決して、腕を絡めて抱き合うまで気付かなかったわけじゃないのだが(彼とは空港でハグをしたし、モーテルに入ってすぐにキスをしたし)、久しぶりに会ったゼノからはやっぱり俺のとは違う煙草の匂いがした。別にそう強くない匂いだったから、きっと同僚か誰かが吸って、それが彼に移ってしまったのだろう、と俺は考えた。でもそうは思ったものの、いつもの彼は信じられないくらい清潔な恋人から、俺以外の毒ガスってやつの匂いがするってのは結構癪だった。だから言ってしまったんだと思う。ベッドの上で熱心なキスをして盛り上がってる最中に、彼の服を脱がせ、彼の身体を切り開きながらも、思ったまんまのことを喋っちまったんだと思う。
「
……あんたから俺以外の煙草の匂いがすんのって、結構癪だね」
俺が彼の首筋を隠すネクタイを引き抜き言った時、ゼノは真っ黒な、星が散らばる夜の闇のような目をわずかにきらめかせて、最後には最高のジョークを聞いたみたいに吹き出してみせた。いや、むしろ俺が細かいことにこだわりすぎる童貞だって言いたいみたいに、そんなふうに。
「新しい出資者がヘビースモーカーでね。
……嫉妬かい?」
目元に浮かんだ涙を拭い、ゼノは喉を鳴らした。まるで尊大な猫のように、可愛らしく。でも、俺をからかう理由を見つけて嬉しくてたまらないみたいに。
「そりゃあね、久しぶりに会った恋人からそんな匂いがしてちゃな」
ゼノの上等なネクタイを指先でぷらぷらと弄びながら、楽しそうな恋人を見下ろし俺はそう言った。いや違うな、本当はもっと細かいことを考えてた。例えばその出資者って男? 女? 年寄り? それとも若いやつ? 人種は何系? 宗教は何? ってふうに。
あぁ、まさにこれじゃあ余裕のない童貞だ。そうは思ったものの、気が気じゃなかったんだから仕方がない。なぁ、俺以外とそんなに近くにいたん? いや、きつい煙草の匂いなんて、同じ部屋にいたらすぐ移るものだってことは分かっちゃいるんだけどさ。
「じゃあ、君の匂いで上書きしてくれなくては。あの重い匂いでね」
悶々とする俺に、ゼノはネクタイが外れて、あらわになった真っ白な首筋をさらしてそう笑った。余裕たっぷりに、会えない間散々俺が想像していた、いやらしいあんたよりずっといやらしく、蠱惑的に。
「
……毒ガス毒ガスって普段から貶してるくせに、あんた俺の煙草の匂い気に入ってんの?」
俺はゼノの首筋を指でたどり、キスをする代わりに、マーキングする代わりに白い肌をさすった。するとそこはすぐに赤くなり、彼の目元もじきにつられるように赤らんだ。俺はそれにちょっと興奮して、思わずむしゃぶりつくみたいに噛みつきそうになる。首筋にも、こめかみやあごにも、勿論唇にも。
でも、そうする前に、ゼノは俺が想像するよりももっといやらしいことを言った。あの甘くざらついた声で、とんでもなくセクシーな声で、俺が任務の合間にも想像してマスをかいてた時の声で。
「まぁね。でも、それよりも君が動いてる時のあの匂いの方が好きかな」
ゆったりと唇を舐め、ゼノは笑う。俺はそれにやられてしまい、思わず彼に噛み付く。そう、唇に俺は噛み付き、今までだって散々しゃぶって来たそこに唇を重ねた。彼が言った通り煙草の匂いを染み込ませるように、それどころか唾液の匂いを染み込ませるように。
「あんたも動いてくれんだろ? 俺の上でさ」
「君がそう望むんならね。これでも、運動や体操は得意な方だったし」
ため息を吐きそうになりながら、知ってんよ、って俺は笑う。馬鹿みたいな下品なジョークを繰り出すあんたも中々良いね、って思いながら彼に肌を重ねる。そして下半身をこすり付け、額を合わせてゼノの目をごく近くから覗き込む。
「やっぱあんたってサイコーだね。愛されてんね、俺って」
「
……知らなかったのかい?」
ゼノは笑い、俺にキスをする。
そこから先の俺達は、いつものように煙草の匂いを移すキスばかりした。身体を繋げながら、何度も何度も舌を絡めて、しゃぶって、噛み付いて、そんなキスばかりした。そしたら俺の匂いとゼノの匂いが混じり合って、境界線が分からなくなるくらい気持ち良くなった。
紛争地でのきつい仕事を終えて、そんで国に戻って恋人とキス出来るってことが、こんなにありがたいことだとは思わなかった。彼に匂いを移せるってことが、こんなに気持ち良いことだとは思わなかった。その理由だけで、煙草を吸ってて良かったって思った。
俺はゼノを抱きしめながら、煙草を吸うより強くキスをする。そして、懐かしい、ティーンエイジャーの頃からそう変わらないモーテルの安ベッドの上で、お袋がかつて煙草を吸う親父を見ながら日頃言ってたジョークを思い出す。
――煙草ってのはね、片方に火がついてて、もう片方に馬鹿がついてるパイプのことよ。
――だからスタンリー、あんたには吸って欲しくなかったのに。
そうお袋は嘆き、でも親父は煙草をふかしつつ、知らん顔をして俺の趣味を褒めたのだった。あの時、俺は親父に認められたようで嬉しかったが、今はそれだけじゃあない。
だってさ、お袋は知らねぇかもしんねぇけどさ、煙草ってやつも結構悪くないんだぜ? だって、こんなふうに苦くて、甘くて、いやらしいキスが出来てそれに意味が持てるんだからさ。確かに煙草に手を出すのは利口な男じゃないが、それでも俺は今、世界で最高のキスが出来てるんだからさ。
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