ながひさありか
2026-02-09 08:30:00
5409文字
Public STR-Phaidei
 

君を葬る

108642回後、カスライナがモーディスを火葬する話。
永劫回帰やオンパロスの葬儀について独自解釈が過分に含まれています。また、葬儀については、古代ギリシャの葬儀を参考にWhat the Ripple Seesのアニメから独自解釈をしています。

 十万八千六百四十二回目の永劫回帰の終わりが見えた。
 ——静かだ。
 さっきまで煩く頭の中と視界と聴覚を苛んでいたノイズも今はなく、ただ静かで冷たい死の気配が辺りに満ちている。松明が燃え、時折火花の爆ぜる音が風に乗って耳に届く以外は、生命の気配はどこにはない。
 鼻先に纏わりつく血臭が不快で鼻を擦るが、より一層死の濃くなるばかりだった。長く重い息を吐く。
 クレムノス兵の屍がそこら中に散らばっているその先、円形闘技場の真ん中で、彼らの最後の王たる男が死んでいる。最も偉大な征服者、最も偉大な守護者、最も強き者。かの瀕死の獅子、国なしの君主、メデイモス。僕を今も救世主と呼び、どの輪廻でも肩を並べ、そうして、最後には僕に殺される同胞。こうして、最後のクレムノス祭典は幕を下ろした。
 百三十四回目の輪廻で、かつての仲間の犠牲を回避するのは無理だと悟った。今ではもう殆ど作業のように、彼らからなるべく早く火種を奪うことを考えている。痛みや苦しみを長引かせないことが僕にできる最大の情だと思っているからだ。——いや、そう思い込むことで自分を正当化している。どんな言い訳を口にしようと、僕のしていることはただの虐殺で、彼らの尊い意志も何もかも踏み躙っている。対話をすることはもうとっくに諦めている。けれど、それでも歩みを止めていないのは、彼らが僕に黎明になれ、とどの輪廻でも背中を押してくれているからだ。僕の意思でこの永劫回帰を止めることはできない。止めてしまえば、彼らの未来を僕が永遠に奪ってしまうことになるからだ。
 対話を諦めている、と自分にずっと言い聞かせていた。だけど、今世のモーディスは「まだ憐情が残っている」と鋭く、僕が心の奥底で抱えているものを正確に読み取った。十万回を越えて輪廻を繰り返す僕とは違い、モーディスにとってはこの輪廻がはじめての人生だと言うのに。君のそういう所が、僕は本当に大嫌いだ 愛おしい
 今世でメデイモスが「ファイノン」に弱点を教えたのを見て、唐突に耐えがたい感情が沸き上がった。それが今回、クレムノスに残る兵たちを皆殺しにしてしまった理由だろう。いつもであれば、彼と決闘をして、彼の臣下たちにはなるべく手を出さないようにしていた。彼がそれを望まないことをよく知っていたからだ。だけど、今回はそれができなかった。十万回を超えても尚、君の揺らがない「僕」への信頼が苦しい。ただの一度も、君の信頼を得られなかったことがない。それが苦しい。その信頼は僕の胸に祝福のようにあたたかな火をもたらすのと同時に、じりじりとこの身を確実に焦がして行く。君がクレムノスの継承者として僕の前に現れるたびに、燃え尽きた筈の体が更に燃焼し、悲鳴を上げるのがわかる。今の僕は、君の信頼に値しない男だとわかっているからだ。
 メデイモス、どうかもう、僕を信じないでくれ。祈らないでくれ。君の信頼はあたたかで力強く、いつだって僕にとって心地良さと誇らしさを与えてくれるものだった。例えどれほど語気が強かろうが、「尊敬に値する好敵手だ」なんて言われてしまえば、どうしようもなく舞い上がってしまうに決まっている。
 君にだけはやっぱり僕を信じていて欲しい。僕は望んで君たちを、君を殺しているわけじゃない。仕方がないんだ、やりたいわけがないだろ? なぁ、君ならそれをわかってくれる筈だ。君にだけはそれをどうしても疑って欲しくないんだ。
 僕はこの世を救うために繰り返しているのではなく、この世を終わらせないために、終わりのない地獄を延々と繰り返している。西風の果てにはたどり着けないのだ。辿り着こうとするには、変数が足りない。
 クレムノスで王たる君を護ろうと立ち塞がる誰もが憎かった。誰も僕に傷を負わせられないことを分かっているだろうに、それでも立ち向かってくる勇敢さと君への信仰心が憎かった。それは本来、僕が担うべきものだからだ。
 残る火種は紛争ただ一つ。ふらふらと立ち上がり、伏した体へ近づく。黄金の血が広がる中に膝をつき、剝き出しの肩へ触れた。まだ温かい。きっと、モーディスの体内にまだ火種が残っているからだろう。
