「そこで、オレは彼女に言ったんだよ! 『見ていてください、あなたの指導の成果を!』ってな。それから、こう、オレは刀を抜いて、ずばーっと!」
芝居小屋の役者も顔負けの声を張り上げながら、ヒョウセツは刀を抜く真似をしてみせる。
思い返すのは、数ヶ月前にユキハネから指導を受けていたときの一幕だ。魔物を前にしても落ち着いて武器を構え、斬りつけられるようになった瞬間の再演をしていたのである。
だが、今彼が立つのはエオルゼアの地ではない。地元でもあるクガネ――その端にある小さな剣術道場が、彼の名演技の舞台である。
鍛錬の時間は既に終わっており、残っているのは小さな子供たちばかりだ。家に帰って手伝いをするのが嫌な彼らは、道場からはなかなか離れず、今はヒョウセツの話に角を傾けている。
「ヒョウセツ兄、すげー!」
「ねえねえ、ほんとに西の魔物をやっつけたの?」
「えー、どうせネズミとかでしょ」
「そんなちっぽけなやつじゃないぞ! こーんな大きさの狼だったんだから!」
ヒョウセツの示した大きさは、実際はかなり誇張が入っていたが、狼――ジャッカルが相手だったのは間違いではない。
ユキハネの厳しい鍛錬の末、エオルゼアを離れる頃にはジャッカルを相手にしても腰が引かない程度には、ヒョウセツは魔物との戦闘に慣れていた。
ヒョウセツの自信の鼻っ柱を折ったグゥーブーとの再戦は叶わなかったが、次があれば必ず勝ってみせると決意できるほどに、自信も回復していた。
「あのさ。その、ヒョウセツ兄に戦い方を教えたユキハネってやつ、ヒョウセツ兄よりもすげーのか?」
「でも、そいつは女なんだろ。小さいのにヒョウセツ兄よりも強いの?」
少年たちの疑問は、当然だった。アウラ族の女性は男性と比べると著しく小柄だ。その分、彼女らのことを少年たちはか弱いと思っている節がある。
「ユキハネは、普通の女の子とは違うんだぞ。彼女は、とーても強い魔道士なんだ」
「まどーし?」
「陰陽士みたいな、炎とか雷を自在に操る人のことだよ」
だが、ヒョウセツの熱弁を聞いても、子供たちの何人かは懐疑の視線を向けていた。
剣を学びに来ている子供たちは、どこかでまじないを唱える術士を馬鹿にしている者もいるのだ。
「まじない使いより、刀の方が強いって皆言ってるぞ。そんなやつに教えてもらうなんて、ヒョウセツ兄だっせー」
「ユキハネは、もっと強い魔物を一撃で倒せるくらいの、手練れの冒険者なんだ! 魔道士だなんだってのは関係なくてだな」
子供相手にヒョウセツが大真面目に言い返そうとして、子供の一人がぱっと逃げ出す。
小さな影が逃げ込んだ先にいたのは、
「どうやら、ずいぶんとそのユキハネという女に執心のようだな。ヒョウセツ」
「……オロシかよ。何の用だよ。家の手伝いが忙しくて、道場には暫く来られないんじゃねえのかよ」
「さいわい、忙しい時期は過ぎたのでな。それに、俺がしているのは貴様のような雑用ではなく、商談だ。手伝いなどという軽い言葉を使われては困る」
ヒョウセツが睨んだ先にいたのは、自分と同年代の青年だ。
黒いクセの多い髪の毛を野性味あふれる形に整えており、その体格はアウラ族の他の男性と比べても、かなりがっしりしている。
本人の言うように、彼の家は絹織物の大店として名高い商家であり、寂れた乾物屋の跡を継いだヒョウセツの父親とは雲泥の差がある。この若さで商談をしているというのも、決して誇張ではないのだろう。
「お前、西方の話なんか興味ないって言ってなかったか?」
「ふん。たしかに、西方かぶれの戯れ言に興味はない。だが、西方の怪しいまじない師に騙された哀れな小僧の話には、少しばかり角を傾けてもいいかと思ったのでな」
「ユキハネは怪しいまじない師じゃない!」
「だが、東方から西方に渡ったきり、戻ろうともしない西方贔屓の女なのだろう。そのくせ、お前のような若造に取り入らねばならないのだから、女としてもぱっとしないのだろうな」
その言葉に合わせて、彼の腰巾着の徒弟たちがケラケラと笑う。
