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よるうみはる。
2026-02-10 00:01:15
2702文字
Public
原作軸
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食卓。
オムライスを作る叶黎明の話。
リクエストありがとうございます~!
獅子神敬一にとって、キッチンは聖域に近い。
そもそも、キッチンに立つのは常に獅子神の方であり、それ以外の他人が足を踏み入れることは殆どなかった。機会があるとするならば、せいぜい冷蔵庫の中身を漁るタイミングくらいだろう。ゆえに、獅子神が作業台のあるカウンターではなく、スツールに腰かけて他人の作業を見つめているというのは、なんとも珍しい光景であった。
「お昼ご飯はね、オレが作ってあげる」と突然何を思ったのか、獅子神の恋人である叶黎明がそう言いだした。常にこれがいいあれがいいと獅子神に食事のリクエストをしてくる男が、だ。
かくや、天変地異の前触れではないだろうかと獅子神が思うのも不思議ではないだろう。「青天の霹靂ってこういうことか?」思わず口に出た言葉に叶が、目を吊り上げて来たが特になにかを言うことは無かった。
レイメイグッズで新しく出すのだと取り出したエプロンを着け、いそいそと準備を始める背中を獅子神はスツールの上から懐疑的な目で見つめる。
「
……
おい、叶。本当に大丈夫なんだろうな。火事出すなよ」
「失礼だなあ。オレだってやればできるんだよ。敬一くんにいつも美味しいもの食べさせてもらってるから、そのお返し。愛の証だと思ってよ」
「
……
お返しなんて頼んでねえよ。そもそもおまえ、包丁握るのいつぶりだ」
「さあ? 記憶にないくらい前かなあ」
なんとも危うい発言に、獅子神は顔をしかめた。流石にキッチンが壊れるようなことは無いと思っているが、フライパンのひとつやふたつは駄目になるかもしれないということがよぎる。
叶が器用な男であることは知っているが、それはいわば自分が興味のあるものだけだ。そもそも、この男はケーキ作りをしたいとか言い出した挙句に、バターをレンチンで焦がすような奴である。一体何を作る気でいるのかと、獅子神の心配は止まらない。
いやもういい、この際だ。ダメにされたものはこの男に買ってもらえばいいのだ。獅子神が渡した五億は恐らくまだ手元にあるだろうし、それを使ってでもいいから買い替えさせようという、十割方キッチンが駄目になる方向に考えていた。
「なー! 冷蔵庫の中のって何でも使っていい?」
冷蔵庫に顔を突っ込みながら、叶が尋ねる。
「あ?
……
あー、バットの中と容器に入ってんのは作り置きとか下準備。それ以外はいいぞ」
「りょーかい。じゃあ、これとこれと
……
」
叶は鼻歌交じりに卵と鶏肉、それに玉ねぎを取り出した。ここまでじゃまだ何か分からない。親子丼にでもするつもりかと思っていると更にピーマンが追加される。「にんじんは、いっか」と野菜が嫌いな男はオレンジのそれを冷蔵庫に戻す。肘をつき、男の手の先を見つめる。一体どんな調理をしてくれるのか、危なっかしい手つきにハラハラとしながらも、叶は玉ねぎの皮を剥き、まな板の上でトン、と半分に切り落とす。まあ、そこまで包丁の扱いは悪くないようだ。
冷蔵庫から出したならさっさと切ってしまわないと玉ねぎは目が痛くなる。案の定、叶の体温で温められた玉ねぎは目に攻撃を始めてきたようで、叶が「目、いってぇ」と嘆いている。ぼろりと涙を零す顔のいい男は、そこだけ切り取ればなんだか物憂げな青年にも見える。
思わず「切ろうか?」と声を掛けようとしてやめた。叶が作ると言っているので任せてみよう。ピーマンの時点でなんとなく察したが、恐らく今から作るのはオムライスだろうか。それとも焼き飯的な? どっちにしろ、すべて混ぜたら味なんて大抵どうにでもなるし、叶いわく愛の証だと言うのならば獅子神にとってそれは美味い料理に違いないのだ。
――
不意に、換気扇の回る規則的な音を聞きながら、獅子神は深い記憶の底を覗いた。
自分以外の人間がキッチンの主となり、自分のために何かを拵えている。その非日常的な光景が、かつての「家」と呼ぶには寒々しかった場所を思い出させた。母親が稀に、それこそ数カ月に一度の気まぐれのようにキッチンに立つことがあった。男と上手くいっていたのか、あるいは単なる感傷だったのかは分からない。差し出されるのは、いつも不格好なオムライスだった。卵は薄くて破れ、中のライスはケチャップが斑な、愛情の欠片を無理やり形にしたような代物。それでも幼い獅子神にとっては、唯一の「温かな食事」の記号として、喉の奥を熱くさせるものだった。今の叶の背中と、あの頃の冷めた記憶が重なる。けれど、決定的に違うのは、今のキッチンには確かな温度と、目の前の男が振りまく馬鹿げたほどの明るさがあることだ。
「
……
できたァ! 敬一くん、見てみて!」
誇らしげな声に顔を上げると、カウンターに皿が置かれた。案の定、オムライスだ。だが、獅子神が作るような完璧な形ではない。卵は一部が焦げ、ライスが脇から少しはみ出している。オムライスというよりも、卵が乗ったライスだ。それでもケチャップで「けいいちくん♡」と書いてある字に関しては、獅子神より上手いかもしれない。こういうエンタメに関しては、叶黎明はやはり秀でているのだろう。メイド喫茶だったか執事喫茶だったか、そういうところで働けば忽ち人気者になれそうだと獅子神は思った。
「ほら、食べてみてよ」
差し出されたそれをスプーンで掬う。ケチャップの味が濃くて、少しだけ苦い。けれど、かつての孤独な味とはまるで違っていた。咀嚼し、飲み込むまでの間、叶は実に楽しそうに目を細めてこちらを見ている。
「
……
ん」
「ね、オレの愛情、美味しい?」
「
……
うるせえよ。とんでもなく濃い愛情だな」
味付けに則して返せば、叶はくふんとため息のような笑みをついた。そうしてカウンター越しに獅子神の頬へと手のひらで包み込む。「しっかり食べて、飲み込めよ」支配者のような言葉に、獅子神はぱちりとまばたきをする。そんな風に言われずとも、すべて平らげるつもりだ。
「
――
お前からの愛情なんだろ?」獅子神は、じっと見つめ返す。あの頃の自分にそんなものを与えてくれる人間はいなかったけれど、今獅子神の目の前には、自分だけのものがあった。「誰にも渡してやらねえよ」
獅子神の言葉に満足したのか、叶は頬から手を離す。獅子神は再びスプーンを動かした。
不揃いな具材も、焼きすぎた卵も、すべてが叶という男そのものであるように思えてくる。獅子神は無言で、けれど確かな充足感と共に、その不格好な「愛」を最後の一粒まで飲み下すと、叶は満足そうに獅子神にデザート代わりだとでも言うように、エナジードリンク味のくちびるを重ねたのだった。
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