ねぶくろ
2026-02-07 14:17:39
4823文字
Public Skeb
 

波立つ日常

Skebにて納品した作品です。

 ミシェ・ピアメリーが、デルフィニ研究所から『水中戦で使用可能な罠の開発』を要請されたのは、つい数日前のことだった。
 なんでも、水中戦を主とするアフロス隊で、戦況を有利にするための新たな道具が必要とされているらしい。隊員たちから要望があり、隊長自らが研究所へ開発を要請したそうだ。
 ミシェはオルカ隊の隊員ながら、罠師として一定の地位を獲得している。研究所とも懇意にしており、罠や武器の開発に協力するのはいつものことだ。開発は性に合っているし、通常業務を放り出す理由にも出来るので、ミシェとしては断る理由がない。
 しかし、今回に限っては事情が違った。
 アフロス隊と聞いて、脳裡に一つの顔が思い浮かぶ。
 思い出すだけでも気持ちがざわつく、余裕ぶった笑み。上品な料理にひと匙の毒を混ぜ込んだような皮肉の言葉と、ミシェの言葉を無視して通り過ぎて行く横顔。養成学校の同期であり、現在はアフロス隊に所属している一人の男を思い浮かべて、ミシェは研究所からの協力要請を断ることにした。
 ──せいぜい困ればいいさ。そして、キミが自ら僕に頭を下げに来ればいい。
 研究所の職員に協力が難しい旨を伝えて、施設を後にする。ミシェは記憶の中の笑みから余裕がはがれる様を思い浮かべて、一人笑みを浮かべた。

「こんにちは。こんな時間から優雅に日向ぼっこかしら?」
 頭上から声が降ってくる。敷地の片隅で巡回をサボっていたミシェは、思わず表情が強張るのを自覚した。嫌々ながら、ゆっくりと瞼を持ち上げる。こちらを覗き込む女性と目が合って、ミシェはため息を堪えながら身を起こした。動揺を押し殺し、何とか「こんにちは」という声を絞り出す。
「僕に何の用?」
 尋ねれば、彼女、──キアス・コミスティアは、幼子に言い聞かせるような速度で言葉を紡いだ。
……貴方の隊長によれば、貴方は今、警備巡回中のはずなのだけれど、それを理解したうえでの発言かしら?」
 隙のない追及に、目を細めて黙り込む。ミシェは笑みを繕い、「警備巡回中だよ、見ての通りね」と当てつけのように彼女を見つめた。それを受けて、底の知れない双眸がこちらを見返す。真っ向から向き合っても、彼女の瞳からはいかなる感情をも読み取れない。苦手だ、と苦い気持ちを飲み下し、挑むようにその視線を受け止めていれば、キアスは予想に反して穏やかに微笑んだ。
「今日は貴方を叱責しに来たわけじゃないから、指導はエフティー隊長に任せましょう。……一つ、頼みごとがあるの」
 その言葉に身構える。キアスは、エルピスキューマの中でも特殊な位置づけの人物だ。一介の隊員であるミシェに、彼女の頼みを拒否する権利などあるはずもない。そして、経験則から、彼女からの頼みが愉快なものでないことは察しがついている。
 ミシェは重たい気持ちで、「内容は?」と先を促した。キアスは鉄壁の笑顔を崩さないまま、歌うような調子で口を開く。
「水中で使える罠を開発して頂戴」
……。それは断ったはずなんだけど」
 先日、研究所からの協力要請を蹴ったばかりだ。知らないはずはないだろう、と抗議するような心持で彼女を見る。キアスはミシェの視線を受けて、麗しいほどの笑みを浮かべた。そして、「研究所からの要請を蹴るなんて、貴方も随分偉くなったのね」と、嫌味というにはあまりに爽やかな声音で言い放つ。
「おかげでわざわざ私から打診する羽目になったのよ。……通常業務すら放棄しているのだから、せめて自分に求められる役割くらいは果たしなさい」
 静かな圧力に、息を吐いて「仕方ないな」と恩着せがましく彼女を見遣る。
「ところで、隊長からの指導があったら開発の精度が落ちるかもしれない」
「あら? 随分可愛らしい負け惜しみね。それじゃあ犬の遠吠えにも喩えられないわ」
 彼女はミシェの言葉を歯牙にもかけず、上品に微笑むと、そのまま踵を返した。姿が見えなくなるまでその背中を睨みつけ、息を吐く。ミシェは再び上体を地面へ転がして、空を見上げた。
……仕方ないなぁ」
 あの男が頭を下げるところは見れなくなったが、仕方がない。──文句のつけようがないものを生み出して、彼に恩を売りつけることにしよう。
 自分を納得させるようにそう考えて、留飲を下げる。
 どうせキアスが報告に行くのだ。今更巡回に戻ったところで、隊長であるエフティーに叱責されるのは目に見えている。ミシェは開き直ると、そのまま目を閉じた。