そこには、単なる容貌の卑下だけでなく、ユキハネが娼婦のようにヒョウセツに取り入ったという意味での卑下も混じっていたのだが、あいにくヒョウセツはユキハネの見た目を醜いと言われたと受け取っていた。
「ユキハネは、お前が今まで会ってきたどの女よりも綺麗な人だ! オレが保障する!」
「お前が会った女など、大したものもいなかろうが。今まで会った中で一番綺麗な女が誰かと聞かれて、母親だと言ったそうじゃないか」
「それの何がおかしい!!」
再び、げらげらと徒弟たちの一部が笑う。子供の徒弟の中でも、いくらか年長の者たちは、オロシの指南を受けている。そのため、まるで彼を兄貴分のように慕い、こぞって彼の味方をしていた。
だが、ヒョウセツとて、孤立しているわけではない。
「オロシさん、ヒョウセツ兄に試合で勝てなかったの、まだ根に持ってるんだろ。だっせーの!」
「ヒョウセツ兄に勝てないからって、そうやって悪口ばかり言ってるなんて、かっこわるいぞ!」
「……ヒョウセツ。どうやら、貴様の小さな友人は口の躾がなってないらしいな。俺の元で指導してやってもいいが?」
元々、ヒョウセツはオロシのことをさして気にしてもいなかった。同年代の青年は道場に他にもいたし、家の格の違いもあって、無理に仲良くしようともしていなかった。
だが、運悪くヒョウセツは練習試合でオロシと引き分けてしまった。負け知らずのオロシにとって引き分けすらも許しがたいようで、それ以来、彼は何度もヒョウセツに突っかかるようになった。
ヒョウセツとしては関わりたくない相手であるが、自分の仲間がオロシにこてんぱんにされるのを黙って見ているつもりはない。。
「それなら、オレが相手になってやる」
「ほう。西方の女に骨を抜かれたお前がどれほどの剣となったか、見てやろうか」
「やれるもんならやってみろ! お前の角を真っ二つにしてやる!」
息巻くヒョウセツとオロシを見て、これは本当に刀を抜くことになりかねないと思ったのだろう。大慌てで徒弟たちは年長の師範を呼びだし、駆けつけた彼らにより、ヒョウセツもオロシも岩より硬い拳骨を頂戴する羽目になったのだった。
***
「ヒョウセツ。私がお前を道場にやってるのは、喧嘩をさせるためだっただろうか」
「……武術を身につけるのは、弱きものを守るためです」
今日の分の商いを終え、夜もいささか更けはじめた頃。
ムヒョウに自室に呼び出されたヒョウセツは、開口一番、オロシとの一幕について小言をもらうことになった。
どうやら、道場の師範から父に早速今日の出来事が伝えられたらしい。
ヒョウセツとしても、道場の敷地内で私闘は御法度であることも、武術は人を傷つけるためにあるのではないという教えも知っていた上でのことだったので、今はただ項垂れて猛省の意を示すばかりであった。
「ならば、今日のことを聞いて私がどれほど情けない気持ちとなったのか、お前もわかるだろう」
「でも、それは……オロシのやつが、チビたちを虐めようとしたからで……!」
己が間違っている部分を認めつつも、ヒョウセツとしては自分が全て間違っているとは認めたくない気持ちもあった。
「それに、あいつはユキハネのことを侮辱したんだ! 会ったこともないくせに、ユキハネを馬鹿にして……!」
ヒョウセツはオロシが口にした言葉を再度繰り返す。ムヒョウは、オロシが言外に込めたユキハネの侮辱の意味を悟り、渋面を更に深くした。
「たしかに、オロシ殿の発言は褒められたものではない」
「そうだろう!? だから、オレは」
ヒョウセツは半ば立ち上がりかけたものの、ムヒョウに一瞥されて大人しく座り直した。
二人が膝を突き合わせているムヒョウの自室は、大した調度品もないというのに、不思議と背筋を伸ばしたくなる謹厳な空気に満ちていた。ここにいるときだけは、ヒョウセツも嘗ての父親と相対しているときのような気分になる。まだ刀を持っていた頃の、目に見えない圧力を常に纏っていた頃の父親と。
「他者の名誉を守るため、幼き者の身を守るためというのならば、刀を握ったお前にも理はあっただろう」
