悪魔なんて怖くないの後日談です。
あの夜、悪魔の介入によりバンジークスと亜双義の距離は一気に縮まったが、
そこからの進展は非常に穏やかな速度であった。
貴方の願いは全て叶える、と亜双義は息まいているが、バンジークスとしては
彼が自分の屋敷へ引っ越し、多くの時間をともに過ごすことでおおむね
叶えられてしまっているのだ。
職場でも自宅でも一緒なんて、嫌にならないのかと刑事やメイ探偵には
聞かれたし、バンジークス自身も使用人以外と暮らすのは久しぶりなので
少し心配はあった(かつての従者も使用人の範疇である)
しかし、意外にもプライベートでの亜双義は気配を消してそっと佇んでいることが多く、
静かに過ごすことを好むバンジークスには負担がなかった。
頼んでもいないのに朝起こしに来るのは閉口するが、それすらもすぐに慣れてしまった。
ゆったりとした時間の中、心穏やかに過ごす傍らに亜双義がいて目が合えばふっと
微笑み返してくれる。
それだけで心は満たされた。
これ以上望むなど、罰当たりだとすら思う。
亜双義がバンジークス邸に住むようになってから三か月程が経った。
担当事件の捜査で陰に違法な取引をしている貴族が浮上、
逃がさずにどうにか追い詰めたいと二人は知恵を絞っていた。
相手には自分たちが捜査をしていることは知られている。
下手に追えば逃げられてしまうだろう。
だが、逆に相手もこちらに邪魔されず取引する機会を探しているはず。
それをこちらで作り出せれば勝機はある。
「来週、招待されていたパーティがあったよな?
二人で出席することを広めれば、その時間に動くんじゃないか」
「その可能性はある。だがその間の指揮を誰に任せるのだ」
「俺がやる」
「
……まさか」
亜双義はにやりと笑い、空に向かって話しかける。
「どうせ退屈してるだろ。ちょっと顔出すくらい頼んでもいいよな?」
にやりと笑った顔の亜双義が二人に増える。
「ちょっと顔出すだけでいいのか?」
バンジークスが青ざめた顔で二人の亜双義の間に割って入る。
「悪魔と取引などしてはいけない」
「心配するな。この程度で魂寄こせとまでは言わんだろ」
亜双義の姿をした悪魔は、楽しそうに思案を巡らせている。
「ご自慢のワインをもらおうか。一番飲みたいと思っている一本を」
自分が頼んだことの支払いがバンジークスにきてしまい、亜双義は
申し訳ないとは思いながらもその程度で済んでほっとした。
あれだけ沢山あるのだから、一本くらい大したことはないだろう。
そう思ってバンジークスを見ると、眉間のヒビをぐっと深くして
苦々しい表情をしている。
「
……わかった。それで奴らを捕えられるのならば安いものだ」
「契約成立だな」
悪魔が消えた後、バンジークスはまだ少し暗い顔をしていたが
具体的な計画を話し合う頃にはすっかり真剣な姿に戻っていた。
パーティ当日。亜双義は探り当てていた取引現場へと潜入し待機、
バンジークスは亜双義の姿をした悪魔とともにパーティ会場へと向かう。
悪魔が身にまとう衣装は、このパーティ参加が決まった時にバンジークスが
密かに用意していた特注品だ。
本人が袖を通す前どころか目にする前に、悪魔に見せることになった。
会場に到着し、二人でホストや参加者に挨拶をしていく。
普段なら積極的に誰かに話しかけることはせず、話しかけられても
すぐ切り上げてしまうが今日はそうもいかない。
囮役として、ここにいることを存分にアピールしなければならないのだ。
悪魔はボロが出るのを防ぐため、会話は最低限にするよう命じてある。
言葉少なに傍に寄りそう姿に、従者だった頃の亜双義を思い出す。
あの時から随分関係は変化した。
こうして、共に倫敦に巣くう闇を追うことになるなんて、想像もしなかった。
取引が予想される時間までもう少し。ここに二人でいることをもっと
知らしめるにはどうすべきか考えていると、音楽が流れ始めた。
パートナーのいる者たちが次々とホールへと移動し、踊り始める。
「行くぞ」
悪魔がバンジークスの腕を引き、ホールの中央へと進み出る。
男二人、しかも片方は元死神。周囲の視線は一気に集まる。
「何をする気だ?」
「踊るしかないだろ」
この悪魔特有の、面白くて仕方ない時に見せる笑顔を向けたまま
肩に腕を置き、身体を音楽に合わせて揺らし始める。
下手に抵抗して何か勘繰られてしまうことは避けたい。
バンジークスはため息をつきながら、構え直してダンスを始める。
自分の好みを反映した盛装は、亜双義の姿によく似合っていた。
回る度に黒髪がシャンデリアの光を反射し、バンジークスの目をくらませる。
目の前にいるのが本当に亜双義であればいいのに。
「悪いな。俺はあくまで、替りだからな」
悪魔では替わりにならない。ずっと自分が言ってきたことが返ってくる。
本物の亜双義は今どうしているだろう。ちゃんと取引現場を押さえているだろうか。
会場中の注目を浴びながら、バンジークスは思いを馳せた。
パーティ会場から離れた屋敷の一角が、今回の取引の会場だ。
バンジークスと亜双義が会場に現れたことを確認してから、取引は始まった。
他の警察や刑事が来る可能性はあるが、厄介なあの二人でなければ権力と金で
どうとでももみ消せる。そういう算段だ。
関係者が集まり、取引が始まる。
その瞬間、壁際にあったクローゼットが開き、亜双義と捜査員が飛び出した。
「動くな。屋敷は包囲済みだ。逃げられんぞ」
「あ、亜双義検事!?パーティに出ているはずでは