     *     *      *

 アフロス隊が対峙するデミストについて知るために、ミシェはデルフィニ研究所に赴いた。元より入り浸っていると言っても過言ではない施設だ。堂々と正面から入り、馴染みの顔に声をかけて、解析班から情報のまとまった資料を受け取る。ミシェは勝手に定位置にしているデスクに腰を下ろすと、資料の中身に目を通した。
 水中と地上とでは、転禍力の効率や最大出力が異なる。デミストもそれは同様で、水中でこそ威力を発揮する能力もあれば、地上に引きずり出した方が攻略しやすい能力も存在する。地上戦ばかりを扱って来たミシェにとって、水中デミストの生態は未知なる領域だ。腕が鳴る、と知らずのうちに頬が緩む。──請け負ったからには、全力で楽しむのがミシェの流儀だ。
 一通りデミストの情報を頭に入れ、今度はアフロス隊の戦闘スタイルについても資料を取り寄せる。現在の人員で展開可能なフォーメーション、投入できるリソースの限界、考え得る盤面や苦手な戦況を洗い出し、より効果的な罠を思案する。デミストが苦しみ悶える様を想像しながら設計案を書きだして、──数週間。
 ミシェは出来上がった試作品を手に、アフロス隊を訪問した。訓練棟の中でも、オルカ隊の人間が足を踏み入れることの少ない一角に向かう。
 地下へと至る階段を降りて、大きなドアを開けば、そこには巨大なプールがしつらえてあった。流石は水中戦を専門とする部隊だ、と迫力のある水量を前に目的の人物を探す。
 プールサイドを見渡せば、すぐに見知った顔が見つかった。笑みを浮かべ、彼に近づく。ミシェの気配に気づいて顔を上げたその男は、その頬に浮かべた余裕をわずかに硬直させ、静かに目を逸らした。
「やぁ。久しぶり」
……どうも。お久しぶりですね」
 声をかければ、渋々といった風にその目がミシェを捉える。──アフロス隊隊員、オルフィア・ケティックは常と変わらぬ微笑みを湛えたまま、「オルカ隊の貴方がなぜここに?」と慇懃無礼に問いかけた。ミシェの耳には、「部外者が立ち入るな」と威嚇しているようにしか聞こえない。嫌味は黙殺し、ミシェは持参した箱から試作品を取り出して見せた。
 オルフィアとて馬鹿ではない。ミシェが罠の開発に秀でていることは承知しているし、その当人が見慣れない道具を持参して現れれば、それが隊の要請した新作の罠であることは理解できる。彼は目を丸くしてから、ほんの少しの不本意さを滲ませて、「貴方が開発してくださったんですか」と呟いた。
「まさか、貴方が我々のために尽力してくださるとは」
 余裕ぶった微笑みを受けて、こちらも笑みを返す。ミシェは小首を傾げてオルフィアを見上げた。
「なぁに、その嫌味な言い方。キミって素直に感謝も述べられないの?」
「おや、こんなにも深い感謝の念が伝わらないとは。貴方こそ、素直に他者の言葉を受け取れないのですか?」
 挨拶代わりの応酬をしていれば、開発要請の責任者であるアフロス隊の隊長が現れた。流石に、隊長クラスの前で火花を散らすほど分別がない二人でもない。ミシェはオルフィアに背を向けて、隊長に試作品を持ってきた旨を伝えた。すぐに他の隊員たちにも情報が伝達され、実用に向けた実験の準備が進められる。
 試作品が完成するまで、ミシェたちも水槽を用いて効果の実験を繰り返している。そして、開発者の目で実用に耐えうると判断したものをこの場に持ち込んだ。──とはいえ、本当に実戦での運用に耐えうるかは、実際に運用する者たちの手で確かめた方が確実だろう。
