千代里
2026-02-10 06:47:12
7050文字
Public リーブラ短編
 

世界で一番、何よりも


 ヴァレンティオンデー。家族や特別な思いを抱く相手に贈り物をするこの風習の発祥の地はイシュガルドだ。イシュガルドのさる貴族の熱愛が祭りが開かれる発端となる物語なのだから、さもありなんというものである。
 近年は、隣国にもこの祭りを知ってもらおうと、ヴァレンティオンの親善大使がグリダニアで積極的に催し物を開いてもいるが、本場のイシュガルドでもヴァレンティオンの季節は盛り上がりを見せる。
 ヴァレンティオン家の紋章を元に生まれたハート型の真っ赤な飾りが都市のあちこちを彩り、製菓店はここぞとばかりにこの時期限定の特別な菓子を披露する。
 そして、それは冒険者居住区でも同じであった。居住区内に吊るされた真っ赤なハート飾りに促されるようにして、真新しさの残る家々の屋根から、甘い香りの煙が立ち上っている。
 そして、冒険者居住区(エンピレアム)の片端にある小さな家からも、同じように空腹を刺激する香りが漂っていた。
「できた。これで完成」
「サルヒさん、すごいです。まるで魔法で作ったみたいです!」
 冒険者居住区に腰を落ち着けてから、早いものでもう数ヶ月。
 竜の襲撃で瓦礫だらけであった蒼天街の復興もひと段落して、ノエを筆頭としたイシュガルド残留組もヴァレンティオンデーを楽しむくらいの余裕は出てくるようになった。
 今、ノエの家ではお菓子作りの講習会が開かれていた。ノエへの贈り物に手作りのお菓子を用意したいというオデットに、サルヒがケーキの作り方を伝授しているのである。グリダニアにいた頃に基礎は学んでいたので、本日は応用編といったところだ。
「サルヒさんの料理には、旅の途中で何度もお世話になりましたが、サルヒさんのお菓子も絶品ですよね。ヤルマルさんの新築記念で集まったときのお菓子もおいしかったですよ」
「これでも厨房の手伝いをしたことがあるから。たまに、お茶の時間のお菓子も任されていた」
 腰に手をやり、ほんの少しだけ口角を緩めるサルヒ。
 彼らの視線の先にあるのは、真っ白のクリームに包まれたホールケーキだ。ホワイトベリーに色をつけた砂糖の玉飾り――シュガーボールを使い、全体的に淡い色使いとなっている。まるで雪に魔法をかけて、ケーキとして作り替えたようだ。
「兄さん、これ見てください。まるで、本物みたいですよね」
「絵画しかなかったから見様見真似だったけれど、これであってるの?」
「はい。遠くから見たら見分けがつかないくらいそっくりですよ」
 オデットが指さした先にあったのは、ケーキの飾りとして乗せられた、モーグリの飾りだ。大きなマシュマロを使って作られたそれは、本物のモーグリに瓜二つである。ただし、
(胴体部分がないから、あれじゃあ頭だけ並べてあるみたいだな……
 本物のモーグリを見たことがあるノエは、ケーキの外周に並ぶモーグリの飾りに物騒な連想をしてしまったが、オデットたちが喜んでいるので黙っておくことにした。
 早速試作のケーキを切り分けたオデットは、モーグリの頭をフォークで真っ二つにした上で、躊躇いもせずに口に入れている。少女というのは、時に残酷な生き物なのかもしれない。
「ノエも食べてみて」
「ありがとう、サルヒさん。こんなにも綺麗だと、なんだか食べるのが勿体無いですね」
「私も、本番はこれくらい綺麗で美味しいものを用意して見せますね、兄さん」
 意気込むオデットに笑いかけてから、ノエはケーキを頬張る。
 少し控えめの甘さの生クリームに、シュガーボールが異なる食感と甘みを加えてくれる。ホワイトベリーは、優しい甘酸っぱさで口の中を包んでくれた。
 モーグリの飾りにはいささか申し訳なさを抱きながら、フォークを突き立てて、一口で食べてしまう。オデットのように二つに割ったら、夢に出てきそうと思ったからだ。
「そついえば、サルヒさんも、当日はルーシャンさんにケーキを作るんですか?」
「うん。そのつもり……ではあるんだけど」
 ルーシャンとサルヒの間柄は、ノエたちもよく知っている。主人と従者のような体裁を取ってはいるものの、実際は家族のように近しくもあり、冒険の仲間として背中を預け合う深い信頼関係を築き、今ではまるでそれ以上の関係にも見えることがあるほどだ。