「親父もそう思うよな!?」
「だが、それと道場の掟や武術の心構えはまた別だ。もし試合をするのなら、師範であるウンラン殿に許可を取るべきだった。許しを得ずに暴れようとしては、お前の正当性も失われる」
「…………っ、それはそうかもしれねえけど」
ムヒョウの言葉は大人の理屈だ。納得しきれず、ヒョウセツの中で反論の言葉が膨れ上がる。
「でも、もしオレがオロシにああ言わなかったら、チビたちが怪我させられてたかもしれねえ。それくらいなら、オレはやっぱり刀を抜く方を選ぶ!」
「ヒョウセツ!」
「親父の言ってるのは、大人の理屈だ! そうやって掟とか決まりを守ってるだけじゃ、いざという時何もできねえじゃねえか! 親父が襲われたとき、魔物が決まりを守ってくれたのかよ!! 病気で死んだお袋は、決まりを守っていても死んじまったじゃねえか!!」
言いながらも、ヒョウセツの視線はムヒョウの部屋に飾られている刀に向けられていた。
商人となる前、父が刀を持って家を後にする背中を、ヒョウセツは何度も目にしていた。
父に構ってもらえないのは少し寂しかったが、どんな人も守ってみせると噂されるほど強い父が、誇らしくもあった。
だが、母が死んでから、父は刀を置いた。膝を悪くしたからと言っていたが、たかだかそんなことだけで戦いの道から逃げたのをヒョウセツは認め難いと思っていた。
「ユキハネなら……フェリキシーさんなら、オロシがあんなこと言っても、逃げたりはしなかったはずだ」
戦う力を捨てたムヒョウの代わりに、今のヒョウセツの憧れの視線を受け止めているのはユキハネたちだった。
西の冒険者の存在は、ヒョウセツにとって未知への憧れであり、見失っていた『強さ』の象徴でもあった。
ムヒョウは、しばらくヒョウセツをじっと見つめていたが、
「ならば、次に会う時が来たら、二人に問うてみるといい。お前と同じ答えを彼女らが持っているかを」
そこで漸く張り詰めた空気をいくらか緩め、ムヒョウはヒョウセツを見上げる。
「ハタオリ氏たちが見つかったと、手紙は送ったのだろう?」
「あ、ああ。でも、もう何日も経つのに返事は……」
「落ち着きなさい、ヒョウセツ。一通の手紙といえども、それがエオルゼアに届くまでどれほどの時を必要とすると思う?」
ムヒョウに言われて、ヒョウセツは浮かしかけた腰を再度下ろす。唇を尖らせてはいたものの、ムヒョウの言葉が正しいとヒョウセツも理解していた。
「それに、ユキハネ殿が親戚のハタオリ氏たちに会いたいと思うかは、私にもわからない」
「自分の家族なんだぞ。オレがあの人たちに会った時も、ユキハネに会いたいって涙を流しながら話してたじゃないか」
「彼女たちは、小さなユキハネ殿のことを覚えているから、そう言えるのだろう。しかし、ユキハネ殿も同じ気持ちかはわからない。ミィハ殿にもそう言われたのだろう?」
西方で出会ったアイスブルーの髪の青年を思い出し、ヒョウセツは黙るしかなかった。
ミィハのいう通りだとは思いたくないが、父が否定しないということは、家族同士でもいがみ合うような家庭の存在は、底まで珍しくないのだろう。
ユキハネを連れ帰りたいと父に頼んだとき、家族の存在を理由としてあげても首を簡単に縦に振らなかったのは、ムヒョウもミィハと同じことを考えたかららしかった。
「ともあれ、今はユキハネ殿からの返事を待ちなさい。手紙が届いたかを気にするのは、もうしばらく待ってからでも遅くはない」
そうは言われても、ヒョウセツは落ち着きなく尻尾をブンブン振ってしまう。ともすると、父親は一年経っても「待っているように」と言い出すのではと思えた。
年配の父親と若者の自分では、流れる時に対する感覚が違う。その当たり前の感覚がわからぬ若者は、不満げに眉を寄せ、瞼の裏に残る銀鈴の娘の面影を追いかけるばかりだった。
***
ヒョウセツの一念のこもった手紙は、彼の憂いをよそに、無事にユキハネの元に届いていた。それどころか、届いたその日からユキハネの頭の半分は、手紙の事でいっぱいになっていた。
