藍にゆられて

【徳種】数年後半同棲プロ時空*小ネタ。ファ○プリアラメノマありがとう記念。

 湯上がりに覗いた仕事用のタブレット端末に新着通知が届いていることに気がついて、徳川カズヤはタオルで髪を拭う手を止めた。
 ダイニングテーブルに置いていた端末を手に取り、画面を待機状態から復帰させると、自身と同じように浴室から戻ったばかりの種ヶ島が後ろからひょこりと顔を出す。

「連絡?」
「はい。……すみません、少し返信してもいいですか」
「そらもちろん☆」

 ほんなら先にドライヤー借りとくわ。
 かろやかな声を残して洗面所へ引き返す彼の背を目で追ったあと、ミネラル水を注いだグラスとともにリビングのソファに腰を下ろす。
 通知のバッジが点っているのは、チーム内での業務連絡に使用しているミーティングアプリだ。すいと指先を滑らせてトークルームを確かめると、動画つきの新着メッセージが一件。送信元は帰国前最後のトレーニングを担当したコーチだった。

 ――やあカズヤ、日本での休暇は楽しめているか? 
 先日のトレーニングのフィードバックだ。
 次回までに確認しておいてくれ。
 キミのことだから心配はしていないが、羽目を外しすぎない程度にしっかりリフレッシュしてくるように。

 知った調子で綴られたメッセージに思わず表情をわずかに緩め、礼を添えて手短に返信を作成する。
 プロ選手として海外での活動を始めてからの縁だが、気付けばこのコーチとも数年来の付き合いになる。プレースタイルだけでなくパーソナリティを把握した上でのコーチングを受けられる環境はやはり有難いものだ。
 ローテーブルの抽斗からイヤホンと筆記具を取り出し、都合十分間ほどの長さに編集された練習風景の動画を再生する。添えられた指摘や提案を咀嚼するために時折停止や巻き戻しを掛けながら、メモを取りつつ意識を手元に集中させる。しばらくそうして過ごしていると、――ふいに足先にあたたかな温度がふれた。

「とーくがわ」
「修さん」

 いつの間に洗面所から戻っていたのか。床に腰を下ろした彼は自身の両脚のあいだにすとんと収まり、じゃれつくような仕草で膝に頭を載せてくる。
 普段なら迷わず隣に座りに来るはずの彼がひとまず足元に収まっているのは、自身が見ているものが専属コーチからの指導であることを知っているからだ。各々異なるスポンサーに支援を受けている立場ゆえに、オフとはいえど一定の線引きは必要だった。
 湯上がりの温度を含んだしなやかな体躯の重みを、右脚でそっと受け止める。動画を止めて視線を向けると、彼の鳶色のひとみがついと持ち上がって自身を捉えた。

「そろそろ髪乾かさんと風邪ひくで」
――、」
「ドライヤーもストレッチも終わってもーたわ」
……すみません」
「や、別にキリがつくまでやっとってええねんけど。なんや難しい顔しとったな?」
「いえ……

 コーチからのアドバイスをどうプレーに組み込んでいくか、思案を纏めきれていない状況が顔に出てしまっていたらしい。曖昧ないらえにこちらの胸中を察した様子の彼が、まばたきをひとつしてから声を接ぐ。

「アレコレ考えるより体動かしたほうが早いんとちゃう?」
「それは、そうなんですが」

 やわらかな銀糸が部屋着越しに腿をくすぐる感触に誘われて、応えを返しながら彼の目元にかかる髪を軽く梳く。乾かしたばかりの癖毛はまだほんのりとあたたかかった。
 日本での住まいであるこの家での滞在期間には、まだ数日の猶予がある。彼の言う通り明日にでもふたりでどこかのコートを借りようかと考えはしたものの、気がかりがひとつ脳裏を掠めて口に出すことを躊躇っていた。

「徳川?」

 どないしたん、と首を傾げた彼がしぐさと眼差しで先を促してくる。何度目かのそれにようやく躊躇を言葉にすることに決め、イヤホンを外してからそろと口を開いた。「その、」

「体は大丈夫ですか」
「は?」
……ゆうべは、すこし疲れていたように見えたので」
……………………
 数瞬のインターバル。言わんとするところにさほどかからず思い至ったらしく、今度は彼が言葉を探して口を噤む番だった。

 ――現在、自身はとある海外企業の出資を受け、ツアー参加の予定に沿って世界各地を転々とする生活を送っている。数ヶ月に一度、遠征の合間に日本へ帰り、二週間ほど滞在したのちまた次の拠点へ発つのがおおよその流れだ。
 帰国してから今日で四日目。
 昨晩までには時差の影響も概ね抜けて、久方ぶりに会う恋人とのスキンシップの時間を、ゆうべは特に長く取っていた。……つまり。