……」
刀の柄に手を掛けたまま近寄る亜双義に、貴族たちは怯えて震えるばかりだ。
「どうした?まるで悪魔に会ったみたいな顔をしているぞ」
バンジークスはダンスを終えた後、亜双義が無事に取引現場を押さえて
彼らを捕縛したことを知り会場を後にした。
衆目の中過ごすのもそろそろ限界だったので助かった。
帰宅し、寝室で一息つく。
部屋には一体のトルソーがあり、亜双義が着るはずだった服が着せてある。
彼が今日着ることはないが、悪魔が変化する参考のために用意していた。
次にこれを着る機会はあるだろうか。
パーティへの招待は少なくないが得意ではないので参加することは稀だ。
本物の亜双義が着ている姿を見るためだけに、気乗りしない場に行くのも
不純に思えて気が咎める。勝手に用意したものなのだから、着てもらえなくても
構わないと自分に言い聞かせた。
日付が変わった頃、亜双義が帰ってきた。
バンジークスの寝室で二人、状況報告をしあう。一通り話した後、亜双義は
トルソーに目を止めた。
「あれは、俺が着るはずだった服か?」
「そうだ」
見るからに高価で、すぐ用意できるようなものではないことが分かる。
今日のために前々から準備されていたことを悟る。
気を使わせないよう、秘密にしていたのだろう。
「着てもいいか。いや、着たい」
驚くバンジークスの返事も待たず、トルソーから服を脱がせて着替える。
途中からバンジークスも着付けに加わり、これからパーティに向かうに
ふさわしい装いとなった。
「どうだ?悪魔より似合ってるだろう」
「聞き捨てならないな」
姿を消していた悪魔が現れ、亜双義に並ぶ。同じ服を着ているが
バンジークスから見ればやはり本物の亜双義とは全く違う。
「まあ、それはどうでもいい。約束のワインを頂こう」
差し出された手に、バンジークスがボトルを乗せる。
悪魔はしげしげとそれを眺めてから満足そうに頷き、姿を消した。
「なあ、ワインのラベルに書いてあった数字、もしかして
……」
その四桁の数字は、亜双義が生まれた年と同じだった。
「ああ、君の生まれ年のワインだ。誕生日に開けようと思って」
「誕生日って、まだ先だろう」
「こういうものはすぐ見つかるとは限らぬ。見つけた時に入手しておかなければ」
以前、ワインは長期保存で熟成させるという話を聞いた時に
亜双義が自分の生まれ年のものもあるのだろうかと呟いていたのを
バンジークスは聞き逃さなかった。
次の誕生日は、二人落ち着いて祝える初めてのチャンスだ。
亜双義一真という存在を祝福するのに、生まれ年のワインならぴったりだ。
そう思って用意されていた。
自分の作戦のために、バンジークスの思いをことごとく無下にしてしまった。
悪魔との取引など、簡単にしていいものではないと亜双義は肝に銘じる。
「貴方の願いを叶えると言っておいて
……すまなかった」
項垂れる亜双義の肩に、バンジークスがそっと手を置く。
「謝る必要はない。検事として、優先すべきことは間違えていない。
作戦は成功したのだからそれでよいのだ」
「だが、替りが必要なら似た人を探すとか 他にも手はあったはずなのに。
安易にあいつに頼ってしまって悔しい」
肩に置かれた手が、頭へと移動する。撫でればさらさらとこぼれる髪が
バンジークスの指を梳く。
「似ている人はいるかもしれないが、私のそばで君のフリをして、
その上注目を集められる人などなかなかいないだろう」
「あいつはこなしたんだな」
「ああ。注目を集めるために私とホールの真ん中で踊るなど
とても普通の人にはできない」
「待て。あいつと踊った?」
やっと顔を上げた亜双義が、低い声で聞いた。
「注目を集めるため、仕方なく」
「俺も踊るぞ」
バンジークスの腕を引き、少し開けたスペースに連れて行く。
向かい合って並び立ち、困惑するバンジークスに手を差し出す。
「貴方だって、本物の俺と踊りたかったんだろう」
「
……君も心が読めるのか?」
「帰ってから着替えずに待っていたんだ。一目瞭然だな」
言い当てられて、バンジークスは恥ずかしそうに目をそらしてから、
覚悟を決めたように亜双義を見つめる。
重ねられた掌から伝わる熱は、悪魔相手では感じ得ないものだ。
夜深く、レコードをかけるのもはばかられる時間。
二人で口ずさむ旋律に合わせて身体を動かす。時折つま先をぶつけながらも
だんだんと息が合い、心地よさに自然と笑顔になる。
豪華なシャンデリアがなくとも、亜双義はきらきら輝いて眩しかった。
本物の亜双義と踊りたいという願いは、本人によって叶えられた。
およそ一曲分を踊り終え、向かい合って一礼。
離れるはずの手を強い力で引かれて、バンジークスは亜双義の胸の中に
飛び込む形となった。
「会場とは違って、誰からも見られてないんだからいいだろう」
抱きしめられて、亜双義の体温や匂いに包まれる。
傍にいてくれたら、それ以上は求めないと決めていたのに。
腕を背に回して抱きしめ返せば、もっと強い力で抱きしめられる。
どこからか高らかな拍手が鳴り響いた。
悪魔が姿を消したまま、踊る様子を見ていたのだろう。
さきほど渡したワインを飲みながら。
常なら自分たちを肴にするなと怒るところだが、今は二人とも
この次どうすべきかに頭がいっぱいで、悪魔の相手などしている場合ではなかった。
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