すぐにクガネに向かうとはならなかったものの、フェリキシーを筆頭に、ケイもミィハも彼女の親戚の発見をすぐに知ることになった。
故に、リムサ・ロミンサに錬金薬を納品に向かったミィハが、フェリキシーから個人的に呼び出しを受けても、さして彼は驚かなかった。
「僕を呼んだのは、ユキハネの親戚のことで話がしたいからか?」
レストラン・ビスマルクの一席に腰を下ろしたミィハは、呼び出してきた本人であるフェリキシーを一瞥する間もなく本題を切り出した。
「てめえにはお見通し……って言うほどでもねえか」
「君がこんな所を待ち合わせ場所に指定してきている時点で、察しがつく。先日、ユキハネから相談も受けたことだしな」
フェリキシーは何でも頼んでいいと言ったものの、ミィハは冷たい紅茶しか頼まなかった。配膳されたそれが来る前に、ミィハは話を進める。
「それで、ユキハネはてめえに何て相談したんだ?」
「故郷に帰って親戚と会うべきかどうか、と。僕も、それとケイも同意見だったが、『ユキハネがそうしたいのなら』と言うしかない。こういうのは、他人が決めることではないだろう」
その回答に、フェリキシーは吐息一つだけを返した。明確な返答ではないものの、彼もユキハネに同じ回答をしたのだろう。
「だが、ユキハネ自身は決めかねているようだったな。悩むのも、分からないでもないが」
クガネまでとなれば、船賃だけでもそれなりの額となる。帰郷した先は、見知らぬ異国も同然だ。親戚がいくら待っているといえども、幼い頃の郷愁だけで気軽に行ける場所でもない。
「ただ、少し意外には思ったな。彼女なら、悩みはしても、最終的にすっぱりと決めるのではないかと思っていた」
ようやく配膳された紅茶に手を伸ばし、慎重にそれを口に含む。フェリキシーも、口寂しさを誤魔化すために頼んだラノシアティーで喉を湿らせた。
「てめえには、ユキハネがそういう奴に見えてるのか」
「冒険者をしている以上、彼女だって、自分で自分の行く末を決めたのだろう。それとも、冒険者になったきっかけが君にあるのか?」
「そうなんだよ、あいつの場合は」
普通の冒険者の逆だ、とフェリキシーは呟く。
冒険者を志す理由は様々だが、大体は冒険者になりたいと自ら決めて、ギルドのカウンターにやってくるものだ。
その発端が旅の冒険者への憧憬の場合もあれば、冒険者に助けられたからという心温まる美談の場合もある。金銭を求めてなし崩し的に、という事例もあるだろう。
しかし、どちらにせよ、その出発点は自発的なものとなりやすい。商店や職人の子供のように、親の仕事を言われるがままに引き継ぐといった例は極稀だ。
けれども、ユキハネの場合はそうではないらしい。
「当時、行き場がなかったあいつが、俺と一緒に行きてえと言い出したんだ。俺はそん時から冒険者業をしていた。だから、あいつも冒険者になるって決めた。ちょうど、魔法の才能があると分かっていたから、それでもいいと俺は言った」
「つまり、彼女の冒険者としての立場は、流されて選んだものだと言うのか」
無言の首肯に、ミィハは眉を寄せる。
「だからって、なんでもかんでも流されてばっかりってわけでもねえ。あいつなりに、やりてえことは口にするようになっていってるのは、見てりゃ分かる」
「けれども、今回のはそれとは訳が違う。船を渡って親戚を訪問するとなると、今までと話の規模が異なる。だから、彼女は迷っているということか」
ユキハネの悩みに対して、フェリキシーは口を出しづらいだろうとミィハは納得する。
一度、自分との同道を望んだユキハネは、またフェリキシーの意見に左右されてしまうかもしれない。だから、わざわざ自分が呼び出されて、意見を求められたのだ。
「船賃の問題は、何とかなるんだろう?」
「あいつには言ってねえがな。俺が出さねえってなっても、あいつの個人的な貯えでも十分まかなえるだろう」
「それでは、彼女は動きづらいと思うがな」
なぜ、と視線で尋ねるフェリキシーに、ミィハは彼へと手を差し向ける。
「んだよ、その手は」