 有り体に述べれば昨夜彼を抱いたばかりで、その影響がまだ残っているのではないかと案じている――というのが実際のところである。

……そこ気にしとったん?」

 しばらく押し黙ってこちらをじっと見据えていた彼が、ぽつりとつぶやく(呆れと気恥しさが半分、否、呆れの色のほうが幾らか濃いだろうか)。
「そない疲れとるよーに見えたんか、俺」
……違うんですか?」
「違うっちゅうか、……ほーん……?」
 溜息ともつかぬ声があいだに落ちる。
 沈黙。……空白。
 何を思ったか突然すいと立ち上がった彼が、そのまま自身の膝に馬乗りに跨ってくる。「っ修さ、」熱い手に肩を掴まれ不覚にも一瞬動揺した自身をよそに、彼はルームウェアのポケットから取り出したスマートフォンの画面をずいとこちらの鼻先に突きつけた。

「そんな心配性の徳川君に朗報や」
「はい?」
「明日午後二時から、ここのホテルで二時間プライベートコート予約済み」
……は?」
「安心安全の屋内コート、オマケに日帰りスパもついとんで☆」
「な…………
「今日は一日のんびりしよったし、移動も高速乗って一時間くらいやから余裕やろ」
「いえ、あの、そうではなく」
「うん?」

 画面に表示されていたのはたしかに彼の言葉通りの施設のウェブサイトのようだったが、論点はそこではない。涼しげな表情で首を傾げてみせる彼を、ひとまずまっすぐに見上げて尋ねる。

「初耳なんですが、その話」
「当たり前やん、サプライズなんやから」
………………
「ホンマは寝る前に言うつもりやってんけどな」

 こちらの問いにさらりとそう答え、表情を見て満足したらしい彼が肩を揺らしてちいさく笑う。
 悪戯っぽいひかりを灯した双眸は、テニスコートでも時折見るそれだ。彼のプレイスタイル同様どこか掴みどころのない、けれども確かな親愛を湛えた瞳と真正面から相対し、恋人としても、選手としても心地好く胸裡がさざめく。
 これだから彼には敵わない。そう思いはすれど、ここで素直にそれを伝えるのも少々悔しい。ささやかな抵抗に唇をゆるく引き結ぶと、携帯端末をポケットに戻した彼から宥めるように額への口付けが降ってくる。

「さすがにヤった次の日朝っぱらからとかはしんどいかもしれんけど、――まるっと休んでさらに次まで遠慮いらんわ、徳川」
――……、」

 誰にとは言わんけどメッチャ大事にされとるからな、修さんは。
 額に口唇を寄せたままのひそやかな中低音が、心地好い響きで耳朶を打つ。わずかにおもてを上げ、腰に腕を回して応えの代わりに小麦色の首筋をやわく食むと、からからと擽ったげに彼が笑った。触れ合った場所から伝わる拍動が互いにすこし逸って感じられるのは、おそらく思い違いではないだろう。「あとな」

「終わったあとぼんやりしとんの、別に疲れとんのとちゃうねんで」
「え?」
「ほな先にベッド行っとるわ☆」

 柔い拘束が緩んだ隙に、彼は彼らしいしなやかな身のこなしで事もなげに腕から抜け出していってしまう。(さらに不意をついて唇にふれるだけのキスを寄越しすらしてのけるのだから、確かに昨夜の疲れなど残っていないのかもしれない。)
 先程も見送った広い背と足音が、今度は寝室の方向へと早々に消えていくのを半ば呆然としながら見つめ、彼が残していった言葉を脳内で緩慢に繰り返す。

 薄暗い寝室でシーツに身を横たえたまま、無防備なしぐさでこちらを見上げる鳶色の、静かに蕩けるような潤みを覚えている。
 ゆっくりと呼吸を繰り返し、気怠げにも見えたそのいろが、性交の疲労感やそこに起因する睡魔からのものではないとすれば、それは。

 息を吸って、吐く。
 五感にふれた彼の温度のあまい残り香ごと深く肺腑に取り込んで、洗面所で髪を乾かすべく立ち上がった。

……本当に、これだからあの人は!」

 明日の起床はおそらく今朝よりも少し早い。
 眠る支度を整え、ラケットバッグの中身を軽く確認し終えたら、すぐに彼の待つ寝室へ向かおう。