AZUMA Tomo
2026-02-09 01:04:36
2984文字
Public 年上組(CPモノ含む)
 

テセウスの船

邑神さん、東雲祥貴のお見舞いに来る

「東雲さん、お客様ですよ」

 ――ああ、有奇くん来てくれたんだね、ありがとう。こんな風になってしまうとろくにもてなしもできなくてね。すまない。戸棚にティーバッグだが紅茶もあるから、ぜひ自由に飲んでくれ。君にも随分心配をかけたと聞いているよ……君が僕のことを心配しないわけがないよね。申し訳ない。
 とりあえず座っておくれよ、そんなところに突っ立っていないで。
 見た目はひどいかもしれないが一週間も経たずにリハビリが開始できるそうだよ。アヴェくんのお知り合いの外科医を紹介していただけてね。ああ、流石のアヴェくんも神経を繋ぐというのは大きな施設でないと無理だと判断したらしい。本格的な手術は明後日なんだ。
 ……痛み? ないといえば嘘になるね。鎮痛剤を処方してもらっているが……薬が切れたタイミングが辛いね。痛みには強い方だと自負していたけど、そんな自信はこの怪我の前では無意味だと思える。経験しないと分からないものはたくさんあるね。痛みに苦しめられて眠れない日々がまだ続くのかと思うとげんなりする……ねえ、そんな顔しないでよ。明後日には手術で一週間以内にはリハビリなんだ。そこまで悲観することじゃない。僕の資料を元に見た目はほとんど変わらないように手術をしてもらえるらしい。擬似の皮膚やら器官やら……なかなかに代金はかかってしまうが僕の細胞を元に一から生成するのはやはり時間がかかってしまうからね。
 ねえ、泣かないでよ……僕は本当は死んでいたかもしれないんだ。命があれば、いくらでも道を切り拓いていける。僕は僕を諦めていないよ。そう言う意味では千葉くんには感謝だね。彼が僕を引き寄せてくれてなければ確実に死んでいた。でも……彼もとても落ち込んでいたね。心を見せないようにするクセに身内が傷ついた途端に動揺をしてしまう。そこが彼の美徳であり弱点だね……いや、敵を懐に入れてしまうような立ち回りをしていなければ、彼をそこまで落ち込ませることもなかっただろうと思うと……すべては僕の慢心が招いた事態なんだ。相手が憎くないわけではないが、僕の未熟さが顕れただけの話だ。だから、千葉くんにも、勿論君にも泣いてほしくなんかないよ。
 え? どうして泣いているのがわかるのかだって? そもそも入口の段階で有奇くんが見舞いに来たのがどうしてわかったのか?
 君、本当に僕の高校からの友人なのかい? 理由はわかるだろう?
 まずは君が見舞いに来たとわかったのは足音だよ。君の歩き方はどこか……所在なさげな、リズムがたまにズレるんだよね。一定の規則で歩いているかと思えばふらりと体重を移動させるから、足音が独特なんだよ。次に君自身の匂いだね。君は洗濯に使っている洗剤の匂いがしっかり香るんだ。他の人に言われたことがない? それこそ、君の知っていることじゃないか。僕は鼻が利くって。
 嗚咽もあげていないのに泣いているのがわかる理由は、そうだな。この部屋が急に暑くなったからかな。そして君の呼吸音。異常なほどに深呼吸を繰り返してこちらに悟らせまいとしているのだろうが、そんな小手先の誤魔化しは僕には通じないよ。深呼吸の合間の空気が震えている。鼻をそっと啜る音もわかったよ。
 ……うん、わかるよ。君はずっと僕が僕であることにこだわりがある人だったよね。それは精神的な話だけでなく、僕の容姿にも及ぶほどの偏執さとも言える。辛辣だって? 辛辣なわけがないじゃないか。事実だろう。でも、有奇くん。先程も言ったがほとんど同じ見た目に戻してもらえるんだ。慣れるまでに時間はかかるかもしれないが、誰が見ても僕だと言ってもらえるほどの治療をしてもらえると、僕はこの病院のお医者様を信用しているよ。なにせアヴェくんの紹介だからね。
 千葉くんのおかげで脳が無事だったのが奇跡なくらいさ。両目近辺はざっくりと……眼球ごと持って行かれてしまったけどね。脳さえ無事ならあとは脳神経外科と眼科の医者がなんとかしてくれる。医学の発展に感謝さ。左右の穴に埋め込むサイバーウェアは上手く訓練をすれば僕のナノマシンデバイスの能力を強化できるかもしれないらしい。なんとも夢のある話だと思わないかい?
 ――君がいれば、僕は目を失わなかったとでも思っているのかな。思う通りになることの方が少ないよ。人生は理不尽ばかりで、理不尽を受け入れるところから始まるんだ。勝手に産み落とされ、勝手に容姿と能力を割り振られ、勝手に役割を押し付けられる。でもそれを一旦受け入れてそれに従うのかそれに如何に抗うのか。それを選択できるのが人間だろう? 君がいてもいなくても、僕は……ふふっ、『目』だけに……このような目に遭っていたかもしれないし、むしろ君がいなくてよかったとすら思っているよ。君は僕を守れなかったことを『永遠に』悔やみ続け、死ぬまで負い目を感じ続けていたかもしれない。そうならなくてよかったと、不幸中の幸いだったと思っている。
 君は随分と僕の容姿や心を買ってくれているけれど……多分、この瞳がサイバーウェアに切り替わったところで、君が僕に感じていた思いは変わらないよ。
 ――僕の美徳を信じてくれ。僕は僕の心が目指したい世界を見据えている限り、君が感じている僕の美しさが揺らぐことはない。むしろ今までよりも格好良い僕が生まれるかもしれないよ。

……わかっている。わかって、いるんだ。そんなことは……
 灰色の髪の前髪を重く切り揃えた男は、ベッドの隣に置かれていた椅子に座って止めどなく涙を流し続けていた。柔らかな色の金髪の大男がベッドボードに背を凭れさせている。彼の顔面は目のあったらしい付近で組織保護用のジェルパッドに仮面のように覆われ、さらにそれを支えるようにバンドと包帯が頭部をぐるぐると覆っていた。
 灰の髪の男はメガネを外して流れ続ける涙を拭っていたが、拭えば拭うほど内側から水分が目の表面へ溢れてくる。目の前の男は泣くことすら今はできないのに怪我をしていない自分は泣き続けている。その状況が情けなく、恥ずかしく、悔しく……この傷を与えた敵を心の底から殺してやりたいと感じるのだった。
 ――自分の大切なものを、よくも。
 目の前の男が、己の目を失うことに抵抗がないわけがない。それであるのに前向きなことばかり言う。怪我人に気遣われているのも悔しかった。
「お前の……繊細な色の瞳を……愛していた」
……そうだね。僕も僕の目を結構気に入っていたよ」
「天から与えられたものの中で……こんなに美しいものがあるのかと思うほどだった」
「大袈裟だなあ……
「普段から大袈裟な物言いをするお前さんに言われたくないぞ……東雲祥貴」
「ふふ……僕の話し方が移ってしまったかな?」

――……東雲祥貴……
「なにかな」
……生きていてくれて、よかった……

 そこまで冷静に、時には冗談を交えて明るく話していた東雲祥貴の喉が微かに震えるのを男は目撃した。声をあげて泣く予兆。それに似たようなものを男は感じた。しかし。

……はは……そうだね。生きて、君に再会できてよかったよ……
 泣くための機構が今はない柔らかい髪の麗しい光を放つ男は、乾いた笑いを主に、しかし実感を滲ませた言葉を病室に響かせた。