「先ほど、君も言っていたじゃないか。ユキハネは、君と共にいたいから冒険者を始めた。なら、クガネに君が行くかどうかは、この話題の非常に大事な争点だ」
「あいつは、二年前のときのような右も左も分からねえガキじゃねえ。俺がいようがいまいが、クガネには行けるだろ」
ミィハは何度も瞬きを繰り返し、まるでフェリキシーが突如未知の言語を口にしたような表情でまじまじと彼を見つめた。
あまりに不躾な視線に、フェリキシーが「なんだよ」と尋ねると、
「その二年前とやらに、彼女が君と共にいたいと思った理由は、君は一体なんだと思っているんだ?」
「ああ? 決まってるだろ。あいつはそれまで、ろくに外の世界を知らなかったんだ。いきなり野に放り出されたら困るって思ったんだろ」
ミィハには話さなかったものの、フェリキシーは娼館で娼婦をしていた頃のユキハネの様子を思い返していた。
ユキハネと彼女の姉貴分であったク・ハナを娼婦の立場から解放した直後、フェリキシーは彼女らを適当な街に連れて行くつもりだった。
親友の思い人や、自分にとって縁のあった娼婦の後輩だ。路傍に見捨てるつもりは端からなかった。
代わりに、宿屋や酒場での仕事を見繕い、ある程度安定した収入が得られるまで面倒を見てやる。それが自分の責任だとフェリキシーは思っていた。
だから、ユキハネから冒険者として共にいたいと申し込まれたときは、少々面食らった。しかし、戦う力を身につけたいと望むのは、決して珍しい話でもない。
娼婦として他者に命を握られ続けてきたからこそ、自分で歩く生き方をしたいのだろうと、フェリキシーはユキハネの希望を受け入れた。
だが、ミィハにその考えを説明した矢先、彼は益々呆れかえった顔をするではないか。
「てめえ、俺に喧嘩売るためにそんな顔をしてんじゃねえだろうな」
「そんな時間と労力の無駄遣いをするものか。確かに、君の言うとおりの考えが、二年前のユキハネにはあったかもしれない。だが、この二年間で彼女の心境も変化したとは思わないのか?」
ほんの数ヶ月の出来事であっても、ミィハはユキハネがフェリキシーに見せる表情の一つ一つを思い出せる。
師について語る彼女の横顔によぎるのは、単なる師弟関係から生じた尊崇の念だけではない。
フェリキシーと遺跡の中ではぐれ、魔物に襲われ、その末に合流したときの安堵の表情。
お酒に酔って給仕を口説き始めた師匠に、苦笑を見せながらも取りなしにいったときの仕草。
美味しい料理に瞳を輝かせ、率先してフェリキシーの分を取って渡しに行ったときのやり取り。
師匠と共に模擬訓練に行ったのだと、自分よりもフェリキシーの一挙一動について、瞳を輝かせて語る様子。
「……変化、ねえ」
ミィハの言葉に、思い当たることがあるのか。フェリキシーの口が斜めにひん曲がる。
「少なくとも、僕の目から見て、ユキハネは君を単なる師匠以上に慕っているように見える。第一、単に冒険者としての技を学びたいなら、君などではなく、もっと魔法に長けた師を探すべきだ」
フェリキシーが得意とするのは槍や双剣を操る技であり、ユキハネが得意とするのは魔法だ。技を学びたいのなら、こんなにも相性の悪い師匠はいない。
「あいつは、個人的に俺に入れ込んでいる。だから、クガネに旅立つなら俺もついてこなきゃ嫌だってか」
「あるいは、君との別れを嫌がって、親戚の元に向かうことを躊躇しているのかもしれない」
ユキハネの控えめな性格から考えると、フェリキシーに同道を頼みづらいだろう。そうなると、ミィハの意見の方が現状に近いのかもしれない。
「里帰りだろうが何だろうが、俺を理由にするなっつったのに。あいつはまた、面倒なことを考えてやがんのか」
「そう言われて、はいそうですか、と頷けるほど君は彼女にとって無価値な存在ではないんだろう。少しはユキハネにとっての自分というものを考えたらどうだ」
はっきりと告げられて、フェリキシーは言葉を飲み込むしかなかった。
(ヒョウセツのことがひと段落したかと思ったら、次はこれか)
