ortensia
2026-02-07 22:39:12
3211文字
Public 創作
 

生きてても死んでても酷い話

暗い話なので、元気でない場合はご注意ください。

以下が含まれます。
ブラック企業、心身の衰弱、借金、取り立て、自殺。

 先ずは俺の生前の話をしようと思う。
 ああ、そう。つまり、俺もう死んでんの。生きていた頃の俺は、それはもううだつの上がらない男で、堅実に働いてるつもりでも、商品売り上げのノルマが達成できなくて、自腹切って金欠になって。なのに仕事で求められるものは相変わらずで、ぼろぼろになった精神と体で、遂にはミスをした。損失を弁償しろと会社から言われ、動かない頭の代わりに口では幾らでも払いますなんでもしますと言いくさっていた。
 碌な生活もできない中で、仕事の成果も出せなくて、金足りなくなって、それで借金した。そりゃもうヤバいとこなわけ。しっかりしてない頭でも借りれるようなとこ、しっかりしてるとこであるわけがない。
 休みが碌にないような会社の休日は、怖い顔の人達が家に通って来る日に早がわり。それでもサービスで休日出勤して、自分の休みの日を自ら会社に出掛けて潰しても、漸く帰った家の前で待ち伏せされてる。誰も通報しないのかと思いながら、他人と関わる世の中じゃない。みぃんな知らんぷり。
 それでその日も、煙草の匂いがした。もう随分と慣れ親しんでしまった、強面のものだ。
「お帰りなさい。今日も遅くまでお疲れ様です。」
……はあ。」
 もうまともに人と会話するのも怪しい。相手がまともな人かどうかはともかく。
 風体の悪い男が、手を差し出して来る。その手に財布を載せる。その間に俺は鍵を取り出して、自宅の扉を開けようとする。武骨な男の手が、手慣れた仕草で財布から数枚抜き取る。かと思えば、また少し戻した。
「あんまり、おろさなかったの?」
……あ。え……?あんまり……食べる気しなく、て?」
 その頃の食事は、コンビニに買いに行く時に、手数料が掛からない時間にATMから金を引き出して、それで飲み物や流動食を買っていた。だからこうして借金返済に引かれるのは、その残額からだ。
「ゼリーでもいいから、食わなきゃダメだよって言ったじゃん。」
「あ……なんか、食べてもお腹が変な感じになっちゃって、嫌だなって。」
 嫌なことだらけの生活で、不快感を少しでも遠去けようとしてそうしたのが、食事だった。それが余計に生活の質を落とすことだとしても、選べるのがそれしかなかったから。
 男は元からあった眉間の皺をより深くして黙った。
「それでも食べなきゃダメだからね。」
 そしてそう言って溜め息をついた。俺はそれを鍵をがちゃがちゃやりながら聞いていた。
 なのに男の手が鍵の上から俺の手ごと掴んで来た。
「い、家の中にお金はありません……。通帳と判子なら、持ち歩いているので。」
「ちーがーう。さっきから全然鍵穴に挿せてないから、ほら、開いたよ。」
 確かに、さっきから自分でやっていたことはなんだったのかと思うほど、男の手で俺の手ごと鍵は回った。
「さ、入んな。ガサは今日はしません。」
 わざわざ扉を開けるところまで手厚くやってもらって、背を押されない程度の強さで手が添えられる。どんなに弱い力でも、押されればその時の俺は床に顔を打ち付けただろう。骨張った手だ。自分の生っ白いのとは大違い。
「あ、はは。お兄さんの手、強そうですよね。拳銃とかも扱えちゃうのかな。」
 本当にこの時の俺は何も考えられなくて、何を考えていたのか分からなかった。
「あんたそれ、いつだったかも言ってたね。持ってるって言ったら、殺してくれって言ったね。まだ殺さないからね。」
 そうだっただろうか。何も覚えていない。そして、今のこの会話も忘れるのだろうと、その時は思った。
「今日はもう寝ちまうんだろう。よく寝なね。それから、明日からはちゃんと食べなね。じゃあ、またね。」
 男はその手で、軽く、本当に軽く肩を叩くと、財布を俺の鞄突っ込んで戻して、帰って行った。