 何より、ミシェの開発した罠が有用であると認識した瞬間のオルフィアの反応を間近で観察したい。
 内心の欲求を隠し立てして、アフロス隊の隊員に試作品を渡す。彼らがプール内に罠を設置し、訓練でデミストに見立てて使う人形を放り込む。万が一があってはいけないので、初回実験である今回は、全員がプールサイドで罠の起動を見守る方針だ。隊員の一人がリモコン操作で罠の付近に人形を移動させ、──ビ、と短い音が水を伝ってプールサイドにまで届いた。
 視界の端で、オルフィアが身を乗り出した。水面の下では、人形の体にワイヤーが絡みついている。ワイヤーは罠の本体から供給される電気によって通電しており、絡みついた相手の四肢を戒めたまま感電させる仕様だ。相手は捕縛と感電により、二重の意味で泳ぐ能力を封じられる。致命傷にはなり得ない継続的な痛みが思考を散漫にし、戦闘への集中力を削ぐという代物だ。
 ワイヤーは、対象とするデミストのサイズに応じて径を何種類か用意しているので、相手の姿がわかった時点でどの罠を使用するか定めればよい。また、フィールドが水中であることを考慮し、設置以外にも投擲や射出によって対象を狩猟することも出来るように設計してある。慣れれば、海流に乗せて罠を放ち、相手の逃亡を阻止するといった運用も可能だろう。
 ワイヤーのみが通電しているので、よほど狭いフィールドでない限りは味方を感電させる恐れもない。加えて、ワイヤーによる捕縛の強度はあくまで「遊泳能力を阻む程度」であり、それそのものに殺傷力や血が出るような強度はない。──流血によって水が濁るようなこともないうえ、ワイヤーの射出機構を加工すれば、陸上でも使用ができる優れものだ。
 ミシェが仕様を説明するのを聞き、視界の端に佇んだオルフィアが感心したように息を吐く。他の隊員たちも、大方が似たような反応を示した。予想以上にえげつない罠だ、と呟いた誰かの言葉に、一同が沈黙したまま同意を示す。ミシェは若干引いたようなその反応を無視して、オルフィアに目を向けた。
「どう? 実戦での運用は可能だと思う?」
 わざと彼に意見を求めれば、オルフィアは静かに頷いた。考え込むような間を置いてから、「試作品をこのままお借りし、実際の訓練で設置型以外の戦術も試してみたいところですね」と呟いた。
「実用に当たって微調整は必要でしょうが、その程度です。人形の存在を感知してワイヤーが射出される精度であれば、小型のデミストにも対応ができるでしょうし……、非常に有用な罠であると感じました」
 惜しみない賛辞といってもいい言葉に、満足して笑みを零す。これは実質、彼の敗北宣言だ。
 ミシェが「それじゃあ、訓練の過程で問題が見つかったら研究所に報告して」と彼を見返せば、オルフィアはかすかに表情を揺らがせて、「えぇ」と頷いた。
 余裕の崩れそうな表情に満足して、踵を返す。文句のつけようがない完全勝利だ。気分よくドアをくぐろうとしたところで、「ミシェ」とオルフィアに呼び止められた。
「なに?」
 振り向いて問えば、彼は一瞬だけ躊躇うような素振りを見せてから、普段と同じ笑みを浮かべた。どこかこちらを憐れむような、正しさの椅子から降りようとしない微笑みが癇に障る。オルフィアは、「貴方には才能がある」と口火を切った。
「他者よりも秀でた能力があるのだから、それは正しく使うべきです。……今回のように」
 説教めいた言葉に、彼を見つめる。ミシェはわざとらしく口角を持ち上げて、小首を傾げた。
「負け惜しみにしては随分可愛らしい言葉だね。それじゃあ犬の遠吠えにも喩えられないよ」