若い恋心を暴走させないか、とク・ハナが心配していたことを思い出す。幸い、ユキハネは理性的な結論を出し、エオルゼアに残る道を選んだ。
それで片付いたと思いきや、今度は親戚との再会にフェリキシーもついてきてほしいなどという話が浮上している。
「……俺がついていってどうすんだよ。あいつが親戚と涙の再会をしている隣に、黙って並んでいろってか?」
「それだけで、彼女にとっては心の支えになるだろう。僕だって、もし里帰りをするなら、ケイについてきてもらいたい」
「ケイと俺じゃ、話がちげえだろうが」
随分と静かなフェリキシーの声に、ミィハは意外そうに顔を上げる。フェリキシーは、カップの水面をじっと見つめ、
「俺がついていって、ユキハネはそいつで満足かもしれねえ。だけどな。俺みてえな奴を見て、ユキハネの親戚とやらは良い顔をしねえだろ」
ヒョウセツからの手紙によると、彼女の親戚の家はごく平凡な職人の家であり、今は商店も切り盛りしているとのことだ。
荒事には全く縁のない、平凡な家庭だ。フェリキシーがいつも横目で見るだけで、決して相容れることも求めようともしなかった、『普通の幸せ』がユキハネの帰りを待っている。
「俺には、親戚やら家族やらってのはガキの頃から縁がねえ。物心ついた頃から、誰かのもん盗んだり、時には殺し合いをしたり、そんなことばっかだ」
言いながら、ユキハネと行動を共にするようになってから、そのような荒事からは遠ざかっていたとフェリキシーは思い返す。
危ない橋に自ら飛び込むのではなく、距離を置いて注意深く確認するようになったのは、ここ数年のことだ。
だが、裏を返せば、それはここ数年だけの話なのだ。
「そんな奴が、敷居またいで良いところじゃねえだろ。あいつの帰る先ってのはよ」
ユキハネが冒険者業を選び続けているのは、フェリキシーがそこにいるからだとミィハは言う。だったら丁度いいと、男は作り慣れない愛想笑いを浮かべる。
「あいつに帰る家があるっていうなら、丁度いいじゃねえか。そのまま、冒険者なんてやめればいいんだ」
冒険者業などというのは、明日寝る場所も決まらないような仕事だ。
女だからといって、なめられることもある。運悪く凶暴な魔物に遭遇し、あっけなく若い命を散らす者を何人も見てきた。
「最初から、あいつのいる場所じゃねえんだよ。俺に付き合って、こんなところまで来ちまったが、本当は、あいつはもっと……『普通』に、幸せになれるはずだ」
一瞬伏せた瞳に、一人の女性の横顔が過る。今はもう、フェリキシーの思い出の中にしかいない女性。からりとした笑顔が眩しかった彼女がユキハネに望むのも、きっとそんな幸せだ。
「そんな機会に、やっぱり俺の出る幕はねえだろ。とにかくミィハ、わざわざ来てもらった甲斐はあったみてえだ。お前のおかげで――」
一つ悩みが消えた、と言いかけた直前で、フェリキシーはぎょっとする。
「……君が今口にした言葉は、本当に君の本心なのか」
ミィハの視線には、翡翠色の炎を宿したかのような怒りが揺らめいていた。
「ユキハネの幸せのために、自分は不要だと。心の底から、そう思っているのか」
「……なんでてめえがキレてんだよ」
「いいから、答えるんだ」
カップを持ってフェリキシーに中身をぶちまけかねない勢いのミィハに、一瞬気圧される。
「……シャーレアン育ちの坊ちゃんなら、想像はつくだろ。明日の生活を気にせずに暮らせるのが、どういうことかってのを」
「僕が想像がつくのは、今の君の言葉を聞いたらユキハネが傷つくだろうということだけだ」
予想外の回答に、フェリキシーは目を見開く。
彼なりに思考し、我ながら悪くないと思って導き出した結論だというのに、ミィハはその答えを真っ向から否定したいようだ。
「言っただろう。君は、ユキハネにとっての自分の価値をもっと考えるべきだ」
「考えた上で言ってんだよ。あいつが俺をどう思っていようが、俺は冒険者だ。根無し草の荒くれ者だ。そいつだけは、どうあっても変えられねえ!」