 その肩を叩かれたのが印象的で、なんかこれも忘れるのかと思ったら惜しい気がして、それでちょっと、自分から何かをやってみようと、いつ振りか分からないくらい、久しぶりに能動的に思えた。だからその自分の意思を逃したくなくて、肩の温もりを逃したくなくて、その時言われた言葉は結局その時はもう忘れたように、行動を起こした。
 それで俺は首吊って死んだ。
 でもその時俺が死んだからって、誰かが気付いてくれるわけじゃない。毎日のように通ってる会社だって、俺を休日に叩き起こすような電話を掛けては来るけど、わざわざ家まで確認しに来たりはしない。
 そんなことしてくれるのなんて逆に、怖い人くらいだ。
 ああいう人達は鍵がなくても開けられるのかもしれないけど、そもそもあの夜俺は鍵を掛けなかった。そんなことより死ぬ方が大事だからだ。あるいは普通に忘れていたのかもしれない。分からない、何も。どうせ死んだし。
 それで、だから俺は回収の日に見付かった。いや、正直俺は回収の日を自分で覚えられていなかったから、あの馴染みの怖い顔の人がいたら、そうなんだろうなと勝手に判断していた。月一のような気もするし、毎日のような気もする。けれど近隣住民が異臭とかで通報しなかったってことは、毎日に近い間隔だったのかもしれない。そんな回収頻度があるのか分からないけれど。あるいは俺が自分でそう頼んだのかもしれない、小額を頻繁にとか、分からない。兎に角、取り立てる方も、よく来てくれるもんだと思う。そりゃ仕事だからか。俺だって毎日のように会社に通ってる。
 そうして、煙草の匂いがした。いつもは家の扉の前にいたあの男が、家の中に入って来たのだ。最初は家を荒らして金目のものを探すんだと思った。自分でないって伝えていたし、そんなこと分かってるだろう相手に、馬鹿な発想だ。
 それから俺を見付けた男は、吊り下がる俺を前に、膝を落として呆然と見上げた。それで漸く、家を荒らすためじゃなく、もっと単純に、俺を探してくれたんだと気付いた。俺を探してくれる人なんているんだと気付いた。
「よく寝て、ちゃんと食えっつったじゃん。」
 そう言葉を溢す男に、そうだったっけかと思う。この男は俺と違ってよく覚えているもんだ。借金の相手を、そりゃよく覚えておかなくちゃならないか。
 座り込んだ男は、それから静かに言った。妙に静かな目をして。いつもの怖い顔とは、また違った気がした。
「あんたは知らないでしょうね、後追い心中って。」
 実際そんな言葉は聞いたことがなかった。あるいは覚えていなかった。
 男は懐から拳銃を取り出し、自分の顳顬に向けて、発砲した。
 男は倒れた。安いとはいえ賃貸の部屋に血が広がった。
 それが俺の死後だった。
 なあ生前も酷いもんだが、死後もそうだと思わないか。
 俺から借金を取り立てていた男が、どうしてだか、その金を奪っていた相手と心中だって。俺が苦しかったのはお前が金を取って行くのも原因だろうが。そもそも金を借りたのは俺だが、遊ぶ金の余裕まで奪ったのは悪いことじゃないってのか。俺が社畜だから、遊ぶ時間がないから金があっても無意味だって言いたいのか。酷いじゃないか。
 それで俺が死んだらお前も死ぬのか。
 俺が何したってんだ。ただ死んだだけじゃないか。いいじゃないか、久しく能動的になれてなかったんだぞ、死にたいって思うことすらなかったんだぞ。漸く何かしたいって自分で思えたんだぞ。死にたいって思えて実行できたんだぞ。いいじゃないか、これくらい。酷いじゃないか。
 お前、俺を殺さないと言ったその拳銃で、自分を撃ったんだぞ。何しに来たんだよ、金を取りに来たんじゃないのかよ。自分の命を取ってどうするんだよ。まったく酷い話だ。
 まさか、死後も俺から借金を取り立てに追い掛けるって言うんじゃないだろうな。俺は死んでもそんな目に遭わされなくちゃならないのか。
 なのに死んだ今でも、煙草の匂いはまだしない。


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いつもリアクション絵文字等ありがとうございます。