 君を不死の呪いから解放したい。それができるのは、この世で僕だけだ。
 そう、傲慢にも感じている。十万八千六百四十二回もの回数、僕は確かに君を救ってきたのだと言い聞かせているけれど、それがまやかしだと言うことは当然理解している。
 彼の死体を見下ろし、僕はなにも感じていない、痛みもなにもない、と自分に必死に言い聞かせていた。この苦しみを失ってしまえば人間性を失うことになると彼に言ったくせに、頭ではその逆を考えいている。彼を殺してももう、僕はなにも感じていないと信じなければ耐えられそうにないからだ。十万八千六百四十二回君を刺し貫いたのに、まだどうしようもなく苦しい。君の血の熱さも、倒れ伏した体の冷たさも、もう目を閉じていてもありありと思い浮かべられるのに、それでもまだ、どうしようもなく苦しい。
 ノイズの落ち着いた視界が再び明滅し、心臓が体の内側から僕を引き裂くかのように暴れて息が切れる。黄金の血で濡れたヘリオスを持つ手が震え、握っていられなくなる。剣を落とすのと同時に、地に膝と両手を付く。体は震えているのに、目の奥も熱くて痛くてどうしようもないのに、嗚咽が喉から洩れても、瞳からはなにも落ちてこなかった。僕にはもう、涙を流す資格がないからだろう。
 地に伏したモーディスの、最後の言葉が耳を離れない。
 ――常勝を祈る、『救世主』。
 徒労感に溜息が落ちた。彼はいつだってこうだ。言葉は違えど、いつも最後には僕の勝利を祈ってくれる。その信頼が歩みを止めたがる足を進め、重い体を引きずらせている。
 来世があるなら伝えろ、と今回の君は言った。だけど来世なんてないんだ。僕は、僕たちは最初に戻って繰り返しているだけなのだから。創世の渦心で「ファイノン」を殺して巻き戻るたび、桟橋で君のことを考えている。十万を超える輪廻でただの一度の例外もないけれど、今度も、必ず君が生まれて、必ず僕の前に立ち塞がってくれますように、と。
 紛争の火種を取り込むと、今まで以上の熱を体の内側に感じた。じくじくと体内が焼け焦げ、眼球から水分が蒸発するような感覚がする。吐く息の熱さにふらつきながら、半分ほど開いていたモーディスの瞼を下ろさせた。口許に微かに笑みを浮かべたまま目を閉じているその姿に、再び、彼の祈りの言葉が脳裏に蘇った。
『次の輪廻があるのなら……その時も、必ずお前の前に立ちはだかってみせよう……。常勝を祈る、「救世主」』
 肺に溜まっていた息を吐き、火の爆ぜる音に耳を澄ませる。頭の中で十秒数えると、モーディスの死体を抱え上げ、死に満ちたクレムノスの内城を歩む。かつて、城内に人々が溢れていた様子を見に訪れ、何も知らないふりをして、クレムノスの文化や歴史を人々から聞いたこともあった。彼らの王子がどれだけ人々に愛され、敬われ、偉大な王になるだろうと望まれていたことを知っている。酒は体に悪いからと健康志向で、宴で飲む酒の量を制限されたと僕に愚痴を言ってきたり、メーレに羊乳をいれてピンク色にしてしまうのがおかしいと、親しみをもって笑って教えてくれた戦士のことも知っている。そうして、彼が彼の民から深く愛されていたことも僕は良く知っている。彼の愛する人、文化、国、守りたいもの、そして彼自身。その全てを僕はもう十分に知っている筈だった。
 輪廻を繰り返す度に、仲間とモーディスのことを深く知ってしまう。そうして積み上げた愛するべきものを、僕はいつだってこうして、粉々に壊してしまうことになる。彼らのことをもう知りたくない。知れば知っただけ、彼らから火種を生命を奪うのが辛くなる。苦しい。もっと感情を捨てて、機械的に歩めればどれほどいいだろう。けれど、そうして人間性を失ってしまうのも恐ろしい。全てを諦めてしまった僕が、失った彼らを取り戻したいがために、こうして永遠に輪廻を繰り返せるのかはわからないからだ。
 玉座にモーディスを座らせると、一人、城中に残る松明や薪をかき集め、闘技場で井桁に組んだ。それから何度も踏み荒らし、燃やし、蹂躙したゴルゴー大図書館に足を踏み入れ、モーディスが何度も読んでいた本を探す。クレムノスの城中を歩き回り、槍と盾、宝飾品が残っていないかと探す。彼のために誂えられた装束を集め、食糧庫に残っていたザクロやブドウやリンゴを集める。荒廃したクレムノスの傍になにか花がないかと散々歩き回り、ようやく、赤と白の花を見つけ出した。殆ど花は枯れていて、花冠を編むのも難しい。蔓と草を巻き付けてどうにか花冠にし、それを闘技場へと持ち帰った。