一瞬声を荒らげかけたが、どうにか理性をかき集めて声量を抑える。だが、自分の考えを翻すつもりはなかった。
「それが事実だとして、そこにユキハネの幸せがどうのこうの、という言い訳を付け足す必要が、どこにある」
第一、とミィハは続ける。
「ユキハネの家庭が、君の思うような普通の幸せを授けてくれるかも分からないだろう」
「違うっていうのかよ」
「君は家族に縁がなかった、と言っていたな。だから知らないかもしれないが、家族というのも……結局は他人だ」
フェリキシーは家族に対して特段幻想を抱いていたわけではないが、大雑把に『身内』という括りにあるものだとは理解していた。
しかし、ミィハは『身内』であるからこそ、注意するべきだと語る。
「そいつらが、ユキハネを何かに利用するっていうのか」
「可能性はゼロではない。身内だからこそ、無理を押し通すこともできてしまう。ユキハネはあの通りの性格だ。親戚が彼女にただ働きを強要する可能性だってある。しかも、本人たちも無自覚のうちにな」
やや話の雲行きが悪くなり、フェリキシーは数ヶ月前にク・ハナが示した忠告を思い返した。
あのときはヒョウセツが向こう見ずな真似をしないかという話だったが、厄介ごとを持ち込むのがヒョウセツだけとは限らないようだ。
「おまけに、クガネは人の出入りが激しい街と聞く。ならば、相応に面倒ごとも多いだろう。ムヒョウさんたちは悪人ではなさそうだったが、悪人はこちらが近づかずとも向こうから寄ってくる場合もある」
そこで一区切りつけて、ミィハはちらとフェリキシーを見やる。
「ずっとユキハネの側にいろとまでは、僕も言わない。だが、この二年間、君がユキハネの師匠として面倒を見てきたんだ。『普通の幸せ』とやらに送り出すとしても、彼女が新しい生活に落ち着くまで、近くで見守ってやってもいいんじゃないか」
言いつつ、ミィハは内心嘆息していた。
ユキハネは、フェリキシーに対してただの師匠以上の――たとえるなら、家族のような気持ちを抱いていると言ったところで、フェリキシーはユキハネの幸せに自分は不要だと言い続けるだろう。
彼の辿ってきた遍歴が決して褒められたものではないことは、ミィハも承知している。それでも、フェリキシーがユキハネをこれまで守り続けたのも事実だ。
だからこそ、少しでも自覚を持ってくれればと期待したが、フェリキシーは頑なになるばかりである。
(家族に対する情がダメなら、師匠としての責任感の方を話題にすればとは思っていたが……)
どうやら、この方面での話題はフェリキシーにとっても一考に値するものだったらしい。暫く思案の様子を見せていたが、
「……たしかに、そこはてめえの言うとおりだ。きちんと見ておいた方が、後腐れもねえか」
「そうだな。僕たちも同行するつもりだが、君の方がユキハネには詳しいだろう」
漸くその結論が出たか、とミィハが紅茶を飲み干し、ソーサーにカップを置き、
「……どうしたんだ?」
「待て。なんで、てめえらがついてくることになってる」
「慣れない場所に里帰りするから不安だ、と友人が相談してきているんだ。ついていくのが友達というものだ……とケイが言っていてな」
ケイが、と言いつつも、ミィハの口元は何やら得意げに上向いている。
「ユキハネが帰郷するあかつきには、僕たちもついて行くことにしたんだ。もちろん、船賃は僕たちで出すとも」
「おい。それならそうと、さっさと言えよ。これまでの話はなんだったんだよ」
「おや。僕たちがついて行くなら君もついて行く、という結論になるのか? そんなにもひとりぼっちで置き去りになるのを君が嫌がるなんて、意外だな」
「てめえなあ……!!」
もちろん、そのような人恋しさだけでフェリキシーは決断するつもりはなかった。
だが、自分に相談なしに一人リムサ・ロミンサに置き去りにされる己を想像すると、どうにもむしゃくしゃして、フェリキシーはミィハの頭をわしづかみにして揺さぶりたい衝動に駆られたのだった。
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