 料理上手のサルヒがルーシャンにケーキを作るというのは、いかにも彼ららしい過ごし方と思えるのだが、サルヒは煮え切らない顔をしていた。
「何か心配でもあるんですか? ルーシャンさんはケーキが嫌いでしたっけ」
「たしか、オデットがケーキを作るのを手伝ってもらったあと、ヤルマルさんたちと食べたって話していたよね。なら、ケーキ嫌いということはないだろう」
 まだ一同がグリダニアにいた頃、オデットはルーシャンからケーキ作りを教えてもらっていた。基礎の基礎だけではあったが何事も効率よくこなす彼の技は、今回のケーキ作りにも役立ちそうだ。
 閑話休題。
 ともあれ、その時にできた完成品の一つをルーシャンは自分たちで食べると言っていたので、ケーキが嫌いというわけではないのだろう。
「旦那様は、昔から私の作ったケーキをよく食べてくれた。ヴァレンティオンや星芒祭の時期は、私に作ってほしいと頼んだこともあったし、私も新しいレシピを教えてもらって、試作品を旦那様に食べてもらっていた」
 ならば、何が一体問題なのか。オデットとノエが不思議そうにしていると、
「でも、また今回もその繰り返しになってしまうのは……なんだか、その」
 元々控えめなサルヒの声が、さらに小さくなっていく。切り分けたケーキを意味もなくフォークでつつきまくるせいで、ケーキはどんどん細かく崩れていく。
「せっかくのヴァレンティオンなのに……ケーキを渡して、それでいつものようにおしまいってするのは……なんだか、物足りない気がした」
 蚊が鳴くような声ではあったが、無音の室内には彼女の声はしっかりと響いた。
 オデットもノエも再度顔を見合わせ、
「つまり、ルーシャンさんともっと特別な一日を過ごしたい、ということですか?」
 オデットの直球な質問に、ついにサルヒはケーキを粉の山にしてしまった。さらさらの雪のようになったそれを、オデットが皿ごとそっと回収する。
「旦那様は、前々から私に親切にしてくれている。この前の件も深く反省して、私のことも気遣ってくれている。でも……
 サルヒの言葉に嘘はない。だが、それは、彼女の感じる小さな不満の面でも、嘘はないということでもある。
「サルヒさんは、せっかくのヴァレンティオンなら、普段とは違う時間が欲しいのですね」
 サルヒより一回りは年下であるというのに、オデットはまるで年老いた賢者のように腕を組み、うむうむと頷いてみせる。
 俯いてしまったサルヒは、かろうじて首を縦に振っていた。
「わかります。わたしも、そういうものが欲しいと常日頃から思っていますから」
……オデット、僕がここにいるって気がついてるのかな)
 サルヒと手を取り、乙女と乙女の空間を築き上げているオデット。相手を思いやる彼女たちの姿は何とも心温まる光景だが、ノエは自分の存在がこの空気をぶち壊しにしないよう、極力息を潜めなければならなかった。
「いつもと同じで満足できないなら、サルヒさんがいつもと違うことをすれば良いのではないでしょうか」
「それは、ケーキを作ること以外で?」
「はい。たとえば、他にも贈り物をするというのもいいと思います」
「でも、もうあまり時間がないから、そんなに複雑なものは送れない。それに、贈り物を増やしても、旦那様はやっぱりいつも通りだと思ってしまいそう」
 ルーシャンにとって、サルヒからの贈り物というのはわりかしありふれた行事の一つと化している。
 何せ、十年以上共にいたのだ。プレゼントの一つや二つは、もはや珍しくもなんともない。
「それなら、いつもは伝えていない思いを言葉にして届ける、というのはどうでしょう」
「言葉?」
「わたしの知り合いの、クパムさんという方が言っていました。愛の伝道師のご友人曰く、愛を伝えるにはやはり自らの言葉が一番であると!」
 いつのまにかモーグリが妙な知識をオデットに与えていることに、ノエは軽い頭痛を覚えかける。
 だが、普段から控えめな言葉しか発しないサルヒには、オデットのアイデアは画期的なものに思えたらしい。
「旦那様への私の気持ちを、言葉に……
「メッセージカードでもいいと思いますが、せっかく近くにいるんですし、直接お話しするのが良いと思います」
