毎晩、あなたの隣に座って。明日も、明後日も、あなたが僕の存在を当たり前だと思うようになるまで、僕はここに通い続けますからね」

ルークの指が、ディンの節くれだった指の間を、探るようにゆっくりと滑る。恋人同士が指を絡める一歩手前。その少し足りない触れ合いが、かえってディンの鼓動を狂わせる。
ルークは悪戯っぽく笑いながらも、その瞳の奥には深い光を宿していた。ディンは、絡み合おうとする指先を拒むことができない。こうして、一晩ごとに少しずつ、ルークが自分の生活の中に溶けていく。本当はもうルークの存在は当たり前になってきていたが、それを認めるのは癪だった。

「明日は、雨が降るらしい」
「じゃあお店まで迎えに来てもらっちゃおうかな。大きい傘ひとつに三人で入るの、面白そう」

そう言って、ルークはディンの肩に、そっと自分の頭を預けた。まだ深い関係には至らない、けれど、心と体温がじわじわと溶け合っていく、長く甘い夜の始まりだった。




続く