 静かだった。
 まるで眠っているかのようなモーディスを玉座から抱え上げ、闘技場へとゆっくりと戻る。
 ぱちぱちと火の爆ぜる音を聞きながら、残っていた薪や材木で組んだた木の上にクレムノス様式の布を敷き、その上にモーディスを寝かせ、彼の装飾品や本や果物や武器を並べる。乱れた髪や衣服を丁寧に直して、不格好な花冠を被せた。少しだけ残っていた香油でモーディスの髪を撫でつけると、本当に、眠っているだけのように見えた。
 指先を少し切り、黄金の血で彼の額を撫でる。黄金の光が、君を迷いなく冥界へと導いてくれますように。装飾品や食事や本は、冥府でも君が生活に困らないためだ。人々に愛されて、輪廻を繰り返すまでの束の間を、心安らかに過ごせますように。そう、心の中で祈った。
 震える指先で冷たい頬に触れ、そっと口付を落とす。くすぐったそうに、「やめろ」とかつて優しく僕の手を掴んだモーディスと違い、当たり前に彼は動かず、目を閉じたままだった。
……僕が君に伝えたことはなかったけれど、君ってやっぱり花が似合うよな」
 もしかしたら「ファイノン」はそんなことをどこかで君に言ったかもしれなかったけれど、僕はしなかった。君は嫌がっただろうか。それとも、戦士が花を贈られるのは当然だと偉そうに腕を組み、ふんぞり返ったかもしれない。変なところで天然だから「いや、君を挑発してるわけじゃなく、愛してるって言ったつもりなんだけど……」と説明させられこともあったっけ。
……………………
 血で汚れた体を、川で洗ってあげればよかったかもしれない。金色に濡れた頬を撫でて考えたけれど、その姿が綺麗で、これ以上僕が君に触れてはいけないような気がした。
 苦しい。心臓が潰れてしまったのか、さっきからずっと、唸るような声で喉から零れていた。
 こんな無駄なことをしてなんの意味がある? 彼の体を火で浄化しようとしまいと、どうせこの世は巻き戻って、また同じようで少し違う輪廻が始まるだけだった。タナトスに祈ったって無駄だ。タナトスを殺したのも僕だ。暗澹たる手は既に何百年も前に僕の手に成り代わり、人々をこうして殺し続けている。祈りに意味がないことはわかっている。この世が来世を迎えることはないのだから、モーディスの魂が正しく輪廻の輪に戻れるようにと願って、火によって彼を浄化する必要はない。
「それでも、」
 大きく息を吸って、吐く。
 燃え盛る松明を次々と焚火に押し込み、彼が燃え上がる姿をじっと見つめた。
『魂の抜けてしまった体には穢れが残るから、火で浄化してあげなくちゃいけないのよ。そうしないと、来世で魂が戻って来られないから』
 幼い頃、村で母さんが教えてくれた言葉が脳裏に蘇る。燃え盛る木組みが内側に崩れ落ち、モーディスの体が炎に包まれ、骨と灰になって行く。美しく眩しい、熱い炎をじっと見つめていると、顔の皮膚や眼球が灼けて行く感覚があった。近くにいすぎているのはわかったが、目を反らすことも、離れることもできなかった。君がきちんと燃えてしまうのをこの目で見ておかないと、不安でしょうがないんだ。
「僕のせいで君が、次の輪廻で生まれて来れなかったら困るんだ……
 轟音を立てて、焚火が完全に崩れ落ちる。彼の美しい髪も体も、綺麗に燃え尽きるだろうか。いや、残っていれば再び火を灯すだけだから、やっぱり、最後まで見届けなくちゃいけない。

 そうして何時間が経っただろう。ともかく、彼の体はとうとう燃えつきて、しっかりした骨と灰だけになってしまった。これが最後の吐息であればどれほどよかっただろう。重苦しく、疲弊に満ちた息を吐き、彼の骨と灰をかき集め、甕に丁寧にしまった。
 こんなことをしても意味はない。それはわかっているのに、王家の墓に足を踏み入れ、そこに墓標を立てておく。
「君は墓を作っても意味がないって笑うかな」
 僕がこうして君を葬ったことは、巻き戻ればすべて消えてしまう。何一つとして意味のない行動だ。それはわかっている。こんなことに意味はない。ただの自己満足で、モーディスが望むわけもない。
 それでも、王たる彼が葬儀のひとつもあげてもらえないなんて、たとえそれが僕のせいだとしてもどうしても許せなかった。
…………さようなら、メデイモス」
 どうか次の輪廻でも、必ず僕の前に立ちはだかってくれ。
 お願いだから。



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