「うん。それは、私もそう思う」
 むしろ、メッセージカードをまじまじと見られる時間ができる方が恥ずかしくてたまらない。
 どうやらケーキと共に特別なメッセージを考えて伝える、という方向で乙女たちの話がまとまっていくのを、ノエは横目で見守りつつ、
……いつもと違うことがしたいのなら、気持ちを言葉に伝える以外でも方法はあると思うんだけどな)
 そういうところが乙女心が分かってないって言うんだぞ、と遥か遠方の黒衣森にいるヴィエラ族の麗人に、したり顔で小突かれたような気がしたノエなのであった。
 
 ***
 
「旦那様。お茶の時間にしませんか」
 きたるヴァレンティオンデーの日、サルヒの考えうる限り最上の状況を用意した。
 外の寒さを退けるために、赤々と燃え盛る暖炉。ぴかぴかに磨かれたテーブルには、奮発して買った高級茶葉が抽出したとっておきの紅茶が、これまた上等なティーセットに注がれて並んでいる。
 室内は念入りに掃除したうえに、椅子のクッションはしっかり叩いて膨らませておいた。かつてルーシャンが暮らしていた貴族の屋敷とは比べ物にならないが、あたたかく居心地の良い空間を完璧に整えたという自負はある。
 そして、その気構えはルーシャンにも伝わったようだ。
「今日は随分と気合が入ってるな、サルヒ。何かの記念日だったか?」
「ヴァレンティオンデーです、旦那様。オデットも、きっと今頃ノエにケーキを振る舞っている頃かと」
「ああ、そういえばそんな時期だったな。ってことは、今回も用意してくれたのか?」
 ヴァレンティオンデーにサルヒが甘味を用意するのは、一度や二度ではない。わざわざお茶の時間にしたいと提案してきたことからも、サルヒが次に何を運んでくるかは容易に想像できた。
「はい。今回は甘さ控えめのチョコレートを使ったケーキにしてみました」
 説明をしながら、サルヒはキッチンに置いていたケーキを運ぶ。
 寒冷化の厳しいイシュガルドでは果物や木の実の類はなかなか入手が厳しいのだが、今回は奮発してナッツをふんだんに練り込んだ。
 ケーキの上にマジパンで作ったのは、最近若者の間で流行っているポックルなる生き物だ。緑の丸っこい愛嬌がある姿は、チョコレートケーキの色合いによく映えている。
 その拘りの出来栄えに、ルーシャンも目を丸くしていた。
「お前、そのうちどこぞの貴族のお抱えシェフになれるぞ。女の製菓職人は、パティシエールって言うんだったか」
「私は、旦那様以外のお抱えになるつもりはありません」
「うれしいこと言ってくれるね。そんじゃまあ、ありがたくいただくとしようか」
 もてなされるばかりは落ち着かないのか、それとなく椅子を引き、ティーセットの位置を整えるルーシャン。彼のささやかな手助けに軽く頭を下げてから、ケーキを配膳するサルヒ。
 何気ない、いつものやり取り――その裏で、サルヒの心臓は、いつもの倍近く鼓動を打っていた。
(これで終わりにしたら、いつものヴァレンティオンになってしまう。美味しいお菓子に、ちょっとした会話をする、二人きりの時間。それも悪くはない。……でも)
 かつての自分なら、躊躇ってしまっただろう。父親への執着と仇への復讐に燃える男に、何を言ったところで、ただ自分が傷つくだけだと諦めていたに違いない。
 あるいはもっと幼い頃の自分であっても、やはり身分や年齢の差が気になり、自分なりに賢いと思える結論を出していたことだろう。
 すなわち、今の立場に収まり、何事もなく過ごしていく。それこそが自分の望むことだ、と。
(でも、もう今の私は知っている)
 ルーシャンの長い復讐の旅に終止符が打たれたことを――それだけではない。
 あわや命を落とすかと思うような重傷をサルヒが負った時、彼がどんな言葉を口にしたのかを。どんな顔で、自分を見つめてくれていたかを。
(私はもう少しだけ、欲張っていい)
 こくりと喉を動かす。なかなか腰を下さないサルヒに、ルーシャンが「どうかしたのか」と首を傾げている。
 ケーキが乗っていたお盆を盾のように胸に構え、ゆっくりと深呼吸を一つ。
「旦那様、お伝えしたいことがあります」
 ぱちぱちと瞬きを繰り返す男の顔があまりに普段と変わらなくて、自分ばかりが緊張しているのがなんだかおかしく思え、ふとサルヒの口角が緩む。
 緩んだ口元は、喉の奥から迫り上がっていた言葉を、ぽんと弾き出した。
 
「愛しています。この世界の何よりも」
 
 口にすると、不思議と羞恥は少なかった。
 朝になれば日がのぼり、夜になれば星が出ると言ったかのような、至極当然のことを口にしたような気すらした。
 だが、ルーシャンにとってはそうではなかったらしい。彼は何気なくサルヒを見やった姿勢のまま、一度息を呑んだ。何か言おうと口を開き、開いた先から言葉が不発して意味のない吐息として消えていった。
 数秒を経てようやく口にしたのは、
「サルヒ。……その、悪かっ――
「もう謝罪はたくさんもらっております。なので、『悪かった』も『すまなかった』も不要です」
 先手を打たれて、ルーシャンがぐうと言葉に詰まるのがわかる。普段はあんなに口が達者な彼が弱った姿を見せるのは、サルヒには痛快に思えた。
 とはいえ、別にサルヒは彼をいじめたかったわけではない。困った様子のルーシャンに、サルヒは一礼して、
「私が旦那様に対して思っていることを伝えたかっただけです。今日という日を少しだけ特別にしたくて、いつも思っていることを言わせていただきました」
 これでおしまいにしても、サルヒには何の後悔もなかった。ルーシャンならば、何も聞かなかったかのように今日も明日も隣にいてくれる。そう確信していたからこそ、顔を上げる途中で、
――――
 頭の上に乗った彼の手の感触に、先ほどの告白よりも心が揺れた。
「謝るなって言われたら、他に俺が言えることなんて一つしかなくなっちまうじゃねえか」
 子供の頃のようにわしゃわしゃと撫でるのではなく、まるで宝物を前にして、触れてはならないと戒めたのについ触りたくて手を伸ばしてしまったかのように、彼の指がサルヒの髪の毛のひとふさを撫で、すり抜けていく。
「お前がいないと、俺の世界は壊れちまうらしい。それに気がつくのが遅くなって……悪かった」
……旦那様」
「ああっと、謝るなって話だったのにな。どうにも、癖になっちまってるみたいだ」
 今度は照れ隠しからか、ぽんぽんと軽く頭を撫でられた。子供の時のような触れ方は、緊張していた空気を程よく緩めてくれる。
「まあ、とにかく、だ。俺も、お前に隣にいてほしい。そういう俺の気持ちが、お前の言葉と同じ意味だったら嬉しい」
 サルヒのように直球ではなく、曲がり角をいくつも抜けた先に飛び出たような言葉。
 だが、それがこの小器用に見えて実は存外不器用な男の精一杯の告白なのだと、サルヒには何を言わずとも伝わっていた。
 遅れて、サルヒの胸の奥がじんと暖かなもので満ちていく。溢れ出る感情を抑えるためにも、お盆にヒビが入りそうなほど強く抱きしめていると、
「さあ、せっかくの紅茶が冷めちまう。この茶葉、貴族御用達のやつだろ」
「はい。今日はとても奮発しましたから」
 場面を切り替えるように、ルーシャンは普段と同じ声音でサルヒに着席を促す。もう少し特別な瞬間に浸っていたくもあったが、これ以上はサルヒも限界だ。
 早速フォークでケーキの端を切り崩し、ルーシャンの口の中にサルヒの渾身の作品が消えていく。
「おいしいでしょうか」
「ああ。前より腕が上がったんじゃないか」
「ノエの家の厨房を借りて練習しましたから」
「そうなると、お嬢ちゃんも今頃ノエとお茶会ってところか。いやあ、青春だなあ」
 そんな風に揶揄う男の耳の端が、いつもより少し赤いことをサルヒは見なかったふりをすることにした。代わりに、ルーシャンの正面に座った彼女は、目の前の男をじっと見つめる。
「どうした? そんなに見られたら穴が空いちまうぞ」
「旦那様を見つめているだけで、なんだかお腹がいっぱいになると思っていたのです」
 心に湧き上がる言葉を、今日ばかりは遠慮なく言葉にする。わざとらしく咳払いをして、紅茶を飲んでいる姿も今はしっかりと目に焼き付けておく。
 それからも、何やら落ち着かない様子のルーシャンをたっぷり眺めてから、サルヒはようやく紅茶に口をつけた。
 少し冷めてしまったその味も、サルヒにとっては、特別を求めて一歩踏み出した自分を祝う極上の美酒のように感じられたのだった。